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第16話:その時、私たちは同じ眼をしていた件

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 私の居場所がもう其処にないことは覚悟していたのだけれど、現実に向き合うということはかくも難しいことなのか。
 お父さん、お母さん、私はあなたたちに会いたいです。
 帰る場所がそこにあると、思いたいのです。

 ***

 魔女の集会の夜からしばらく経った、とある午後のこと。
「ラピス、手紙返ってきたの?以前、ご両親に手紙を出したって言ってたよね。」
 お店で一緒に紅茶を飲んでいると、ふと思い出したかのようにダイドが訊いた。
「……あ、や。ううん。まだ。というか届いてるのかも定かじゃない。」
「そっか……。」
 うん、と頷く。
 まあ正直、元から当てがあったわけじゃない。だめもとだったからそこまで落ち込んではいなかったが、やはり心配ではあった。たくましい人たちだから、きっと大丈夫だと思うけれど……。
「ラピスのご両親って、何て名前だっけ?」
「え?お父さんがクロウで、お母さんがエリナだけど……。何?」
「ううん。ラピスの家の名前ってなんだっけ。本屋リブレリーアだっけ?」
 ダイドが笑った。
「そんなあまりにもって名前じゃないわよ。」
 全開借金取りがその偽名を読んだのを覚えてたらしい。
「なんで?」
「うん。俺、情報集めてみるよ。」
「えっ!」
「多分今でもその苗字で偽名を使ってるってんなら、それで探すし。」
「わ、悪いわよ!」
 悪くなんかないよ、とダイドは優しく笑った。
「俺も心配だから。」
 柔らかく笑いながら紅茶を飲む姿は、本当に好青年だよなあ、としみじみ思った。
「あっれー?ダイドじゃない!」
 高い声、それでいて飾り気のない声が後ろからした。
 ダイドが顔をあげてその声の主を捉え、驚いた顔をする。
 その目線を追いかけるように振り向くと、そこには明るい色の、髪の長い女の子がいた。
 少し釣り目っぽくて、かわいい子だった。
「リ……リスタ!?」
 ダイドは驚いて立ち上がった。ちょっとらしくない動揺だ。
「やぁ、驚いたなぁ。なになに、何してんのさ?」
 リスタと呼ばれた彼女はさばさばした話し方で、気さくな印象を受ける。
 彼女は笑いながらこちらの席に近づいてきて私の姿を捉え、にっこり笑った。
「やるな、ダイド。こんな可愛い子連れてんだ?」
「リスタ。頼むから、村のノリでしゃべるな。」
 ダイドは顔を少し歪めて呆れた。この表情もらしくない。きっと気の置けない友人に見せる素のダイドなのだろう。
「……同郷の?」
 私は問う。
「ああ。うん。」
「横、掛けていい?邪魔かな?」
「や、全然。」
 そう答えると、彼女はありがとうと言って、私たちの隣に座った。仕草が爽やかで、彼女にもダイドと同じくすごく好印象を受けた。
「私、リスタ。あなたは?素敵な赤髪さん?」
「あっ、私ラピス。はじめまして。」
「はじめまして!私はダイドの同郷の幼馴染、みたいなもん。」
「同郷つっても……、まあ隣の村の遠い親戚みたいなもん。」
 ダイドが付け加える。
「ラピス、ダイドの彼女?」
 すっごい直球ストレート。
「えっ!?や、違う……けど!」
「あ、そうなんだ。なあ、ダイド?あんた、この町に住んでんの?」
「お前こそなんでこの町にいるんだよ。」
「質問は私が先だよ。ルールは覚えてるだろ?」
 にやっとリスタは笑う。
 ルール?
「はいはい。俺は此処に住んでるよ。裏の店のバーテンダーやってるんだ。」
「へーそうなんだ!情報屋家業かぁ。あんたも落ち着いたもんだ。」
 なんで分かったんだろう。と、感心する。だってダイドはバーテンダーとしか言っていない。
「私は旅の途中で寄っただけ。今、アレ探しててさ。」
「探し物?」
「そう、王を屠った金の剣。」
 その言葉に、なぜかゾクリとした。
 まるで呪いの言葉を耳に入れたような気分だった。
「あれは、もうこの国にはないよ。」
 ダイドはため息交じりに答える。
「……金の、剣?」
 なんの話か分からず首を傾げると、ダイドは私の方に振り向いて、説明を加えてくれた。
「クリスティーナ・バルバラの持っていた剣だよ。ナイトオリンピアで戦ったとき使っていた剣だ。」
「クリスティーナ……?」
 ナイトオリンピア。王都で開催される国一番の武闘大会。彼女はその前回の優勝者だ。先日読んでいた本、『舞女』のモデルになった女性だった。ただし、彼女は確かに革命軍の一人であったと噂されていたが、王を殺した本人かどうかは分かっていないはずだった。
「なんでそんなもん探してるんだ。」
「魔女曰く。あの金の剣は、呪われていたんだって?」
 今度はどきりとした。
 呪いという言葉と、魔女という言葉に。
「そういういわくつきのエモノって、コレクターに高く売れるんだ。まあ、依頼があって情報収集しているだけなんだけどね。」
「依頼……?」
 ダイドは怪訝な顔を見せる。
「買いたいって奴がいるんだって。それがどこの馬の骨かはわからないけれど。そいつに売りたい奴が探してる。それを私が手伝ってるって感じ。つまり、私もダイドと同業ってことかな?」
 にやっとリスタが笑って答えた。
「じゃ、これ以上の情報は値を付ける。」
「あっはは!くそまじめだなぁ相変わらず!情報交換だったらいいでしょ?」
 すごい話が目の前で展開されていく。ちょっとついていけなくなってきた。
 それを察知したのか、ダイドがこちらを見て申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「あ、ごめん……ラピス!なんだか物騒な話になっちゃって。」
「おっとごめんねラピス。デートの邪魔になっちゃうから、私は夜、ダイドを予約するわ。」
「なんか誤解を生みそうに聞こえるからちょっと黙って。」
 ダイドがリスタをじとっと睨むと、リスタは笑いながら席を立った。
「またね。ダイド、ラピス。」
 そしてひらりと手を振って彼女は去って行った。
「すごくさばさばした子ね。」
 思わず率直な感想を述べた。
「あー……うん。部民の娘なんてみんなあんな感じだけどなぁ……。ラピスも、サバサバはしてるよね。」
「へっ!?ま、まあジメジメは……してないと思うけど……。」
 サバサバっていうか、ガサツと言われることの方が多いってことは、情報として不必要なので言わないでおこう。
「あの、金の剣って……。」
「ん?ああ、ラピスも好きだったっけ、クリスティーナ。」
「あ……うん。好きっていうか、本のモデルだから興味あるだけだけど。……それって、本当に王を殺した剣なの?だってクリスティーナは王が殺される時には煙のように消えていたのよね。」
 ダイドはうーんと唸った。
「これは、確かな情報じゃないけど、クリスティーナはナイトオリンピアで勝った後、王の近衛兵になったよね。だからあの革命の夜、王と一緒にいて王が逃げないように見張る役だったんじゃないかって言われてる。つまり……革命軍が城を制圧するまで、王の身柄を拘束する役目を負った女性だったんじゃないかって。」
「……へぇ。」
 小説と違う。
「そして、王を革命軍に引き渡す際に、金の剣を城において消えたって言われてるんだ。それを実際に処刑時に使ったかはわからないけどね。」
「呪われているっていうのは?」
「それは、魔女が彼女の剣を見てそう言ったらしいよ。戦っている彼女を見てね。」
「…………そんな剣を持って……クリスティーナは呪われなかったのかしら。」
 うーん、と言ってダイドは微笑んだ。
「俺は正直魔女の言っていることはよく分からない。そういうシックスセンスみたいなものって疎いから。でも……。」
「でも?」
「呪われていたのは、彼女自身だったんじゃないかって、俺なら思うな。」
 ゾクリと、また背筋が冷えた。

 ***

 ダイドと別れて帰宅した後、今度は子爵に誘われて紅茶をいただくことになった。
 子爵はあれっきり弱さを見せるようなことはなく、いつも通りのように見える。こうやって普段通りの彼を見ると、少し安心する。
 紅茶を楽しんでいると、ふと子爵が尋ねた。
「都には、いつまでいたんだったか……。」
「革命がちょうど起きた頃ですが……。」
 綺麗に染まった紅茶を見つめながら都を思い出す。
「きっともう私の家もあちこち壊れてしまっているんだろうなぁ……。」
「都に行きたいと思うか?」
「そりゃあ……。帰りたいですよ。でも……。」
「でも?」
 子爵は首をかしげる。
「あまり……見たくないです。壊れてしまった故郷は。今は一部の貴族たちが政治を執り行おうと都にたくさん集まって、都も色々立て直しているみたいです。……きっとそれは私が知っていたころの都じゃなくて。いえ、別に昔の王政が好きだったわけじゃありません。でもきっと全然、変わってしまっていて。空気が違ってしまっていて、それは少し、寂しいなって……。」
 そこまで言って、はっとする。
「あ!いえ!すみません!なんか愚痴っぽいことを!」
 子爵が複雑そうな顔をして見つめてくる。これは微妙な空気だ。
「……そうか。だが、友人や、知り合いがきっと都には残っているのだろう?」
「おそらくは……。」
 ははと笑う。情けないほど彼らがどうしているかなど、私は知らないのだ。
「近く、都の貴族に会いに行く用事がある。ブロイニュの代表として呼ばれているんだ。もし、嫌ならいいが、よければ連れて行ってあげよう。……気が向いたら、言ってくれ。」
「……は、はい。……ありがとうございます。子爵。」
 私は頷いて、お礼を言った。
 そして自分の胸に問いかける。――帰りたい?
 震える。心臓は血を送りながら小刻みに震えている。
 少し怖いのだ。
 怖いのは変わってしまったことじゃない。
 失われてしまっている物や、者のことを知るのが、怖いのだ。
 直視する勇気がない。

 ***

「で。本当に来たんだ。」
 ダイドはワインを注ぎながら呆れたような声で呟く。
 バーテンダー姿の彼は、昼間の好青年よりは垢抜けて見える。
 そんな彼を見つつ機嫌よく微笑むリスタは、ダイドからワインを受け取ると軽くグラスに口を付けて、ワインの香りを嗅いだ。
「情報を買いにね。」
「そんなに売るものはないけどね。」
「謙遜するなぁ?」
「謙遜じゃない。」
 リスタはからからと笑って見せた。
「金の剣の行方?」
「そう。」
 はぁとダイドはため息をついた。
「金の剣は革命軍の一人であるグルーという小隊長が、革命後南の行商人に売っぱらったそうだ。」
「南?」
 ダイドは頷く。
「タリアだよ。」
「タリア……、ああ、あの国も今情勢怪しいな。」
 リスタは顔をしかめた。タリアという国の今後を憂いてではなく、そんなところにお目当てのものが行っていたら少々面倒そうだな、と思ったからだ。
「武器商人がこの国にたくさん来ている。買い付けだ。アルブの刀鍛冶たちは今が書き入れ時って喜んでたな。」
 ダイドは果物の皮を器用に剥きながら言った。
「ふーん……。なるほど、グルーにタリアか。ま、もう少し、探せそうかな。」
「諦めないのな。」
「いい金になるんだ、これが。ありがとう。十分だ。で?何が知りたい?」
 リスタは肘をついてニコリと微笑みかける。昔から美人でとっつきやすい彼女は自然に周りの注目も集めていた。今もそんな彼女への視線が店のいろいろなところから向けられている。
「…………王都にあった本屋の一家がどこにいるか知りたい。」
「都にあった本屋ぁ……?そんなのいくつもあるけど。」
「都のカルテルにかなり膨大な金額の借金があったそうだ。夜逃げをして、リブレリーアという偽名で身を潜めているクロウとエリナという名前の夫婦の居場所が知りたい。心当たりがあ――」
 ダイドは黙った。
 リスタが頬についていたはずの手をぴっと立てて、言葉を制してきたからだ。
「ダイド。残念だけど、私がさっき貰った情報だけじゃあ、足りないわ。」
「……や、心当たりがあればでいい。今から探しに行ってくれっていう依頼じゃない。知らないなら別の――」
 再び遮られる。
「そういうことじゃない。」
「…………?」
「教えてあげられるけれど、、と言っている。」
 ダイドは眉をひそめた。
「どういうことだ……?」
「ただし、今持っている情報でもあんたが求めてることの100%は叶えられない。私が伝えられるのは『状況』と言ったふんわりしている部分を多々含む情報だ。それでも、足りない。」
「…………。ハッタリか……?」
 違う、とリスタは首を振る。
「分かった。何が知りたい?」
 リスタは微笑んだ。
「ヴァーテンホールの愛人について。」
 ダイドは顔色一つ変えなかった。ただ、なるほど、と呟いて考えるふりをした。
「それこそ、情報が釣り合わない気がするな?」
「それはダイドが持ってる情報によると思うんだけどな。釣り合わないってことは、相当知ってるって口を割ったようなもんだけど。」
 にやりとリスタが笑う。ダイドは表情を変えない。
「…………そういう、駆け引きめいたこと。好きなタイプだっけ?」
「意外って?そういうの含めて、駆け引きだよ。ダイド。」
 ピリリ、と少しだけ空気が張り詰めた。
「ヴァーテンホールの愛人ね……。」
 はあ、とダイドはため息をついた。
「知っていると言えば知っている。知らないと言えば知らない。」
「古いごまかし方するね。それって有効な逃げの手段だったっけ?」
「いや、駆け引きの苦手な奴の言うセリフだよ。」
 ダイドは苦笑いした。
「で?それ、売るの?売らないの?」
「売れない。」
「売れない?」
 リスタはぴくりと眉をあげて、ダイドを上目づかいで見上げた。
「売れない。察しろ。」
「…………。なるほど。口止めかな?」
 リスタは笑ったが、ダイドは笑わず、言葉も発しなかった。
「分かった。しょうがないな。同郷のよしみだ。今夜の此処の呑み代。それでいい。」
「……いいのか?」
「いいよ。しばらくぶりに会った村の馴染みに、ケチったこと言ってもつまらない。その代り、酒に手は抜くなよ?」
 ダイドは微笑んだ。
「ありがとう。」
「いいよ。」
 リスタはひらひらと手を振って、笑った。
「そういえば、こないだロッソに会ったよ。」
 ロッソ、という名前にドキリとする。
「…………どこで。」
「サリーナ・マハリン。」
「……リスタ。悪いこと言わない。ロッソの話はこの町でするな。」
 なぜ、とリスタは訝しむが、すぐにダイドの表情から察した。
「ああ、彼が切った人間がいるんだ?」
 ダイドは黙ったまま頷いた。
「なるほど……。それは、この町の重要人物、ってところなのかな。」
、彼の情報を聞きに来た人物がいた。そいつが彼を殺そうとしていた。そいつは居場所を知っている人間には容赦ない。」
「目撃情報ってくらいで私だって彼の今の居場所なんて知らないよ。ルクと同じくらいどこにも留まらないんだから。」
 確かに。とダイドは頷いた。
「で、本題。リブレリーア夫妻の行方は?」
「……んー。話すと長くなるな。まずは白から。出し渋るなよ?」
「…………はいはい。」
 ダイドは少々懐の心配をしつつも、まずは2杯目の白ワインを注いだ。
 リスタの口から告げられるであろう情報への一抹の不安は、できるだけ直視せずに。


 ――明け方

 最終的に、24杯。信じられない蟒蛇だった。
「はあ……。」
 ダイドは片づけをしながら、深いため息をついた。
 この処理を、どうしたらいいか考えながら。

 ***

 数日後、私は子爵と一緒に都に旅立っていた。
 思うところはあったが、目を背けていても仕方ないと思ったのだ。
 滞在日数は3日。私自身はずっと自由に過ごせそうだった。
「そういえば、先日の借金取りじみた輩だが。」
 馬車の中、子爵が沈黙を破る。
「都のカルテル本部はもう復旧しているそうだから、今一度話をしに行こう。」
「あ、はい。」
「何かの手違いで、まだ借金が残っていた、ということもあり得る。その場合も立て替えておくから、安心して。」
 なんとも手厚い福利厚生でしょう。
「ありがとうございます。何から何まで……。」
 なんか自分が情けなくなってきたわ。私が借りたお金じゃないけど……。
「滞在場所はカラグストンの屋敷だって聞きましたが、子爵はどこに行くんでしたっけ?」
「ああ、明日はヴァリアル裁判所だ。あれやこれや、国の統治について決まっていないらしくてね。ブロイニュの代表は他にいるんだが、外せない用事があるとかで、私が一時的に代打というわけだ。」
「へぇ……。」
 なんだかとても大変そうだった。
「それから、今日は着いたらすぐにエラルドの屋敷に。」
「……エラルド?革命で死んだ元摂政?」
 子爵は黙って頷く。
 エラルドは国王が病気がちになって就いていた摂政だが、もともと王が若い時にその父親も摂政だったので影響力が強く、影の権力者であったという認識だった。
「どうしてですか?」
 子爵は、ただにこっと微笑んだだけで何も言わなかった。
 なるほど、言う気がないらしい。もしかして、最近思い悩んでいたこととも何か関係があるのだろうか。
 馬車はがたがたと揺れながら、元王都へと進んでいった。

 数時間後、王都に着いた。
 メインストリートの途中で私だけ馬車から降り、あたりを見渡した。
「うわーーっ!なっつかしい!!」
 思わず声を張り上げる。
「うわ、うわ!思ったよりも復旧してる!というか前より綺麗になってる所もある!」
「ラピス、ラピス。あんまり目立たないでお願いだから。」
 馬車の中からブレトンが諌めるくらいには、テンションが上がっていた。
「メインストリートの噴水なんてほとんどぶっ飛ばされてたんですよ!あ、あの服屋!前と同じとおり営業してる!」
 しかして冷めやらぬ興奮!
「あぁ、だめだ。これは聞いてないわ」
 ブレトンが呆れた顔をしたが、スルーした。
「子爵!私、さっそくちょっと住んでた場所にいってきてもいいですか!?」
 子爵にせがむ。体がうずうずする。
「あ、あぁ。うん。いいよ。荷物は持って行っておこう。滞在場所に直接来てもらえれば、取り次いでもらえるようにしておくよ。この入館証明を持って行って。私達は出かけてくるから。」
「ありがとうございます!」
 許可が出た瞬間、駆け出していた。
 周りから見たら煌びやかな馬車から、町娘が大はしゃぎして『子爵』に何かモノ申している奇妙な状態だったため、相当注目を集めてたが、私は気づいていなかった。
「…………あの子、大物すぎじゃないですか。」
 改めてブレトンが呆れたことなど、つゆ知らず。

 あぁ!懐かしい!
 一人になって、あたりをきょろきょろ見渡しながら走った。
 あのパン屋、あの靴屋、全部懐かしい。
 すごい。思ったよりもずっと町の様子は穏やかだった。
 自分の記憶に残っているのは、革命の夜の大砲の音と、町全体になだれ込んできた革命軍。揺れる松明、罵声に怒号。
 誰かの血液。誰かの死体。
 王国主催の武闘大会、ナイトオリンピアのお祭り騒ぎの直後の急襲だった。
 何も知らされていなかった市民たちは、いくばくか巻き添えをくってしまったのだ。
 自分の家へ続く道に入り、いっそう心を躍らせた。
 近所の馴染みたちも、もう店を復旧していてくれればいいと、そう思った。

 でも、現実は非情に突きつけられる。

「…………嘘。」
 自分たちの家があったその場所。印刷所兼、本屋は、跡形もなくすっかりなくなってしまっていたのである。

 ***

 子爵たちは荷物をカラグストン邸に置いてすぐに旧エラルド邸に来ていた。
「エラルドは魔女の粉をだいぶ前から手に入れていたようですね。」
 バサッと、日に焼けてくすんだ紙の束を埃っぽい机に軽くほおってブレトンが言う。
「まがい物だ。魔女の粉ではない。……よくできていたようだがな。」
 子爵は不機嫌そうな声で呟いた。
「なるほど、書簡などはよくよく消されているようだ。まぁ証拠は残さないだろう。」
「わざわざ毒で王を衰弱させるような奴とはいえ、やはりできる男だから摂政だったんでしょうね。職務上必要な書類はキチンと整理整頓されています。」
 ブレトンは少し感心したように書斎を見回してそう言った。
「革命軍は、エラルドの屋敷をあまり荒らさなかったようだな。」
「エラルド自身は革命のさなか城で殺されたようですから、一族はすぐに降伏をして捕まったようです。めぼしい金目のものはすっかりありませんけどね。おかげで僕たちもこんな風にコソ泥じみた調査が可能ってもんです。」
 ブレトンの皮肉やら揶揄やらに、子爵は乾いた笑い声で答えた。
「…………少女、いや少年か?を指名手配していた記録があるな。理由はよくわからんが。この直後、また結構な金を使った記録がある。その直前にも同額以上の金を使途不明で使った記録があるな。」
「金の使い道は、まがい物の粉でしょうね。もしかすると、その少年だか少女だかわからない人物に、1度買い付けた粉を盗まれたのかも。」
「子供相手に間抜けな摂政め。」
「間抜けっすね。」
 言いたい放題である。
「さて、ただ、この2度の金の動き。ほとんど一致したな。」
 子爵は深いため息をつきながら呟いた。
「認めたくないですけど、これは確実かと。」
 ブレトンは少し低い声で同意した。
「子爵……。」
 そして子爵を気遣うような、優しい声で子爵を呼んだ。
「大丈夫だ。もう少し決定的な証拠を探したい。」
「……はい。明日もこちらで引き続き調査しておきます。子爵はいったんこのことは忘れて、子爵としての仕事をしてきてください。」
 子爵は少しうつむいてくくと笑い、ぽつりと呟いた。
「…………生意気な従者だ。」

 ***

 カラグストン邸宅――都の有力貴族の別邸に、夜、月が昇ってだいぶ経ってから子爵とブレトンは戻ってきた。
 ブレトンはさっさと自室に行ってしまったが。
「…………おかえりなさい。夕餉、先に頂いちゃいました。」
 私が出迎えると、子爵は微笑んでひらりと手を振った。
「ああ、我々も後で頂くことになっている。気にしないでくれ。」
「っていうか、また同室ってどういうことですか。舐めくさってるんですか。」
 説明を求む。
「はは、いやぁ。部屋が取れなくてね。すまない。」
「もっとバレない嘘ついてもらえます?」
 部屋なら腐るほどあるってことは確認済みなんですけど。
「同室といっても今回はこの奥にゲストルームがついているよ。君はそこで寝るといい。」
「……まぁ……もう別にいいです。どうでも。」
 ふてくされ、少しうつむいた。
「……ラピス?そんなに嫌だったか?」
「え?」
 顔を上げる。そんなつもりで言っていない。
 子爵は心配そうに顔を覗き込んでいた。
「ひどく、泣きそうな顔をしている。」
 ……ぐっと。
 ぐっとこらえた。
 このままだと、涙が出てしまいそうだった。
 瓦礫が綺麗に撤去されて、跡形もなくなってしまった自分の家と、その周辺は自分の知っているものとは、もはやかけ離れてしまっていた。変容してしまっていた。
 そんな風に、優しくしないでほしい。
 気が緩むと、心が折れそうなのよ。
「…………。」
 涙が溢れそうなのを堪えながらじっと子爵の目の奥を見つめ返していたら、気づいてしまった。
「……どうしたんですか。子爵。」
 だって彼こそ。
「子爵のほうが、泣きそうですよ?」

 今にも泣いてしまいそうな顔をしていたのだ。
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