冷たい桜

七三 一二十

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 僕たちの取るべき道は決まった。
 
 雨が弱まるのを待って神社を後にした。近くのショッピングモールに入り、まだ稼働していた銀行のATMで、2人の預金を口座に入っている分だけ、残さず引き出した。父母がまだ僕たちの貯金を抑える措置を取っていなかったことに、多少安堵した。当面の軍資金を確保した僕たちは、濡れた身体を拭くこともせぬまま、モール前のバス停から出発する直前だった市外へと向かう巡行バスに飛び乗った。一刻も早く、自分たちの生まれ育った町を離れたかった。

 妹はつい先刻までの悄然とした様子が嘘のように、普段の無邪気さを取り戻していた。

「ふふ、心中だね……これから心中するんだね、私たち……」

 よほど気に入ったのか、並んでバスの座席に腰を降ろしてからも、周囲の乗客に聞こえないように小声で、”心中”という言葉を何度も歌うように繰り返していた。「私、兄さんと心中するのが夢だったんだよ」などと調子のいいことまで言いだして、果たしてどこまで信じたものか僕は迷ったが、妹の瞳が夢見る少女のように純粋に煌いていたのは確かだった。

 僕だって千依ちよりを異性として意識するようになってから、2人で今生に別れを告げる未来を一度も夢想しなかったとはいえない。そういう意味では、僕も心のどこかで、この結末をずっと望んでいたのかもしれない、と思った。

「どうせ最後なんだから、私たちの納得のいく場所・納得のいく方法で、最高の心中にしようよ」

 神社を後にする前、千依は弾んだ声でそんな提案をしてきた。それを聞いて最初はただ唖然とした僕だったが、少し間を置くとなるほどそれも尤もなことだと思えてきた。どの道僕たちはもう先のことを考える必要はないのだ。自分たちの“理想の死に方”を吟味する余裕くらい、多少持ってもいいはずだった。

 知らない場所をめぐって満足のいく死に場所を探しに行くため、僕たちは生まれ故郷を後にしたのだった。それが人生最後の旅行と思えば、中々趣深いようにも思えた。

 かといって猶予が無限にあるわけでももちろんない。所詮高校生2人の預金をすべて引き落とした処でその額など高々知れている。またあの浦澤うらさわが生きているにせよ死んでいるにせよ、警察が僕たちを探し始めるのは時間の問題だろう。予算が尽きるか、警察に捕まり連れ戻されるかする前に、僕たちは踏ん切りをつけねばならなかった。



 モール前で飛び乗ったバスに30分ほど揺られた後、適当な停留所で降りた。近くのディスカウントショップに入り、着替えの服や下着類、食料やその他日常生活に必要な雑貨諸々をまとめて購入した。何せ2人共下校時と同じ、制服姿のままだった。いかに顔見知りのいない土地に行くといっても、そのままでは目立って仕方ないだろう。

 千依の春物カーディガンも、僕のブルゾンも、ここで買ったものだった。この時外は雨が上がったばかりで空気が冷えていて、つい気分で厚めの上着を購入してしまったのだが、後のことを考えれば結果オーライの選択だった。学校指定の鞄も中に入った教科書ごと境内に放置してきたので、新たに大き目のリュックサックを購入した。

 かさ張る制服をくず籠に無理やり放り込んでディスカウントショップを出ると、まだ開いていたホームセンターを見つけ、そこに入ってサバイバルナイフ、麻のロープ、練炭などを見繕った。これらは自殺用の道具一式だ。まだどういう方法で心中したものか決めていなかったので、とりあえず思いつくまま、使えそうな道具をひと通り揃えておくことにしたのだ。

 ホントは楽に死ねる毒薬なんかも手に入れたかったのだが、さすがにそんなものが一介の高校生に容易に入手できるはずもなく、その方面のつてもなかったので、後日ドラッグストアで軽めの睡眠導入剤を入手するのが精々だった。

 どこに行く当てとてなかったが、バスと電車を乗り継いで、とりあえず北へ向かうことにした。考えてみれば、こうして妹と2人きりでどこかへ旅行するなんていうことは今までなかった。夜行バスの中で隣に座る妹が僕の肩に頭をもたせ掛けて眠っている。その重みが無性に心地よかった。

 旅の途中、ニュースは殆どみなかった。2人とも、元々熱心に新聞を読んだりテレビの報道を追いかけるタイプでもなかったが、今では更に輪をかけて自分たちの外の世界がどうなろうがどうでもいい気分になっていた。各自のスマートフォンは親に没収されたままで、元々手元になかった。以前テレビをみていて、スマートフォンは電源を切っていても微弱な電波を発しており、警察はそれを辿ると持ち主の居場所を特定できる、というような内容を聞いた覚えがあった。だからこういう状況になってみると、没収されていたのは寧ろ好都合だったと思うべきかもしれない。

 そういうわけなので、頭を煉瓦レンガの塊で打ち砕かれた浦澤が生きているのか死んでいるのか、死んでいるとしたらどれくらいの規模のニュースになっているのか、全国区にその報道は行き渡っているのか、僕たちはまるで知らなかった。

 時に駅のホームやバス停などで野宿同然に夜を明かすこともあったし、時に安宿を見つけ2人で1つの部屋に転がり込むこともできた。宿で詮索を受けるようなことはなかった。2人共どちらかと言えば童顔の部類に入っただろうが、それでも17歳と16歳なので、多少背伸びをすれば成人で通せないこともない……多分。それに街外れの安宿を経営する側からすれば、一々客の素性など気にしていたら今の不況時代とても立ち行かない、ということなのかもしれない。

 1つの部屋に収まることができた夜は、僕たちはどちらからともなく抱き合い、肌を重ねた。恋人同士なのだから当然のことだろう。これまで離れていた時間を埋めるかのような、深く、お互いの存在をより噛み締める抱擁ではあったが、貪るような激しさはそこになかった。この世界に見切りをつけた一種の諦観、或いは開き直りが、僕たちに不思議な落ち着きをもたらしたのかもしれない。

 もちろんこれが死出の旅路であることを忘れたわけではない。行く先々の土地で、心中するのに適当な場所を探して歩き回った。日本のどこに行っても、自殺の名所というのはそれなりにあるものだと知り驚かされた。

 よく首吊り死体が見つかる樹海として全国的な知名度を誇る、という森林の噂を聞いて向かった時は、樹海というにはせせこましい植樹の規模に失望した。それに虫も多かったし、首吊りは2人の趣味じゃなかった。飛び降り自殺の名所と言われる海に突き出た断崖は、景色がうら寂しく壁面にごつい岩が突き出していて、落下する最中にその岩にぶつかったら痛くて苦しみそうだという理由で却下した。僕たちの心中条件は、どうやら中々気ままなものらしかった。

 まず死ぬなら綺麗な場所がよかった。人生の最後にまぶたに焼き付ける光景が荒涼としていたらつまらない。そして暖かくもなく寒くもなく、なるべく穏やかな気持ちで死ねること。うるさい場所もごめんだった。妹と共に迎える厳粛な死の瞬間は、静謐なものであるべきだった。騒音にかき乱されたりしたら、台無しである。
  
 死に方もなるべく苦しまないものがよかった。そういう意味ではやはり服毒が最も楽に思えたが、その方面の取り締まりが厳しいのか、あいにく未だ希望通りの薬の都合がつかないので、どうやらこれは諦めるしかなさそうだ。推理小説や刑事ドラマをみていると一般人でも容易に入手できそうなのに、現実はままならないものである。

 何より、2人同時に絶命できることが理想だった。完全に時間が一致するということは不可能に近いだろうが、タイムラグは一瞬でも短い方がいい。

 そうすれば死後の世界でも一緒になれるだろう。そんな幻想を、幻想と自覚しつつも2人で分かち合っていた。
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