明日の夢、泡沫の未来

七三 一二十

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「疑ってないなら、なんでそんな落ち着いて弁当食ってるんだよ! 同じ美術部員が殺されるかもしれないんだぞ、何とかして止めないと!」

「これが他の美術部員だったら、お前だってそこまで必死にならんと思うがなあ。お前が細川ほそかわを助けたいのは、細川に気があるからだろう」

「そ、そんなこと、今はどうでもいいだろ!?」

 俺は途端にしどろもどろになった。

「それになあ、お前はもう夢の中で、その何者かが細川に刃物を振り下ろす光景を目撃してしまったんだろ?」

「お、おお、そうだ」

「だったらそれはもうなんじゃないか、多岐川たきがわ? 去年の俺の模擬試験の点のように、俺たちが何をどうしたって起こってしまう可能性が高い。下手に変えようとしたら逆にどんな弊害が生じるかわからん、関わらないのが無難だ」

「そう、そこがポイントなんだ!」

 俺は端波はしばの言葉内に反論の余地をみつけて、勢いこんだ。

「いいか、俺が夢で見たのはあくまで何者かが細川に向かって背後から刃物を振り下ろす処までだ。その刃物が届く処は見ていない、その直前で目が覚めたからだ」

「……つまり?」

「細川に刃物が刺さることは、まだ予知夢で確定していないんだ。直前で止められるかもしれないってことさ!」

 俺としては見事な推理を披露したつもりだったが、やはり端波は乗ってこなかった。美術室の壁に備え付けられた自画像製作用の特大姿見に目を向けては、口元の油なんか気にしてやがる。

「止めるったってな、細川が襲われる場所がどこかも定かじゃないんだろ?」

「う……まあな」

「その襲うやつの顔も、薄暗くてよく見えなかった」

「うちの制服を着ていた。男子の制服だ」

「女子が男装してたって可能性は?」

「違うな、あの身体つきはまず女じゃない」

「それでもうちの学校の男子生徒だけで200人以上、その内体格で除外できる奴を差し引いてもなお100人以上は容疑者ってわけだ。男子の半分は、中肉中背に該当するだろうからな。おまけにうちの生徒以外の男が制服を着てるだけ、て可能性も捨てきれない……」

 次々と分析が飛び出す頭の回転の速さに感心したが、今の所その頭脳は俺を諦めさせるためにのみ稼働しているようだった。

「何か他の特徴でもなければ、まず特定は不可能だなあ」

「特徴か……」

 俺は必死に昨晩みた夢の光景を思い出す。何かないか、何かあの影の正体を特定できる手がかりは……

「そうだ!」

 俺は大声をあげた。あるではないか、手がかりが。

「あの男は刃物を左手に持っていた。つまり左利きなんだ」

「左利きか、たしかに少数派ではあるだろうが特定に至るほどでは、」

荒井あらいも左利きだ!」

「……荒井か」

 今度は端波も、俺の発言を一蹴しなかった。一考の余地を感じたのだろうか。

 荒井重彦しげひこ。美術部に籍を置く俺たちと同学年の男子だが、同時に野球部にも所属しており、あちらでは何とエースピッチャーだ。身長や横幅は俺や端波と大差ないのに、その筋肉は強靭かつしなやか。身体能力の高さから野球部顧問に請われて兼部しているとのことだが、本人は絵を描く方が好きで美術部をメインに考えている節がある。

 荒井は野球をやる時はサウスポーだし、美術部で絵を描く時もペンや筆を左手で持っていた。しかも。

「あいつは先月、細川とトラブっていたな」

 美術部の活動中、細川が荒井の描いている絵を罵倒したのだ。荒井の絵に対する情熱は本物なのだが(でなければ、わざわざ運動部と兼任したりしないだろう)、如何せんその実力はお世辞にも「上手い」と形容できるものではなかった。それでいて義理でやっている野球の方は部内で抜きんでた実力を誇るのだから、「好きこそものの上手なれ」という格言を疑いたくなる。

 細川は部員がそろっている中で荒井の絵をけなしただけでなく、「冷やかしなら出てってよ! どうせ野球部のエース様は、こっちの活動なんて息抜きくらいのつもりでやってんでしょ!?」と怒鳴ってしまった。これがまずかった。普段温厚な荒井が、日焼けした顔を真っ赤にしてもの凄い形相になっていた。このまま細川に掴みかかるのではないか、と懸念をおぼえたほどだ。

 顧問が間に入ってその場は事なきを得たが、以来細川と荒井の冷戦状態は未だに続いている。

「あれは細川が悪い。荒井にしてみれば怒るのも当然だ。本当に絵が好きじゃなければとっくに野球部一本に絞っているだろうに、それを冷やかしなんて言われたらな」

 端波は荒井を擁護するが、俺としては想い人の肩を持たざるを得ない。

「細川が荒井の絵を見てお遊びと思うのも無理はないだろ。なんせ当人の力量が抜きんでている」

 荒井が野球部のエースなら、細川は美術部のエースだ。彼女の絵はこれまでいくつもの学生コンクールで入選し、一度などは金賞をものにしている。部内で一人だけ住む世界が違う、と言っても過言ではない。

「俺は細川は苦手だな。自分の実力を鼻にかけすぎるし、ありゃ男を見下してるよ。あんな気の強い女のどこがいいのかね」

 そこがいいんじゃないか、と思ったが口には出さない。

「それを言うなら俺は荒井が苦手だ。あいつは空気が読めねえ」

 元来、文化系の部活というのは運動部に対して引け目をおぼえるものだ。そこに野球部のエース様が堂々と居座られては、周りが居心地の良かろうはずもない。細川が荒井の絵を罵倒してくれた時、正直俺は内心で拍手を贈っていた。やはり俺と彼女は波長があう、とも思っていた。

 ……話が脱線しすぎた。細川と荒井のどちらに非があるかは、今はどうでもいい。2人の間に檄が生じた、という事実が重要なのだ。

「とにかく、荒井には細川を恨む理由があるってことだ。あの一件に対する憤りが、奴の中でおさまっているとも思えないしな。おまけに左利きだ」

「だから、お前が夢でみた男は荒井だろうって?」

「根拠としては十分じゃないか! そりゃ今は殺意がないかもしれないけど、カッとなって思わずってことも……」

「「カッとなって思わず」、即座に刃物を用意できるもんかね。一介の高校生が? それに荒井は腕力に自信があるだろう、カッとなったら素手で襲いかかりそうなものだが」

 俺は段々腹が立ってきた。さっきから端波は俺の考えを否定ばかりしている。荒井犯人説だって、これ以上ない説得力だと俺には思えるのに。

「なんだよ、そんなに細川を助けるのに協力したくないのかよ」

「まあ気は進まないが、それでお前の案を否定しているわけでもなくてだな、」

「もういいよ!」

 業を煮やした俺は半分も食べていない弁当に乱暴に蓋をすると、木製の椅子から立ち上がる。

「お前がそこまで白状な奴だとは思わなかった。もう頼まん、俺一人で細川を守ってみせる!」

 啖呵を切って、大股で美術室を後にした。

 教室に戻るため廊下を進む最中も、腹立ちがおさまらなかった。俺は端波を過大評価していたようだ。頭もキレるしいざという時頼りになる奴だと思っていた。だからこそ相談をもちかけたというのに、あんなに冷酷な性格だとは思わなかった。人ひとりの生命がかかっているというのに!

 この時、俺は頭に血が昇っていた。興奮して、まともに思考をめぐらすことができなかった。だからに気づいたのは、やや時間をおいて落ち着きを取り戻して後のことだった。
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