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第2話:番長はどこへ消えた?
消失っ!!(前)
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安双の説明は系統立ててまとめると、次のようなものだった。
彼女の現役当時、和泉二高には校内暴力の嵐が吹きあれ、風紀は乱れに乱れていた。
頭はリーゼントやパンチパーマに加工し、服装は改造した詰襟にボンタン。生傷の絶えないツッパリ(死語)集団が肩で風を切ってあるく光景が廊下の至るところでみられるという、今からは隔世の感がある状況だったらしい。ところで”ボンタン”とは何だろう?
「校内暴力が流行った時代はたしか……」などと考えながら安双の顔を観察していたら、「何十年前かとかくわしく詮索すんな、〇すぞ」といわんばかりの鋭いにらみを投げかけられたので、そこは深く考えないことにした。読者諸氏もぼんやり思い浮かべるにとどめてもらいたい。
現在の和泉二高の制服は男子は上下とも黒の学ラン、女子はセーラー服で、安双の現役当時から変わっていないらしい。だが、それをわざわざ改造して着ている奴なんてみたことがない。悪ぶっている連中も、多少制服を着くずすくらいがせいぜいだ。
「今の子はおとなしくなっちゃって、つまんないわねえ」
とは安双の評だが……俺としては、彼女の現役時代の方こそご免被りたい状況に思える。世代間ギャップというやつだろうか。
ともかく、当時のツッパリ君たちは行動も相当過激だったようだ。教師の言うことを鼻であしらい、授業をさぼるなどは当たり前。廊下で目が合ったらなぐり合いを始める、校内の窓ガラスをたたき割ってまわる、授業中に校庭でバイクをはしらせて砂煙をあげる、といった無軌道な行動を日常的に繰りかえしていた。
当時は校則がきびしく、一般生徒たちはズボンやスカートの裾丈を1cm単位でチェックされていたらしいが、当然不良たちはそんなものには従わない。その様にあこがれを抱く女生徒は、少なくなかったとのこと。
「あの時の校長がまた嫌なじじいでねえ。規則規則うるさくて、特に身だしなみには病的なまでにきびしいのよ。いちいち生徒の服装チェックに顔をだして自分の目でも調べてまわらないと気が済まないような奴だったわけ。そんな感じであたしらもストレスたまってたからさ、やっぱ校則に真っ向から反抗するツッパリ君たちはかっこよくみえたなあ」
そんなツッパリたちの中にも序列があり、彼らをたばねる存在がいた。安双の2年生当時、不良のトップに君臨していた生徒は”番長”と呼ばれていた。
"番長"はその年、突然あらわれた。校内の名だたる不良たちと次々"タイマン"を張り、勝利をおさめ、いつの間にか腕っぷしひとつで校内のツッパリをたばねる男になった、というのが当時普通の女子生徒(自称)だった安双がつたえ聞いた話だ。説明の中に古いヤンキー漫画でしかみかけない単語がバンバン出てくるのは、仮にも現代っ子の俺としては新鮮である。
喧嘩は強いが、決して粗暴な性格ではなかったようだ。校内で子分がかつあげしているのを見かけると、一喝して財布を被害者の生徒に返す。そんな光景がたびたび見られ、"番長は仁義にあつい"という評判がたった。また寡黙だが面倒見もよく、たまに放課後校舎の一角で、子分たちと相撲に興じるなどという気さくな一面もあった。安双も一度、上半身を裸にして舎弟を上手投げでくだし、「どんなもんじゃあ!」と笑顔で吠える番長を目撃したらしい。
「引きしまった筋肉と厚い胸板が男の魅力にあふれていて、カッコよかったわあ」
安双がうっとりとした表情で番長の裸体をほめあげたが……正直、誰もそこまで聞いていない。
そんな漢気あふれる番長は、不良達から絶大な支持を寄せられていた。番長がにらみを利かせることで舎弟らも無茶をしなくなり、不良グループはしだいに統制のとれた集団となっていった。学校が過ごしやすくなり、番長人気は男女問わず一般生徒にまで波及した。
しかしこの番長、一体どこの誰なのか、誰も知らなかったらしい。
別に顔を覆面でかくしていた、というわけではない。放課後になると彫りが深く目尻の鋭い、やや刺々しいが男前と呼んで差しつかえない顔を、不良たちの前には毎日のように、一般生徒にもたびたび、さらしていた。頭は短髪のツーブロック、脛までかくす長ランをいつも身に着け、全身黒ずくめだったらしい。しかしその姿を、自分のクラスでみたこたがあるという生徒は1人もいなかった。
当時はどのクラスにも全く授業に出席せず、常に席が空になっている不良が1人2人はいたようだ。番長もそうしてクラスに顔を出さない誰かなのだろうと思われたが、それにしても「同じクラスで見かけたことがある」という証言がまるで登場しないというのも、いかにも奇妙な話だった。
故に学年もクラスも不詳。これに加えて、名前も不詳だった。番長は決して、己の本名を名乗らなかった。本名を知られずとも”番長”と呼べば当時それはすなわち彼をさすことになったので、そのままでも別に不都合もなかったようだ。ある時子分の一人がおずおずと名前をたずねると、番長はギロリとその子分をひとにらみして、「俺の名前が、おめえに何か関係あるのか?」と険のある声で聞きかえした。子分は青い顔で首を振り、番長は視線を外してそのまま黙りこんでしまった。その光景は多くの取り巻きに目撃されており、以来番長に、その件を聞くような者はあらわれなかったらしい……
誰もが知る有名人でありながら、番長はひどくミステリアスな存在だったわけである。一体その本名は何というのか。どこに住んでいるのか。そもそも学年は何年生なのか……校内では次第に噂が絶えなくなった。
それらの噂群の中から、やがてひどくオカルトじみたものが登場する。「番長は、本当は幽霊なのではないか」という珍説だった。和泉第二には十数年前――これは安双の現役当時からみた”十数年前”のことで、現代からは“(ン十年+十数年)前”にあたる、念のため――、交通事故で命を落とした男子生徒がおり、彼は当時の不良を仕切っていた”番長”だった。そのかつての番長が、格好は派手だが中身は軟弱化した後輩の不良たちに活をいれるため、亡霊となってよみがえったのが今の正体不明の番長なのではないか……
「そんな”十数年前の番長”が本当にいたかなんて、結局だれも証明できなかったけどねえ。でも若い子ってのはそういう突拍子もない話ほど好むものでしょ。噂はまたたく間にひろまって、校内中でささやかれるようになったわ。もちろん本人に面と向かって「あなたは幽霊ですか」とたずねるような生徒もいなかったけど、まあ噂している奴らも真偽がどうかなんてどうでも良かったんじゃないかねえ。騒ぐこと自体が面白い、後のことはどうでもいいっていう無責任な輩は、いつの時代もいるものよ」
まるで人ごとのように訳知り顔で話しているが、このOG自身が当時は”無責任な輩”の一員だったのではないだろうか。
「ともかく番長の正体は、生徒の誰もが知りたがる”謎”だったの。で、そんな謎を前に指をくわえているだけじゃ探偵小説研究会の名折れだ、ここはひとつ解明してやろうじゃないか、と立ち上がった探研部員こそ何をかくそう、あたしだったわけ!」
安双は自慢げに胸をたたいた。要するに野次馬根性を抑えられなかった、ということか……
木村という男子生徒がいた。番長を取り巻く"ツッパリ君"の1人で、安双とは中学の同窓生だった。背は高くなく体格も貧相で、パンチパーマにした頭がアンバランスで滑稽だった、とは安双の評。散々な言い草である。
安双はこの木村に協力をたのんだ。木村の方でも以前から番長の素性に興味を持っていたらしい。二つ返事で請け負った。
現在こそ"旧本館"などと呼ばれ末端文化部が詰めこまれているこの建物だが、当時は正真正銘の”本館”だった。1階には職員室が置かれ、2階には2年生、3階には3年生の教室がならんでいた。
4階には図書室、理科実験室などがそろっていたが、その中のひとつ、視聴覚室が放課後の不良たちの溜まり場になっていた。
番長もほぼ毎日、放課後になるとそこに姿をあらわし、子分たちと何をするでもなく時間を潰し、やがて集団が解散する前に1人部屋を後にする。それがいつもの流れだと、木村は安双に説明した。
「まあ部屋にいても、俺たちと一緒にバカさわぎする人じゃねえけどな。大抵少し距離を取って、皆の様子をながめてんだ。話しかけたらちゃんと返してくれるけど、俺たちとはオーラがちがうからこっちでも遠慮しちまってなあ。なんせあの人は煙草も吸わねえし麻雀もしねえ。他の連中はいっつもヤニ臭えのに、あの人だけはそんな匂い全然しねえんだ。それでも喧嘩はめっちゃつええし、そういう群れねえ感じが逆にかっこよくて、皆あの人を慕っている。あの人がいるだけでなんつーか、場が引き締まるんだ。ああいうのが上に立つ人間の、うーんと、かんろく? つーのかな」
そう告げる木村の眼は輝いていた。彼も心底、番長に心酔していた。ならんで歩きながら、尊敬の眼差しで番長の横顔を見上げる木村の姿を、安双は今でも覚えていた。
「でもあんた、そんな尊敬する番長を裏切っちゃっていいわけ? 持ちかけたあたしがいうのも何だけどさ」
「別に裏切っちゃいねーよ。俺だってあの人のマブだぜ。なのにこっちは何もあの人のこと知らねえなんて、その、寂しいじゃねーかよ……」
忠実な子分の心理は複雑だったようだ。
安双の計画とは、放課後帰宅する番長を尾行する、というものだった。“計画”と呼ぶのも抵抗がある極めて直線的な行動だが、有効な手段なのもたしかだろう。上手くいけば番長の住居がわかるし、家の表札などからその姓名も判明するかもしれない。
当時、視聴覚室の東側隣の部屋が図書室だった。隣室が不良の溜まり場だとだれもが知っていたから、放課後になると閑散としていた。そのことが、安双には好都合だった。番長が視聴覚室で不良たちと一緒にいる間、安双はその図書室の中で待機している。やがて番長がいつもの如く1人先に帰る素振りを見せた時、視聴覚室から一足先に木村が安双のもとに走ってきて、そのことを告げる。安双は廊下側の窓に張りついて様子を探り、番長が隣室から1人で出てくるのを確認したら密かに尾行を開始する……
木村に協力をたのんだのは、常時図書室の廊下側の窓に張りついているわけにもいかないと思ったからだった。図書室内に他の利用者がいたらいぶかしがられるし、室内に人気がなくても廊下側から不良の誰かにでもその様子を目撃されてしまう危険もある。彼らも自らの溜まり場を見張っている女子の姿を発見したら、放ってはおかないだろう。
ここで、現場となった当時の”本館”――現在は”第二部活棟”となっている建物の造りを、簡単に説明しておこう。この棟は上空から俯瞰すれば、東西に延びる長方形と見えるはずだ。三次元の基準を持ちこめば4階建てという説明も加わる。西端と東端にそれぞれ1階から4階までの各階をつなぐ階段が、北側の校舎裏に壁一枚をへだてて面しながら設置されていた。2階から4階までの各部屋はすべて校庭側、つまり南側にならべられており、不良たちの溜まり場だった視聴覚室は4階のちょうど真ん中あたり。安双が隠れていた図書室がその東隣だったことは、先に記した。
6月末、長引く梅雨の影響で鉛色の空がつづくとある一日に、その尾行計画は実行にうつされた。その日も慣習どおり、不良たちは視聴覚室に集まり目的もなく時間を潰していた。番長がその場にいることも、途中に一旦抜け出して図書室にやってきた木村の報告で確認済だった。
図書室奥の壁にかけられた時計の針が、午後6時をさす直前だった。クーラーも設置されていなかった当時の図書室内はむし暑く、焦れた安双が手に持った『緑のカプセルの謎』の文庫本で首筋をあおいでいると、再度木村が図書室のドアを開いて入ってきた。その時、安双以外に図書室の利用者はいなかったそうだ。
「アニキが帰り支度をはじめた。もうすぐ隣のドアから出てくるはずだ」
舎弟たちは番長を”アニキ”と呼んでいたらしい。安双は手元の文庫本を閉じ、机の上に置きっぱなしにすると(読者の皆は、読み終えた本はちゃんと書架にもどそう!)、鞄を背負い急いで窓際にあゆみ寄った。その背中に木村もついてきた。
「ちょっと、あんたの役目はもう終わったんだから、帰るなり隣にもどるなりしていいわよ」
「冗談じゃねえ、俺も尾行についていくぜ。アニキがどこに住んでいるか、知りてーんだよ」
不貞腐れたように唇をとがらせながら、木村は言った。
説得する時間も惜しかったので、安双は木村の好きなようにさせることにした。尾行がばれたら責任を押しつける”盾代わり”にしよう、くらいの打算は働いていたかもしれない。間もなく、無人の4階廊下にドアを引く音が響き、隣室から番長が出てきた。すでに薄暗い刻限で廊下には照明もついていなかったが、その風貌を確認するには十分だった。短髪のツーブロックに黒い長ランといういつもの出で立ち。頬がそげ、精悍な顔つきをした男子生徒――目当ての人物に間違いなかった。
番長は視聴覚室を出ると、廊下を東階段に向かってあるき始めた。図書室の廊下側窓から覗いていた安双たちは、番長が自分らの目の前を通過したので、あわてて頭を引っこめた。安双が図書室の照明を切っていたこともあり、この時は幸いにして気づかれることなくやり過ごした。
廊下の闇に溶けいりそうな番長の背中を、安双たちは追いかけた。音を立てないように図書室の引き戸をあけ、近くの火災報知器の陰に身をかくし、やがて番長が東端階段の方へ曲がり廊下から姿を消すと、物音に気をつけながらも速足でそこまで向かった。番長が階段を降りていくコツコツという足音は、廊下まで聞こえていた。
東端階段の降り口にたどり着くと、すでに最初の踊り場を曲がったらしく、番長の姿は見えなかった。しかし先ほどからの階段をゆっくり降りていく足音が、依然はっきりと響き続けている。足音は1つだけで、まだ近い。踊り場は曲がったが、3階には到達していないだろう。
その足音を追いかけようと安双も階段に足をかけたところで……計画は破綻した。
「ハックション!」
安双の後ろにいた木村が、唐突にくしゃみをしたのだ。不可抗力の生理現象は副産物として派手な音を生みだし、吹き抜けの階段に殷々と響きわたった。
「ちょっと、何やってんの、気づかれちゃうじゃないのよ!」
反射的に怒鳴った安双は、直後に両手で口を押さえていた。くしゃみの音に重なるようにして響いている己の声こそ、対象にこちらの思惑を気づかせる致命的な要因だった。
それまで聞こえていた階段を“歩いて降りる音”が、“駆け降りる音”に急変した。反射的に安双は自らも階段を駆け降りていた。木村も後を追ってくる気配が、背中に伝わってくる。
自分と木村が階段を踏みつける音も響いていたが、安双の耳は尾行対象者が発する“足音”を明確に識別していた。足音は3階や2階の廊下に曲がることなく、1階までまっすぐに降りていった。その点は間違いないと、後に木村も証言した。
安双は自分も一目散に、階段を1階まで降り切った。1階上り口には、俺が先刻安双を迎えたスチール製ドアが当時からあったらしいが、そのドアが内側からカギをかけられているのを、たしかに安双は目撃した。あのドアには鍵穴の類はなく、カギをかけようと思えば内側についているツマミを回すしかない。
上り口から直接本館の外に出る手段は、そのドアを通る以外にはない。ドアが内側から閉まっている以上、番長は1階廊下に出たのだ。安双はそう判断した。
階段の上から1階上り口を見下ろすと、左側にスチールドアが、反対の右側に廊下への出口が見える。ドアがロックされているのを確認した安双は反対側に向きを変え、1階廊下に出た。まず正面に見えたのは1階東端の部屋で、当時そこは倉庫になっていた。当然左手はすぐ突き当たりの壁になっていて、右手側に廊下が伸びていた。
安双はさらに右を向き……そこで固まってしまった。反対の西端まで一直線に伸びる1階廊下全体を視界におさめることになったが、番長らしき人影はどこにも見えなかった。
彼女の現役当時、和泉二高には校内暴力の嵐が吹きあれ、風紀は乱れに乱れていた。
頭はリーゼントやパンチパーマに加工し、服装は改造した詰襟にボンタン。生傷の絶えないツッパリ(死語)集団が肩で風を切ってあるく光景が廊下の至るところでみられるという、今からは隔世の感がある状況だったらしい。ところで”ボンタン”とは何だろう?
「校内暴力が流行った時代はたしか……」などと考えながら安双の顔を観察していたら、「何十年前かとかくわしく詮索すんな、〇すぞ」といわんばかりの鋭いにらみを投げかけられたので、そこは深く考えないことにした。読者諸氏もぼんやり思い浮かべるにとどめてもらいたい。
現在の和泉二高の制服は男子は上下とも黒の学ラン、女子はセーラー服で、安双の現役当時から変わっていないらしい。だが、それをわざわざ改造して着ている奴なんてみたことがない。悪ぶっている連中も、多少制服を着くずすくらいがせいぜいだ。
「今の子はおとなしくなっちゃって、つまんないわねえ」
とは安双の評だが……俺としては、彼女の現役時代の方こそご免被りたい状況に思える。世代間ギャップというやつだろうか。
ともかく、当時のツッパリ君たちは行動も相当過激だったようだ。教師の言うことを鼻であしらい、授業をさぼるなどは当たり前。廊下で目が合ったらなぐり合いを始める、校内の窓ガラスをたたき割ってまわる、授業中に校庭でバイクをはしらせて砂煙をあげる、といった無軌道な行動を日常的に繰りかえしていた。
当時は校則がきびしく、一般生徒たちはズボンやスカートの裾丈を1cm単位でチェックされていたらしいが、当然不良たちはそんなものには従わない。その様にあこがれを抱く女生徒は、少なくなかったとのこと。
「あの時の校長がまた嫌なじじいでねえ。規則規則うるさくて、特に身だしなみには病的なまでにきびしいのよ。いちいち生徒の服装チェックに顔をだして自分の目でも調べてまわらないと気が済まないような奴だったわけ。そんな感じであたしらもストレスたまってたからさ、やっぱ校則に真っ向から反抗するツッパリ君たちはかっこよくみえたなあ」
そんなツッパリたちの中にも序列があり、彼らをたばねる存在がいた。安双の2年生当時、不良のトップに君臨していた生徒は”番長”と呼ばれていた。
"番長"はその年、突然あらわれた。校内の名だたる不良たちと次々"タイマン"を張り、勝利をおさめ、いつの間にか腕っぷしひとつで校内のツッパリをたばねる男になった、というのが当時普通の女子生徒(自称)だった安双がつたえ聞いた話だ。説明の中に古いヤンキー漫画でしかみかけない単語がバンバン出てくるのは、仮にも現代っ子の俺としては新鮮である。
喧嘩は強いが、決して粗暴な性格ではなかったようだ。校内で子分がかつあげしているのを見かけると、一喝して財布を被害者の生徒に返す。そんな光景がたびたび見られ、"番長は仁義にあつい"という評判がたった。また寡黙だが面倒見もよく、たまに放課後校舎の一角で、子分たちと相撲に興じるなどという気さくな一面もあった。安双も一度、上半身を裸にして舎弟を上手投げでくだし、「どんなもんじゃあ!」と笑顔で吠える番長を目撃したらしい。
「引きしまった筋肉と厚い胸板が男の魅力にあふれていて、カッコよかったわあ」
安双がうっとりとした表情で番長の裸体をほめあげたが……正直、誰もそこまで聞いていない。
そんな漢気あふれる番長は、不良達から絶大な支持を寄せられていた。番長がにらみを利かせることで舎弟らも無茶をしなくなり、不良グループはしだいに統制のとれた集団となっていった。学校が過ごしやすくなり、番長人気は男女問わず一般生徒にまで波及した。
しかしこの番長、一体どこの誰なのか、誰も知らなかったらしい。
別に顔を覆面でかくしていた、というわけではない。放課後になると彫りが深く目尻の鋭い、やや刺々しいが男前と呼んで差しつかえない顔を、不良たちの前には毎日のように、一般生徒にもたびたび、さらしていた。頭は短髪のツーブロック、脛までかくす長ランをいつも身に着け、全身黒ずくめだったらしい。しかしその姿を、自分のクラスでみたこたがあるという生徒は1人もいなかった。
当時はどのクラスにも全く授業に出席せず、常に席が空になっている不良が1人2人はいたようだ。番長もそうしてクラスに顔を出さない誰かなのだろうと思われたが、それにしても「同じクラスで見かけたことがある」という証言がまるで登場しないというのも、いかにも奇妙な話だった。
故に学年もクラスも不詳。これに加えて、名前も不詳だった。番長は決して、己の本名を名乗らなかった。本名を知られずとも”番長”と呼べば当時それはすなわち彼をさすことになったので、そのままでも別に不都合もなかったようだ。ある時子分の一人がおずおずと名前をたずねると、番長はギロリとその子分をひとにらみして、「俺の名前が、おめえに何か関係あるのか?」と険のある声で聞きかえした。子分は青い顔で首を振り、番長は視線を外してそのまま黙りこんでしまった。その光景は多くの取り巻きに目撃されており、以来番長に、その件を聞くような者はあらわれなかったらしい……
誰もが知る有名人でありながら、番長はひどくミステリアスな存在だったわけである。一体その本名は何というのか。どこに住んでいるのか。そもそも学年は何年生なのか……校内では次第に噂が絶えなくなった。
それらの噂群の中から、やがてひどくオカルトじみたものが登場する。「番長は、本当は幽霊なのではないか」という珍説だった。和泉第二には十数年前――これは安双の現役当時からみた”十数年前”のことで、現代からは“(ン十年+十数年)前”にあたる、念のため――、交通事故で命を落とした男子生徒がおり、彼は当時の不良を仕切っていた”番長”だった。そのかつての番長が、格好は派手だが中身は軟弱化した後輩の不良たちに活をいれるため、亡霊となってよみがえったのが今の正体不明の番長なのではないか……
「そんな”十数年前の番長”が本当にいたかなんて、結局だれも証明できなかったけどねえ。でも若い子ってのはそういう突拍子もない話ほど好むものでしょ。噂はまたたく間にひろまって、校内中でささやかれるようになったわ。もちろん本人に面と向かって「あなたは幽霊ですか」とたずねるような生徒もいなかったけど、まあ噂している奴らも真偽がどうかなんてどうでも良かったんじゃないかねえ。騒ぐこと自体が面白い、後のことはどうでもいいっていう無責任な輩は、いつの時代もいるものよ」
まるで人ごとのように訳知り顔で話しているが、このOG自身が当時は”無責任な輩”の一員だったのではないだろうか。
「ともかく番長の正体は、生徒の誰もが知りたがる”謎”だったの。で、そんな謎を前に指をくわえているだけじゃ探偵小説研究会の名折れだ、ここはひとつ解明してやろうじゃないか、と立ち上がった探研部員こそ何をかくそう、あたしだったわけ!」
安双は自慢げに胸をたたいた。要するに野次馬根性を抑えられなかった、ということか……
木村という男子生徒がいた。番長を取り巻く"ツッパリ君"の1人で、安双とは中学の同窓生だった。背は高くなく体格も貧相で、パンチパーマにした頭がアンバランスで滑稽だった、とは安双の評。散々な言い草である。
安双はこの木村に協力をたのんだ。木村の方でも以前から番長の素性に興味を持っていたらしい。二つ返事で請け負った。
現在こそ"旧本館"などと呼ばれ末端文化部が詰めこまれているこの建物だが、当時は正真正銘の”本館”だった。1階には職員室が置かれ、2階には2年生、3階には3年生の教室がならんでいた。
4階には図書室、理科実験室などがそろっていたが、その中のひとつ、視聴覚室が放課後の不良たちの溜まり場になっていた。
番長もほぼ毎日、放課後になるとそこに姿をあらわし、子分たちと何をするでもなく時間を潰し、やがて集団が解散する前に1人部屋を後にする。それがいつもの流れだと、木村は安双に説明した。
「まあ部屋にいても、俺たちと一緒にバカさわぎする人じゃねえけどな。大抵少し距離を取って、皆の様子をながめてんだ。話しかけたらちゃんと返してくれるけど、俺たちとはオーラがちがうからこっちでも遠慮しちまってなあ。なんせあの人は煙草も吸わねえし麻雀もしねえ。他の連中はいっつもヤニ臭えのに、あの人だけはそんな匂い全然しねえんだ。それでも喧嘩はめっちゃつええし、そういう群れねえ感じが逆にかっこよくて、皆あの人を慕っている。あの人がいるだけでなんつーか、場が引き締まるんだ。ああいうのが上に立つ人間の、うーんと、かんろく? つーのかな」
そう告げる木村の眼は輝いていた。彼も心底、番長に心酔していた。ならんで歩きながら、尊敬の眼差しで番長の横顔を見上げる木村の姿を、安双は今でも覚えていた。
「でもあんた、そんな尊敬する番長を裏切っちゃっていいわけ? 持ちかけたあたしがいうのも何だけどさ」
「別に裏切っちゃいねーよ。俺だってあの人のマブだぜ。なのにこっちは何もあの人のこと知らねえなんて、その、寂しいじゃねーかよ……」
忠実な子分の心理は複雑だったようだ。
安双の計画とは、放課後帰宅する番長を尾行する、というものだった。“計画”と呼ぶのも抵抗がある極めて直線的な行動だが、有効な手段なのもたしかだろう。上手くいけば番長の住居がわかるし、家の表札などからその姓名も判明するかもしれない。
当時、視聴覚室の東側隣の部屋が図書室だった。隣室が不良の溜まり場だとだれもが知っていたから、放課後になると閑散としていた。そのことが、安双には好都合だった。番長が視聴覚室で不良たちと一緒にいる間、安双はその図書室の中で待機している。やがて番長がいつもの如く1人先に帰る素振りを見せた時、視聴覚室から一足先に木村が安双のもとに走ってきて、そのことを告げる。安双は廊下側の窓に張りついて様子を探り、番長が隣室から1人で出てくるのを確認したら密かに尾行を開始する……
木村に協力をたのんだのは、常時図書室の廊下側の窓に張りついているわけにもいかないと思ったからだった。図書室内に他の利用者がいたらいぶかしがられるし、室内に人気がなくても廊下側から不良の誰かにでもその様子を目撃されてしまう危険もある。彼らも自らの溜まり場を見張っている女子の姿を発見したら、放ってはおかないだろう。
ここで、現場となった当時の”本館”――現在は”第二部活棟”となっている建物の造りを、簡単に説明しておこう。この棟は上空から俯瞰すれば、東西に延びる長方形と見えるはずだ。三次元の基準を持ちこめば4階建てという説明も加わる。西端と東端にそれぞれ1階から4階までの各階をつなぐ階段が、北側の校舎裏に壁一枚をへだてて面しながら設置されていた。2階から4階までの各部屋はすべて校庭側、つまり南側にならべられており、不良たちの溜まり場だった視聴覚室は4階のちょうど真ん中あたり。安双が隠れていた図書室がその東隣だったことは、先に記した。
6月末、長引く梅雨の影響で鉛色の空がつづくとある一日に、その尾行計画は実行にうつされた。その日も慣習どおり、不良たちは視聴覚室に集まり目的もなく時間を潰していた。番長がその場にいることも、途中に一旦抜け出して図書室にやってきた木村の報告で確認済だった。
図書室奥の壁にかけられた時計の針が、午後6時をさす直前だった。クーラーも設置されていなかった当時の図書室内はむし暑く、焦れた安双が手に持った『緑のカプセルの謎』の文庫本で首筋をあおいでいると、再度木村が図書室のドアを開いて入ってきた。その時、安双以外に図書室の利用者はいなかったそうだ。
「アニキが帰り支度をはじめた。もうすぐ隣のドアから出てくるはずだ」
舎弟たちは番長を”アニキ”と呼んでいたらしい。安双は手元の文庫本を閉じ、机の上に置きっぱなしにすると(読者の皆は、読み終えた本はちゃんと書架にもどそう!)、鞄を背負い急いで窓際にあゆみ寄った。その背中に木村もついてきた。
「ちょっと、あんたの役目はもう終わったんだから、帰るなり隣にもどるなりしていいわよ」
「冗談じゃねえ、俺も尾行についていくぜ。アニキがどこに住んでいるか、知りてーんだよ」
不貞腐れたように唇をとがらせながら、木村は言った。
説得する時間も惜しかったので、安双は木村の好きなようにさせることにした。尾行がばれたら責任を押しつける”盾代わり”にしよう、くらいの打算は働いていたかもしれない。間もなく、無人の4階廊下にドアを引く音が響き、隣室から番長が出てきた。すでに薄暗い刻限で廊下には照明もついていなかったが、その風貌を確認するには十分だった。短髪のツーブロックに黒い長ランといういつもの出で立ち。頬がそげ、精悍な顔つきをした男子生徒――目当ての人物に間違いなかった。
番長は視聴覚室を出ると、廊下を東階段に向かってあるき始めた。図書室の廊下側窓から覗いていた安双たちは、番長が自分らの目の前を通過したので、あわてて頭を引っこめた。安双が図書室の照明を切っていたこともあり、この時は幸いにして気づかれることなくやり過ごした。
廊下の闇に溶けいりそうな番長の背中を、安双たちは追いかけた。音を立てないように図書室の引き戸をあけ、近くの火災報知器の陰に身をかくし、やがて番長が東端階段の方へ曲がり廊下から姿を消すと、物音に気をつけながらも速足でそこまで向かった。番長が階段を降りていくコツコツという足音は、廊下まで聞こえていた。
東端階段の降り口にたどり着くと、すでに最初の踊り場を曲がったらしく、番長の姿は見えなかった。しかし先ほどからの階段をゆっくり降りていく足音が、依然はっきりと響き続けている。足音は1つだけで、まだ近い。踊り場は曲がったが、3階には到達していないだろう。
その足音を追いかけようと安双も階段に足をかけたところで……計画は破綻した。
「ハックション!」
安双の後ろにいた木村が、唐突にくしゃみをしたのだ。不可抗力の生理現象は副産物として派手な音を生みだし、吹き抜けの階段に殷々と響きわたった。
「ちょっと、何やってんの、気づかれちゃうじゃないのよ!」
反射的に怒鳴った安双は、直後に両手で口を押さえていた。くしゃみの音に重なるようにして響いている己の声こそ、対象にこちらの思惑を気づかせる致命的な要因だった。
それまで聞こえていた階段を“歩いて降りる音”が、“駆け降りる音”に急変した。反射的に安双は自らも階段を駆け降りていた。木村も後を追ってくる気配が、背中に伝わってくる。
自分と木村が階段を踏みつける音も響いていたが、安双の耳は尾行対象者が発する“足音”を明確に識別していた。足音は3階や2階の廊下に曲がることなく、1階までまっすぐに降りていった。その点は間違いないと、後に木村も証言した。
安双は自分も一目散に、階段を1階まで降り切った。1階上り口には、俺が先刻安双を迎えたスチール製ドアが当時からあったらしいが、そのドアが内側からカギをかけられているのを、たしかに安双は目撃した。あのドアには鍵穴の類はなく、カギをかけようと思えば内側についているツマミを回すしかない。
上り口から直接本館の外に出る手段は、そのドアを通る以外にはない。ドアが内側から閉まっている以上、番長は1階廊下に出たのだ。安双はそう判断した。
階段の上から1階上り口を見下ろすと、左側にスチールドアが、反対の右側に廊下への出口が見える。ドアがロックされているのを確認した安双は反対側に向きを変え、1階廊下に出た。まず正面に見えたのは1階東端の部屋で、当時そこは倉庫になっていた。当然左手はすぐ突き当たりの壁になっていて、右手側に廊下が伸びていた。
安双はさらに右を向き……そこで固まってしまった。反対の西端まで一直線に伸びる1階廊下全体を視界におさめることになったが、番長らしき人影はどこにも見えなかった。
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