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第1話:探偵には向いてない

妹の相談(5)

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 "ローズマリー&タイム"からニワノ商会までは片道約10分。さほど複雑な道筋でもないから、順調にいけば30分程で戻ってくるだろう。しずかが出かけた直後、観月みつきはそう予測を口にした。ところが50分が経過しても、静は戻ってこなかった。

「困ったなあ。そろそろプリンの準備を始めないと、団体さんのプレートが間に合わないよ」

 厨房からオーナーのぼやきも聞こえ始めた。その声には若干の苛立ちが混じっていた。ホールのテーブルを拭いていた小夜乃さよのも段々不安になってきた。

「途中で、事故などにあってなければいいんですが……」

「大して交通量もない道だし、それはないと思うよ」

 小夜乃に応える観月の声は刺々しいものだった。買い出しから中々戻ってこないことで、再び静への不信感が湧き出してきたように見えた。

 小夜乃としてはまさか静が買い物を放り出してどこかでサボっているとは思えなかったが、出て行ってから不可解なほど時間が経過しているのも事実だった。聞けばニワノ商会はごく狭い業務用スーパーで、午前中は客も殆どいないということだ。頼んだ材料も目に付くところにあるものばかりで、店内で迷うことはまず考えられない……

「まさか最初からサボるつもりで買い出しを引き受けたんじゃないでしょうね。こうして待ってる間は動きが取れないし、団体客が来るまでにプレート用の準備が出来なければあたしや店への嫌がらせになる……」

 観月の疑惑は膨れるばかりのようだった。もし本当に静を信頼して送り出したのだとすれば「また裏切られたのか」という不安が内心を苛み、一層複雑な情緒に陥っていたのかもしれない。

「いくら何でもそんなことはないでしょう。とにかくもう少し、待ってみましょう」

 小夜乃はそう慰めてみたが、自分の言葉が思い詰めている観月の意識まで届いたか心許なかった。

 店内の空気が次第に重苦しさを増して行き、そして静が出かけてからそろそろ1時間も経とうかという頃になって……喫茶店の自動ドアが開いた。息を切らしながら苦しそうな表情を浮かべた静が、満杯に膨れ上がったトートバッグを両手で支え、ふらつきながら店内に入ってきた。

 その姿をみてまず小夜乃は安堵した。よかった、帰ってきた。買い物の総量が予想以上に重たくなり、運んでくるのに時間がかかってしまったようだ。やはり一緒に行くべきだった、悪いことをした……そこまで思考を巡らせてから、違和感を覚えた。その源泉は膨れ上がったトートバッグだった。いくら何でも、中身の量が多すぎるのではないか? 先ほど店長が注文した分だけを詰め込んで、ここまで膨れるとは思えない。

 小夜乃の見立ては確かだった。トートバッグの中身がテーブルの上に取り出され、それが分かった。Lサイズ卵、サクランボの缶詰、チョコレートシロップ、クルミ、乾燥パスタ、牛肉、これらは店長の要望通り、すべて1パッケージずつ揃っていた。分量や重さも間違いない。

 問題は牛乳だった。店長が注文したのは1リットルパック2本のはずだ。しかしテーブルの上には、それよりも8本多い、計10本の1リットル牛乳が並んでいた。

「ちょっと、どういうことよこれ!」

 やはりというべきか、観月が多過ぎる牛乳パックを指差して金切り声をあげた。

「なんで牛乳だけこんなに多く買ってきたのよ」

「え……だ、だって」

 静が息を切らせながら、戸惑ったような表情を浮かべる。

「牛乳は消費期限が短いし、保存が利かないのよ。これだけ買ってきてもストックできずに、きっと半分以上廃棄する羽目になるわ。ねえ、なんでこんな無駄なことしたの。気を利かせたつもり? 指示通り2本だけ買ってきなさいよ、幼稚園児でもできるおつかいじゃないの!」

「な……何言ってんのよ、この数を指示したのはあんたでしょ!」

 堪えかねたように静も叫び声をあげる。その主張が場を一層混乱させた。

「あたしの指示って……どういうこと、いつあたしがそんな指示出したのよ」

「メモよ、メモに牛乳は10本って書いてあったわよ」

「はあ!?」

 観月が目を丸くした。

「何言ってんのよ、そんなわけないでしょ。牛乳は2本よ、あたしはメモにもそう書いたわよ!」

「嘘じゃない! スーパーについてからメモを開いたら、他のものがひとつずつの指示の中で牛乳だけ10本だったんだもの、びっくりしてよく覚えてるわよ。1リットルパックが10本って凄く重いんだよ!? だけどお店の方で慌てているようだったし早く帰らなきゃと思って、重いバッグを腕がつりそうなのも我慢して持ち上げて、できるだけ急いで戻ってきたのよ。それなのにその言い草は何よ!」

 牛乳1リットルパックが10本なら重さは10キロを超える。更にさくらんぼ缶やチョコレートソースといった他の品も含まれるのだ。いくら運動部で鍛えているといっても、高校入学前の女子がその重さを運ぶのは確かに辛い作業だったろう。帰ってくる時間が大幅に遅れたのもうなずける話である。

 静は店長が必要な品を叫んで観月に伝えている時まだホールに入っておらず、おそらくまだ更衣室にいたことだろう。奥まった場所にあるそこまではホール・厨房の音が届かないことは、小夜乃も身を以て把握していた。そして静がホール・厨房へ続くドアから姿を現して以降、誰も買ってくる品の具体的な種類や数は口に出していない。静が頼るものは観月が書いたメモのみだった。ここまでは確かなことだ。しかし……

「あんたが数を書き間違えたんじゃないの!? 10本買わなきゃって思って、予算も足りず私は自腹まで切ったのよ。私の方こそ被害者よ」

「2個と10個を書き間違えるわけないでしょ! あんたの方こそ勝手に勘違いしておいて何逆切れしてんだよ!!」

 そう、観月の言う通り“2”を“10”と書き間違えるというのは、いくら慌てていたとはいえちょっと想像できないミスだ。まして観月はメモを記し終えた後、一度手にとってその中身をチェックまでしているのだ。同様に静が“2”と書かれた指示を“10”に見違えるというのも不自然に過ぎる。つまり、この状況下で間違いや勘違いが生じる余地は到底ないように思える。にも関わらず目の前には1リットル牛乳パックが指定の数を遥かに超えた10本も存在する……これはどういうことだろうか?

「そんなに言うなら、あたしが書いたメモを今見せなさいよ! 持ってるんでしょう?」

 観月の主張はもっともである。メモの現物を直接確認すれば、万事はっきりするはずだ。ところがそう言われた静は、ぐっと言葉を詰まらせる。
「……なくした」

「なんですって」

「買い物が終わってスーパーを出た時、買い忘れたものがないか確認しようと思ってメモを開いたのよ。そうしたらいきなり突風が吹いて、紙が飛ばされちゃって……」

 確かにこの地方は春先になると風が強く、思いがけない突風が吹いてくることだってままある。それにしてもこの静の主張は、当事者でない俺が聞いても些か苦しいものに思えてしまう。

「でもその時も改めて確認したもん、間違いないわ! 牛乳は10本、そのほかのものは1つずつってメモに書いていた」

「はっ、何よそれ」

 観月が顔に嘲笑を浮かべ吐き捨てる。

「メモをなくしたですって? 幾ら何でも都合良すぎでしょ! 自分に不利だとわかってるから隠してるんじゃないの? 或いは……ははあ、わかった」

 観月はすっと目を細めた。

「あんた、これわざとやったわね? 昨日あたしに怒鳴られた腹いせに。予算は必要以上に使わせて、しかも使えない在庫を大量に抱えさせる。タチの悪い嫌がらせだわ……どんだけ性格悪いの!」

 牛乳は余っても4~5本程度だろうしそれを大量の在庫とは大げさに思えるが、観月も意識的に誇張したのだろう。

「そ、そんなことするわけないでしょ! 何でそんなこと思いつくの、性格悪いのはどっちよ! あんたの方こそ、私を引っかける為にわざと8本も多く書いたんでしょ。朝あたしが挨拶してもろくな反応しなかったもんね、昨日のことを根に持っているのはあんたの方だわ」

 こうなるともう止まらない、水掛論である。元々前日の件でお互いへの不信と嫌悪を募らせていた処、8本余分な牛乳の出現によって感情の堤防が一気に決壊したのだろう。2人がその直前に無理を押して関係を修復しようとしたことも、結局は突貫工事程度にしかならなかったようだ。

 店のホールに、女子2人の金切り声が響き続けた。両者とも段々ボルテージがあがり、小夜乃が口を挟む隙もない。そしてとうとう、決定的な破局を迎えた。

「もういい、あんたなんかに仕事頼まない! 出て行きなさいよ。なによ、あんたが外国行っちゃうっていうから、思い出づくりの旅行いく為に全部お膳立てしてあげたんじゃない。それなのに遅刻するわ気を抜いた仕事するわ、おまけにこんな嫌がらせまで。恩を仇で返すとはこのことだわ」

「恩だなんて図々しい。自分ちの店が人手不足になったから、体良く働かせただけじゃないの! 旅行だって別に頼んでないわよ! それでもこっちが一生懸命働いていたのに、こんな卑怯な嫌がらせをしてくるなんて……私の方こそこんな店もうごめんよ、あんたの顔も2度とみたくない!」

 最後には両者とも顔を真っ赤にして涙目になっていたという。言い捨てると、静はホールを出て更衣室へと細長い廊下を走っていった。小夜乃が慌てて後を追った。更衣室で小夜乃は必死に静を宥め説得したが、静は聞く耳を持たなかった。しまいには「悪いのは観月の方でしょ。小夜乃ちゃんはあいつの味方なの!」と怒鳴られてしまったという。完全に八つ当たりである。それまでは"観月ちゃん"だったのが、呼び捨ての上"あいつ"呼ばわりときては、怒り心頭に発していたのだろう。

 結局、私服に着替え終わると静はすたすたと廊下を過ぎ、そのままホールを通って外へ出ていってしまった。出ていく間際、「今日この時点で辞めます、お給料はいりませんから!」と大声で店長に向かって叫んだそうだが、これは観月へのあてつけだろう。

 観月の方も目を釣り上げたまま下を向きながら厨房作業を続け、静を見ようともしなかった。更衣室から追いかけてきた小夜乃だったが完全に心を殻で覆ったらしい2人にかける言葉もなく、ただ出ていく静の背中を見送るしかなかった……
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