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第1話:探偵には向いてない

妹の相談(4)

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 さてその翌朝だが、まず最悪の事態だけは回避された。前日と同じように小夜乃さよのが“ローズマリー&タイム”の中に入ると、既にしずかの姿があった。

 向こうも今しがた来たばかりのようだったが、小夜乃は始業時間の30分前には店についていたということだから、わずかとはいえそれに先んじた静の姿勢は、前日とは随分な変わりようである。2人で言葉を交わしていると物音を聞きつけたのか、奥から既に店の制服に着替えた観月みつきが姿を現した。静の姿を目に止めると、苦いものを呑み込んだような表情を浮かべた。静はそんな観月に無言で歩み寄っていくと、簡潔に「おはよう」と声をかける。多少ぎこちなくはあっても、陽気な調子の挨拶だった。言われた観月の方は気まずそうに視線を逸らして「……うん」と返しただけだったらしい。話を聞く限り、ここではやはり静の態度の方が大人だった、というべきだろう。元々の性格の違いが、対応の差に大きく起因したのかもしれないが。

 静は観月の返事を聞いても特段反応を示すことなく、奥の更衣室へ向かった。小夜乃も後に続いた。更衣室に入ったのはほぼ同時だったが、静の方が荷物を置いてから「トイレに行ってくる」といって席を外したので、小夜乃の方が先に着替えてホールに出ることとなった。始業時間まではまだ少しあったが、中途半端な間だし更衣室で待機していても特にすることもない。

 小夜乃が厨房とホールの間にある扉を潜ると、厨房奥から店長の声が聞こえた。挨拶をしようと思い厨房を覗くと、何やら様子が慌ただしい。店長がしゃがんだまま扉が開いた大型冷蔵庫の中を漁っており、その様子を傍から観月が不安げに見つめている。

「だめだ、やっぱ材料が足りねえ……これじゃ予約分のプレート作れないわ」

 店長がやや焦ったように観月に話しかける。"プレート"というのは喫茶店でメニューとして出しているデザートプレートのことで、大きめの丸皿の中央にケーキとプリンがメインとして並び、その周囲に小さなグラスに盛られたアイスやらローズマリーのクッキーやら果汁のグミやら細々としたお菓子が配置され、更に空いたスペースがチョコソースや生クリーム、サクランボやイチゴなどのフルーツ、各種シロップ、タイムの葉などでデコレートされているという豪勢な逸品である。無論盛られるデザート類はすべてパティシエでもある店長の手造りで、やや値段ははるものの常連客からの人気は高く、看板メニューになっているとのことだ。

 小夜乃が入った初日にも、これを注文した客は大勢いたらしい。構成にローズマリーのクッキーとタイムの葉が加えられているのは強引にでも店名と関連したメニューを作り出し「名前に意味のない店」から脱却したかったから、だろうか。そんな手の込んだことをするくらいならハーブティーをはじめた方が早そうなものだが……

 この日は午後から団体客の予約が入っており、電話を受けた段階で既に全員分のデザートプレートの注文を聞いていたのだが、朝になってそれらをつくるだけの材料が足りないことが判明した、という次第だった。店長としては前日買い置きしておくつもりだったが、夕方から予想外に込み合い、忙殺され忘れていたらしい。

「もう、しょうがないなあ、お父さん」

 観月はそう言いながら、厨房の棚からメモ用紙を一枚取った。左手にそれを持つと今度は右手でポケットのペンを抜き出す。そこで厨房を覗いている小夜乃の姿に目を止めた。

「さよちゃん、至急買い出し頼みたいんだけど、いいかな? あたしは今ちょっとやらなきゃいけない仕事があって、どうしても厨房抜けられないんだ。お父さんは料理の仕込みあるし……始業時間前で悪いんだけど、できるだけ早くプレートの準備始めたいんだ、お願い!」

 プレートを構成するメニューの中には、造るのに時間を要する品もあるのだろう。看板メニューだけに予約客以外からの注文も予想されるし、その材料が足りないとあっては店にとっては死活問題になりかねない。他に買い物を頼もうにも厨房のアルバイトはまだ顔を見せておらず、観月の母親もこの日は朝から”野暮用”があって少し遅れてくるということだった。

「ええ、もちろん構いません」

 小夜乃は二つ返事で快諾した。

「ありがと! さすがさよちゃん、頼りになるぅ。おとーさん、さよちゃん行ってくれるって! 何々材料が足りないのか、そこから口で教えてよ。あたしメモするからさ」

 観月は父親に向かってそう叫ぶと空いている調理台の上に用紙を置き、ペンを構えてメモを取る体制になる。

 店長は冷蔵庫を覗いたまま「ごめんな、小夜乃ちゃん」と一言叫んでから、娘の要望に応えて足りない品を口頭で述べ始めた。大きな声だったので、もちろん厨房の入り口にいた小夜乃にもはっきりと聞こえた。
 その時店長が挙げた品々を、小夜乃はきっちり記憶していた。次のようなラインナップだったという。



 Lサイズ卵1パック、缶詰のシロップ漬けサクランボ1缶、1リットル牛乳1パック、600g入りチョコレートシロップ1本、生クルミ1袋、1㎏の乾燥パスタ1袋、500g入り牛肉1パック。



「ちょっとお、デザート以外の材料もまじってんじゃん!」

「昨日買い出し行けなかったからな、このままじゃランチメニューも危ないんだよ!」

「もお、普段から在庫チェックする癖つけなよお」

 観月は不平を述べながらも、調理台にかがみこんで素早くペンを動かしていく。調理開始のタイムリミットがよほど迫っているのか、相当慌てた様子だったという。用紙越しにペンが調理台を打つ音が小夜乃に聞こえてくるほどだった。

 やがて観月がペンを置き、メモ用紙を持ち上げた。その時、店長が再び声をあげた。

「あ! 観月、やっぱり牛乳は2本にしてくれ。1本じゃ心もとない」

「えー!? ちゃんと確認してから言ってよお」

 観月は追加の指示を受け台に叩きつけるようにメモ用紙を置き直すと、再びペンを取りさっと走らせた。それから父親に怒鳴りかえした。

「2本あれば大丈夫なのね? 3本いらない? 牛乳の他には追加ない? あとで「やっぱりあれが足りなかった」とか言い出しても、もう買い出し行ってる暇ないよ」

 この辺の如才なさは、さすが普段から店を手伝っているだけのことはある。

「ああ、あとは大丈夫だ! 言ったぶんだけ買って来てもらえれば今日は何とかなる! 明日は業者が食材を搬入してくる日だから、それ以上買ったら余って無駄になっちまう」

 父親のお墨付きを得て観月はペンをしまい、改めて自分が書いたメモをざっと見返す。そして1つ頷くと身体ごと小夜乃の方を向いたが、そこではたと何かに気づいたように固まった。

「さよちゃん、この近くの業務用スーパーで買ってきてほしいんだけど、場所わかる? 「ニワノ商会」ってとこなんだけど」

「ごめんなさい、この辺りの地理にはまだ不案内で」

「位置検索で何とかならない?」

「私の携帯にはGPS機能がついていません」

 繰り返すが、小夜乃は今時珍しいガラケー派の10代女子である。観月は小夜乃に目的地を検索する術がないことを失念していたのだ。

「うーん、困ったなあ。それじゃ地図を書くか。でもあたし、絵心ないからなあ……」

 地図を描くのに絵心が必要かはともかく、観月は以前虫歯で放課後歯医者に行かなければならなかった日と同じくらい憂鬱な表情をしていたというから、苦手な作業だったのだろう。

 そうして観月が唸っている最中に、店の制服に着替え終えた静が例の厨房――ホール間の扉から姿をあらわした。エプロンもつけ、胸に指示通り黒のボールペンも挿していた。

「どうしたの?」

 と静に問われた小夜乃はデザートの具材が足りなくなったこと、急ぎ必要なので今から買い出しにいくこと、自分の携帯にはGPSが入ってないので観月に地図を描いてもらうところだということ、をかいつまんで説明した。

「ふうん、だったら私が行ってこようか?」

 ごくあっさりと静が申し出た。

「いいんですか?」

「うん、私のスマホなら位置検索できるから、その業務用スーパーもすぐ見つけられるよ……観月ちゃん、そのスーパーの名前なんていうの?」

 静は観月の方を向いて尋ねた。

「……ニワノ商会」

「ニワノ商会、ね」

 静はスマートフォンを取り出し、画面を少し操作して、すぐに顔を上げた。

「あったあった。ここから10分くらい歩くのかな? なるべく急いで戻ってくるよ。じゃ、メモちょうだい」

 そう言いつつ観月に手を伸ばした。それは握手の手を差し出しているようにも見えた、と小夜乃は言う。

「でも、まだ始業時間前だし……」

 観月はぼそりとそう呟いた。まだ静への態度を決めかねている様子だった。

「良いって良いって、そんなこと。デザート、急ぐんでしょ? お店でお世話になってんだもん、あたしだってそれくらいの協力はするよ」

 元々さばけた性格なのでフットワークは軽い。少なくとも静が観月に、精神的にも歩み寄ろうとしていることは間違いないように小夜乃には見えた。この時は。

 観月は尚も躊躇っている様子だったが、伸ばされた静の手が中々引っ込まないのを見て、無言のまま恐る恐るといった態でその掌に折り曲げたメモ用紙を乗せた。静は中を開くこともなく、そのメモを胸ポケットにしまった。

「急ぐから、エプロンだけ脱いで制服のままいくよ」

 "ローズマリー&タイム"の制服はエプロンさえ外せば私服と言って十分通用するポロシャツだし、従業員もその出で立ちでしょっちゅう買い出しに出かけるらしい。静はエプロンを外し、丸めてレジカウンター内側の台の上に置いた。観月はホールに出てきてレジスターを開けると、千円札の詰まった封筒をとりだし、そこからお札を4枚――4000円分引き抜き静にわたした。

「こんなにかからないと思うけど」

「うん、後でお釣りを渡すよ」

 静が屈託のない調子で答えると、下を向いていた観月もようやく顔を上げて静の目を見据えた。

「……お願いするね」

 側からその様子を見ていて、小夜乃は密かに胸を撫で下ろした。どうやらこれで2人のいさかいも収束に向かいそうだ、と見て取ったのだ。

 それから静が観月から受け取ったお札を財布にしまい、カウンター内側の壁にかけてあった買い出し用のトートバッグを手に取った処で、ふと気付いて声をかけた。

「私も同行しましょうか? 2人の方が荷物を運ぶのも楽でしょう」

 その小夜乃の申し出を、静はやんわりと断った。

「いいよいいよ。バッグも1つしかないし、小夜乃ちゃんは開店準備の方進めててよ。こっちは私にまかせて」

 確かにホールの掃除やセッティングなどの開店準備は進める必要があったが、オープンまで時間があったしさほど急ぐ必要もない。これは静が1人で買い出しの労を担うことで、観月へ誠意を示そうとしているのだろう。ならばその気持ちを尊重せねばならない。買い出しの品を先程聞いた限りではそこまでの重量にもならなそうだし、任せても大丈夫だろう。小夜乃はそう思い、引き下がった。

 後刻、妹はこの判断を悔いることになる。

「わかりました。ではお気をつけて」

「おっけー。じゃ、すぐに戻ってくるね!」

 そう元気よく応じると静はトートバッグを右肩にかけ、足早に店を出て行った。
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