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断章-そして叛逆の鐘が鳴る(一)
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魔王を討って後、サリスは隠棲した。
大陸中央からやや東寄り、レーヴィ大公国とウェリア王国の国境付近にあるラプナエ湖のほとりにささやかな住居をかまえ、メルティアと2人で暮らしていた。彼女もまた聖庁を去り、表舞台から身を引いていた。
水と緑に恵まれた、閑静な地だった。都市部からは遠く離れ、訪れる者も絶えて久しい。
だがこの日は、予期せぬ来客があった。何者かが転移魔法を用いて接近してくる気配を、サリスの"魔覚"が捉えたのだ。
戸を開けて外に出ると、家の前に見知った顔があった。
「カノン……?」
「サリス様、お久しぶりです!」
眼を輝かせながら近づいてきたのは、闇エルフの少年だった。名をカノンという。褐色の肌に真っ白な髪、背はサリスの肩ほどまでしかなく顔立ちにはまだあどけなさが残る。
年齢はたしか、今年で14か5だったはずだ。エルフは長命な種族だが、二十歳前後までの成長速度は人間とほぼ変わらない。カノンの容姿も、同年輩の人間の少年たち相応のものに見えた。
「あーあ、うれしそうな顔しちゃって……全く、こんな人間のどこがそんなに良いんだか」
小妖精のリーリエが、カノンの肩の上でおごそかに脚を組みながら憎まれ口をたたく。
小妖精族はエルフと共生するのが一般的で、リーリエも常にカノンと行動を共にしている。背中からは四枚の輝く翅が生えているが、今はわざわざ動かす気はないらしい。
彼女の身体は人間の掌に乗るほどに小さいが、その気位は非常に高い。きっちり一人前に扱ってやらなければ、癇癪を起こしてこちらの鼻先を引っかいてくるくらいの真似はしかねなかった。
「ほら、遊びに来たわけじゃないでしょ。さっさと要件を伝えるのよ!」
「そ、そうだった」
カノンはゆるんでいた表情を引き締めると、恭しくサリスに一礼する。
「サリス様、本日は急ぎお伝えしたいことがあって参りました」
「めでたい話じゃなさそうだな」
サリスの予感通り、それは兇報だった。星竜姫ヴィンゼガルドはじめ、かつて魔王軍に与した竜人たちが現在隠れ住んでいる地・クシャエッタ峡谷が、何者かに襲撃されたというのである。
一瞬、サリスは息を飲んだ。
クシャエッタ峡谷はディーノク大陸北西部、闇エルフたちが住む"常闇の森"のすぐ近くにある。山岳地帯の奥まった箇所に出来たわびしい谷で、出入り口付近は常時霧に覆われ、人間の眼は滅多に届かない。サリスに依頼され、闇エルフ族が竜人たちに紹介した隠れ処である。
闇エルフは基本的に人間を忌み嫌う種族だが、かつてサリスは魔王討伐の旅の途上、大陸北西部に差しかかった折に常闇の森に立ち寄り、そこで生じた闇エルフ族内の内乱鎮圧に助力したことがある。
その功績により、サリス一行は闇エルフたちの"盟友"と認められたのだった。
人間と魔族との戦乱には我関せずの立場を貫いていた彼らが、密かに魔王討伐の支援までしてくれた。エルフ族秘蔵の武具や霊薬さえ提供され、それらは暗黒大陸における戦いでも大いに役立つことになった。
まだ歳若いカノンなどはサリスの戦いぶりを間近でみてすっかり魅了されたらしく、以来妙に懐いてくる。近頃では人間という種族そのものに対する興味も、大分育っているようだった。
以上のような経緯から魔王討伐に成功して後、サリスがヴィンゼガルドとその部下たちを人類の追討部隊から匿うために頼ったのも、彼ら闇エルフ族だった。
「お任せください。友に力添えできるのは、我らエルフにとって何よりの誉れです。」
それが本心からの言葉かは定かでなかったが、少なくとも外面上闇エルフたちは十分以上に”盟友”への誠意を示してくれた。彼らが人間よりはるかに義理堅い種族なのは間違いない、とサリスは心中判断したものである。
自分たちの集落近くにある、隠れ住むには絶好の秘境であるクシャエッタ峡谷を惜しげもなく竜人たちに提供し、外から来る者がその場所に注意を向けにくくなるよう認識阻害の結界を施し、それでも不審なものが近づいたら即座に察知できるよう周囲に哨戒まで立ててくれた。誇り高い竜人たちには甚だ不本意だろうが、傷つき数も減ったヴィンゼガルドと部下たちは現在、闇エルフの保護下にあると言っても過言ではない。
その竜人たちの集落が、突如攻撃にさらされたという。
カノンが報告を続ける。
「見張りについていた同胞のひとりが、急速に峡谷へ接近する大勢の魔力を感知したそうです。その者も即座に峡谷へ向かったのですが間に合わず、着いた時にはもう戦いが始まっていました。どうやら人間たちが、竜人の居場所を嗅ぎつけて襲撃してきたようなのです。中に聖職者の格好をしたものもいて、おそらく光の女神を奉ずる教団の者たちであろうとのこと……」
闇エルフ族もエウレネ教徒の装いをそれと見分けられる程度には、人間たちのことを調べ上げている。
現在のエウレネ教団が、狂熱的なまでに魔王軍の残党狩りを断行していることは確かだった。この点、人類社会の中でガルベイン帝国と双璧を成すだろう。人魔戦役――魔王軍との本戦で功績をあげられなかった連中が、少しでも点数をかせごうと躍起になっているのだ。
「敵の数は?」
人間たちを”敵”と呼ぶことを、サリスは躊躇しなかった。
「詳しくは不明ですが、およそ百ほどかと。しかしその中で主に戦っていたのは、たった1人だけという話です」
「1人?」
「人間たちのほとんどからは大した魔力を感じなかったが、その者だけは強烈で禍々しい魔力を全身から発散していたと目撃した同胞は言ってました。加勢もなく、単身で竜人たちを殺りくして回っていたとか」
一騎当千の猛者に百名程度の補佐ないしは世話役がつく。"勇者"が動く時によく見られる編成だ。サリスは嫌な予感を覚えた。
「おぞましいのはその戦い方です。その者の周囲にいた竜人たちは皆内側から血が噴出し、干からびたように朽ちていったらしいのです」
「血だと?」
「更にその男は竜人の死体に顔を近づけると、事もあろうに死体が流した血に口をつけてすすり始めたということです! そんなのは死者への冒涜だ、我々エルフにはとても考えられない」
「……人間でも、相当めずらしい部類だろうよ」
しかしその希少な例に、サリスは心当たりがあった。勇者の中にいるのだ。血を操る魔法を駆使し、血を味わう嗜好を持つ厄介な男が! しかもそいつは、平時は聖庁の子飼いでもある。
「竜人たちはそのたった1人に圧倒され、全滅も時間の問題という処まで追い詰められていたようです。同胞はとても自分が戦いに加わっても敵わないと思い、戦況を確認だけすると報告のため、すぐ我らが集落に帰参したということでした」
懸命な判断だろう。その見張りが加勢したところで、闇エルフの死体がひとつ増えるだけだったはずだ。
「父上……いえ、我が酋長はすぐサリス様に報告することを決定し、ぼくがその役目に選ばれました」
「なーにが選ばれたよ、あんたが自分が行くって言い張ったんでしょうが。久しぶりにこの人間に会えるからって、そりゃ必死にねえ」
「うるさいぞリーリエ、少しだまってろ!」
小妖精に向かって声を荒げたカノンは我にかえったように頬を赤らめ、ひとつせき払いをした。
「……しかし我らが長は、闇エルフの一族としては今回の抗争には介入しないつもりのようです。今人間たちと事を構えるのは、得策ではないと」
そう言うと、カノンは申し訳なさそうに顔を伏せた。彼自身、酋長の決断に納得していないようだった。
「わかっている。元々そういう取り決めだった」
カノンの父――現在の闇エルフを束ねる酋長は、慎重な性格の持ち主だった。人魔戦役に勝利したことで、事実上人類は大陸全土を支配圏に置いたようなものだ。人間はきらいだが無暗に敵対しては闇エルフ存亡の危機となる、今は相互不可侵の関係を継続するべきだ――それが彼の酋長の一環した方針だった。
それ故、竜人の身柄を引き受ける際、彼はサリスに念を押したのだった。万が一人類が竜人たちを攻めてきた時は至急サリスに報告する、しかし闇エルフはその抗争には一切関わらないだろう。人類社会に対しては、竜人たちは自分たちの集落近くに気づかぬ内に勝手に住み着いただけである、と言い張るつもりだと。
元々隠れ処を提供してくれるだけでも望外の協力なのだ、それ以上を期待するわけにはいかなかった。
「それ故、急ぎサリス様にご報告し、何とか対策を講じてほしかったのですが……まさかメルティア様がおられないとは」
少年の声に明確な落胆の色が滲んだ。"光の聖女"の力を、大いに当てにしていたのだろう。
メルティアの立場上、エウレネ教団の軍勢を相手に魔法を行使できるかは際どい問題なのだが、カノンにはそこまでの複雑な事情はわからない。
ともあれこの時、彼女は湖畔の住居に不在だった。五日ほど前、聖庁から召集を受けていた。人魔戦役で疲弊した教団の再編について検討する会議を開くので、そこに参加して欲しいと要請されたのだ。"光の聖女"が加わるだけで、会議に箔がつく。
聖庁を離れたとはいえ、聖女の名を返上したわけではない(そもそも返上できる類のものでもない)。またメルティア自身、女神エウレネへの信仰は以前と何ら変わらないのだ。現在は教団上層部に不信感を抱くようになったとはいえ「すべてのエウレネ教徒の今後のために」とお題目を掲げられれば、断れるはずもなかった。
サリスとしては気に入らなかった。「教団の無能な老いぼれ共はいつまで聖女の名にすがるつもりだ」と、使者を罵倒してやろうかとも思った。メルティアから過去の話を聞かされるほど、教団がいかに都合よく彼女を洗脳し利用してきたかがわかり、憤りが抑えかねるまでに高まっていた。
しかし当のメルティアが行くと決めた以上、止めるわけにもいかなかった。
「すぐ戻ります。私がいない間、他の女を連れ込んだりしたらダメですからね」
メルティアは眉をしかめるサリスに冗談めかして言うと、イタズラっぽい笑みを浮かべてみせたものだった。
使者たちが行使した転移魔法により、メルティアは再び聖都カリガノへと発って行った。割り切れないものを抱えながらも、サリスはそんな彼女をただ黙って見送ったのである。
後日そのことを、激しく後悔する羽目になるとも知らず。
「……話はわかった」
カノンから報告を聞き終えたサリスが、ひとつ静かにうなずいた。彼の決断ははやかった。
「少し待ってろ。すぐに用意する」
「え、用意って……」
「決まってる。俺も今から向かうんだよ、クシャエッタ峡谷へな」
大陸中央からやや東寄り、レーヴィ大公国とウェリア王国の国境付近にあるラプナエ湖のほとりにささやかな住居をかまえ、メルティアと2人で暮らしていた。彼女もまた聖庁を去り、表舞台から身を引いていた。
水と緑に恵まれた、閑静な地だった。都市部からは遠く離れ、訪れる者も絶えて久しい。
だがこの日は、予期せぬ来客があった。何者かが転移魔法を用いて接近してくる気配を、サリスの"魔覚"が捉えたのだ。
戸を開けて外に出ると、家の前に見知った顔があった。
「カノン……?」
「サリス様、お久しぶりです!」
眼を輝かせながら近づいてきたのは、闇エルフの少年だった。名をカノンという。褐色の肌に真っ白な髪、背はサリスの肩ほどまでしかなく顔立ちにはまだあどけなさが残る。
年齢はたしか、今年で14か5だったはずだ。エルフは長命な種族だが、二十歳前後までの成長速度は人間とほぼ変わらない。カノンの容姿も、同年輩の人間の少年たち相応のものに見えた。
「あーあ、うれしそうな顔しちゃって……全く、こんな人間のどこがそんなに良いんだか」
小妖精のリーリエが、カノンの肩の上でおごそかに脚を組みながら憎まれ口をたたく。
小妖精族はエルフと共生するのが一般的で、リーリエも常にカノンと行動を共にしている。背中からは四枚の輝く翅が生えているが、今はわざわざ動かす気はないらしい。
彼女の身体は人間の掌に乗るほどに小さいが、その気位は非常に高い。きっちり一人前に扱ってやらなければ、癇癪を起こしてこちらの鼻先を引っかいてくるくらいの真似はしかねなかった。
「ほら、遊びに来たわけじゃないでしょ。さっさと要件を伝えるのよ!」
「そ、そうだった」
カノンはゆるんでいた表情を引き締めると、恭しくサリスに一礼する。
「サリス様、本日は急ぎお伝えしたいことがあって参りました」
「めでたい話じゃなさそうだな」
サリスの予感通り、それは兇報だった。星竜姫ヴィンゼガルドはじめ、かつて魔王軍に与した竜人たちが現在隠れ住んでいる地・クシャエッタ峡谷が、何者かに襲撃されたというのである。
一瞬、サリスは息を飲んだ。
クシャエッタ峡谷はディーノク大陸北西部、闇エルフたちが住む"常闇の森"のすぐ近くにある。山岳地帯の奥まった箇所に出来たわびしい谷で、出入り口付近は常時霧に覆われ、人間の眼は滅多に届かない。サリスに依頼され、闇エルフ族が竜人たちに紹介した隠れ処である。
闇エルフは基本的に人間を忌み嫌う種族だが、かつてサリスは魔王討伐の旅の途上、大陸北西部に差しかかった折に常闇の森に立ち寄り、そこで生じた闇エルフ族内の内乱鎮圧に助力したことがある。
その功績により、サリス一行は闇エルフたちの"盟友"と認められたのだった。
人間と魔族との戦乱には我関せずの立場を貫いていた彼らが、密かに魔王討伐の支援までしてくれた。エルフ族秘蔵の武具や霊薬さえ提供され、それらは暗黒大陸における戦いでも大いに役立つことになった。
まだ歳若いカノンなどはサリスの戦いぶりを間近でみてすっかり魅了されたらしく、以来妙に懐いてくる。近頃では人間という種族そのものに対する興味も、大分育っているようだった。
以上のような経緯から魔王討伐に成功して後、サリスがヴィンゼガルドとその部下たちを人類の追討部隊から匿うために頼ったのも、彼ら闇エルフ族だった。
「お任せください。友に力添えできるのは、我らエルフにとって何よりの誉れです。」
それが本心からの言葉かは定かでなかったが、少なくとも外面上闇エルフたちは十分以上に”盟友”への誠意を示してくれた。彼らが人間よりはるかに義理堅い種族なのは間違いない、とサリスは心中判断したものである。
自分たちの集落近くにある、隠れ住むには絶好の秘境であるクシャエッタ峡谷を惜しげもなく竜人たちに提供し、外から来る者がその場所に注意を向けにくくなるよう認識阻害の結界を施し、それでも不審なものが近づいたら即座に察知できるよう周囲に哨戒まで立ててくれた。誇り高い竜人たちには甚だ不本意だろうが、傷つき数も減ったヴィンゼガルドと部下たちは現在、闇エルフの保護下にあると言っても過言ではない。
その竜人たちの集落が、突如攻撃にさらされたという。
カノンが報告を続ける。
「見張りについていた同胞のひとりが、急速に峡谷へ接近する大勢の魔力を感知したそうです。その者も即座に峡谷へ向かったのですが間に合わず、着いた時にはもう戦いが始まっていました。どうやら人間たちが、竜人の居場所を嗅ぎつけて襲撃してきたようなのです。中に聖職者の格好をしたものもいて、おそらく光の女神を奉ずる教団の者たちであろうとのこと……」
闇エルフ族もエウレネ教徒の装いをそれと見分けられる程度には、人間たちのことを調べ上げている。
現在のエウレネ教団が、狂熱的なまでに魔王軍の残党狩りを断行していることは確かだった。この点、人類社会の中でガルベイン帝国と双璧を成すだろう。人魔戦役――魔王軍との本戦で功績をあげられなかった連中が、少しでも点数をかせごうと躍起になっているのだ。
「敵の数は?」
人間たちを”敵”と呼ぶことを、サリスは躊躇しなかった。
「詳しくは不明ですが、およそ百ほどかと。しかしその中で主に戦っていたのは、たった1人だけという話です」
「1人?」
「人間たちのほとんどからは大した魔力を感じなかったが、その者だけは強烈で禍々しい魔力を全身から発散していたと目撃した同胞は言ってました。加勢もなく、単身で竜人たちを殺りくして回っていたとか」
一騎当千の猛者に百名程度の補佐ないしは世話役がつく。"勇者"が動く時によく見られる編成だ。サリスは嫌な予感を覚えた。
「おぞましいのはその戦い方です。その者の周囲にいた竜人たちは皆内側から血が噴出し、干からびたように朽ちていったらしいのです」
「血だと?」
「更にその男は竜人の死体に顔を近づけると、事もあろうに死体が流した血に口をつけてすすり始めたということです! そんなのは死者への冒涜だ、我々エルフにはとても考えられない」
「……人間でも、相当めずらしい部類だろうよ」
しかしその希少な例に、サリスは心当たりがあった。勇者の中にいるのだ。血を操る魔法を駆使し、血を味わう嗜好を持つ厄介な男が! しかもそいつは、平時は聖庁の子飼いでもある。
「竜人たちはそのたった1人に圧倒され、全滅も時間の問題という処まで追い詰められていたようです。同胞はとても自分が戦いに加わっても敵わないと思い、戦況を確認だけすると報告のため、すぐ我らが集落に帰参したということでした」
懸命な判断だろう。その見張りが加勢したところで、闇エルフの死体がひとつ増えるだけだったはずだ。
「父上……いえ、我が酋長はすぐサリス様に報告することを決定し、ぼくがその役目に選ばれました」
「なーにが選ばれたよ、あんたが自分が行くって言い張ったんでしょうが。久しぶりにこの人間に会えるからって、そりゃ必死にねえ」
「うるさいぞリーリエ、少しだまってろ!」
小妖精に向かって声を荒げたカノンは我にかえったように頬を赤らめ、ひとつせき払いをした。
「……しかし我らが長は、闇エルフの一族としては今回の抗争には介入しないつもりのようです。今人間たちと事を構えるのは、得策ではないと」
そう言うと、カノンは申し訳なさそうに顔を伏せた。彼自身、酋長の決断に納得していないようだった。
「わかっている。元々そういう取り決めだった」
カノンの父――現在の闇エルフを束ねる酋長は、慎重な性格の持ち主だった。人魔戦役に勝利したことで、事実上人類は大陸全土を支配圏に置いたようなものだ。人間はきらいだが無暗に敵対しては闇エルフ存亡の危機となる、今は相互不可侵の関係を継続するべきだ――それが彼の酋長の一環した方針だった。
それ故、竜人の身柄を引き受ける際、彼はサリスに念を押したのだった。万が一人類が竜人たちを攻めてきた時は至急サリスに報告する、しかし闇エルフはその抗争には一切関わらないだろう。人類社会に対しては、竜人たちは自分たちの集落近くに気づかぬ内に勝手に住み着いただけである、と言い張るつもりだと。
元々隠れ処を提供してくれるだけでも望外の協力なのだ、それ以上を期待するわけにはいかなかった。
「それ故、急ぎサリス様にご報告し、何とか対策を講じてほしかったのですが……まさかメルティア様がおられないとは」
少年の声に明確な落胆の色が滲んだ。"光の聖女"の力を、大いに当てにしていたのだろう。
メルティアの立場上、エウレネ教団の軍勢を相手に魔法を行使できるかは際どい問題なのだが、カノンにはそこまでの複雑な事情はわからない。
ともあれこの時、彼女は湖畔の住居に不在だった。五日ほど前、聖庁から召集を受けていた。人魔戦役で疲弊した教団の再編について検討する会議を開くので、そこに参加して欲しいと要請されたのだ。"光の聖女"が加わるだけで、会議に箔がつく。
聖庁を離れたとはいえ、聖女の名を返上したわけではない(そもそも返上できる類のものでもない)。またメルティア自身、女神エウレネへの信仰は以前と何ら変わらないのだ。現在は教団上層部に不信感を抱くようになったとはいえ「すべてのエウレネ教徒の今後のために」とお題目を掲げられれば、断れるはずもなかった。
サリスとしては気に入らなかった。「教団の無能な老いぼれ共はいつまで聖女の名にすがるつもりだ」と、使者を罵倒してやろうかとも思った。メルティアから過去の話を聞かされるほど、教団がいかに都合よく彼女を洗脳し利用してきたかがわかり、憤りが抑えかねるまでに高まっていた。
しかし当のメルティアが行くと決めた以上、止めるわけにもいかなかった。
「すぐ戻ります。私がいない間、他の女を連れ込んだりしたらダメですからね」
メルティアは眉をしかめるサリスに冗談めかして言うと、イタズラっぽい笑みを浮かべてみせたものだった。
使者たちが行使した転移魔法により、メルティアは再び聖都カリガノへと発って行った。割り切れないものを抱えながらも、サリスはそんな彼女をただ黙って見送ったのである。
後日そのことを、激しく後悔する羽目になるとも知らず。
「……話はわかった」
カノンから報告を聞き終えたサリスが、ひとつ静かにうなずいた。彼の決断ははやかった。
「少し待ってろ。すぐに用意する」
「え、用意って……」
「決まってる。俺も今から向かうんだよ、クシャエッタ峡谷へな」
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