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第57章:俺の深層意識さん、案外めんどくさかった(発見)

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 ろう下を走っている間も視線を感じた。

 まだ授業中だというのに、わざわざ教室のドアから顔を突きだして俺の様子をうかがってくるもの好きがひとりやふたりではなかったのだ。中には「おい、席につけ!」と生徒たちに注意しながら、ちゃっかり自分も興味津々でガン見してくる教師までいた。おのれの職責を全うせんかい。

 考えてみれば先ほどの校内放送が、うちのクラスにだけ流れたはずもない。当然、他の教室にいた生徒・教師たちも耳にしたことだろう。つまりは全校に俺のぎぬ、朝から妹を押したおしたという極めて不名誉な濡れ衣(酷すぎる!)が知れ渡ってしまったことになる。元々薔薇色に輝いていたわけでもない、地味で面白みのない学園生活ではあったが……もうここからは暗黒時代一直線だなあ、ちくしょー!

 俺の未来を滅茶苦茶にしてくれた張本人の魔力は、依然"魔覚まかく"で追尾中だ。さっき放送室を後にしてから一階まで降り、昇降口から校舎の外へと出たことも把握している。

 俺も奴に続くべく階段を降りかけたところで、踊り場に設置されたロッカーが目に入った。中には階段そうじを担当する生徒たちが使う、そうじ用具が入っているはずだ。

 登校途中に出会でくわした指抜きグローブ男の姿を思い出す。全身の筋肉が引き締まり、一見して「デキる」奴だと直感した。おまけに物騒な魔力まで放っていたのだから、容易な相手であるはずもない。ひ弱な陰キャ野郎の俺が立ち向かっても到底勝ち目はないだろう、素手のままでは。

 何か武器がる。俺の中のスイッチを入れる、"剣"の代替物が。

 がたつくロッカーの扉を開け、中を物色する。使い古したぞうきんが2枚にバケツ、それに木製のモップ。入っていたのはそれだけだった。階段を掃くためのほうきやちりとりが見当たらないのは、前回使用した生徒がしまう場所を間違えたか、もしくは片づけるのが面倒でどこかへ放置したのか。

 俺はの長いモップを手に取り、引っ張り出した。現状ロッカー内にある物の中では、これが一番剣に近い気がする……まあそれも相当無理のある見立てだが。

 両手でモップの柄をつかむ。全身の神経が活性化していくのがわかった。たしかに俺の五感は目覚めた。目覚めたのだが……どうにもその覚醒度合いが浅い。期待したほど、研ぎ澄まされてくれない気がする。

 昨日ビニール傘やおもちゃの刀を手にした時は、周囲の世界を俯瞰ふかんし、完全に掌握しているような手応えがあったものだ。それに比べると今は、何とも手応えが心許ない。俯瞰した景色がでぼやけているに等しい。

 どうやら俺の本能は、モップに"剣"としての合格点を与えなかったらしい(それが当然ではあるのだが)。それでも完全に失格というわけでもなく、半分だけサリスの感覚が復活した、といったところか。

 剣にしては長すぎるのか、それとも先端についている房糸ふさいとがネックなのか。どちらにせよ細長い棒状のものなら何でもかんでもいい、という仕様でもないようだ。案外めんどくせえな、俺の真相意識。

「……ぜいたくは言ってられんか」

 他に"剣"の代用品にできるものが見当たらない以上、モップを手に半覚醒状態で戦いにおもむくしかない。俺はそう判断した。校内を探索すればもっと適当な得物が見つかるかもしれないが、そこまで悠長な気分にはなれなかった。これ以上、人目につくのもごめんだし。

 どうも昨日から他所よそ様の物を無断拝借してばかりで気がとがめるが、緊急事態ということで大目に見てもらいたいものだ。

 モップの柄を両手でにぎりながら、階段を駆けおりる。端から見ればずいぶん間の抜けた絵面えづらかもしれないが、当人としては至って真剣である。

 昇降口を抜け、俺も校舎の外へ飛び出す。ドアをくぐる直前傍らの傘立てにちらりと眼を向けたが、あいにく今日は一本もささっていなかった。昨日の放課後俺が戻したビニール傘もいつの間にか消えている。あの後本当の所有者が持って帰ったのか、いく日もささりっ放しだったのでとうとう学校側が回収したのか。

「しかしモップと傘か、一般的にはどっちがより"剣"に近いと見なされるものなんだ?」

 こんな命題に悩むのは、我ながら馬鹿馬鹿しい限りではあったが。

 指抜きグローブ男が放つ魔力の波動は、どうやら高等部と中等部の中間付近で止まったようだった。前日の朝、俺と光琉ひかるが(何ともお粗末な成り行きで)頭から突っこんだ花壇があるあたりだ。

 教室の窓から見られないよう、なるべく校舎や体育館の陰にかくれるようにして移動する。さすがに外まで追っかけてくるような、度が過ぎた野次馬根性の持ち主もいないようだった。授業中ということもあるが、皆"魔王"の荒事には関わりたくないと警戒しているのだろう。悪名も使い様ということか? まあ人払いの役に立ってくれるなら、この際はありがたかった。

 花壇のまわりには常緑樹が植えられ、ちょっとした疎林を形成している。背の低い樹が多いので日当たりは問題ないが、今の季節は緑の葉が繁茂はんもして外部からの視線をさえぎるブラインドの機能を果たしていた。人目につきにくく、静かな場所だ。あらためて観察すれば、なるほどここは決闘だけでなくぼっち飯を済ませるにも恰好のスポットに違いない。今度利用しようかな。

 目的の相手はすぐに見つかった。せっかくの日照も虚しく、一輪の花も咲いていない荒涼たる花壇の前に、男は立っていた。両腕を組み、仁王立ちで眼を閉じている。朝会った時と同様のちょっとカッコい……いやいや、奇抜な格ゲーファッションのままだった。もちろん、両手の指抜きグローブも健在である。

「来たか」

 俺が近くまで歩みよると、かっとまぶたを開いてするどい一瞥いちべつを投げてきた。これまた朝と同じく、憎悪の溶岩が煮えたぎった瞳だった。

「やっぱりあんたか、あんなふざけた方法で俺を呼び出したのは」

 俺の問いかけは、あくまで形式的なものだった。事ここに至っては、もはや間違いのあろうはずもない。

「そうだ。ここにたどり着いたということは、どうやらこちらの意図は正しく伝わったようだな」

「ああ、あんたの魔力を感知してこの場所を探り当てた」

「"魔覚"を所持する者なら、貴様ならずともその程度の真似はできて当然だ。何らいばれるようなことじゃない」

 ……いちいち腹が立つヤツだなあ。「別にいばってねえよ!」という叫びがのどまででかかったが、ひと先ず飲みこんだ。それよりも優先的にぶつけたい苦情が控えていたからである。

「俺を呼び出すにしても、もう少しマシな方法はなかったのか? 他人事だと思って散々風評被害をばらまいてくれやがって、おかげで俺の高校生活はもう絶望的じゃねえか」

「妹との不埒ふらちな情事をばらされたことが、よほど業腹ごうはらなようだな」

「だからそれが風評被害だって言ってんだよ!」

 こちらがいくらがなり立てても、指抜きグローブ男は涼しい顔で受け流すだけだった。あの日記(という名の妄想)に書かれたことが真実だと、頭から信じているらしい。ぐぬぬ……!

「知ったことか。妹のスマホから登録されていた貴様の番号に何度も電話をかけたが、繋がらなかった。だから放送室を利用したまでだ」

「授業中でスマホの電源を切っていたんだよ」

「今どきバカ真面目にそんな校則を守る奴がいるとはな、もの好きなことだ」

 バカ真面目に守らないとこっちの身が危ういのだ。うちの風紀委員なめんなよ?

「だからあ、せめて休み時間まで待ってあらためて電話してみる、とかだな……」

「くだらんおしゃべりはそこまでだ、勇者サリス!」

 突然あげられた男の怒声には、明確な殺気がこもっていた。

「貴様があの忌々しい勇者の生まれ変わりだということはわかっている。"魔覚"を所持していることまで自ら証明したんだ、まさかこの期に及んで言い逃れはせんだろうな」

「……前世の話だ。今の俺は"勇者"でも何でもない、そんな恥ずかしい呼び方はやめてもらおうか」

 多少周りくどい言い方で、俺は男の指摘を肯定した。男の言うとおり、今更自分の正体を誤魔化すつもりはなかった。あの呼び出しがあった時点で、天代あましろ真人まさと=サリスだと露見していることは百も承知だ。

 だがそんな俺の返答も、男の耳には届いていないようだった。

「風評被害だと!? そんなものが何だと言う。貴様が前世で俺に……俺たちにしたことを思えば、些事さじの内にも入らんだろうが!」

「何だと、俺があんたに一体何をしたって……」

 これは失言だったらしい。怒りによどんだ男の眼が、より一層見開かれた。

「き、貴様、とぼけるのも大概にしろよ! この俺を忘れたとは言わせん、己が前世で殺めた男を前にしてよくもそこまで厚顔になれたものだな!!」

「……」

 沈黙。

 予想外に破壊力のある言葉の爆弾が飛んできて、とっさに言葉が出なかったのだ。「冷や水を浴びせられた」とは、こういう時に使う形容だろうか。

 俺に殺された? 前世で? ということはやはり、奴もフェイデアから現世に転生してきたということか。いや、それ以前に、何というか、うーむ……

 え、マジで?
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