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第55章:俺には「ざまあ」の才能がないらしい(辟易)

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 ますます周囲の視線が集まる中、俺は口をつぐんだまま足早に校舎へと向かった。もうこうなったらほとぼりが冷めるまで待つしかない。しょせんこの世から全ての誤解をなくすことなど不可能なのだ、と自分に言い聞かせる。

 ちなみに聖女と魔女がまたしてもうるさく口論しながら俺の後ろをぴったりついてくるので、進むごとに注目度は増す一方だった……

 校門前まで来ると中等部へ行く光琉ひかると別れ、奥杜おくもりと並んで高等部の校舎へと歩を進める。

 うちのクラスにも、すでに昨日の噂は広まっているらしい。教室に入ると、ホームルーム前の室内のざわめきが一瞬で沈黙に転嫁した。そこにいたクラスメイトの誰もが、怯えと警戒を含んだ表情で俺の方をうかがってくる。

 そこからの反応は様々だった。距離を置いてただ震えている者もあれば、大げさに飛び退いて俺の進路を開けようとする者、数人で固まってヒソヒソと話し込んでいる連中もいる。中にはあからさまな愛想笑いを浮かべて「お、おはよう天代くん、元気?」などと挨拶してくる奴まで出てきた。普段は自分の不注意からぶつかってきても「痛えなクソ陰キャ、コロスぞ!?」と逆ギレしてくるウェーイくんである。

 昨日までカースト底辺だった俺への対応が、180°様変わりしていた。或いはこれは格好の「ざまあ」チャンスなのかもしれないが……どうも俺にはそっちの才能がないらしい。あまりの豹変の凄まじさに、愉悦よりも先に辟易を感じてしまった。実際とかけ離れた己の虚像がひとり歩きしているというのも、面白いものではない。

 俺は教室内を見回し、石田いしだ時生ときおの顔を探した。極めてめずらしいことである。面倒な性格をしたナルシストだが、中等部時代から腐れ縁が続いているあの男なら変に態度を変えてくることもあるまい。捕まえて愚痴のひとつも聞かせたい気分だった。

 その石田の姿はすぐに見つかった。俺の席のすぐそばで。床に膝をつきながら、手にした布で熱心に俺の机の各部位を磨いていた。キュッキュッという擬音がここまで聞こえてきそうな励みっぷりである。すでに磨き終えたと思しき椅子などは、真鍮しんちゅう製の脚の部分が光を反射してまぶしいくらいだった。

「……何をしとるんだ、お前は」

 俺が近づいて声をかけると、石田は弾かれたように直立する。鬱陶しい前髪を払いもせず愛想笑いを浮かべると、揉み手と共にすり寄ってきやがった。

「へへ、天代あましろ……いえ、天代さま、どうもおはようございますです。ささ、どうぞお座りください。貴方様のいちの下僕が、机も椅子もピッカピカにしておきましたよ、へへへ」

「てめえが1番豹変するんかい!」

 こ、この野郎……誰がいちの下僕だ!? まんまと噂に踊らされおってからに。こんな奴との腐れ縁を少しでもあてにした俺が馬鹿だったよ!

「あなた様がこの学校を支配した暁には、是非この私めを右腕として取り立てていただきたく……これまでどおり忠節を尽くしますですよ、へっへっへ」

「学校を支配するつもりも手下を募集するつもりもねえよ、つーかお前がいつ俺に忠節を尽くした!? 都合よく現実を捻じ曲げるんじゃねえ!」

 うちのアホ妹といい、過去改変能力者が急増しているらしい。あー、疲れる……



 石田時生クソ野郎が磨いた綺麗ピカピカすぎる机と椅子の席につき、かえって落ち着かない思いをしながらホームルームをやり過ごした処で、俺は「……あ!」と声をあげてしまった。この時点になって、ようやく英語と数学に宿題が出ていたという事実を思い出したのである。

 昨晩、電話の中で奥杜に忠告されていたというのに、俺ときては全くその情報を有効活用しなかった。電話の直後に寝落ちしてしまったのは仕方ないとしても、今朝だって光琉のおかげで(せいで)早起きしたのだから、宿題をこなす時間は十分あったはずだ。それを妙な使命感に突き動かされらしくないランニングなど始める頃には、その存在を綺麗さっぱり失念していたのである。

 妹が「あたしがにいちゃんを守ってあげる!」などと口走って俺を焚き付けたせいだ――なんて言い訳はすまい。その責任転嫁はさすがに、兄としても男としても情けなさすぎる。

 黒板脇のボードに貼られた時間割表に目を向けると、今日の一限目は昨日と同じくいきなり英語の授業だった。我がクラスを受け持つ英語教師はまだ若いが癇性持ちで、生徒の些細なミスを見つけてはネチネチ小言を言うのが趣味のような男である(当然、生徒からの評判は頗る悪い)。宿題を忘れたなんて言った日には、どんな陰湿な嫌みを言われることになるか。

 俺は磨き抜かれた椅子を引いて立ち上がると、授業の準備を進めている魔女の席へと向かった。おそるおそる。

「なあ奥杜、頼みが……」

「宿題だったら見せないわよ」

 さすが前世で俺の背中を預けた女、こちらの心理を完璧に洞察してらっしゃる。

「昨晩の電話であれ程言ったじゃない、忘れずにやってくるようにって」

「いや、あれから我が家も色々あってだな、」

「言い訳しないの。誰だって何かしらの事情は抱えているんですからね、自分を特別扱いして甘やかさない!」

 朝から正論のナイフで人の心を躊躇なくえぐってくる、鬼の風紀委員どの。昨晩共に死闘を潜り抜けた仲だというのに、忖度そんたくしてくれる機は微塵もないらしい。こいつに頼ろうというのが、そもそも無謀だったか……

 俺が奥杜にロンパされ黙ってしまうと、代わりのように周囲がざわつき始める。

「お、奥杜さん凄いわ、"魔王"相手にあそこまで言えるなんて」

「まああの2人、付き合ってるらしいしな」

「え、でも昨日別れたんでしょ? 奥杜さんが無理心中をはかって」

「いや、心中を強制してしてきた奥杜を"魔王"が「オモシレー女」とか言って、愛人枠に残したと俺は見たね」

 相変わらず虚々実々(というか虚が9割)の噂話で好き勝手盛り上がってくれやがるな、愚民ども!……いかんいかん、思考が本当に"魔王"っぽくなってきた。それにしてもいつの間にかすっかり広まってるのな、このあだ名……

 俺が奥杜の席の前で突っ立ったまま反省していると、せかせかと近寄ってきた影があった。頼むに足りない我が腐れ縁の友(うげっ)である。平身低頭しながら、手に持ったノートを俺に差し出してきた。

「へへ、天代さま、あっしの英語ノートです。宿題も済ましてあります。こんなんで良ければいつでもお見せしますぜ……」

「お前はすっこんでろ! あとそのキャラ、いつまで続けるの?」

 こいつが初登場時はナルシストの似非ビジュアル系野郎だったってこと、もう本人も作者も忘れてるんじゃないかなあ。

 正直ノートを見たいと思わなかったと言えば嘘になるが、ここで受け取ってしまっては人として大事な何かを放り投げてしまう気がした。石田の追従を邪険にあしらい、俺は英語教師の嫌味に耐える腹を据えた。なあに、前世でも特に勇者に就任してからは、"下賤"だの"能無し(フェイデアで魔力を持たない者を嘲る蔑称)"だの、人格を全否定するような罵詈雑言を散々浴びせられてきたのだ。あれらに比べれば教師から言われる嫌味などものの数ではあるまい……多分。

 だがそんな心配も杞憂に終わった。

 一限目の授業がはじまると、さっそく宿題のノートが回収される。提出できなかった生徒をわざわざ1人ずつ、席順に名指ししてはネチネチいびり始めた英語教師だったが、いざ俺の番が回ってくると途端にヘラヘラ笑い出したのだ。さっき石田が浮かべていたのと同種の、それは追従の笑みだった。

「そ、そうか、ユーも忘れたのか。仕方ないな、まお……いや、天代くんも何かと忙しいだろうしね。ドーンマイン、ノープロブレム!」

 いや、ノープロブレムじゃねえよ。どう考えても問題ありありだろうが。あと今、「魔王」って言いかけたよね!?

 どうやら教師連中にも俺の悪名は轟いてしまっているようだが……それでビビって教え子相手におもねるというのは、何とも情けない。他の生徒たちをしざまにどやしつけた後だったこともあり、クラスの英語教師に向けられる視線の温度は一気に下がった。この一件で益々生徒からの人気を失ったことだろう。

 こうして無事(?)宿題を忘れたペナルティを免れた俺だが、どうにも釈然としない気分が残った。真面目に授業を受ける意欲もわかず、教科書も開かないで机の上で頬杖をついてそっぽを向いていた。要するに不貞腐ふてくされたわけである。当然それで注意を受けるわけでもなく、壇上の教師は見て見ぬふりだった。

 周りからはさぞかし不遜な態度に見えたことだろうが、「知ったことか」というのがその時の本音だった。奥杜から向けられる咎めるような視線だけは正直気になったが……(後でまた説教されるだろうなあ)

 ふいに黒板の上に設置されたスピーカーからくぐもった音が漏れてきたのは、そんな気だるい授業の最中だった。クラスの中がざわつく。こんな時間に校内放送があるのは、めずらしいことだ。

「天代真人、聞いているか」

 突然、スピーカー越しに自分の名前を呼ばれ、さすがに面食らった。クラスの視線が一斉に集中する。今朝からこうして注目を集めるのも、もう何度目だろうか。いくら経験しても、この居心地の悪さというのは慣れるものではないらしい。

 マイクを通してややザラついていたが、その声には心当たりがあった。ついさっき聞いたばかり、それも強く印象に残っている声。今朝、光琉の傍らを肩を掠めながら通り過ぎその後で俺たちに声をかけてきた、あの小柄な指抜きグローブ男の声に違いない。
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