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間章-糸を引く者(陰影)

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 天代あましろ真人まさと光琉ひかるの兄妹が廃工場を去っていく様子を頭上、キャットウォークに立って眺める者たちがいる。

 影は2つ。若い男と女だった。どちらも静芽しずのめ学園高等部の指定制服に身をつつんでいる。

「……俺たちがここにいることに気づいていましたね、あいつ」

 男が女にへりくだった物言いで話しかける。小柄な体格。背中まで伸ばした長髪を、1本のゴムで無造作にまとめている。

「そらそうやろ。こんだけ近くに潜んでいる者がいて、あの男が感知せんはずがあらへん。たとえこっちが、極力気配を断っているとしてもな」

 男とは対照的な長身、ショートカットの髪型をした女が、関西なまりで応じる。

「昼間、ちょいと魔力をこめた殺気を放ってやった時も、即座にこっちに目を向けおったわ。勘のするどさは、転生しても錆びついとらんようやで」

「やはり、間違いないのですか」

「あの直感力、今の立ち回りでみせた剣さばき、何より最後に連れの女が全身から発した光魔法の波動……」

 数えあげる女の口ぶりは、どこか愉快げだった。

「もう確定やな、天代真人は"勇者"サリスの生まれ変わりや。しかも"光の聖女"メルティアまで一緒におるときた。あの2人も地球に転生していたんやな、うちらと同じように」

「それを確認できただけでも、あの連中をけしかけた甲斐がありましたか」

 男はそう言うと、蔑みの視線を階下に投げた。コンクリートの床の上に、けばけばしい格好に身をつつんだ8人の男たちが無様に転がっている。

「せやなあ……しかし最初から勝てるとは思とらんかったけど、大の男が9人も雁首そろえてたった1人に手も足も出んっちゅうんやから、情けない話やでほんま。ま、ガッコの中で肩をそびやかすのがせいぜいのどもに異世界の英雄を相手どれいうのが、土台無理な注文やったっちゅうことやろなあ」

「これ以上、あの連中を使う必要はないでしょう。どうします、今度は別のグループに襲撃を命じますか。何なら俺が出向いても」

「やめえや」

 男が提案を挙げていくのを、女はにべもなくさえぎった。

「あんたらはもうええ。次はうちが直接当たることにするわ」

「お嬢自ら!? 何もそこまでしなくても……」

「この制服着ている時は、その"お嬢"いう呼び方はよさんかい。いつも言うとるやないか」

 物分かりの悪い子供を諭すような口調で女が注意すると、男は素直に「すいません」と頭を下げる。

「天代真人がサリスだと分かった以上、もう様子見の小細工は必要ないやろ。それに誰を差し向けたところで、相手があのサリスじゃあ今日の二の舞を踏むのがオチや。、たとえあんたでもな」

 男が悔しそうに唇をかむ。

「あんたが前世からサリスを憎んどるのはよう知っとる。せやけど、くれぐれもうちが出向く前に暴発したりしたらあかんで。この件からはあんたはもう手を引け、これは命令や」

「……承知しました」

 断固とした女の指示に男は首肯したが、その表情には不満と不本意がありありと浮かんでいた。女は眉をひそめる。

「あんた、ほんまにわかったんかいな」

「わかりましたよ。お嬢……先輩が奴の元におもむくまで、俺は一切手を出しません」

 心にもない返事をしながら、男は頭の中でまったく別のことを考えていた。

 天代真人――勇者サリスの転生体である少年は、自分が討つ。奴だけは、この手で八裂きにせねば気が済まない。たしかに容易ならな相手だが、先程の戦いぶりにはどことなくぎこちない処があった。少なくとも、前世で目の当たりにしたような圧倒的なは感じなかった。おそらく覚醒してまだ間がないのだろう、だとすれば付け入る隙は十分あるのではないか?

 それに、いざとなれば一緒にいた小娘――聖女メルティアをこちらの掌中に収めてしまうという手もある。聖女の光魔法は自分たちにとって脅威だが、所詮相手は年端もいかぬ少女である。前世でのメルティアは白兵戦の技能は皆無に近かったはずだし、現世でも戦争や紛争とは縁遠い日本に転生した以上、あの年齢ですでに本格的な戦闘訓練を受けているとは考えにくい。ふところに潜りこんでしまえば、いくらでもやりようはある。

 聖女を盾にしてしまえば、勇者サリスといえど手の出しようがないだろう。後は生殺与奪も思いのまま……

「念のために言うておくけどな、間違っても聖女の方にちょっかいを出したらあかんで」

 おもむろに女が口を開いた。内心を見透かしたようなその忠告に、男は反射的に背筋を伸ばした。

「お嬢、だから俺は、もう何もしないと言って」

「人質なんてみっともないからやめろ言うてるんやない。あんたの身のためを考えて注意してやっとんのや。万が一にもあの嬢ちゃんをおそったりしてみい、生命はないで」

「……どういうことですか、それは?」

 女が何を言いたいのか分からず、思わず男は問い返した。それが己の内心を吐露する結果になっているとは気づいていない。

「あんたが聖女は勇者のアキレス腱だと考えているとしたら、それは大きな間違いや。アレは逆鱗げきりんや、下手に触れるもんやない」

「逆鱗、ですか」

「もしも天代真人のあの嬢ちゃんを想う気持ちが前世と変わらんとしたら……嬢ちゃんの身に危害を及ぼされたとき、確実にあの男はキレるで。それも並のキレ方やない、怒りで理性が吹き飛んで獣のように荒れ狂うことやろう。もう手がつけられへん。ひょっとしたら、魔王様より恐ろしいかもしれんな」

「そんな馬鹿な」と笑い飛ばそうとして、男は失敗した。女の表情と声が、あまりにも真に迫っていたからだ。

「あの男と前世で幾度も死闘を繰りひろげたうちが言うんや。勇者サリスを怒らせたらあかん。眠れる竜をいたずらに刺激するのは、阿呆のやることや。せやから後のことは全部うちに任しとき、ええな」

「はいっ」

 と男が甲高い返事をしてしまったのは、明らかに女の話に気圧されたからであった。一瞬後にそんな自身の心理を理解して、彼は少なからぬ羞恥と苛立ちをおぼえた。あろうことか、背中に冷たい汗までかいているではないか……

 その時、廃工場の西側にある窓から夕陽が差しこみ、両者を照らした。彼女たちの後方で影が伸び、壁に映し出される。

 その場に第三者がいて、ほこりまみれの壁に突如現出した黒影を目にしたとしたら、その者は驚倒を免れなかったであろう。頭の両側から伸びる角、不気味に凸凹した手足の輪郭、何より背中から生えた一対の翼……明らかに人ならざる魔性の影が2つ、そこには生じていたのである。

 そのような禍々しい、しかしどこか人間に近い姿を有する存在を、異世界フェイデアの住人たちはこう呼んでいる。

 半魔の種族――"亜人デミン"、と。
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