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第15章:冷徹な風紀委員様の様子がなぜかおかしい(懐疑)

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 ホットドッグを口にくわえたまま、校舎裏へと駆けた。はなはだ消化にわるいのは承知の上だが、状況が差し迫っているのでしかたがない。まあだからといって、ふさがった口で「遅刻ちこく~~!」とうめいたりはしないが。朝ならともかく今は昼休みなので、それは様式美に反するだろう……いや、別に朝でも、そんな奴を実際に見かけたことはないな。

 竜崎りゅうざき星良せいらのことは、ひとまずたな上げすることにした。1限目のあとに感じた”覗かれているような気配”のこともあるので用心にしくはないだろうが、いかんせん確証がない。単に俺の気のせい、ということも十分あり得るのだ。

 まさか本人に問いただすわけにもいくまい。

「竜崎先輩、俺たち以前、どこかで会いませんでしたか? というか、命の取り合いをしたことありませんでしたっけ? "強敵"と書いて"とも"と呼び合う関係、だったかも?」

 ……高確率で"触れてはいけない子アンタッチャブル"認定されること請け合いである。さらにそれが女子野球部員やファンクラブの面々に知れた日には、どんな事態におちいることか。エキセントリックなナンパと勘違いされたあげく、市中引き回しくらいには処されかねない。ここは"いのちだいじに"いこう。

 頭が馬鹿馬鹿しい想像をめぐらす間も足は稼働しつづけ、スピードを落とすことなく校舎の角を曲がる。反対側から走ってくる誰かにぶつかる、などというこれまたお約束の事態も起こることなく、無事校舎裏に着いた。

 高等部の校舎裏は閑散としつつも結構広いが、ここで待ち合わせするとなれば大体目印は決まっている。中程に、太い幹を有して高々とそびえるにれの樹が植えられており、一種のシンボルと化しているのだ。開校当時にはすでに同じ場所にそびえていたという話だから、樹齢は少なく見積もっても半世紀はくだらないだろう。ちなみに「この樹の下で告白されるとそのカップルは末長く幸せになる」というような伝説は、特に存在しない(我ながら一々古いな、さっきから!)。

 その楡の樹の下には、すでに奥杜おくもりかえでの姿があった。背をまっすぐ伸ばして立ちながら、手元で開いた文庫本へ目を落としている。

 いかにも「優等生の待ち姿」、といった風情だ。俺も本はきらいではないが、人前で読むのは何となく気恥ずかしくて躊躇してしまう。その点、奥杜は普段から超然としたものだった。成績もトップクラスで謹厳な生活態度をつらぬいている風紀委員なればこそ、そのような振る舞いも嫌味を通り越して様になるのだろう。

 と、思ったのだが……奥杜の手元によく眼を凝らしてみると、どうも文庫本の表紙が上下さかさまになっているようだった。あれでは、まともに文を追えるはずがない。

 ひょっとして、をしているのだろうか。読書する姿を誇示して、格好をつけている? 俺の知るかぎり、うちの風紀委員はそのようなさもしい虚栄心とは無縁のはずなのだが。

「来たわね」

 奥杜は俺の来着に気づくと、目線をこちらへ向けながら文庫本を閉じて制服の内ポケットにおさめた。颯爽とした動作だったが、やはり本が上下逆のまま仕舞われていくものだから、いまひとつ決まらない……まあこの件は、そっとしておくことにしよう。わざわざ虎の尾を踏んで、より事態を紛糾させるのは得策ではあるまい。

「……それ、はやく食べちゃいなさいよ」

 奥杜に指摘され、俺は自分がホットドッグをくわえたままだったことを思い出した。あわてて後ろを向き、のどの奥に押しこむ。口まわりに付着したケチャップ等は、手の甲でぬぐった。この際、品性と衛生面を気にしている余裕はなかった。

「すまん、待たせたな」

「女子の前にホットドッグをくわえたまま来るなんて、一種のセクハラじゃないのかしら……」

「ん、何か言ったか?」

「な、何でもない!」

 聞き取れないほどの小声で何やらもそもそと呟いていたかと思えば、突然顔を赤らめながら大声をあげる。どうもこの昼は、冷徹な風紀委員のめずらしい面ばかり目撃している気がするなあ。

「それで、わざわざここまで来てもらった要件だけど」

 奥杜はひとつ咳払いをして、声のトーンをととのえた。

 いよいよ遅刻の糾弾がくるか。俺は内心で身構えた。これまで耳にした数々の噂から、どのような罵詈雑言の濁流が押し寄せてくるか知れたものではない。どんなに心をえぐられても耐え抜いて、光琉ひかる、兄ちゃんは今日もお前がいる我が家に真っ直ぐ帰るからな!――放課後デート云々という話は、この際都合よく考慮の外におかせてもらう。

「まずは……そうね」

 奥杜は少しの間、右手でおさげ髪の一房をいじっていた。何か迷っている風だったが、やがて意を決したように俺の眼を覗きこみ、こう告げた



「メルティアは、息災かしら?」



 一瞬、頭の中が真っ白になった。

「え……なっ」

 予想だにしない言葉の爆弾を奥杜から投げかけられ、とっさに反応ができなかった。この時まで、呼び出された要件は本日の遅刻に関する小言だろうと、決めつけていた。正面ばかり防備を固めていたら、突然横合いから強襲を受けた態、とでも言うのだろうか。

 何故、奥杜楓の口からメルティアの名が出てくるのだ!?

「まったく、おどろいたわよ。朝、自分の席に座っていたら、突然光魔法の波動を感じ取ったのだもの。あれは"瞬燐しゅんりん"でしょ? なつかしいわね」

 光魔法の――瞬燐のことまで知っている。彼女がフェイデアについての知識を有していることは、間違いないようだ。

「それから少し経って、土埃つちぼこりにまみれたあなたが教室へ駆け込んできた。入り口を見て、眼を疑っちゃった。だって勇者サリスが、うちの学校の制服を着て、そこに立っているんだもの。あの剣呑な雰囲気こそ消えているけど、容貌は瓜二つだわ。なんで今まで、そのことに気づかなかったのかしら。あなたもこの地球に転生してきているとは思っていたけど、こんな近くにいたなんてね」

 当然のように、サリスの名前も出てくる。「あなたも」というからには、奥杜自身も何者かの転生体、ということだろうか。

 俺が言葉を失っているのを斟酌する風もなく、奥杜は滔々とうとうと話をつづける。

「あなた、今日はメルティアの瞬燐で、学校へ連れてきてもらったんでしょう? 稀少な光魔法をそんなことのために使用するのは、いかがなものかしら。でもあなたたちは、今生でもやっぱり一緒なのね。なんだか妬けちゃうわ……」

「ち、ちょっと待ってくれ!」

 ついにこらえきれなくなり、俺は奥杜をさえぎった。心臓が早鐘のように鳴っていたが、表面上はなるべく平静にみえるよう心がけた。

「さっきから、奥杜の言っていることが俺にはよくわからないんだが。光魔法に、ゆう、しゃ? 漫画かゲームか、何かそれ系の話でもしているのか?」

 無駄なあがきかもしれないが、俺は白を切ってみせた。これまでの奥杜の口調からは、敵意や悪意といったものは感じられない。しかしだからといって、こちらの味方とも限らない。心の裏側に、打算と害意にぎらついた鋭利な刃を隠していないとは言い切れないのだ。相手の素性も意図も定かではない以上、自分がフェイデアからの転生体であることを素直に認めるのははばかられた。

「警戒しているのね……私が誰だか、まだわからない? それとも、記憶が戻っていないのかしら。私の方ばかり勝手に興奮しちゃって、なんだか馬鹿みたいね」

 奥杜の声はどこか寂しそうだった。これまで淡々とした口調を続けているから、とても興奮しているようには見えないが……しかし先程、本が逆さまになっていた点も、平静を欠いていたと考えればうなずける。"勇者サリス"との対面をひかえ、文字を追うどころではなかったというところか。

 一体彼女はサリス――前世の俺と、どういう関係なのだろうか?

「だったら、こんなのはどう? これでもまだ、おもいださないかしら」

 そう言うと奥杜は、おもむろに眼鏡をはずし、たたんで制服の胸ポケットにしまった。普段はあついレンズ越しに厳格な光を発している風紀委員の眼から、この時はすっかり険がとれていた。そうなると二重まぶたと長いまつ毛に縁どられた両の瞳が、潤んだようにゆらめいて、妙に艶やかにみえる。

 今時"眼鏡を取ったら実は美人だった"などという使い古されたパターンは眼鏡っ子愛好家の皆さんから激しい顰蹙ひんしゅくを買いそうだが、この時フレームとレンズが除かれた奥杜の容貌に、俺が新鮮さをおぼえたのはたしかである。

 だが。奥杜の言う「こんなの」は、ここからが本番だった。彼女は両腕を前に突き出した。そして左手の甲を空に向けると、右の掌をそれに重ねる。

 直後、奥杜およびその周囲の空間に、異変が生じた。表層的には何の変化もなかったが、俺の"魔覚"は瞬時にそれを感じ取っていた。不可視の超常の力――魔力が膨れ上がったのである。

 そしてそれは、まぎれもなく魔法が発動する兆候だった。

「無人ヶ原 深森の舞台 の雫燦々さんさんたり

 緑柱石の壇きらめけば 見えざる悠久の旅人降り立ちて……」

 奥杜は詠唱えいしょうをはじめた。その間、彼女の右手は、左手甲の上を外側に向かい滑っている。

 俺は一連の様子を凝視していたが、警戒感は薄れていた。奥杜から攻撃の意思は感じなかったし、どこかなつかしいものが、その光景からは伝わってきたのである。

「……須臾しゅゆの間 羽を閉じ 可憐な御足で踊り戯れん」

 詠唱を終えると同時に、右手が左手の上を端まで滑り終え、奥杜はまるで両開きの扉をひらくかのようなジェスチャーで、両腕をゆっくり左右に振り払った。

 ひゅっと甲高い音が、耳に響いてきた。風だ。それまで凪いでいた俺と奥杜の間に横たわる空間に、突如として旋風せんぷうが巻き起こったのである。

 無論、偶然の産物ではない。奥杜が術式をおこない、魔法を発動させ、意思に基づいて超自然の風を眼前に生じさせたのである。その証拠に、顕微鏡サイズの嵐はいつまでも霧散することなく、俺と奥杜の間で滞留し続けているではないか。地面は土だというのに埃ひとつ舞い上がらせることなく、空中のごく限られた範囲内のみで、大気の流れは循環しつづけている。

 さながら、見えざる風の精シルフが、静かなダンスに興じているかのように。

 その間、魔法を発動しつづける奥杜の全身からは、絶えず魔力が発散されていた。そして彼女の外見も、最前までとはやや異なる様子になっていた。おさげに垂らされた髪はついさっきまで黒かったはずなのに、魔力が高まった影響か、現在はうっすらと亜麻色にいろづいていたのだ。

 伝わってくる魔力の波動に風魔法、そして亜麻色の髪……五感と魔覚によって認識した諸々の情報が複合的に絡み合い、魂の奥底に沈む記憶を刺激した。

 風の魔法に集中しながらも、うっすらまぶたを開いて俺を見つめてくる奥杜と眼があった時、自然とこう語りかけていた。

「カーシャ……魔導士カーシャ、なのか?」
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