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第14章:突然野球回がはじまっても、皆さんついてきてください(懇願)

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 昼休み。

 校舎の南側を通りかかると、通路をはさんで隣接するグラウンドから、おおきな声が飛んできた。

「さあ、今日も気合い入れていこけ。地区大会が始まるまで、あっという間やでえ!」

 勇ましい関西弁の字面だけみるとゴツいおっさんの怒鳴り声を連想する読者もいるかもしれないが、実際はハスキーで鈴が鳴るような女子の声である。

 グラウンドの方へ目を向けると、外縁に張られたネット越しに、女子野球部が練習にはげんでいる光景が見えた。

 先程の関西弁は、バットとボールを持ってバッターボックスに立つ女子から発せられたものだった。彼女はなおもハスキーヴォイスで内野にいる部員たちに2,3指示を出し、それが済むとノックを始めた。右手でボールを浮かせ、素早くバットを構え、正確に打つ。キーンという金属音を響かせて、白球が内野手たちへと飛んでいく。

「ショート、初動が遅いで! 今の打球くらい、余裕で追いつけなあかんッ」

「お、ピッチャー、ナイスボールや。球威えぐいで、次はコーナー狙っていこか!」

「素振り組、全員トップを引きすぎや。もっとシャープに、そんなんじゃ速球には対応できへんで!」

 自身はノックを続けながら、周囲で別の練習に取り組んでいる部員たちへの指導も忘れない。言われた部員たちも反発を見せることなく、「はい!」「おう!」と大声で応えていた。彼女が部内で大いに慕われていることが、それだけ見てもうかがえた。

 ……念のため、この小説は『実の妹が前世の嫁だったらしいのだが(困惑)』である。唐突に野球回がはじまって混乱される向きもあるかもしれないが、もうしばらくご辛抱いただきたい。あと生まれてこの方隠キャぼっちの作者に野球経験などあるわけがないので、上で書かれている指示の知識はすべて、最近ハマっている某野球漫画で仕入れた付け焼き刃のものだろうな……

 大丈夫なんだよね、今回! あとで色んな方面から怒られたりしない!?

 さておき。ノックを続ける関西弁女子は、俺でも顔と名前が一致する、校内の有名人である。竜崎りゅうざき星良せいら、我が高校の3年生にして、女子野球部のエース兼キャプテン。県内にも名をとどろかせるほどの実力者で、大学や女子プロのスカウトからも注目されているとか。

 長身で引き締まった肢体、小麦色の肌にショートヘアが似合う、ボーイッシュな美人である。

「よし、ナイスキャッチや! その調子その調子」

 内野手が捕球に成功すると、竜崎はげきを飛ばす凛々しい様相から一転、活動的な光をたたえた眼をゆがめ、人なつっこい笑みを浮かべた。ほめられた女子部員の方は、感激のためか頬を紅潮させ、ほわほわとした表情になっている。口元がゆるみ、次第に開きっぱなしになり、端からヨダレがたれ……って、あぶないあぶない!

 学園のスターでありながらも気さくで面倒見の良い人格者として、竜崎は有名だった。一方で練習や試合となると闘志むき出しで躍動する、そのようなギャップが大勢の生徒を魅了している(あの内野女子もその1人だろう)。校内には竜崎星良ファンクラブまで存在すると以前石田から聞いた覚えがあるが、その会員の多くは女子とのことだ。去年のバレンタインデーには、竜崎は在校中のどの男子よりも多くのチョコを獲得した、という伝説まで残っている。うらやましい、のかな?

 ちなみに、上で触れた作者が現在ハマっている某野球漫画には、関西弁で話す女子プレイヤーが登場するらしい……

 大 丈 夫 な ん だ な ?

 気がつくと俺は、ネットギリギリまで脚を運んで、グラウンドの様子をながめていた。というより、竜崎星良をずっと見ていた。手には、先程購買部であわてて買ってきたホットドッグを持ったままだった。

「……なんだ?」

 俺は自分の行動に、自分で首をかしげる。女子野球部の練習なんてしょっちゅう行われているし、竜崎はそこにいつも顔を出している。これまで興味を持ったことなど一切なかったのに、奇妙なことにこの昼休みに限っては、今しがた遠目に竜崎星良の姿を一瞥いちべつして以来、なぜか眼を逸らせないのである。

 もちろん、俺は彼女との面識はない。おまけに現在は、怖い風紀委員から呼び出しを受け、校舎裏へと向かっている最中である。一刻もはやく赴かなければ後が大変だ、と理解しつつもなお、グラウンド脇から立ち去る気にはなれなかった。一体あの女子キャプテンの何が、自分の注意をそこまで引くのだろうか?

「ちょっとにいちゃん、なに他の女の人に見惚みとれているのよ! 浮気!?」

 このセリフは現実のものではなく、俺の脳内で想像上の光琉ひかるが発したものである。この場に本人がいたとしたら、いかにも同じことを言いそうだが。

 いや、浮気ってなんだ。その発言は前提がおかしいだろうが。そもそも、見惚れているわけじゃないぞ。竜崎の存在が妙に気にかかるのは事実だが、それは別に異性として、という意味ではない。じゃあどういう意味でだ、と聞かれるとうまく説明できないが……彼女はたしかに美人だけど、俺のタイプとは趣がちがうのだ。俺の好みは色白で、やや吊り上がり気味の猫目で、髪は金いrいやいやいや! 何でもないなんでもない、今言ったことは気にするな。忘れろ!

 ……ふと我に返って、俺は両手で頭を抱えた。脳内のイマジナリー妹が語りかけてきて、それに言い訳ともツッコミともつかない返事をしている己の有様。省みるに、完全にな人じゃねえか!

 今日の俺は色々とおかしい。それもこれも、きっと勇者の記憶を取り戻したせいだろう。今の幻聴もしかりだ、そうに違いない。みんな前世が悪いのよ。

 地面を見つめながら、自分に言い聞かせるように独り言をとなえていたが……突然、心臓を鷲掴わしづかみにされた。もちろん比喩だが、そんな錯覚が一瞬、意識を支配したのは事実である。

 反射的に顔を上げると、そこで眼があった。バッターボックスに立つ竜崎星良が、いつの間にか俺の方を見つめていたのである。とっさに声が出そうになり、あわてて呑みこむ。

 眼が合うと同時に、彼女はニコリと微笑んだ。先程仲間の野球部員に向けた無邪気なものとは異なる、どこか秘密めかした笑みだった。困惑がますます深まる。見ず知らずの他人であるはずの俺に向けて、何故彼女はそのような笑みを投げかけるのか?意図が読めず、ただ無性に胸がざわついた。

 どれだけの間、そうやって視線を交わしていただろうか。

「キャプテン、どうしたんですか?」

「もいっちょお願いします! はやくしないと、昼休みが終わっちゃいますよ」

「星良さんの燃える情熱を、全部あたしにぶつけてくださ~~い!!」

 部員たちが口々に、竜崎の練習再開をうながした。最後の呼びかけは、例のヨダレをたらしていた内野手のものである。声にはさわやかなスポーツの場らしからぬ狂熱パッションがこもっていた。こわい。

 そして部員たちの視線は一様に、竜崎ではなく、ネット越しに俺へと向けられていた。もちろんというか、それらの眼に友好的なかがやきはない。「あんた、何見てんのよ」「竜崎さんとどういう関係?」「神聖な女子野球部の時間を、ちんけな○貞野郎が邪魔すんじゃねえコロスゾ」……どの顔にも、大体そんな罵詈雑言が張りついているようだ。ヨダレ女子にいたっては、「フシュー、フシュー!」とここまで聞こえるほどの威嚇いかくの声を放っている。獣人か、おのれは。

「ああ、ごめんなあ。何でもないんや。おっしゃ、仕切り直してこ!」

 竜崎が部員の求めに応じ、練習を再開する。もうこちらを気にする素振りは見せなかった。

 釈然としないものを抱えながらも、俺はグラウンド脇を後にした。これ以上残っているのは、身に危険が及ぶおそれがある。もっとも、これから行く校舎裏では冷徹な眼をした風紀委員による糾弾が待っているわけで、"前門の虎、後門の狼"とはこんな状況をいうのだろうか。そういえばフェイデアには、ほぼ同じ意味で"洞窟の入り口では竜が、出口ではオーガが待っている"なんて慣用句があったことを、ふと脈絡もなく思い出す。脳が現実逃避をしているのかもしれない……

 ただ。

 先程竜崎が、俺に向けて発したもの。あれはまぎれもなく"殺気"だった。そして目が合った時、彼女の網膜もうまくの奥に、尋常ではない獰猛な何かを、たしかに感じた。竜崎星良の実態は、はたから思われているような"将来を嘱望された女子野球選手"にとどまるものではないらしい。俺はそのことを、確信しはじめていた。

 さらに奇妙なのは。彼女が放つそれらの気配に対して、自分が既視感を感じていることだった。

 俺は以前、彼女に会ったことがあるのだろうか。今日のように遠くから眺めるにとどまらず、もっとじかに接して、言葉を交わし、そして……

 校舎裏へと向かう足をとめることなく、俺はかぶりを振った。出し抜けに浮かんできた考えがあまりに突拍子もなくて、我ながら呆れたのだ。今朝から色々なことが起こりすぎて、神経が過敏になっているのだろうか。

 そう自分に言い聞かせても、一度生まれたおかしな想念は、なかなか去らなかった。



 ――俺は彼女と、あるのではないか?
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