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第13章:俺が”シスコン”だなどと、妄言を吐くのも大概にしてもらいたい(本気)

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 ふいに。

 背筋に悪寒がはしり、俺は椅子から立ち上がって後方へ身体をひねり、クラスの天井をあおぎみた。そこには普段から設置されている照明があるだけで、不審なものは何も見あたらない。少なくとも、肉眼では。

「ど、どうしたんだ、一体」

 俺の動作が急だったせいだろう、石田いしだが目を点にして問いかけてくる。

「……何でもない」

 そう応えたのは、無論韜晦とうかいというものである。突然、のだ。そしてその視線は霊的なもの、つまり"魔"の気配をともなっていた。だからこそ、俺の”魔覚まかく”で捉えることができたのである。

 実を言えば休み時間に入ったあたりからこれに似た、得体の知れない違和感はあった。その正体を、視線の圧が増したことにより、唐突に知覚できた、というべきだろうか。だとすれば、少し前から何者かに観察されていた、ということになるのか。

 もちろん、常人の仕業なはずがないし、今朝のように幽霊がいるわけでもないだろう(明るい内からそうそう幽霊に登場されてたまるか、いくらいい加減なこの小説でも)。それに今の感覚には、前世でおぼえがある。そう、魔導士に"遠視えんし"の魔法でのぞかれた時に、近いものがあるのだ。

 この現世で何者かが、魔法をもちいて俺を監視しているのだろうか。だとすればそいつは、俺や光琉ひかるの前世を知っている者なのか。記憶を取り戻したばかりのこのタイミングで干渉してくるのだから、そう考えるのが自然だろうが……

 あるいは、更にうがった見方をすれば。こうして覗かれるのは、? なにせ昨日までの俺は魔覚をそなえておらず、魔法による干渉を受けたとしても、目に見える実害が生じないかぎり一切気づきようがなかったのだ。

「おい、お前今日はおかしいぞ。大丈夫か?」

 立ったまま黙りこんだ俺に、石田が胡乱うろんそうな視線を向けてきた。事情を知らないこいつには、今朝の俺の言動が一々奇妙にうつるのも当然だろう。

 ……ここは頭を切り替えることにしよう。俺は自分に言い聞かせた。この魔力をともなった視線が、俺だけでなく光琉にまで向けられている、という可能性も当然あり得る。そう考えると気が気ではなかったが、今の時点で思いわずらってもどうしようもないのも、また確かだった。何かしらの判断をくだすには、現状あまりにも情報が不足している。

「いや、昼休みに奥杜に呼び出されてしまったから、購買に行く時間がないことに急に思い当たってな。昼飯をどうしようかと考えていたんだ」

 椅子に座りながら、この日何度目になるか既にわからないを敢行する。自分でもずい分不自然な言い訳だと思ったのだが、腐れ縁の友人はあっさり食いついてきた。痛々しい言動に似ず、素直なやつなんだよなあ。

「あれ、お前今日は、光琉ちゃんに弁当作ってもらってないの?」

「今朝は色々あってな」

 ここで多少、注釈をくわえた方が良いだろう。光琉は普段の朝、自分と俺の分の弁当を手作りで用意してくれる。親父が家にいる時は、そこに親父の分も加わる。おかげで俺はいつも、ひもじさとは無縁の昼休みを過ごすことができるわけである。

 そう、意外に思われるかもしれないが、うちのアホ妹は料理をするのが好きで、しかもその腕前は中々のものなのである。我が家では家事を兄妹で分担しているが、こと料理に関しては、本人たっての希望もあり光琉に一任している。そしてダイニングテーブルに並ぶ食事も、毎日の弁当も、「食えないことはない」などというレベルではなく、「これ、金取れるんじゃね?」と思わせられるほどのクオリティに仕上げてくるのだった。"人は見かけによらない"の生きた実例、だと俺は思っている。

「何だ、残念。光琉ちゃんは料理上手いからなあ、楽しみにしてたのに」

 石田がこう言うのだから、上の評価が身内の贔屓ひいき目でないことはわかっていただけるだろう。

「って、何でお前が楽しみにするんだよ。言っておくけど、分けてやらんぞ? たとえ持ってきていても」

「良いじゃないかよ、ケチだなあ。いつもあんだけたくさん作ってくれるんだから、ひとりで食い切るのも大変だろ?」

「どれだけ多かろうと、光琉が俺のために作った弁当だ。他人には米粒ひとつたりとも、与えてたまるか」

 当然のことを言っただけなのに、それを聞くと石田は急に、呆れとさげすみの入り混じった視線を俺に向けてきた。

 ……ん、何だ? 似非えせビジュアル系男にそんな反応をされる覚えはないぞ。あと、こめかみに手を当てて頭を振る仕草やめろ。

「……前々から思っていたけど、お前ってシスコンだよな」

「ちょっとまてなんだそれはどこからでてきたことばだヒトギキノワルイことをいうなネモハモナイうわさをたてるなフーヒョーヒガイにもほどがあるメイヨキソンでうったえるぞこのやろー」

 的外れにもほどがある石田の言い分に、句読点を打つのも忘れてまくしたててしまった。

 俺がシスコン? 馬鹿も休み休み言ってほしい。そりゃあ今朝、前世の記憶を取り戻してからは、メルティアの生まれ変わりとして少し(ほんのすこ~~~し)意識してしまったが、それ以前は類人猿としか認識していなかったのである。石田に"シスコン"などと呼ばれるいわれは、微塵もない。ウソ・大げさ・まぎらわしい発言とはこのことである。

「だってお前たち、家ではよく、一緒に◯ーファミをやるくらい仲良いんだろ」

「は? 兄妹だったら、そんなの普通だろ。家族なんだから」

「……駅前の繁華街を、肩並べてあるいている姿をよく見かける、という目撃証言が出ているんだが」

「そりゃ買い物に付き合ったり、休みの日に一緒に遊びに行くくらいはするさ。兄妹だもん」

「……まさか、夜はいまだに一緒の布団で寝ている、なんてことはないよな」

「アホか。俺も妹も寝るのはベッドだ。一緒に入るのだって、せいぜい夜に雷が鳴る日くらいだ」

 2週間ほど前だったか、夜に強雨となった。雷も鳴り響き、窓の外からカーテンが青白く照らされた11時ごろ、パジャマ姿の光琉が突然俺の部屋に入ってきて、「あたし、今日はここで寝るから」と早口で宣言して勝手に俺のベッドに潜りこんでしまった。かすかに身体をふるわせていたので、雷がこわかったんだな、とすぐに察した。

 いつまでも子供みたいなやつだと呆れつつも、そう珍しいことでもないので、仕方ないから並んで寝てやることにした。もっとも、招かれざる妹は俺のベッドに入っただけで安心したのか、俺が床に就く頃にはとっくにクークーと寝息を立てていたが。一体何のために俺のところへ来たんだか……苦笑をにじませながら、俺は妹のかたわらに自分の身体を滑り込ませたのだった。

 と、一緒に寝たと言ってもその経緯はこんなもので、何もやましい部分はない。至ってケンゼンな兄妹関係である。

「……俺、しばらくお前には近づかないから。お前も話しかけないで」

「待てええッ! 何だそのゴミを見るような眼は!?」

 きたないものを避けるように椅子から立ち上がり、広げた右手で顔を覆いながら離れていこうとする石田の左腕を、強引につかんで引き留める。こいつが話しかけてこないのは一向に構わんが、こうまで気味悪がられるのはさすがに業腹である。こっちは何もおかしなことは言ってないのに。

「お前は妹がいないからわからないんだよ。世の中の兄妹ってのは、大体こんなもんだぞ」

「うん、お前がどんな幻想イリュージョンの海におぼれようと、それはお前の勝手だ。俺にはお前を否定する権利はない、自由の翼をひろげてどこまでも飛んでいけばいいさ(吐息のような声)。でも俺には話しかけないで」

「こっちの声がまるで心に届いてねえだと!?」

 何だこいつ、思いこみの激しさが山岸◯花子レベルか?

 なおも去っていこうとするナルシスト野郎を、俺は必死に食い止めた。そうしてぎゃあぎゃあと騒いでいるうちに、いつの間にか2限目開始のチャイムが鳴ったのにも気づかなかった。

「……お前たち、とっくに休み時間は終わってるんだがな」

 突然、しわがれた声が聞こえて振り向くと、すでに教壇には2限目の世界史を担当するベテラン教師が立っており、こめかみに青筋を浮かせながらこちらをにらんでいた。

 「あ、やっちまった……」と思ったが、手遅れである。俺と石田以外のクラスメイトたちは、もう全員着席していた。石田がさっきまで座っていた前の席の生徒も、とっくに戻っていた。俺たちに向けられる彼・彼女らの視線が痛かった。

 俺と石田は世界史教師から教室の後ろに立つことを命じられ、そのまま授業を受けることとなった。こんな羽目におちいるのは、小学生以来の体験である。前方に並ぶ席の各所から、明らかに俺たちに向けられた忍び笑いが断続的に聞こえてくる。ぐぅ、いたたまれねえ!

 それもこれもすべて、隣のナルシスト野郎が俺に"シスコン"などというヌレギヌを着せてくるせいだった。横目でにらんでやったが、その石田はと言えば立ちながらも俺から露骨に顔をそむけ、視線を合わせようとしなかった。いまだにエンガチョあつかいしてきやがる。こ、この野郎……

 この場で怒鳴り声をあげてもさらに立場が悪化するだけなので、今はだまって耐えるしかない。羞恥しゅうち憤懣ふんまんに身を焦がしながら、一刻もはやくこの世界史の授業が終わることを願わずにいられなかった。



 ちなみに。

 先ほどまで感じていた上空からの視線の圧も、それにともなう魔力の気配も、この頃にはいつの間にか消えていた。
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