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断章-赫い終焉(後)
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「ここにいたか、叛逆者サリス!」
身体や衣服の各所を煤とこげで黒く汚したその人影は、憎しみにあふれた声でそうさけんだ。
黒く汚れてはいるが、秀麗な面立ちの若い男である。輝くような銀髪を持ち、同じく銀色の、胸に複雑な意匠をこらした甲冑を身につけ、背中には青いマントを羽織っている。右手には抜身の長剣が握られていた。
いかにも”由緒正しい貴族の家柄を持つ騎士”という印象を与える外見である。そして、実態もその印象どおりだった。
その銀髪の男も、俺の記憶によみがえっている。”白銀の騎士”エルナート――まんまの異名だな――、レーヴィ大公国が誇る神聖騎士団の総長を若年ながらにして務める傑出した聖騎士、そして”機関”が認定した十二勇者中の序列7位でもある。この時は、サリスを追う討伐隊に従事していた。
温厚で公平、騎士の鏡のような美青年として、世に名をはせている男である。だが今、そのエルナートの顔面は、割れんばかりの嗜虐の笑みでみにくく歪んでいる。
「散々てこずらせてくれたが、貴様といえどもはや力を使い果たし聖剣も顕現できまい。悪運尽きたぞ、今こそ冥府へと旅立つがいい!」
エルナートはサリスに向けて空いていた左手をかざすと、素早く呪文を詠唱しはじめた。途端、左の掌に青白い光が凝縮し、輝く球体となる。
神聖魔法”輝玉”。
己の体内に存在する魔力を掌に集積し、光る熱球に変えて敵に放つ攻撃魔法。神聖魔法の中では基本の部類の術式だが、使用するものの魔力が高ければ高いほどその威力は増す。神聖騎士団の長を務めるエルナートの魔力を持ってすれば、その一撃で高位の魔人を霧散させることも可能だろう。
エルナートの手から光球が放たれ、こちらめがけて襲ってくる。サリスはメルティアを抱えるようにして横へ飛び、災禍を逃れる。サリス自身はそれをくらったところで問題があるとも思えなかったが、メルティアに直撃したら一命に関わっただろう。次の瞬間、光球は後方のエウレネ像に直撃し、一瞬の燃焼の後、像はチリと化した。
神聖騎士団の総長が、自分たちが奉じる女神の像を破壊したのだが、エルナートにそれを気にするそぶりはない。いや、そのこと自体に気づいていないようだった。憎しみに濁った眼は、ひたすらサリスを追っていた。
「俺は元々貴様が怪しいと思っていた。魔法も一切使えぬ下賤の分際が、我ら勇者の一員に選定されるだけでもあり得ぬことだというのに、よりにもよって魔王討伐の命が貴様ごときにくだろうとは。十二勇者中、序列最下位の貴様に! どんな策略を弄したか知らぬが、貴様が魔王を滅ぼし英雄よ救世主よともてはやされる間も、俺の眼はだませなんだぞ。貴様はいつか人類に仇なすに違いない、狡猾で危険なネズミだと疑わぬ日は一日としてありはしなかった。そしてとうとう馬脚をあらわし、今こうして、惨めな叛逆者として死んでいく! すべて俺にはわかっていたのだ。悪魔めが、最期はこの俺が直々に、正義の剣で滅してくれるわ!」
「おやめなさい」
その時、サリスを背にして立ちはだかり、エルナートの長広舌を封じた影があった。言うまでもなく、メルティアだった。
「せ……聖女さ、ま?」
エルナートは今初めてメルティアの存在に気づいたかのように、呆けた表情になる。そして慌てて、彼女に手を差し伸べた。
「よ……よくぞご無事でいてくださいました。さあ、そんな叛逆者のもとを離れ、すぐにこちらへお越しください。サリスに人類への叛意があろうと、それに聖女様がいささかも関わっておらぬこと、このエルナートはよく存じております。私に任せてくだされば、一命に代えて聖女様のお命と尊厳はお守りいたします。さあ、どうぞこちらへ……」
「黙りなさい」
凛とした声が、堂内に響き渡る。エルナートは一瞬びくっと身体を震わせ、固まった。
「私はまごうことなきこの御方の妻です。そしてサリス様は悪魔などではなく、魔王を討ち人類を救った、まぎれもない英雄。無論、人類への叛意など微塵もありません。その方を口汚く罵り貶めるあなたこそ、心に魔を宿していると知りなさい。ましてその反感は私怨ありき、サリス様に大任を奪われた嫉視から発したものではありませんか。聖騎士として、己を恥じるべきです」
「せ、聖女様はその男にたぶらかされているのです! そもそも下賤の者に聖剣を与えたことからして、おそれながら気の迷いだったと…」
「気の迷い? サリス様以外に、”聖煌剣”を自在に扱えた勇者がどこにいたというのですか。あなたも一度試して、数秒も手につかなかったではありませんか。世迷言も大概になさい!」
メルティアは怒っていた。自分たちの境遇も忘れ、ただサリスが侮辱されたことに対して怒っていた。
白銀の騎士の顔色が、どす黒く染まった。
レーヴィ大公国の神聖騎士団は光の女神エウレネを信仰する宗教騎士団である。女神の代理人たる聖女も無論崇拝の対象で、特にエルナートは先ほどからの態度でも明らかなように、私的にもエウレネへ賛美の念を抱いていた。
しかしこのとき、彼の中で崇拝も憧憬も反転し、醜悪な変貌を遂げたらしかった。
「おのれぇサリス、かくまで聖女様を篭絡したか……」
怨嗟の具現化した声が口から瘴気のように漏れ出た。うん、完全に逆恨みである。
「もはや、最早あなたは聖女様ではない。そこの悪魔めに誘惑され、堕落したのだ。魂を闇に染め、娼婦にも劣るいやしきものになりさがったのだ。この売女め! せめてこれ以上、その哀れな様を衆目に晒さぬよう、わたしの手で葬ってくれる。あなたはサリスもろとも、ここで果てるしかないのだ。そしてせめて、その呪われた魂が冥府で解放され、再び光り輝かんことを……」
まるで逆ギレしたストーカーのごとく勝手なことをまくしたてながら、それまで憧れていた聖女に殺意を向けるエルナート。思考の極端さが怖い。こいつを”騎士の鏡”とか評したやつ、誰だよ……
エルナートの暗い瞋恚は、だが、サリスの激情をも誘発した。大切な聖女を”売女”と罵り殺意を向けてくる、そんな男を黙認できるほど、彼は寛容ではなかった。
「もう一度言ってみやがれ、人形野郎! 着飾った法皇の犬めがッ!!」
傭兵時代の粗雑な口調に戻りながら、サリスは満身に力をこめて立ち上がろうとした。すでに精魂尽きていたが、なお怒りで身体の奥底に沈殿したなけなしの余力までも絞り出そうとしたのだ。白銀の騎士を睨みつけながら、聖剣の柄を握った右手に意志の力を集中せんとし……
破局は唐突におとずれた。
頭上で鈍い音が断続的に響いたかと思うと、火にくるまれた梁が崩れ、彼とメルティアの頭上に振りかかってきた。つい先ほどエルナートの放った”輝玉”が神殿に衝撃を与え、ただでさえ脆くなっていた梁の崩落を誘発したらしかった。
「メルティア!」
とっさのこととて、満身創痍のサリスにはもはや避ける余裕はなかった。ましてや傍らのメルティアを見捨てられる彼ではない。動けず固まっていたメルティアを押し倒し、そのまま覆いかぶさるようにして、聖女の身を己の身を挺して保護した。それが、精一杯だった。
直後、背中に灼けるような衝撃がのしかかってきて、視界が暗転し……
俺の前世の記憶は、ここで途絶えている。
身体や衣服の各所を煤とこげで黒く汚したその人影は、憎しみにあふれた声でそうさけんだ。
黒く汚れてはいるが、秀麗な面立ちの若い男である。輝くような銀髪を持ち、同じく銀色の、胸に複雑な意匠をこらした甲冑を身につけ、背中には青いマントを羽織っている。右手には抜身の長剣が握られていた。
いかにも”由緒正しい貴族の家柄を持つ騎士”という印象を与える外見である。そして、実態もその印象どおりだった。
その銀髪の男も、俺の記憶によみがえっている。”白銀の騎士”エルナート――まんまの異名だな――、レーヴィ大公国が誇る神聖騎士団の総長を若年ながらにして務める傑出した聖騎士、そして”機関”が認定した十二勇者中の序列7位でもある。この時は、サリスを追う討伐隊に従事していた。
温厚で公平、騎士の鏡のような美青年として、世に名をはせている男である。だが今、そのエルナートの顔面は、割れんばかりの嗜虐の笑みでみにくく歪んでいる。
「散々てこずらせてくれたが、貴様といえどもはや力を使い果たし聖剣も顕現できまい。悪運尽きたぞ、今こそ冥府へと旅立つがいい!」
エルナートはサリスに向けて空いていた左手をかざすと、素早く呪文を詠唱しはじめた。途端、左の掌に青白い光が凝縮し、輝く球体となる。
神聖魔法”輝玉”。
己の体内に存在する魔力を掌に集積し、光る熱球に変えて敵に放つ攻撃魔法。神聖魔法の中では基本の部類の術式だが、使用するものの魔力が高ければ高いほどその威力は増す。神聖騎士団の長を務めるエルナートの魔力を持ってすれば、その一撃で高位の魔人を霧散させることも可能だろう。
エルナートの手から光球が放たれ、こちらめがけて襲ってくる。サリスはメルティアを抱えるようにして横へ飛び、災禍を逃れる。サリス自身はそれをくらったところで問題があるとも思えなかったが、メルティアに直撃したら一命に関わっただろう。次の瞬間、光球は後方のエウレネ像に直撃し、一瞬の燃焼の後、像はチリと化した。
神聖騎士団の総長が、自分たちが奉じる女神の像を破壊したのだが、エルナートにそれを気にするそぶりはない。いや、そのこと自体に気づいていないようだった。憎しみに濁った眼は、ひたすらサリスを追っていた。
「俺は元々貴様が怪しいと思っていた。魔法も一切使えぬ下賤の分際が、我ら勇者の一員に選定されるだけでもあり得ぬことだというのに、よりにもよって魔王討伐の命が貴様ごときにくだろうとは。十二勇者中、序列最下位の貴様に! どんな策略を弄したか知らぬが、貴様が魔王を滅ぼし英雄よ救世主よともてはやされる間も、俺の眼はだませなんだぞ。貴様はいつか人類に仇なすに違いない、狡猾で危険なネズミだと疑わぬ日は一日としてありはしなかった。そしてとうとう馬脚をあらわし、今こうして、惨めな叛逆者として死んでいく! すべて俺にはわかっていたのだ。悪魔めが、最期はこの俺が直々に、正義の剣で滅してくれるわ!」
「おやめなさい」
その時、サリスを背にして立ちはだかり、エルナートの長広舌を封じた影があった。言うまでもなく、メルティアだった。
「せ……聖女さ、ま?」
エルナートは今初めてメルティアの存在に気づいたかのように、呆けた表情になる。そして慌てて、彼女に手を差し伸べた。
「よ……よくぞご無事でいてくださいました。さあ、そんな叛逆者のもとを離れ、すぐにこちらへお越しください。サリスに人類への叛意があろうと、それに聖女様がいささかも関わっておらぬこと、このエルナートはよく存じております。私に任せてくだされば、一命に代えて聖女様のお命と尊厳はお守りいたします。さあ、どうぞこちらへ……」
「黙りなさい」
凛とした声が、堂内に響き渡る。エルナートは一瞬びくっと身体を震わせ、固まった。
「私はまごうことなきこの御方の妻です。そしてサリス様は悪魔などではなく、魔王を討ち人類を救った、まぎれもない英雄。無論、人類への叛意など微塵もありません。その方を口汚く罵り貶めるあなたこそ、心に魔を宿していると知りなさい。ましてその反感は私怨ありき、サリス様に大任を奪われた嫉視から発したものではありませんか。聖騎士として、己を恥じるべきです」
「せ、聖女様はその男にたぶらかされているのです! そもそも下賤の者に聖剣を与えたことからして、おそれながら気の迷いだったと…」
「気の迷い? サリス様以外に、”聖煌剣”を自在に扱えた勇者がどこにいたというのですか。あなたも一度試して、数秒も手につかなかったではありませんか。世迷言も大概になさい!」
メルティアは怒っていた。自分たちの境遇も忘れ、ただサリスが侮辱されたことに対して怒っていた。
白銀の騎士の顔色が、どす黒く染まった。
レーヴィ大公国の神聖騎士団は光の女神エウレネを信仰する宗教騎士団である。女神の代理人たる聖女も無論崇拝の対象で、特にエルナートは先ほどからの態度でも明らかなように、私的にもエウレネへ賛美の念を抱いていた。
しかしこのとき、彼の中で崇拝も憧憬も反転し、醜悪な変貌を遂げたらしかった。
「おのれぇサリス、かくまで聖女様を篭絡したか……」
怨嗟の具現化した声が口から瘴気のように漏れ出た。うん、完全に逆恨みである。
「もはや、最早あなたは聖女様ではない。そこの悪魔めに誘惑され、堕落したのだ。魂を闇に染め、娼婦にも劣るいやしきものになりさがったのだ。この売女め! せめてこれ以上、その哀れな様を衆目に晒さぬよう、わたしの手で葬ってくれる。あなたはサリスもろとも、ここで果てるしかないのだ。そしてせめて、その呪われた魂が冥府で解放され、再び光り輝かんことを……」
まるで逆ギレしたストーカーのごとく勝手なことをまくしたてながら、それまで憧れていた聖女に殺意を向けるエルナート。思考の極端さが怖い。こいつを”騎士の鏡”とか評したやつ、誰だよ……
エルナートの暗い瞋恚は、だが、サリスの激情をも誘発した。大切な聖女を”売女”と罵り殺意を向けてくる、そんな男を黙認できるほど、彼は寛容ではなかった。
「もう一度言ってみやがれ、人形野郎! 着飾った法皇の犬めがッ!!」
傭兵時代の粗雑な口調に戻りながら、サリスは満身に力をこめて立ち上がろうとした。すでに精魂尽きていたが、なお怒りで身体の奥底に沈殿したなけなしの余力までも絞り出そうとしたのだ。白銀の騎士を睨みつけながら、聖剣の柄を握った右手に意志の力を集中せんとし……
破局は唐突におとずれた。
頭上で鈍い音が断続的に響いたかと思うと、火にくるまれた梁が崩れ、彼とメルティアの頭上に振りかかってきた。つい先ほどエルナートの放った”輝玉”が神殿に衝撃を与え、ただでさえ脆くなっていた梁の崩落を誘発したらしかった。
「メルティア!」
とっさのこととて、満身創痍のサリスにはもはや避ける余裕はなかった。ましてや傍らのメルティアを見捨てられる彼ではない。動けず固まっていたメルティアを押し倒し、そのまま覆いかぶさるようにして、聖女の身を己の身を挺して保護した。それが、精一杯だった。
直後、背中に灼けるような衝撃がのしかかってきて、視界が暗転し……
俺の前世の記憶は、ここで途絶えている。
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