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少女期~淑女の嗜みと領地について~

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オルヴェノク伯爵家に滞在するようになって一週間が過ぎた。

オルヴェノク伯爵領は、ミーティアの住んでいたマッコール伯爵領から馬車に揺られて2日程かかる、ピラード山脈の麓に位置する。

王都からは概ね3日かかるこの地に暮らすのは、祖父のガランドと祖母のグレースだった。現オルヴェノク伯爵で、母の兄にあたるトーマスとその家族は王都の屋敷に暮らしている。
ミーティアが母とともに到着すると、祖母は目をウルウルさせて歓迎してくれたが、祖父は厳めしい表情を崩すことはなかった。

オルヴェノク伯爵と言えば王家の剣と呼ばれる武闘派の家系で、今も国の要職に就いているが、七賢者の家系より古くはない。書物の中では穏やかに仲良く暮らしているらしい、このフォリシア大陸の四つの国々だが、それなりに牽制はし合っているようだ。

母は二日滞在すると、祖母にミーティアを託して名残惜しげにマッコール伯爵領へと帰っていった。

母の金の髪は祖母譲りなんだとわかる。祖母はプラチナブロンドに近い髪色の、ふくよかで温かい笑顔が素敵な人だった。ミーティアが赤ん坊の頃はマッコールの屋敷にいてくれたらしいが、ほとんど記憶にはない。

「ミーティア、こちらはあなたの家庭教師をしてくださるカント伯爵夫人よ」

祖母と共に応接間でお行儀よく待っていると、濃い栗色に白髪交じりの髪をきつくひっつめた、神経質そうなご婦人がやってきた。
どうやら、祖母が直々に淑女教育を施してくれるわけではないらしい。

「カント伯爵夫人は王太后様に長くお仕えされていたのよ」
祖母は優雅に紅茶を一口飲むと、そう紹介してくれた。

「はじめまして、カント伯爵夫人」
ミーティアがスカートの端を摘まんで膝を折ると、カント伯爵夫人のこめかみがピクリと震えたのがわかった。

「お嬢様、はじめまして、コルテーシア・カントと申します、以後お見知りおきを」
カント伯爵夫人の見事なカーテシーを見て、思わずため息が漏れる。淑女の礼として完璧だった、ミーティアのそれが、あまりに稚拙だとわかるくらいに。


*****

カント伯爵夫人と応接間で交わした挨拶からたった二日で、ミーティアはすでに生気を失っていた。
扇でピシリと背中を叩かれるたび、地味に痛いが、表情に出すことは許されない。

「ミーティア様、まずはその姿勢を正すことから始めねばなりませんね」

初めて会った日の翌日から、早速カント夫人による、しご……ゴホっ……スパル……ゲフンゲフンっ……立派なレディになるための、愛あるご指導が始まった。

ずっと図書室に籠っていたせいか、自分で思っている以上に背中が丸まっていたらしく、頭に本を数冊乗せられて歩く練習を始めてすぐに、本がバラバラと床に落ちていった。

「も、もうしわけありません……」
消え入りそうな声で謝ると、カント夫人の手のひらに扇が打ち付けられ、パンといい音が鳴った。

「 わたくしに謝る必要などございませんよ、全てにおいて姿勢は最も大切です。それを身に付けていただかなくては先に進めません。ミーティア様もお辛いと思いますが、こちらを入れさせていただきますわね」

カント夫人の手に、長く細い板が握られていた。物差しのようなそれを見て、次に起こることがあっさりと想像出来てしまう。

細い紐で、ミーティアの胸の辺りとウエスト辺りを縛ると、背中に回って背骨に沿って板が差し込まれた。

「よろしいですか、こちらを湯浴みとお休みになる時以外、常に御身に付けてお過ごしください」

「げっ!」

「なんですの、その奇声は!」

「ひっ……な、なんでもありません、しつれいいたしました」

「結構、では今日はこの辺で」

「ありがとうございました、カント夫人」

ミーティアのカーテシーはまだまだだと言わんばかりの表情を浮かべて、カント夫人は扉を開けて出て行った。

その日から、物差しをしょって歩くミーティアを見かけるたび、オルヴェノク伯爵家で働く使用人たちは憐みの眼差しを向けていた。

一人で湯浴みも着替えも出来るミーティアだったが、物差しを背負うのは一人では出来ない。そのため、滞在中に付けられた侍女に手伝ってもらうのだが、さすがに可哀そうに思うらしく、紐を縛る力が緩い。

「エリー、もっとつよくしばってくれないとおちちゃうわ」

「ですが、お嬢様……」

「いいの、これもりっぱなレディになるためだもの」

「かしこまりました……」

エリーは涙ぐみながらも、紐をきつく縛って背中に物差しを沿わせた。


*****



皆は知らない。


立派なレディになる=ファランダール王立学園で、ヒロインのキャッキャウフフ鑑賞ということを。









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