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アメリアと裏路地の魔法使い
6.
しおりを挟む父の大声に(もう飲んでいるのかしら)と眉を顰めそうになって慌てて笑顔を張り付ける。恰幅のよい腹を揺らすその隣には大きな花束を抱えたブルーノ様、さらにその後ろに母と話している幼な馴染みのヘンデルの姿が見えた。
「アメリア、誕生日おめでとう。花束と、それからこれが俺からのプレゼントだよ」
まず花束を受け取り、それをさっと現れた侍女に手渡しメインテーブルに飾るよう頼むとブルーノ様から真っ赤な箱を受け取る。
手のひらに収まる小さい箱に掛けられたピンク色のリボンをほどき蓋を開けると可愛らしいブローチが出てきた。
デザインは可愛いけれど、中央のブルーダイヤの周りをブルーノ様の瞳の色と同じサファイアがまるで花びらのように取り囲み一目で高価な物だと分かる品。
この前貰った髪飾りの宝石店とは違う老舗の店のもので、婚約者へのプレゼントに相応しい立派なブローチだった。
「ありがとうございます。さっそくつけてみても良いでしょうか?」
「もちろん。きっと似合うと思うよ」
少し顔色が悪く疲れているように見えるブルーノ様が気になりながらも、私はブローチをつける。
お父様もお母様もその立派なプレゼントに目を細め、良かったわね、と口にしてくれた。
そうしているうちに他のお客様も次々とこられ、庭は一気に賑やかに。
主催の私をサポートしてくれるのは婚約者のブルーノ様。
招いたのも私の友人ばかりだから、両親は簡単に挨拶を済ますと屋敷へと戻っていった。
気さくなパーティーことお茶会は、私の挨拶が終わると自由に食事を楽しんでもらうことに。
庭に咲いているデルフィニウムやアガパンサスを眺めながら、思い思いに食事をお皿に取っていく。これが最近流行りお茶会のスタイルだと教えてくれたのはブルーノ様。以前ならお詳しいな、と感心していたのだけれど、今は、その話は誰から聞いたの? と勘ぐってしまう。
ホスト役の私を、華やかな微笑みを浮かべながら完璧にサポートしてくれるその姿を以前のように頼もしいと思えない私がいる。
次から次へと耳に入ってくるブルーノ様の噂は、私が予想していたものより数も内容も酷いものだった。気づかないふりでやり過ごすにはもう限界で。
でも、貴族同士の結婚に誠実を求めるのは無理ということも、この結婚がウィンザー男爵家にとって大事だということも理解している。
しているけれど、……私だけを愛してくれる人がいるのではと思わずにはいられない。
そんな時だった。
人がざわりと騒ぎ始める気配に辺りを見回せば、見知らぬ令嬢が私に向かって真っすぐ歩いてくる。顔に貼り付けたような笑顔を浮かべ、そのくせ目は血走っているという明らかに異常な様相。
早足なのにどこか虚な歩き方でピンクブロンドの髪を揺らしながら近づいてくると、私の一メートルほど前で立ちどまった。
「あの、あなたは? 私、招待状をお出ししましたでしょうか?」
「ブルーノ様に呼ばれてきました」
笑顔を向けられ背筋が凍ったのはこれが初めて。ブルーノ様を見ると、蒼白の顔で口の端を引き攣らせている。
「……キャロル、どうしてここに……」
「ブルーノ様、お知り合いですか」
まさか私の誕生日に恋人を連れてくるようなことはしないと思うのだけれど。
「あ、あぁ、少し話したことがあるぐらいだが……」
「もう、ブルーノ様ったらそんなご冗談を。愛もなければ面白みもない婚約者から解放されたいと常々仰っていたではありませんか」
何が楽しいのか明るい声でフフッと笑うその令嬢からは、常軌を逸した何かが漂う。
「な、何を言うんだ。俺はそんなこと言っていない。アメリア、信じてくれ」
「ブルーノ様、もう無理はなさらなくても良いのですよ。私が貴方を救い出してあげますから」
「キャロル、お前こそ何を言っているんだ。そんなこと俺は望んでいない!」
これは、ブルーノ様がキャロルに私の悪口を言い、別れたいと愚痴ったことを間に受けた、ということかしら。
「ねぇ、アメリア様。いい加減ブルーノ様を諦めてください。ブルーノ様が愛しているのは私なのですから」
「お前、まだそんなことを言っているのか! おいそこの使用人この女を摘み出せ!!」
私達を取り囲んでいた使用人にブルーノ様が指示を出すもこの屋敷の主はお父様。この場に両親がいない今、使用人達はどうすべきかと目線で私に問いかけてくる。それに対して、私は待ってというように手のひらをかざした。
「……どうしてブルーノ様に愛されていると思うのですか?」
「決まっているではありませんか! 毎日欠かさず手紙が届き、数日おきにデートを重ね愛を囁かれているのは私なのですから」
ツンと顎をあげこちらを見据える姿は嘘を言っているようには見えない。それなのに、
「嘘だ。俺は手紙など一切書いていない。デートだって……確かに一度街で偶然出会い成り行きで食事をしたことは認める。しかし、それ一度きりだ。それなのにこの女はまるで自分が恋人のように振る舞いだし付き纏い、この前など屋敷の前で俺が帰ってくるまで何時間も待っていたんだ。勝手に! 約束もしていないのに!!」
「そんな酷いわ。ほら証拠だってありますのに。アメリア様に私達の仲を信じて頂くために、頂いた手紙を全て持ってきましたのよ」
そう言うと持っていた大きな鞄から次々と手紙を取り出し、近くのテーブルに置いていく。その手紙を一枚手に取ると、キャロルへという文字の後に甘い愛の言葉がこれでもかと綴られていた。筆跡もブルーノ様と似ている。
「嘘だ! 手紙なんていくらでもでっち上げできる! そんなもの証拠にはならない」
「手紙だけではありませんわ。デートも何回もしましたし、その度に流行りのカフェでケーキを沢山お召し上がりになられたではありませんか」
「まて! それこそが嘘だ。俺が甘い物が苦手なのは知っているだろ?」
「……そんなこと、どうでもいい」
ぼそりと呟いた言葉にブルーノ様の身体が固まるのが分かった。
私にはその狼狽する顔が真実を物語っているようにしか思えない。
もう限界。
ブルーノ様と結婚するということはこれからもこんなことが何度もあるということ。そう思うと耐えられなくて、いつの間にか爪が食い込むほど強く拳を握りしめていた。
そんな私に構うことなく、二人は醜い言い争いを続ける。
「いい加減にしろ! 俺はお前など愛していない!! これ以上俺に付き纏うならお前の家に苦情を申立てる」
ブルーノ様の怒声が庭中に響き渡る。
その声に屋敷にいたお父様とお母様までが出てきて、使用人から事情を聞き始めた。
「……酷い。あんなに愛していると言ったくせに。私なしじゃ生きていけないと。そうか、そうですね。あなたは何か弱みを握られて婚約者破棄できないのですね。酷い女、脅してブルーノ様を縛り付けるなんて。安心してください、ブルーノ様。私があなたを自由にして差し上げますから」
キャロルは突然、鞄からナイフを取り出すと血走り瞳孔の開いた目でそれを私に向けて構えた。
刃物は初夏の日差しを冷たく反射させギラリと光る。
思わず後ずされば背中にブルーノ様の手のひらが当たった。
「ブルーノ様?」
私の背に隠れるように、いやその手で私を前に押し盾にするブルーノ様に、心がさっと冷たくなる。
今までどんなに浮気をされても、我慢できたのは私のことを愛してくれていると思っていたから。両親の言いつけを守る最後の砦がガタガタと音を立て崩れ、心のなかにぽっかりと空洞ができる。
そしてその空洞に浮かんできたのは私がずっと心の奥底に押しやっていた、見ないようにしていた真実。
――この人は私を愛してなんかいない。
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