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誕生日祭.7
しおりを挟む意識の片隅で自分の身体が宙に浮くのを感じた。地面に足がつかない感覚とどこに連れて行かれるのか分からないことに恐怖が走る。
これはまずいと必死で手足を動かそうとしても、泥の中でもがいているようで上手くいかない。
「た…す」
助けて、離して。
そう叫びたいのに、出てくるのはモゴモゴとしたうめき声。
――そして次第に波の音が遠のき、やがて完全に意識が途絶えてしまった。
ちゃぷちゃぷと波の音がやけに近くに聞こえる。
身体がふわりふわりと揺れる妙な感覚に重たい瞼をこじ開けると、満面の星空が目に入った。
ここはどこ?
状況が分からないまま身体を起こそうとすれば、地面が激しくぐらりと揺れる。
「きゃっ」
転ばないように手をつくと、冷たい木の感触がした。
もう一度、今度は慎重に身体を起こす。
そこで私はやっと自分がどこにいるのか分かった。
「海?」
最後に見た海は橙色と黄色を混ぜたような輝く色をしていたのに、今は漆黒の中に波の音がするだけ。
いったい何が起きたのか分からないけれど、この状況がまずいのは理解できた。
ルージェックは夜に大引潮になると言っていたから、何もしないでいたら私は大海原に流されてしまう。そんなことになったら二度と戻れないし、命だってどうなることか。
「オールはどこ?」
さめざめとした月明かりのおかげで船底は見えた。でも、どこにもオールらしきものはない。唯一あったのは端に転がっていた古びたカンテラと燐寸。
せめて灯をつけようと燐寸を擦ったけれど、湿気っているせいか、それとも私の手が震えているからか上手くいかない。
三本目にしてやっとついた儚い火が潮風で消されないよう手で覆い、カンテラの中にある蝋燭に火を移し、ひびの入ったガラスを慎重に閉じる。
燐寸は無くさないようにポケットに入れておいた。
カンテラを目の高さにして岸を見れば、露店の灯が点々と豆粒のようにある。
「すでに随分流されているわ」
満ち潮に変わったとしても戻れる確証はない。
何とかしなくてはと考えるけれど、かがされた薬の匂いが鼻の奥にまだ残っていて、靄がかかったように頭がぼんやりとする。
「誰か! 助けて!!」
膝立ちになって声をあげるも、岸まで聞こえるとは思えない。
それでも、もしかして誰か気づいてくれるかもと叫んでいるうちに声が掠れてきてしまった。
もうだめかも。
やだ、こんなところで死にたくない。
やりたいことや行きたいところもいっぱいあるし、仕事だってもっとできるようになりたい。
それから。
「ルージェック」
彼が友人として私を助けてくれているのは分かっている。
でも、さっき気が付いた私の思いは本物だ。
この気持ちを、もっと胸で温めたい。ドキドキやギュッと胸が締め付けられるような初めての感覚、それを大事にしたい。
「……リー……ン」
風が波音以外を運んできた。
どこから?
カンテラをもっと高く上げ「助けて!」と叫べば、それに答えるように波の上で灯が左右に振れる。
それが一度下がり、やがて月明かりの下オールを漕ぐ姿が現れた。オールを漕ぐためにカンテラは一度船底に置いたようだ。
私は自分の位置が分かるようにと、カンテラを掲げたまま声を振り絞る。
「こっちです!」
「大丈夫か? リリーアン」
「ルージェック?」
聞き慣れた低音に全身の力が抜けるように感じた。ちょっと涙ぐみそうになったけれど、今は泣いている場合ではないと唇を引き締める。
やがてお互いの顔が見えるところまでくると、ルージェックは一度オールを手放し、立ち上がった。
「どこも怪我をしていないか?」
「ええ。でも自分がどうしてここにいるか分からないの。突然鼻と口を押さえられて……」
「それなら犯人は分かっている。手元にオールはあるか?」
ぶんぶんと首を振って答えれば、ルージェックは再び座り小船をこちらに近づけようとする。でもこの辺りは潮の流れが複雑らしく上手く横付けできない。
犯人が分かっているという言葉が気になるけれど、とにかく今はこの状況をなんとかしないと。
「これ以上は近づけないようだ。俺がそっちに行く。先にオールを投げるから受け取ってくれ」
「分かった」
ルージェックの乗る小船の方に両腕を伸ばせば「いくよ」の言葉と一緒にオールが投げられた。それを両手で抱えるように受け止め船底に置く。もう一つも同じようにした。
ルージェックは脱いだコートを丸めて私に投げると、シャツ一枚になる。
どうするのかと見ていると、なんの戸惑いもなく真っ黒な冬の海に飛びこんだ。
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