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誕生日祭.6
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「俺は何も知らない。ここに来たのも謹慎生活に息苦しさを感じ、気分転換をしたくなったからだ。騎士仲間に見つかるとまずいのでもう帰る。そこをどいてくれ」
押しのけると、それ以上何も言えないのか抵抗はしなかった。
証拠はない。
ただ、悔しそうに唇を噛んでいるルージェックを見て、上手くいった、そう思った。
「お母さん、お船が沖へと進んでいるよ」
幼い子供の声が耳に飛び込んできた。
榛色のくせ毛のその子供は、母親に抱かれながら海を指差す。
キャッキャッと楽しそうな声が遠ざかるのを耳にしながら、子供の言った言葉に冷たい汗が流れた。
焦って海を見れば、子供が言ったように一艘の小船が沖に向かって進んでいた。
「おい、あの船、まずくないか」
「誰も乗ってはいないようだな。桟橋に括りつけていた縄がほどけたんだろうか」
同じように子供の言葉を耳にした大人が、心配そうに海を見る。
驚きで息ができない。
耳の奥で警鐘のように鼓動が鳴り響く。
「引潮で沖に出たら戻ってこれないぞ」
「人が乗っていないのは幸いだが、管理ができていないな」
隣から聞こえた老人達の会話にぞっと汗が噴き出した。
戻ってこれない? そんな馬鹿な。
引潮のあとは満ち潮。それに乗ればまた再び湾に……。いや、湾の入り口は海流が複雑だと学生時代に聞いた。それじゃ。
「……リリーはどうなるんだ」
「おいっ、今なんて言った」
胸ぐらを摑まれ持ち上げられる。首がぎゅっと締まり、つま先立ちになった。
「今、リリーって言ったな。どういうことだ!」
「あ、あの小船に……リリーが乗っている」
「はぁ!? あの小船に? ちゃんと説明しろ!!」
首を絞める手にますます力が入る。
殺される、そんな思いと、自分がしでかしたことの大きさへの恐怖から俺は口を動かした。
「リリーを眠らせっ……あの小船に隠した。翌朝目覚めたときには、すでにパレードが始まっていて……」
大イベントに遅刻し、仕事を辞めさせられたら、リリーは再び俺のもとに戻ってくると考えたこと。
それから、強力な睡眠薬を怪しい店で手に入れたことや、リリー達が街に出かけると教えてくれた人がいたことを、俺はルージェックに途切れ途切れに話した。
でも、あの人の名前だけは言わなかった。あの人との雑談からこの計画を考えたのは確かだが、あの人は世間話をしただけ。今回のこととは無関係だ。
すべてを話し終えた途端、俺は地面に投げ飛ばされた。
「うぐっ」
受け身をとることもできず、背中を地面に打ち付けられた俺はすぐに言葉が出てこない。
空気を吸い込むのだってうまくできないほどだ。
ルージェックはもう一度、俺の襟をつかむと強引に引き立たせた。
「行くぞ!」
「どこにだ?」
「リリーアンを助けるに決まっているだろう」
それだけ言うとルージェックは走り出した。
対して、圧倒された俺はすぐに足が動かない。
でも、こうしているうちにも小船はどんどん沖へと流されていく。
全身から血の気が引き、俺は慌ててルージェックを追いかけた。
辿り着いた桟橋には小船が一艘。
それと、すっぱりと切られた縄が残っていた。
「おい、これ、いったいどういうことなんだ!!」
膝を古びた木板につけ、震える手で縄を握りしめた。鋭い刃で一刀両断されたその切り口から目が離せないでいると、肩を摑まれる。
「お前がやったのか!!」
鬼気迫る勢いに、青い顔でぶんぶんと頭を振った。していない、俺はただ。
「リリーを小船に乗せ上から黒い布をかけただけなのに、どうしてこんなことになっているんだ。リリーは! ……そうだ、騎士を呼んで助けてもらえばいい。おい、俺は謹慎中の身だからお前、詰め所に行って……」
「……こんなときにも保身か。ほとほと残念な男だな。この期に及んで、謹慎中に外をうろついていたことがバレるのが怖いのか。それに、騎士を呼んでくる時間はない」
ルージェックは「行くぞ」と言って、もう一艘だけある小船に飛び乗ると、早くしろと言わんばかりに俺を見た。
「な、何を考えているんだ」
「リリーアンを助けに行くに決まっているだろう」
「馬鹿か、お前。引潮で沖へ出たら戻ってこれないんだぞ。死ににいくつもりか」
「……ならお前はここに残れ。だが、二度とリリーアンの前に現れるな。お前に彼女の隣に立つ資格はない」
するすると縄を解くその手元を、俺は何も言えずに見た。
自分が死ぬかもしれないのに、どうしてこいつは迷わないんだ。
どうして。
――どうして俺は、小船に乗ろうとしないんだ。
頭を後ろからガツンと殴られたような衝撃が全身に走った。
俺は、リリーのために命を掛けられない。
いや、それだけじゃない。
彼女のために何かをしてやったことがあっただろうか。
守ってやると言いながら、俺から離れることはできないだろうと蔑ろにした。
何をしても許されると、傲慢になった。
「私はあなたの癒しの道具じゃないの」
決闘のあと言われた言葉が胸に突き刺さる。
そうだ、リリーは道具じゃない。それなのに俺は不機嫌をまき散らし、彼女の尊厳を踏みにじった。彼女にだって感情はあるのだ。
蹲った俺に何も言わず、ルージェックは小船を漕ぎ始めた。
やっと、俺は、自分の何がいけなかったかに気付いた。
押しのけると、それ以上何も言えないのか抵抗はしなかった。
証拠はない。
ただ、悔しそうに唇を噛んでいるルージェックを見て、上手くいった、そう思った。
「お母さん、お船が沖へと進んでいるよ」
幼い子供の声が耳に飛び込んできた。
榛色のくせ毛のその子供は、母親に抱かれながら海を指差す。
キャッキャッと楽しそうな声が遠ざかるのを耳にしながら、子供の言った言葉に冷たい汗が流れた。
焦って海を見れば、子供が言ったように一艘の小船が沖に向かって進んでいた。
「おい、あの船、まずくないか」
「誰も乗ってはいないようだな。桟橋に括りつけていた縄がほどけたんだろうか」
同じように子供の言葉を耳にした大人が、心配そうに海を見る。
驚きで息ができない。
耳の奥で警鐘のように鼓動が鳴り響く。
「引潮で沖に出たら戻ってこれないぞ」
「人が乗っていないのは幸いだが、管理ができていないな」
隣から聞こえた老人達の会話にぞっと汗が噴き出した。
戻ってこれない? そんな馬鹿な。
引潮のあとは満ち潮。それに乗ればまた再び湾に……。いや、湾の入り口は海流が複雑だと学生時代に聞いた。それじゃ。
「……リリーはどうなるんだ」
「おいっ、今なんて言った」
胸ぐらを摑まれ持ち上げられる。首がぎゅっと締まり、つま先立ちになった。
「今、リリーって言ったな。どういうことだ!」
「あ、あの小船に……リリーが乗っている」
「はぁ!? あの小船に? ちゃんと説明しろ!!」
首を絞める手にますます力が入る。
殺される、そんな思いと、自分がしでかしたことの大きさへの恐怖から俺は口を動かした。
「リリーを眠らせっ……あの小船に隠した。翌朝目覚めたときには、すでにパレードが始まっていて……」
大イベントに遅刻し、仕事を辞めさせられたら、リリーは再び俺のもとに戻ってくると考えたこと。
それから、強力な睡眠薬を怪しい店で手に入れたことや、リリー達が街に出かけると教えてくれた人がいたことを、俺はルージェックに途切れ途切れに話した。
でも、あの人の名前だけは言わなかった。あの人との雑談からこの計画を考えたのは確かだが、あの人は世間話をしただけ。今回のこととは無関係だ。
すべてを話し終えた途端、俺は地面に投げ飛ばされた。
「うぐっ」
受け身をとることもできず、背中を地面に打ち付けられた俺はすぐに言葉が出てこない。
空気を吸い込むのだってうまくできないほどだ。
ルージェックはもう一度、俺の襟をつかむと強引に引き立たせた。
「行くぞ!」
「どこにだ?」
「リリーアンを助けるに決まっているだろう」
それだけ言うとルージェックは走り出した。
対して、圧倒された俺はすぐに足が動かない。
でも、こうしているうちにも小船はどんどん沖へと流されていく。
全身から血の気が引き、俺は慌ててルージェックを追いかけた。
辿り着いた桟橋には小船が一艘。
それと、すっぱりと切られた縄が残っていた。
「おい、これ、いったいどういうことなんだ!!」
膝を古びた木板につけ、震える手で縄を握りしめた。鋭い刃で一刀両断されたその切り口から目が離せないでいると、肩を摑まれる。
「お前がやったのか!!」
鬼気迫る勢いに、青い顔でぶんぶんと頭を振った。していない、俺はただ。
「リリーを小船に乗せ上から黒い布をかけただけなのに、どうしてこんなことになっているんだ。リリーは! ……そうだ、騎士を呼んで助けてもらえばいい。おい、俺は謹慎中の身だからお前、詰め所に行って……」
「……こんなときにも保身か。ほとほと残念な男だな。この期に及んで、謹慎中に外をうろついていたことがバレるのが怖いのか。それに、騎士を呼んでくる時間はない」
ルージェックは「行くぞ」と言って、もう一艘だけある小船に飛び乗ると、早くしろと言わんばかりに俺を見た。
「な、何を考えているんだ」
「リリーアンを助けに行くに決まっているだろう」
「馬鹿か、お前。引潮で沖へ出たら戻ってこれないんだぞ。死ににいくつもりか」
「……ならお前はここに残れ。だが、二度とリリーアンの前に現れるな。お前に彼女の隣に立つ資格はない」
するすると縄を解くその手元を、俺は何も言えずに見た。
自分が死ぬかもしれないのに、どうしてこいつは迷わないんだ。
どうして。
――どうして俺は、小船に乗ろうとしないんだ。
頭を後ろからガツンと殴られたような衝撃が全身に走った。
俺は、リリーのために命を掛けられない。
いや、それだけじゃない。
彼女のために何かをしてやったことがあっただろうか。
守ってやると言いながら、俺から離れることはできないだろうと蔑ろにした。
何をしても許されると、傲慢になった。
「私はあなたの癒しの道具じゃないの」
決闘のあと言われた言葉が胸に突き刺さる。
そうだ、リリーは道具じゃない。それなのに俺は不機嫌をまき散らし、彼女の尊厳を踏みにじった。彼女にだって感情はあるのだ。
蹲った俺に何も言わず、ルージェックは小船を漕ぎ始めた。
やっと、俺は、自分の何がいけなかったかに気付いた。
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