私はあなたの癒しの道具ではありません

琴乃葉

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息の詰まる暮らし.8

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「一人で何もできず、頼りないリリーを俺がずっと守ってきてやったと分かっているのか? 不器用で要領が悪いところがあっても大目にみてきてやった俺にリリーは感謝すべきだ。それなのに勝手に家を出て行き、他の男と出歩くなんて何を考えている!! これだけの我儘を受け入れてやったんだからいい加減、気が済んだだろう。もう帰るぞ!」
「……帰るって?」
 
 半歩下がり身を竦めながら聞いた私に、カージャスは舌打ちをして眉根を寄せた。

「俺とリリーの家にだよ。リリーはこれから先もずっと俺の隣で、俺だけのために生きればいい。そうすれば俺が守ってやるから……」
「……守ってやるからずっと俺の顔色を見て生きろっていうの?」

 私の低い声に、カージャスの動きが止まる。私だって自分の喉からこんな声が出るとは思っていなかった。

「カージャス、あなたがずっと私を守ってくれたことには感謝しているわ」
「だったら」
「でも、私はもう小さな子供ではないの。自分の考えや気持ちを持っている。ひとりで暮らして分かったの、誰かの顔色を窺わずに暮らすのがこんなに心安らぐことなんだって」

 心配そうに私を見るルージェックに首を振り、私は一歩前に踏み出した。キッと前を見据える私にルージェックは少し驚いたように目を大きくした。

「あなたの言う通り、街中でこんな騒動を起こしたのは私のせいだわ」
「そ、そうだ。全部リリーが……」
「結婚を延期なんて中途半端なことをしたのが間違いだった。両親になんと言われても、ちゃんと婚約解消すべきだったわ」

 お父様に説得され婚約解消に踏み出せなかったのは、どこか私の中に迷いがあったからだと思う。
 でも、離れて過ごすうちに、元のように一緒には暮らせないと思った。
 ただ、相手に非がある場合の婚約破棄が一方的にできるのに対し、婚約解消はそうはいかない。
 未成年なら親同士の話し合いと署名で婚約解消ができるけれど、成人している場合は、本人達の同意と署名が必要。

 つまり、私がカージャスを説得しない限り、婚約解消はできない。
 あともう一つ方法がなくはないけれど……その手段は私には無理だわ。

「俺は婚約解消はしない」

 血走った目でカージャスが宣言する。
 そう言うと思った。それは決して愛情からではない。私がいないと不便だからだ。
 今のままでは、料理や洗濯、掃除も自分でしなくてはいけない。八つ当たりをする相手もいなければ、ご機嫌を取ってくれる人もいない。

 どう言えば私の気持ちがカージャスに伝わるのだろうと、暗い気持ちで足元に視線を落としため息を吐いたその時。
 ――私の視線の先に跪く脚が見えた。

 えっ、と少し視線を上げればルージェックの濃紺の瞳が私を見上げている。

「リリーアン、カージャスと結婚を解消する方法ならある。俺に任せてくれないか?」

 差し出された右手。これはこの国の男性が求婚の時にする姿勢。
 はっと息を呑む私の周りで、いつの間にか集まっていた群衆がざわざわと騒ぎ始めた。

「る、ルージェック。これは……」
「形だけでいい。手を取ってくれ」
「で、でも……」

 婚約解消するもう一つの方法。
 それは、『婚約者の前で意中の相手に求婚し、決闘をして勝つこと』。
 戦いの多かった時代の名残として、平和になった今も法律として残っている。
 だけれど、カージャスは騎士でルージェックは文官。明らかに不利だ。

 どうすべきかとパニックになる私と、それとは反対に堂々と返事を待つルージェック。
 そんな私達に向かって白い手袋が飛んできた。

「おい、俺の目の前で求婚とは大した度胸だな。騎士でないとはいえ、その手袋の意味は分かるだろう」
「ああ。もちろん」

 静かな笑みを浮かべながらルージェックは立ち上がった。
 白い手袋を投げつける――これは決闘を意味する。

「おう、決闘なんて、やるな兄ちゃん達」
「俺が子供の頃に見て以来だ」
「ちょうどいい、昔、西の戦いで武勲を立てた儂が審判をしてやろう」

 ヒューヒューとはやし立てる声にヤジが交じる。
 婚約を掛けた決闘に、急に勢いを増した周囲の人々は、もはや観客と言っていいかもしれない。
 武勲を上げたと言ったおじいさんが、杖を突きながらカージャスとルージェックの間に入ってきた。意気揚々とした姿は、さっきまで背中を丸めていたとは思えないほど。

 さらには観客達に指示を出し、子供達が道路に落書きをしていた石で線を引き試合場を作り始めた。
 もう一体何が起きているのか、頭がついていけない。

「ルージェック。こんなことにあなたを巻き込めないわ。カージャスは騎士よ。見習い騎士として厳しい訓練にも耐え一人前の騎士と認められた。力だって技術だってある。それに対してあなたは……」

 優しいルージェックのこと。私のために婚約を申し込むふりをして、カージャスを煽って手袋を投げさせたんだと思う。
 だって、立ち上がるとき、一瞬だったけれど微笑んだあの顔は、「我が意を得たり」って感じだったもの。

「大丈夫だよ、リリーアン。だから、俺が勝ったら今度こそ『正式』に申し込ませてくれ」
「……正式に?」

 何を申し込もうというの?
 意味が分からず眉根を寄せる私の背後から、大きな声が響き渡った。

「この決闘、俺が審判を引き受ける!!」

 今度は誰、と振り返ると人混みを掻き分け大柄な男性が現れた。
 どうしてここに彼がいるの。余計に事態が悪化するのではと目の前がくらっとした。

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