1 / 43
息の詰まる暮らし.1
しおりを挟む「はぁ、疲れた。リリー俺を労ってくれ」
私の婚約者であり騎士見習いであるカージャスが、不機嫌な顔を前面に出しながら玄関扉を開け帰ってきた。
泥のついた服のままソファにどかんと座ると、盛大なため息を吐く。
私は彼のためにお茶を淹れテーブルに置くと、急いで夕食の仕上げに取り掛かった。
カージャス・ハリストウッドと私リリーアン・タイリスは男爵家の出身。貴族といえば貴族だけれど、どちらも領地なしの家柄なので生活はそれほど豊かではない。
私の両親は王都から馬車で数日のところにある伯爵領で、執事と侍女長として働いていて、カージャスのお父様は同じ伯爵家の護衛騎士隊長だ。
そんなわけで、同じ年の私達は幼い時から一緒に遊ぶことが多く、王都にある貴族学園に入学すると当然のように婚約をした。
もちろん私の意思も聞かれたけれど、引っ込み思案の私がカージャス以外の男性と親しくするなんて考えられなくて、二つ返事で「はい」と答えた。
学生時代はお互い寮暮らし。卒業すると私はお城の侍女見習い、カージャスは騎士見習いとなった。
見習い期間は二人とも一年。一年経ったら結婚しようと約束し、今は王都に部屋を借りて二人で暮らしている。もちろん、寝室は別。
一緒に暮らすにあたり、お父様がそれだけは守るようにとカージャスに約束させていた。
私はできあがった料理をテーブルに並べ、カージャスは当たり前のようにそれを食べる。
二人で暮らすと決めたときは、家事を分担するという約束だったのに、それが守られたのは一ヶ月もなかった。
肉体的にきつい騎士訓練をこなすカージャスは日々ぐったりとした身体で帰ってきて、ソファに座って動かない。私だってずっと立ちっぱなしで働いて疲れていたのだけれど、仕方ないのでカージャスが担当する家事もこなすうちにそれが当たり前になってしまった。
食べ終わった食器を流し台へと運び、水瓶の水を柄杓で掬い洗い桶に溜める。
この水だって、裏の井戸から私が汲んできたものだ。一緒に暮らすときは、力仕事は俺が全部すると言っていたのに。
「カージャス、食べ終えたお皿を持ってきて」
「はぁ? 俺は訓練で疲れているんだぞ! 労えといつも言っているだろう! 気分が悪い! もう寝る」
さっきまで不機嫌駄々洩れだったその表情をさらに険しくし、机をバンッと叩くと席を立って自室へ行ってしまう。
そのついでにとばかりに近くにあった本棚を蹴るものだから、本がバラバラと数冊落ちた。もちろん、カージャスは拾うことなく、私への当てつけのように扉を激しく閉めた。
「はぁ。また、怒らせちゃった」
私はそれらを拾いながら、いつものように深いため息を吐く。
「俺は疲れているんだ」「騎士訓練は厳しい」「お前は所詮侍女見習いだろう」そう言って「俺を労え」と言うようになったのはいつからだろう。
大変なのは理解できるから家のことは全部引き受けているのに、それだけではカージャスは不満のようで。いつごろか疲れも不機嫌も隠すことなく、それを私にぶつけるようになった。
この国では珍しい黒髪をぐしゃぐしゃと搔きながら立ち去る後姿を思い出し、暗い気持ちが私の中に溜まっていく。
綺麗なグリーンアイの瞳に整った顔のカージャスは、一見、人当たり良く見えるけれど実は気難しい。
気に入らないことがあれば口を利かない、私を無視する。それに耐えられなくなった私が謝り機嫌を直してもらう……そんなことを繰り返しているうちに、私はいつしかカージャスの顔色を窺いながら過ごすのが当たり前になっていた。
「労え、と言うのは彼が不機嫌にならないようご機嫌伺いをして、かしずくことなの?」
洗い桶に私の愚痴がポタリと落ちた。
それをかき消すかのように食器を洗い始めたのだけれど、胸の中に湧いた疑問はどんどん大きくなるばかり。
いつもは、私の気の利かなさがカージャスを不機嫌にさせているんだと反省し、できるだけカージャスを「労い」ながら過ごしてきたのだけれど。
「本当にこれでいいのかな……?」
胸に落とされた波紋は、その日以降私の中で大きくなり続けた。
そして、あと二ヶ月で見習い期間が終わるという夏。
夕食の食器を片付け終わった私は、おずおずとその名前を呼んだ。
「……あの。カージャス」
「なんだ」
遠慮がちに声をかける私に返ってきたのは、相変わらず不機嫌な声。俯き目は眠たそうに半分閉じている。
でも、ここで怯んではいけないと、私はぎゅっと手を握りしめた。
「私、侍女見習いをしているでしょう。それで本採用に向けて配属先を決めるテストがあるのだけれど、教育係の侍女がね……私に宰相様付きの侍女試験を受けてみないかって言ってくれたの」
侍女試験は配属先によってその難易度が違う。
王族や上官専属の侍女になるための試験はその中で最も難関とされているだけでなく、そもそも教育係の推薦状がなければ受験することさえできない。
つまり、私は認められたのだ。
「凄いじゃないか! それで、どうするんだ?」
頭を上げたカージャスの顔が明るいことに、私はほっと肩の力を抜いた。
久しぶりに見た笑顔に私の口調も勢いが増す。
「そうなの! だから頑張ってみようと思うのだけれど……。そうなると勉強する時間が増えるから家事が今まで通りできないかも知れないの」
「……でも、一ヶ月ぐらいの話だろう?」
「ええ」
「それなら問題ない。一ヶ月ぐらい部屋を掃除しなくても死にはしないし、食事は出来あいの物を買えばいいだろう。少し高くつくけれど、一ヶ月なんだから気にすることはない」
そう言って、カージャスは「俺は理解がある男だから気にするな」と笑った。
二ヶ月後に本採用となるのは騎士見習いも同じ。
ただ、騎士に試験はなく日頃の訓練の様子や技能を鑑みて配属先が決まるらしい。
実践や剣の腕が何よりも大事な騎士らしい制度だ、と以前カージャスが胸を張りながら言っていた。
カージャスから許可をもらった私は、それからの一ヶ月、勉強に打ち込んだ。
寝る間も惜しんでひたすら机に向かい続けた結果、部屋の中は荒れ放題、埃が床に溜まってしまったけれど、約束どおりカージャスは何も言わなかった。
料理だって、出来あい物が多くなったけれど、文句をいいながらも残さず食べた。
相変わらず疲れて帰ってきたらソファに直行しているようで、日増しに増えるソファの泥染みは気になったけれど、今はそれどころではないと頭を振り私は試験勉強に励んだ。
そうして試験を終え日。私はくたくたに、でも充足感に満ちながら帰宅した。
「ただいま」
「お帰り、試験はどうだった?」
「自分で言うのもなんだけれど、できたわ。多分受かると思う」
家に帰ってほっとしたせいか、急に襲ってきた睡魔に欠伸を漏らしながら答えると、カージャスは「それは凄い、頑張っていたものな!」と喜んでくれた。
その顔に胸があったかくなる。
私の努力を傍で見ていてくれたカージャスは、私をやっぱり大事に思って……。
「じゃ、部屋を片付けてくれ。それから食事にしよう。久しぶりにリリーの手料理が食べたい」
「えっ!?」
素っ頓狂な声を出した私にカージャスは気づくことなく、「あれが食べたい」「あれが美味しい」と私の得意料理を口にしだした。
どれも特別な日に用意するもので、とても手間がかかる料理だ。
「……私のことは労ってくれないの?」
つい、そんな言葉を口をついて出た。と、途端にカージャスの表情が変わる。
笑顔がスッと消え眦が上がると、バンと机を叩き立ち上がった。
「お前、何調子に乗ってるんだ。この一か月、お前の好きなようにさせてやっていただろう。俺がどれだけ我慢して暮らしてきたと思っているんだ。さっき、すごく頑張ったと褒めてやったのにそんなこと言うなんて信じられない。お前はいつもそうだ、自分が、自分がと自分ばっかりが大変だとでも思っているのか? 俺は部屋が汚れても出来あいの食事が並んでも文句は言わなかったのに!! もういい、気分が悪い。外で食べてくる!」
そう言って、カージャスは机を蹴とばし家を出ていった。
バン! とドアが閉まる大きな音だけが、いつまでも私の耳に残った。
47
お気に入りに追加
231
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
傷物の大聖女は盲目の皇子に見染められ祖国を捨てる~失ったことで滅びに瀕する祖国。今更求められても遅すぎです~
たらふくごん
恋愛
聖女の力に目覚めたフィアリーナ。
彼女には人に言えない過去があった。
淑女としてのデビューを祝うデビュタントの日、そこはまさに断罪の場へと様相を変えてしまう。
実父がいきなり暴露するフィアリーナの過去。
彼女いきなり不幸のどん底へと落とされる。
やがて絶望し命を自ら断つ彼女。
しかし運命の出会いにより彼女は命を取り留めた。
そして出会う盲目の皇子アレリッド。
心を通わせ二人は恋に落ちていく。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】最初からあなたは婚約対象外です
横居花琉
恋愛
王立学園へ通うことになった伯爵令嬢グレースに与えられた使命は良い婚約者を作ること。
それは貴族の子女として当然の考えであり、グレースは素直に受け入れた。
学園に入学したグレースは恋愛とは無関係に勉学に励んだ。
グレースには狙いがあったのだ。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
愛の力があれば何でもできる、11年前にそう言っていましたよね?
柚木ゆず
恋愛
それは、夫であるレジスさんと結婚10周年を祝っている時のことでした。不意にわたし達が暮らすお屋敷に、11年前に駆け落ちした2人が――わたしの妹ヴェロニクとレジスさんの兄テランスさんが現れたのです。
身勝手な行動によって周囲にとんでもない迷惑をかけた上に、駆け落ちの際にはお金や貴金属を多数盗んでいってしまった。そんなことをしているのに、突然戻ってくるだなんて。
なにがあったのでしょうか……?
※12月7日、本編完結。後日、主人公たちのその後のエピソードを追加予定となっております。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
あなたのおかげで吹っ切れました〜私のお金目当てならお望み通りに。ただし利子付きです
じじ
恋愛
「あんな女、金だけのためさ」
アリアナ=ゾーイはその日、初めて婚約者のハンゼ公爵の本音を知った。
金銭だけが目的の結婚。それを知った私が泣いて暮らすとでも?おあいにくさま。あなたに恋した少女は、あなたの本音を聞いた瞬間消え去ったわ。
私が金づるにしか見えないのなら、お望み通りあなたのためにお金を用意しますわ…ただし、利子付きで。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
兄が、姉の幼なじみと婚約破棄してから、家族がバラバラになったように見えていましたが、真実を知ると見え方が変わってきました
珠宮さくら
恋愛
コンスタンス・オクレールは兄と姉がいたが、兄が姉の幼なじみと婚約したのだが、それが破棄となってから興味ないからと何があったかを知らないままでいた。
そのせいで、家族がバラバラになっていくとはコンスタンスは思いもしなかったが、真実を知ってしまうと1番大人気なかったのは……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる