人工未知霊体タルパ

伽藍堂益太

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人口未知霊体タルパ 13

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 いずみには、熱烈なキスで出迎えられた。それからひと通り浮気をしていないかチェックを受けて、やっと靴を脱いで部屋に上がることを許された。
 不意の真弘の訪問で、いずみの機嫌は良かった。いつもよりも口数は多く、それにいつもよりも甘えてきた。今日こそはきっと、結ばれるに違いない。そういう確信が、ふつふつと胸の中に湧いて出てきた。
 きちんとコンドームは持っているか。持っている。薬局で買った、三箱パックになったお徳用のコンドームのうち何個かを鞄に忍ばせている。心配はいらない。すぐにでも勝負に出られる。
 とはいえ、あまりがっつくのはよろしくない。いずみに、体が目当てだと思われるのは嫌だった。二人は定位置となりつつあるテーブルの前に腰を下ろし、ベッドを背もたれにして、並んで座った。
「今日は真弘くん来られないって言ってたから、何も食べるもの用意していないんだけど、お腹空いてない?」
「大丈夫。早めに切り上げただけで、ちょこちょこ摘んで食べてたから」
 今更ながら、お金を払っていないことを思い出した。しかし、ほとんど追い出されたも同然の状況だったのだから、こちらから払ってやる義理もない気がする。言われたら逆らわずに払えばいいや、という程度の心構えでいることにした。
 二人きりで会話していると、それがいかに心地いいものか思い知らされる。心が安らぐというのは、こういうことなのだろう。
  タルパという秘密を共有しているということもあるかもしれないし、いずみの一番人に見られたくないであろう姿を最初に見ているせいもあるかもしれない。理由はどうあれ、いずみは真弘にとって、やはり特別な存在なのだと再確認させられた。
 そんな夢見心地でいると、真弘の携帯が耳慣れたパターンで震えた。電話だ。同窓会に出ていた誰かから、会費の請求だろうかと、いずみに目で合図して携帯を手に取る。
「あ……」
 画面に表示されたのは”橘智美”だった。横からディスプレイを覗いているいずみの顔色を窺う。いずみには、智美のことを詳しく話していた。その存在を隠すことは、いずみに対する裏切りのように思えたからだ。
「いいかな?」
「いいけど、ここで出られるよね?」
 いずみに聞かせられないような話をするわけではないよね、という確認だ。それには当然、
「もちろん」
 と答えるしかない。答えて、真弘は電話を耳に当てた。
「もしもし?」
「真弘、来て!」
 間髪入れず、智美の声が帰ってきた。デジタルの音声が揺れる。真弘は思わず耳から電話を遠ざけた。その声は、いずみにも筒抜けだ。
「何? どうしたの?」
 そう問う間にも、智美の荒い息遣いが聞こえてくる。
「なんか変な人がついてくるの!」
「どんな人?」
「分かんない」
 まさか、と真弘は思った。まさか、いもしない変質者に追われていると嘘をついて、自分を呼び出す気ではないだろうか。ありえないことではない。怒って店を出たのに追いかけて来なかった真弘に、自分を追いかけさせるために、そんなことを言っているのかもしれない。
「なんだよそれ。追いかけられてるなら分かるだろ」
 真弘は呆れた。溜息をつきながら真弘が言うと、いずみに裾を引っ張られた。そして、いずみは首を横に振っている。
「どうしたの?」
 真弘は電話のマイクを手で押さえて、いずみに聞く。
「多分それ、嘘じゃない」
 いずみは眉間に皺を寄せた、険しい表情で言った。
「なんで?」
 何故いずみには、それが分かるのか。
「勘だけど。それに、今もほら、何か言ってるし、走ってる」
 受話器からは未だ、智美の声が聞こえている。真弘に呼びかけている。
 真弘の心拍数が、俄に上昇した。本当に智美の身に何かあるのだとしたら、それは捨て置けない。
「ねぇ、お願い。早く来て!」
「どこにいるんだよ?」
「真弘のうちの近く。ねぇ、なんか変なの。時々気配がするのに、振り返るといないの。一瞬影は見えたのに。おかしいよ。このままじゃ、うちにも帰れない。横道なんて怖くて入れないよ。怖いよ、ねぇ、真弘」
 智美が必死に訴える。真弘はいずみを見た。行ってもいいだろうか。言葉にはせず、目だけで問いかける。
「行ってあげて。その人、怖くてたまらないんだと思う。だから、そういう時に来て欲しい人、好きな人に助けを求めたんじゃないかな」
 好きな人。いずみに言われて、心臓が飛び上がった。
 今まで、その可能性を考えなかったわけではない。自分の進路について、やたらとうるさく口出ししてくる時だとか、この部屋のベランダで、智美の嫉妬の一端を見た時だとか、いずみと付き合っていると言った時の激怒だとか、もしかしたら、と思わされる瞬間はままあった。
 中学生の時、ずっと仲の良かった智美は、自分のことを好きでいてくれていると期待した。しかし、高校生の時、智美は他の男のものになった。
 それまで自分に向けられていたと思っていた智美の好意はすべて、まやかしだったのだと思い知らされてしまった。
 だから、その後、どんなことがあっても、智美の気持ちは自分に向くことはないのだと、諦めた。今後何があっても智美は自分のことを好きになることはないのだと、必死で自分に言い聞かせてきた。
 それが、いずみの一言で崩れた。智美の好意が、本物なのだとしたら、自分は。
「分かった。行くから。コンビニとか、人のいる明るいとこに入って」
「分かった」
「切るぞ」
「うん。早く。早く来て」
「分かってる」
 真弘は電話を切り、いずみを見つめた。たぶん、いずみにはすべて見透かされている。自分の気持ちを。煮え切らない、未練を。いずみはそれでも、頷いてくれた。
「……いってきます」
「いってらっっしゃい……帰ってきてね」
 その言葉に、いくつかの意味が含まれていることは、真弘にだって分かっている。
「うん。絶対」
 そう言って、真弘はいずみにキスをした、ここに自分の居場所があるのだと、いずみに伝えるために。
 分かってくれたのだろうか。それは真弘には分からない。ただその目尻から、一筋の涙が流れたことが、いずみの答えだった。

 いずみの家を出て、自転車に跨る。ペダルに足をつけ、全体重を乗せ、力強くひとこぎすると、グンと勢い良く自転車が前に進んだ。みるみる加速する。ペダルが地面をこすりそうなほど自転車を傾け、速度は殺さず、一気に国道に躍り出る。
「くそ、信号待ちなんて」
 信号は赤だった。車の交通量が多く、信号を無視することができない。その一分が惜しい。真弘は時間を見ようと、携帯をポケットから取り出した。
 携帯のランプが明滅している。メッセージが届いていた。それを開く。
『ダメ。コンビニ入れない。狭いとこはダメ。広いとこに行くから』
 智美からだった。
「何言ってんだ、こいつ」
 不審者に追われているのなら、そんなことをしても、メリットなんてない。真弘の頭を、不安がよぎった。
 馬渕の言葉が蘇る。まだ事件は終わっていない。津野を殺した犯人は、今もまだ、見つかっていない。なら、今、智美はその犯人に追われているのではないか。
 真弘の額を、冷たい汗が流れた。変われ。信号よ、早く変われ。信号が黄色から赤に。そして、歩行者用の信号が青になると、真弘は足の筋肉を爆発させるように飛び出した。
 いつもは自転車を押して上る坂も、今日ばかりは立ち漕ぎで一気に駆け上る。このまま道沿いに進めば、真弘と智美の家の付近になる。
 智美は一体どこにいる。真弘は道なりに走った。そして、バイト先のコンビニに自転車を止めて、中を確認した。
「おう、どうした? 今日同窓会じゃなかったか?」
 レジにいた先輩に声を掛けられた。
「あの、女の子来ませんでした?」
「女の子? そりゃ、来てるけど」
「茶髪でロングで、俺と身長あんま変わらなくて」
「何時くらい?」
「十五分くらい前に」
「んー、来てないと思う」
「ありがとうございます!」
 真弘はすぐにコンビニを飛び出した。レジで先輩が何か言っているが、真弘の頭には届いていなかった。
 コンビニにいないとしたらどこにいる。考えても、答えが見つかる理由はない。真弘は携帯を取り出し、智美に電話をかけた。
『お客様のおかけになった――』
 電源が入っていないのか、電波が届かない場所にいるのか。こんな街中で電波が届かない場所などそうそうない。首都圏の住宅街だ。真弘の記憶では、そんな場所に心当たりはない。
 電源が入っていないのだろう。さっきまで連絡を取っていたのだから、電源を切るということはないと思われる。電池がなくなったという可能性は否めないが、それよりも、智美の身に何か起きた可能性の方が高いように感じる。
「あいみ!」
 一人で探すのにも限界がある。真弘はそこらにいるであろうあいみを呼び出した。
「探すって言っても、私にそんな能力ないわよ」
 状況は理解しているようだ。
「それでも、一人よりはマシだろ」
「そうかもしれないけど、助けを求める方が現実的じゃない?」
「誰に?」
「馬渕さんよ。ギンがいるじゃない」
「そうか!」
 真弘は藁にもすがる思いで、馬渕に電話を掛けた。時間が時間だ。出てくれるかどうか。一回二回、コールする。まだかまだか。焦りで手が震える。
「もしもし?」
 コールが途切れ、馬渕の声が聞こえてきた。
「あ、あの、馬渕さん、助けてください」
「何? どうしたの? 落ち着いて」
 言われて真弘は深呼吸した。
「あの、友達が不審者に追われてるらしくて、それが津野さんを殺したやつかもしれなくて、友達と連絡つかなくなって、ギンの力を借りたくて」
「……今どこにいるの?」
「バイト先のコンビニの前に」
「分かった。それなら、いつもの公園のところで待ち合わせしよう」
「ありがとうございます。すぐに行きます」
 電話を切り、真弘はすぐに公園の、いつもの場所に向かった。

 公園のいつもの場所は、自動販売機の明かりに照らされて、そこだけスポットライトが当たっているようだ。外から自販機の方の様子は手に取るように分かるが、中から道路の様子は分かりづらい。
 真弘は道路に立ち、外から中を眺めた。何故か、一歩踏み出して公園の中に入ろうという気になれない。自分でもそれが何故なのか、説明することができなかった。
「阿藤くん、おまたせ」
 馬渕が息を切らせてやってきた。その隣には当然、ギンがいる。
「馬渕さん。ありがとうございます」
 深く頭を下げようとした真弘を、馬渕が手で制した。
「一刻を争うんじゃないの? 早く見つけよう。それで、手がかりは?」
「この辺にいるはずってことぐらいしか」
「それなら、ギンの力を借りればどうにかなるかもね。何かその子に繋がるものはある? ギンの鼻でも、匂いを知らなければどうにもならないよ」
 真弘はハッとした。当たり前のことなのに、そのことが頭からすっぽり抜けていた。
「えっと、ものはないんですけど、家ならすぐに案内できます。それで大丈夫ですか?」
「大丈夫。ギン、やれるよね?」
「うむ」
 頷きあい、二人とタルパ二体はすぐにかけ出した。真弘を先頭に、ずらずら並んで走る。
 智美の家はすぐ近くだ。走れば五分とかからない。そして乱れる呼吸をものともせず、智美の家に辿り着いた真弘は、チャイムを鳴らした。
「はーい」
 中から出てきたのは、智美の母だ。開いた扉に鼻を突っ込んだギンは、その匂いを嗅いで、記憶しているようだ。
「あら、阿藤くん、どうしたの? 今日って同窓会じゃ?」
「あの、智美さん、帰ってませんよね? 不審者につけられてるって連絡きて、今探しまわってるんですけど、見つからなくて」
「え? そうなの? ちょっと、お父さん! 来て」
 智美の父親も出てきた。事情を説明すると、警察に連絡し、そして自分も探しに出ることにすると言って、家を飛び出した。人手はあるにこしたことはない。真弘はそれをあえて止めることはしなかった。
「俺も、友達と一緒に探します。もし帰ってきたら、連絡ください」
 智美の携帯の電源が切れていて、家に帰ってくるという可能性は零ではないのだ。そう託けて、真弘は智美の捜索を再開した。
「ギン、いけるよね」
「あぁ」
 すんすんと鼻を鳴らして、ギンは小走りで進む。真弘とあいみ、馬渕はそれを追い、街を駆け抜ける。
 駆け抜けた先には、いつもの公園があった。自販機の蛍光灯が、激しくまばたきを繰り返すように明滅する。
「どうしたのギン? なんでここに戻ってきたの?」
 真弘は焦りのあまり、ギンに食ってかかった。
「ここだ。一番新しい匂いは」
「てことはこの先の?」
 真弘は思い出す。ここは森林公園だ。この先の雑木林から人通りのある道路側にまで声は聞こえないし、多少暴れたくらいではなんの問題もない。それは真弘といずみが実証済みだ。
 不審者と二人きりで雑木林に智美が。嫌な想像しかできない。真弘は公園の中へ走りだそうとした。しかし。
「なんだよ、この感覚」
 真弘は額を押さえた。
「うん、なんか、変」
 あいみも顔をしかめている。
「どうしたの?」
 馬渕が怪訝な顔をして尋ねる。
「なんか、ここ、変なんです。納得いかないっていうか」
 見慣れているはずのこの景色。自販機にフェンス、隣には駐車場。それだけしかない殺風景な公園の入口。それなのに、いつもと変わるものなどないはずなのに、違和感が拭えない。
「あいみ、記憶と照合しよう。今まで俺が見たここの景色全部を俺の目に映してくれ」
 真弘には、この違和感が智美に繋がるのではないかという気がしていた。どうしても、これを放置して先に進むことを、心が拒む。
「……やってみましょう。記憶を蘇らせて、真弘の頭に流す。そうすれば、この違和感の正体が分かるかもしれない」
 真弘とあいみは手をつなぎ、そして目を閉じた。頭の中を、今までみた公園の光景がスライドショーのように流れる。パラパラパラパラ、パラパラ漫画のように滑らかに動き出す。それらの像が、すべて重なる、その瞬間、真弘とあいみはカッと目を見開いた。
「これは!」
 今まですべての記憶と、今この瞬間の公園の光景が重なり合った瞬間、違和感の正体が真弘の目の前に現れた。
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