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相沢

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相沢が教室に押しかけてきた。面倒だから屋上手前の階段まで連れ出した。こいつはここで十分だろう。

「香穂ちゃん、休んでるんだけど。なんかしたわけ? 放課後に一緒に出て行ったって話聞いたぞ」

相変わらず警戒心と敵対心をむき出しにして私に噛み付いてくる。フン、と私は鼻で笑って髪を掻き上げる。

「一緒にお茶をしたわ。雄星のことを話した。それだけよ」

「……あー、その、青樹のことは、心配だよな」

「恋敵なのに気にするのね。勝手に男の友情を感じていたってことなのかしら」

うっかり笑ってしまう。雄星はバカにするだけで、相沢のことをなんとも思っていなさそうだ。ヒロインの取り合いしているシーンでもそんな感じだった。それなのに相沢ってば一人で熱くなってバカみたい。

「あんだよ、その言い方」

言葉の含みにカチンときたらしい。本当に頭に血が上りやすいやつだ。だから逆恨みをするのだろう。

今の私は頭の血の巡りがいい聖薇である。相沢を潰す強さを持っている、睨まれても怖くない。それが聖薇なのだ。だから聖薇は美しい。私がこれくらいかわすのは容易いことだ。

「さあ、私の存じているところではないわ。それより、他に何か?」

「……別に。お前も平気そうだしな」

はき捨てるような言葉。どこかきまずそうでもある。

「あら。心配をしてくれたの?」

私はからかうように口元をおさえて笑う。ちっ、と舌打ちをする相沢。

「どれだけ冷たい奴か確認しに来たんだよ。お前は自分が誰を不幸にしたってお構いなしの薄情な首切り姫だ」

不愉快そうに、憎悪たっぷりの暗い目が私を射抜く。怖くない。むしろ不思議と懐かしいような気分にさせる。

あぁ、私と似ているのか。鏡の中のブサイクな自分を見つめているときの私と同じ眼をしているのだ。彼は綺麗な顔をしているけれど、私がブサイクに悩んで根暗になるように、家族関係で悩んで攻撃的になっている。雄星もそうだった。家庭がどれくらい子供にとって大切か思い知らされる。

――そうだ、家庭は大切だ。私の母も妹も美しくなければここまで悩まなかったかもしれない。表で慰めて平等に扱うフリをして、裏では酷く頭を悩ませていた両親の姿さえ知らなければ、私はまだ掬われたかもしれない。妹だって彼氏を作って私に見せびらかすようなことをしなければ、妹の彼氏にキモがられるような屈辱もなかった。そんなことがなければ、せめて死ななかったかもしれない。

思考から逃げたくて軽く首を振る。相沢の言葉を否定しているように見えるか。

「前から思っていたけれど、あなたが私を恨むのは、お門違いじゃあなくて? とにもかくにもお金持ちが嫌い、というのならば仕方ないわ。でもね、私は私。御崎財閥は御崎財閥」

一つ言葉を切る。

相沢はぶーたれて、唇を固く結んでいるのか、下唇を突き出しているのか、なんともいえない子供っぽい表情をしていた。彼は子供である。私も子供である。そして私は、大人になるまで生き残れなかった子供だった。

「そして、大変申し訳ないけれど、あなたのお父様程度の人材の処置なんて、おそらく私のお父様は紙を一読する程度のことよ。銀行のことは銀行のことなの。むしろ銀行のルールを恨んだらよろしいのではなくて? あなたのお父様は銀行員のルールに則って出向したのでしょう?」

プレイしながらずっとモヤモヤしていたことだった。今言えて、すっきりした。バカの私がわからないところを聖薇の頭が埋めてくれたおかげだろうか。聖薇が土下座させられて、それが正しいことのように進むのは、まったくおかしなシナリオなのだ。仕返ししてやった気分だ。ざまあ見ろ。

「……そんなの」

相沢は、震える声を吐息のように吐き出す。体に力が入ってぶるぶる震えていた。殴られたら怖いけれど、そのまま先生のところに泣きついても、聖薇ならみんなが私のことを助けてくれる。大丈夫だ。

「そんなの知ってるよ!! 母ちゃんから散々聞かされてきたよ……!」

地団太を踏まんばかりの勢いだった。相沢は壁を殴って、俯いた。泣きそうな声をしている。

――ダメだ。

私はなぜかそう思って、胸がきゅっと苦しくなった。なぜダメなのか? 記憶に問う。すぐに記憶としての聖薇は答えてくれる。

私は両手で相沢の手を引っ張った。

「何すんだよっ」

振り払われる。けっこう、痛い。聖薇の綺麗な手が赤くなってしまったらどうするつもりなのだ。だけど私の中の聖薇が、相沢に耳打ちをする。

「あなた、泣いてるわ」

「泣いてねーし。泣いてねーから!」

「……秘密にするから。絶対よ」

小首を傾げる聖薇の表情は、私には見えない。だけど、ゲームの立ち絵には用意されていないようなものだったことだけはよくわかる。とても切なくて、とても愛しいような、私一人ではとうてい到達できない不思議な気持ちだった。

――聖薇は相沢のことをよく知っていた。幼い頃からたびたび御崎財閥が行なう大規模な立食会で顔を合わせていたのだ。その頃の相沢の父は出世頭だった。だから、ほんのりと許婚候補には上がっていたらしいが、御崎へのコネクションは青樹のほうが強かった。そして、相沢の父は仕事で何か大きな失敗をしてしまったらしく、厄介払いのような身代わり出向をする羽目になった。

相沢は案外あっさり説得されてしまって、屋上へとついてきてくれた。今日は少し曇っていて肌寒い。風も強い。あまり心地のよくない天気だった。私は髪とスカートをおさえて壁に寄りかかる。相沢は、少し離れてうんこ座りした。

「……やっぱ直接言われるとへこむよな。俺だってわかってんだ、自分が間違ってるのは」

ぐしゃぐしゃと髪の毛をかき混ぜるようにかきむしる相沢。歯軋りの音が伝わってくるようだ。

「父ちゃんも母ちゃんもダブル不倫してたんだよ。別れるきっかけをお互いに探り合ってて、それで、それでさ……丁度よかったんだよ……」

頭を抱えたまま、相沢は動かない。

「なんで俺、こんな歳までずっと知らなかったんだよ。新しい父ちゃん紹介されたとき、あれ、早いな、俺はまだ気持ちの整理できてないのにって、思ってはいたんだよ」

聖薇は全部を知っていた。母親ネットワークから事情を漏れ聞いていたのだ。興味ないように相槌を打ちながら、内心はすごく心配をしていた。だけど、心配していることを悟られるわけにはいかなかった。聖薇には正式な許婚がいるけれど、相沢には小さいときからなんとなく惹かれていた。私の嫌いな彼のいちいちを聖薇は好いていた。どうして一つの体なのにまったく趣味が合わないのか――ともかく、聖薇が相沢に関心を示すのは、御崎として正しくない。

「……ごめん、八つ当たりなんだ。お前はちっとも悪くない。お前が悪いのは運で、御崎だったから」

そう、運が悪い。聖薇が御崎であることは。御崎でなければ、もっと自由だったかもしれない。私もブスじゃなければもっと自由だっただろう。それでも聖薇は御崎と心中するくらいの気持ちを持っているから雄星のようにならない。

「ほんとごめん……」

辛そうな声。自分の弱さが悔しいのか、鼻声だった。

聖薇はなぜか嬉しくなっていた。御崎であることを否定されているのに?

理由を頭に尋ねる。相沢も少なからず聖薇を思っていたことがわかったから嬉しい、だそうだ。プレイしていて嫌になった相沢の言動一つ一つは、もしかすると苦しみながらやっていたことだったのだろうか。

「聖薇は許してるから」

私は嫌だ。一つを認めると、全てを認めないといけない。そうしないとおかしい。

私をいじめた人たちだって何らかのストレスがあったんだ。悲しみがあったんだ。だからそれを私にぶつけたんだ。いい迷惑である。本当にいい迷惑である。お前達が死ねばいいと言いたいくらいだ。許せというほうがおかしい。だから、そいつらを憎んでいたっていいだろう。それすら許されないのはおかしい。

でも、聖薇は相沢を許したし、私も許したいと思ってしまった。きっとそれは聖薇が相沢に対して愛情を持っていたからだ。それは、胸がきゅんとなるようなものではなくて、もっと切ないようなものだった。私にも聖薇にもこの感情の名前を言い当てることができないけれど。

私は相沢の頭を撫でた。聖薇は土下座しているときもこんな気持ちだったのだろうか。なんで聖薇はお金持ちのお嬢様なのにこんな苦労しなきゃいけないのか。

「……離れろよ。汗臭いんだろ」

相沢は膝に乗せた腕に顔を埋めて、背中を丸める。聖薇を土下座させた相沢は後悔したのだろうか。そうやって残酷になることで想いを断ち切って、ヒロインと結ばれたのだろうか。それって幸せなの?

「そうね。労働者臭いわ」

相沢ルートはここで完結していい気がした。お互いにとってきっと穏やかだろう。聖薇は相沢と付き合えないのだ。だから、相沢が聖薇に甘えるのはここまでだ。

いいな、相沢は。甘えられる人がいて。私にも、せめて一人いれば救われたかもしれないのに。誰か私が生まれたことを許してくれる人が一人でもいればいいのに。

風が強くて、本当に邪魔だった。髪が眼に入ったので、私も顔を擦った。
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