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男装助手は女性にモテる・上

男装助手は先生の先生にあう。

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七時きっかりに出勤したら、事務所がリビングになっていた。上司が普遍的なイギリス朝食のプレートを机に置いている。

「昨晩は眠れましたか?」

「はい。本当に何から何までありがとうございます」

「……文句の一つも言うかと思ったのですが……」

フロイドは疑わしく眉を寄せて顔を上げた。そしてギョッと目を丸くした。

「切ったんですか?髪」

うまいことびっくりしてもらえて気分が良くなった。私の髪はショートカットに見えているだろう。

「まぁ、一割ほど?これ手品なんです」

私はかぶっていたキャスケットをはずした。巻いてしまっていた髪が落ちていく。軽く首を振って手櫛を入れると、いつも通りだ。

「すぐ全部切っちゃうのは勇気がでなかったので、ひとまず内側だけ短くしました。下ろせばこの通り。帽子さえかぶっていればごまかしが効きます」

「なるほど……」

驚きの二段落ちだったようで、フロイドは感心したように頷いた。

私はついドヤって自慢げに胸を張ってしまう。髪を仕舞う時は簪の要領で編み棒を使った。

驚いているのか、何かが腑に落ちないのか。フロイドは首を捻った。

「まったく不可思議です……とりあえず、冷める前に朝食にしましょうか」

そして受け流した。

ひねりのないイギリス朝食。昨夜は似たようなものをクリスにごちそうになったが、料理はこちらの方が上手だった。

クリスは執事か家政婦を雇えばいいのにとも思うが、フロイドの場合は自身が完璧な執事をこなせてしまうから、むしろ自分でやった方が楽なのか。

片付けは手伝わせてもらった。台所が綺麗すぎて緊張した。かなり厳しい顔で見られていたが、特に文句は言われなかった。

再度の身支度を済ませて八時に始業。

即座に別階への移動だった。フロイドは資料を持っている。

「今から会うのは私の先生です。ユニークな方ですが、ありのままを受け止めてくださいね」

「もう慣れました」

「それを言うのはまだ早いですね」

と、皮肉を言われたが……私はびっくりしないだろう。今から出てくるのがどんな人だか、既に知っているのだ。

ギルバート・アレン。

コートにキャスケットにパイプ、ザ・名探偵というわかりやすいキャラデザ。マープルハウス同盟の最年長。年齢的にはイケオジ枠であろうが、まったく老けて書かれていない。ゲームではツンデレポジションだ。

扉をガンガンと叩いても返事はない。寝ているか、鬱で動けないか。どっちかだ。

「アレンさん、入ります」

フロイドは勝手に開けた。ゲームでもみんなこうやってたな。

ムッと煙草の臭いがした。色々なものが縦に積まれた汚い部屋だった。中央に、窓に面してワークデスクがある。突っ伏して動かない、シャツ姿の黒髪の人がいる。

あれがアレンさん。ピクリとも動かない。知識がなければ汚部屋で人が死んでいるかと思ったかもしれない。

「アレンさん!」

「……うん」

少し強めのフロイドの声に、やっと体を起こすアレンさん。掠れた低音ボイスは寝起きだとよりセクシーだ。気だるげに前髪を避けた。

大きな瞳とくっきりした眉。整った顔立ちだが、美形というよりは男前。見比べるとフロイドの方が顔つきは華奢だ。どちらも共通して言えることは、目元や眉が気難しそうということ。

「戻りました」と、フロイドは持っていた資料を目の前に置いた。

「ああ、おかえりさん」

次には資料を捲り始めるアレンさん。

ゲームでもそうだった。記者のヒロインとの初対面は、ほとんど無視だった。

「んっ?」

だが、不思議そうな顔でアレンさんは私を見上げた。そっとフロイドが手で指し示す。

「こちらは今日から私の助手になるエドガー・モローです。鍛えてやってください」

「よろしくお願いいたします」

頭を下げる。これは私の変装が通じるかどうか、というテストだろうか?

アレンさんは改めて手元の資料に目を落とした。それから好奇心でぎらついた両目を私に向けた。

子供のような純粋な目と言えば聞こえはいいけれど、フロイドの鋭い目とは違った怖さがある。ちょっとイっちゃってる感じ。リアルで見るとこういう人なのか……。

「なるほど、エミリー・モリスか」

真顔でこれを言うまでに数秒。

彼の頭の過程をまとめよう。

来客に違和感がある。女装している。名前の頭文字はE・M。フロイドの仕事先に同じ頭文字の娘がいる。つまり、変装したエミリー・モリスをフロイドが連れてきた。

これが一瞬。スパコンだ。ゲームで事前知識はあったとしても、実際に目にするとヤバすぎて口が開いてしまう。

「君。今、君が一番最悪に思うことはなんだい?」

突然聞かれて身が強張った。間抜けに開いた口も閉じて、喋ろうとすると緊張で震えた。

「人に殺されることです」

視線が真っ直ぐすぎて逃げられなかった。嘘をついても見透かされそうな気持ちで頭の中が真っ白になった。彼の前では考えて答えられなかった。

とはいえ、答えは案外、反射的に出てきた。この悩みについては普段からかなり怖く思っているのだと改めて気が付かされた。

まばたき一つなく、アレンさんは口だけ動かした。

「『隣人を偽るなかれ』。偽ったことで殺されてしまったら、君はどう思う?」

変装して身を隠すことは、十戒に反することかもしれない。でも神様が守ってくれるなら変装なんかしなくていいんだよな。故に神に背いたせいなんて思う必要なし。

「それは私がマヌケでヘマしただけです」

「いいじゃーん」

アレンさんは何も考えていなさそうな軽い口調で大きく頷いた。下手するとアホっぽいくらいの軽さだ。

ホッとしてフロイドを振り返ると怪訝な顔だ。変なこと言ったか?

パイプに火をつけるアレンさん。軽く目を閉じて静かに一服した。推理しているときの癖だ。フロイドも私も黙っていた。

ぱちりと目が開く。やはりこの目は、威圧される。

「で、君、本物のエミリー・モリス?」
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