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夏の夕暮れ

翻弄されても

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 そして………………翌日。

「しもた!寝すぎや」

 仕方のないことだった。昨日は随分と遅くまで起きていたし、その内容も体感としては何日もの出来事がぎゅっと詰め込まれたようなもので、爆睡には十分すぎた。一哉は一哉で、今日は学校を休んであの地下を調べるつもりだったらしく、郁人の叫びに目を覚ましたくらいだ。

 しかし目覚めてからの郁人の行動は早かった。一哉を叩き起こし、

【学校は行ける時に行っとかんと】と諭すというよりも半ば強制的に、

【ちゅうのもあるけど、地下に潜る時はオレも一緒や。でないと地下に降りるのは許さん】と脅した。

 郁人の中ではまだ一哉が消えてしまうかもしれないと言う杞憂があるのだ。それを悟ったのか今回は一哉も素直に頷いた。

 朝食は昨日の残りの肉じゃがと、さくっと作った目玉焼き。もちろんウインナーも忘れない。添え野菜はトマトと胡瓜。

「行ってきます」と2人が告げると実験室から「気をつけて」と隆文が声をかけた。



「どちらにしてももう間に合わないんだから落ち着け」

 寝すぎた、と言いながらきちんと朝食の準備をして食べた郁人に、一哉は呆れて言い放った。

「そやけど、こないな時は形だけでも急ぐもんや。って………なぁ、今こそ空を飛んで行くんやないか?」

 朝の町中で小走りの郁人は満面の笑みで期待を込めて一哉を振り返った。けれど一哉は、

「立派な足があるんだ。使わないと退化するじゃないか」
と、夏の日差しを浴びながらも涼し気な表情で諭す。

「ケチやなぁ。まぁ、そないなとこも好きやけど」
「は?」
「気持ち急ごか」

 好きを隠さない郁人に、思わず聞き返す一哉だったが促されるままに足を早めた。



 そんな二人が学校に着いたのはホームルームが終わり、1時間目が始まろうとする時間帯だった。

「おはよーさん」

 先生がいない事を確認した郁人が挨拶とともに扉を開くと、クラスの視線が一斉に注がれた。そのままざわりと室内の空気が動き、

「来た――――!」

 叫んだのはもちろんその級友たちだった。主に確たる何かを持って叫んでいるのは小学校からの同級生で、高校からの知り合いも皆、懐疑的な瞳を向けている。

「な、なんやなんや」

 そのいつにない喧騒と視線にさすがに郁人も一歩身を引いて危うく後方の一哉にぶつかりそうになるが、

「昨日、近所のおっさんが郁人ん家の窓ガラスに女の人の影、見たって」

 告げられた言葉に二人して動きが止まる。

「白崎くんち、女の人いないでしょ⁉だから、」
「そうそう」
「それに……女の人だけじゃなく、」
「いろんなものがふよふよ浮いてたとか……」
「うん!すごい音がしたから、通報しようとしてみたら」
「何も起きてなかったとか……」
「まるでポルターガイストだって!」

 そして朝二人とも来ないから…と続ける級友たちは恐る恐る言葉を綴る。

「昨日の今日ですごい情報量やな。なんやうちって監視されとるんか?」

 郁人は呆気にとられ問い返すが、そういえば引っ越してきた時と同じやと感慨深く思い出した。

『なぁなぁ幽霊、出る?』と興味心たっぷりに聞いてきた彼ら。
『そんな根も葉もない』と告げたのは郁人だった。

 けれど今回、友人たちが口にしたのは確かに昨晩、郁人が事実として目にしたことだった。とは言っても…女性の影はともかく、幽霊の仕業でもなく……。

 郁人は、自分が知らないだけ、見えないだけで案外この世の中には幽霊も、ドラキュラもフランケンシュタイン……は博士なので、人造人間もゾンビ!は居て貰いたくないが、さえもいるのかもしれない。と肩を竦めた。それに少なくとも魔法使いはいるのだ。

 そんなことを考える郁人の後ろで、その騒動の犯人である一哉は素知らぬ顔だった。いつものように涼しげに、いつものように人畜無害のクールビューティーを決め込んでいる。そんな彼に詰め寄る者はいない。

「やっっぱり出るのか!?」
「今度こそほんとに確認したの?」
「いやいや、だから、あれはカラクリや。ちゃんとタネはある」

 恐れの中にもきらりと楽しみのような光を宿し尋ねる級友たちに、郁人は慌てて弁明する。

「なぁ、一哉。お前も昨夜…… ————」

 振り返る郁人は視線を上げる一哉と目が合い、瞬間のことを思い出して言葉に詰まった。

「い、郁人!?どうした?なんかあったのか?」

 そのいつもと違う反応にさらに慌てたのは友人たちだ。

「昨夜何があったんだ!」

 はっきりと好奇心!とだけ書かれた表情で一斉に詰め寄られ、

「…バカ」

 短く告げたのは一哉だ。もちろん後ろにいた一哉の言葉は郁人にだけ届き、

「そやかて…」

 キスで寝落ちしたことを思い出して妙な恥ずかしさが相まったとはさすがに言えない。けれど級友たちの期待に満ちた瞳は郁人から逸らされることはなく。

「……郁人に…尻尾が生えたんだよな」

「「「えぇぇぇー!!」」」
「はぁ? んなわけあるかい!」

 ややため息混じりの一哉の言葉に、一斉に驚きの声が上がった。
 それを消し飛ばさんばかりの否定はもちろん郁人だ。

 ————がしかし。

 郁人は、腰の少し下、尻のやや上辺りにモゾリとした妙な感覚に、上半身を捻るようにして確認した。もちろん右手を添える事も忘れずに。

「い、郁人!それっ!?」
「はあああ!?」

 そして、級友の言葉よりも手に触れたその黒く艶のある1本の尻尾が自分自身から出ていることに気づくと、思いきり叫んでいた。ご丁寧にも尻尾の先は矢印にも似たハートマークを示しており、誰がみてもそれは。

「あ、悪魔のしっぽ!」
「え、白崎くん…」
「ちゃう!!」

 空想上の悪魔の尻尾と思われる物で、動揺が走る室内で1番に慌てふためいているのは郁人だった。が、視線が一哉を捉えると、ふっと小さく笑みを浮かべるその一瞬に気づく。

「魔法使いっちゅうより一哉は悪魔や!」
「え?一哉くんが悪魔?」
「ん?魔法使い?」
「っ…やば…」

 そんな中、自席に移動した一哉は、皆の視線を受けて涼しげな微笑みをうかべた。

「確かに、そんな尻尾は悪魔だって魔法使いだって」

 そして席に着いたまま1限目の準備をしながら告げる一哉は、その魅惑的な瞳で級友たちを見回した。

「マジシャンだって出し入れできる」

 指を一度軽く鳴らすと、ポン、と尻尾が消えた。

「「おおっ」」

 感動に震えるかのような級友たちの反応に、どこか満足そうな一哉が郁人を見て軽く肩を上げた。
 白崎家の騒動がすっかり消えてしまい、はや、状況は収まりつつある。

「…そういうところがや!」
「どうした?郁人?」

 やはりすっきりしないのは郁人の思いだ。やたらかっこ可愛い一哉の姿に、友人らの問い掛けがなければ、危うく、好きや!と叫んでしまいそうになっていた。

 危ない危ない、と思いながらも、しゃーない、とも思う。

 6年間もやもやと胸に潜んでいたモノにようやく言葉がついたのだから翻弄されても仕方がない、と。
 
 時間とともに席に戻る友人たちの中で、ちらりと一哉を見ると、気付いた一哉が左の人差し指を軽くくるりと回す仕草を見せた。
 慌てて尻に手を当てる郁人だったが何もないことが確認できて思わずぎろりと睨みつける。

「はは」と小さな声を出して笑ったのは一哉で、それはどこか年相応で、

《にゃろ!》と悪態を吐きながらも郁人は知らず緩んでしまう口元を思わずぐっ、と引き締めた。

《めちゃ可愛ええやないか!》

 そのうち本気で叫んでしまいそうだ。

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