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夏の夕暮れ

佐波一哉とは③(修正)

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 あの時、あの地ー欧州ーにて腹の中で聞いた母の言伝が一哉を急き立てた。
 おぼつかない言葉に小さな手足。幸い早々に日本には戻れたが、ただただ早く、早く成長しなければと一哉は願った。食事を人の二倍も三倍も摂り、新聞雑誌、TVにラジオ、通信媒体様々な物から情報を身につける。

 そんなある日、ふと気付く。

 祖母が異様な物を見るかのように自分を見ていた。

 それもそのはず、生まれて2年。
 身体は既に10歳程の大きさになっていた。それだけならただ成長著しいと言われるのだろうが、言葉もすらすらと話し、意思疎通さえお手の物となると話は別だ。

 他の動物ならば立派に独り立ち出来る年なのだが、人間はこれほど早く成長しない。親の庇護下、ゆっくりと大切に育てられる幸せで脆弱な種族だと聞いた。一哉は自分が失敗したことを知った。

 そして事態収拾のために一哉は考える。

 もともとこの年齢、つまり10歳であると祖母に思わせる。
 だがどうやって。
 それに戸籍にも繋がる。無理があるだろう。
 そもそもなぜこんなにも成長してしまったのか。

 考える一哉は、それは”強く願った”からだと思い至る。ならば次は”強く願う”ことでなんらかの力が発揮されるのか検証しなければならなかった。

 短時間でわかりやすくと考えて、モノを浮かすことを思いついた。

《浮け!!》と強く願うのは庭にある小石だった。意外とすんなりそれは叶った。目に入る色々なものを浮かしてみた。リモコン、時計、少し浮かして元の位置に戻す。徐々に大きな物で試すことにした。洗濯物だったり、布団だったり、さらにはTV、レンジ、冷蔵庫。楽しくなってきた頃に、一哉は身体が少しだけ小さくなったことを知った。

 願いには対価が必要だと理解した。成長を願い様々なものを吸収した。モノを浮かす事を願い身体が縮んだ。では身体が縮むことを願ってみたら。しかし、身体が縮むイメージが湧かなかった。成長するなら食事を摂ればいい。モノを浮かすならその物の重さを無くせばいい。身体が縮むには……。食事の量も減らしたが、特に変化は見られない。
 それならば具体的に大きな力を使えばいい。一哉は考えた。身体が縮むのは実証済みだ。

 そんな折り、テレビ番組で催眠術を目にした。
 言葉による催眠暗示。言葉に力を込めて……祖母に言い聞かせる。
 悪く言うならば……洗脳。
 しかしこれは上手くいくのではないかと思った。お互いの為になるはずだと。
 養子とは言え息子を突然失った祖母は、赤子の一哉を優しく迎え入れてくれた。みるみる大きくなる孫に躊躇いながらも美味しい料理を与えてくれる。大事にしてくれる。一哉もまた大切にしたいと思っていた。

『おばあちゃん』と柔らかく声をかけて目を閉じさせる。
 
 大きくなった事実はない、と言い含めるように囁く。
 身体の中心の奥深い場所に奇妙な何かが集まり、溢れていくような感覚とともに一哉の身体はゆっくりと縮み、幼い自分を抱きしめてくれた時と同じ表情を祖母に取り戻してくれた。

 そして一哉は2歳児からの成長をやり直した。

 有難いことに、その時感じた身体の奥深いところに力を蓄えられることも知った。

 それは祖母の美味しい手料理を始め、情報・知識、豊かな自然、音楽、様々なものを吸収することでできた。さらに行動範囲を広げると、それさえも力として蓄えられることを知った。

 そして小学校に上がろうとする頃、気になる家を見つけた。

 古く、誰からも忘れ去られたような寂れた家屋だった。
 ぽつんと置いて行かれた存在。
 奇妙な感覚だった。…確認したいと心が震えた。

 けれど立ち入ることは厄介だった。一哉が身体に貯めた力に土地が反発してしまうという現象が起きたのだ。
 招待された他人の家に入る時には“気”を使う。招待されていなければ尚更“気”を使うものだ。誰かの所有物である事実が大きな障壁を生み出して一哉の立ち入りを拒んでいた。しかし、心惹かれる場所を確認しないわけにはいかない。

 仕方なく蓄えた力を解放し、身軽な気持ちで重苦しい壁を超えた。
 強い風圧に押し戻されそうになるが、ドアを閉めて中に入り一呼吸。少しずつ居場所を増やしながら“からくり”や“仕掛け扉”を見つけた。けれどそれだけだった。何も見つからなかった。だが、この廃屋に足が向く。

 そんなある日、その場所が工事中になった。
 こうなると小学生の一哉は物理的に入れなくなった。

 そしてやってきたのが少年郁人とその父親隆文だった。

 何も知らない少年がここはお前の家だ、と言ってくれた。
 途端、反発していた家の扉全てが開放され、一陣の風が一哉の体内を吹き抜けた。
 これで堂々と中を探すことができる。歓喜に震えた。
 さらに!父親の方は一哉の事情を知っているという。
 初めて顔を合わせた時、母親そっくりの一哉に隆文が尋ねたのだ。

『ひつぎを求めているのかい』と。

 妙な感覚だった。こんな偶然があるのだろうかと疑った。しかし話せば話すほどに隆文が真剣にひつぎを探していることを知った。
 この場所は他よりも磁場が良いと言うこと、何かありそうだということも一哉と意見があった。
 そして隆文は言う。

『僕はこの地にこそ何かあると思うんだ。例えば、ひつぎに向かうための道とか、扉とか』
『開けごま…的なやつですか?』
『そうそう、唱えよ、さすれば開かれん、いや招かれんかな。あとはね、何か鍵となるものが必要なんだと思うんだよね。そして、僕はそれが土だと推察する』
『土……ですか?』
『君のお母さんは、私では無理だといったのに、あの景色そらに連れて行ってくれた。人間ではないことを教えてくれた。もしかしたら私が研究するだろう地質に関わりがあるとどこかで察していたんじゃないかな。それに地面は誰もが必ず触れる場所。つまり始まる場所なんだよ』

 意外とロマンチストだな、と思いながらも一哉はその話に耳を傾けていた。

 そして、だからね、と隆文は続ける。

『一哉くんがここだと思う、一哉くんに繋がる土を見つけに行かないか?そこで微電波も発生していたら』

 僕の研究も進むし一石二鳥、と隆文は笑う。

 それは一哉の義務だった。ずっと1人だと思っていたのに事情を知り、あまつさえ手伝うと言ってくれる。一哉は張り詰めていた身体がふわりと温かなものに包まれるそんな感覚を受けた。祖母とはまた違う感覚だった。

 いつもニコニコと屈託なく笑う隆文の旅行に付き合うようになる中、一哉が思い返したのは郁人の言葉だ。

 それは級友に以前の暮らしを聞かれた時のこと。

 郁人は生まれて間もない頃から父親と全国を巡っていたと事も無げに言って退けた。へぇ大変だね、うわ、マジで?すごいね。真似できない、と子供たちは軽く言い放つ。

『なんなんかようわからんけど、親父が楽しそうやし、ええかなって』
『すっごぉい。なんか大人ぁ』
『うーん。ってよりそないにのめり込むもんあんの、なかなかかっこええかもって。父ちゃんには言わんけどな、思とったりするんや』

 郁人は、そんな自由な父親を呆れながらも思い出し、つり加減の瞳を細めて柔らかく笑った。やっぱり温かな笑顔だった。大変でも何でもない普通のことだと、子供たちの言葉を否定するわけでもなく柔らかく受け止めて、場を和ませる。

 一哉は幼い子供の不便さは十分知っていた。その頃に父親に振り回されるように生活をしていたと言うのに、郁人は嫌がってはいない。それどころか父親のことを認めている。それを聞いた時、思わず笑みが零れ出た。郁人の温かな何かを見た気さえしたのだが、この郁人は現実主義。

 幽霊?そんなもんあるか、と一蹴したことを忘れてはいない。
 だからこそ郁人には秘密にしていた。
 ……あの瞳に、根も葉もない、と言われたくなかったのも事実だった。


 全てはひつぎを見つけてから。そう全ては。


 隆文と出かけることが増える中で、さすがに郁人に何も言わずに出かけた時は罪悪感を覚えた。しかし当の郁人が気にしていたのは違うところだった。

『ふたりで、でかけたいねん』と言われた時は一瞬意味がわからなかったが、身体の中心に蓄える力が一気に倍増した。祖母とも隆文とも違う溢れんばかりの力だった。郁人から差し出された熱量だと思われたが、それに反応するかのように一哉の身体の中心を強い何かが溢れ満たすような感覚は、欠けていたものが補われたようだった。

 急かされるようにひつぎを求めていたはずなのに、隆文との探索はもちろん、郁人との日常も楽しくて外せないものになっていった。

 郁人は基本2人で行きたがったが、他の友人たちとの付き合いも忘れなかった。幼い頃から全国を回っていたからか、元来の素質か人付き合いは天下一品。巻き込まれる、というよりも当然のように学校行事は元より、地域のボランティア、友人グループでの映画鑑賞、カラオケ、スポーツ遊戯、祭りやイベント。一哉は郁人と一緒に様々な体験をした。

『みんなで行くのも、たまにはええな』

 屈託なく笑いかけるその表情で、

『や、けんど、オレがおらんとこでは、あんま行かんといて欲しい』

 たまに理解できないことを言う。

『なんだそれ』と揶揄うように笑うと、
『わからん。なんや胸んとこがもやもやすんねん』

 あまりに素直に言われ、面食らうこともしばしば。しかし他の友人たちとは違う熱は感じていた。

 肩に置かれた手から伝わる熱が心地良いと感じ始めていたのだ………。

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