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夏の夕暮れ

郁人の父、隆文(修正)

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 宣言通り郁人は一哉に、父親を紹介した。

 郁人と同じ色素の薄い髪はやや長めで、仕事が気になると食事さえ忘れてしまう体躯は細身。40歳を超えたのに少し幼く見えるのは郁人と違う穏やかな目元のせいだ。

 隆文は近畿地方の研究所を拠点に国内を飛び回っていた。だがさすがに小学生の郁人を連れ回すのはどうかという周囲の意見もあり、定住を決めた。

 この場所を選んだのは縁ある場所でもあったが、他よりも磁場が強かったからだった。とは言えここを拠点に放浪する癖は抜けず、郁人にとってはこの上なく面倒な父であった。

 そんな隆文なのだがなぜか一哉は気に入ったらしく、それは隆文も同じで初見から妙に気が合い、話し込んでいた。

 小学4年生を相手に何を話し込んでいるのか気になった郁人が耳にしたのは一哉の境遇だった。

 一哉は、まだ妊娠中だった母が父との海外旅行中に事故に合い、その最中に生まれたと言った。残念ながら両親とも帰らぬ人となり、残された一哉を引き取ったのは父方の唯一の親族である祖母だった。しかしその父は養子だったため、血の繋がりはないという。ある意味で天涯孤独。

 とても良くしてくれる祖母だったが、何かがポツンと抜けている感覚が拭えずに時々この洋館に忍び込んでは一人時間をつぶしていたのだという。

 今よりももっと幼い少年が皆の言うところの幽霊屋敷に一人でいるなど寂しすぎるではないか。そんなところから大人びた表情はくるのだろうかと郁人は思った。

 そして隆文と意気投合した一哉は、その放浪の旅に同行するようになった。喜び勇んでついていく一哉に、疎外感を覚えた郁人も慌てて同行するようになった。

 けれど、ある日の木曜日だった。

 目覚めた郁人が見つけたのは1枚の書き置きだった。
【出かけてくる】との隆文からの申し送りの書き置き。
 まだ残っているだけ良いほうだった。ふわりと出掛けてしまう事も多々あり、慣れっこだった。

 だが異変は学校に向かうところからだった。

 一緒に登校するはずの一哉の姿もなく、今日は当番だったか~と呟きながら学校に行ったが、やはりその姿はなく、帰宅時に一哉宅に寄るとすでに顔馴染みの気の良い穏やかな一哉の祖母が、
『あら、一緒じゃないの?』と聞いてきた。

 なんとかその場を言い繕ったが、郁人はふと思い至る。

 そして金曜日の昼休み、学校に現れた一哉を捕まえて聞けばやはりと言うかなんと言うか。
 隆文と東北へ行ってきたという。

『なんや、それっ?』

 仲間はずれというよりも黙って出掛けたことに少しだけ腹が立った。

 父親が一哉を誘ったことなのか、一哉が父親と出掛けたことなのか。どちらに対してかはわからなかった。それでも出かける旨の報告はしてほしかったと思う。

 拗ねているかのような郁人に気が引けた一哉は、

『悪かったな』と告げた。
『お前の父親だもんな』と。

 しかし郁人は、目の前で項垂れる一哉のその黒髪の中のつむじを見ながら、指先がムズムズとする感覚を抱え、そこやない!と叫んでしまう。

『謝ってほしいわけやない。ちゃうわ、なんや、こう』

 言葉がもどかしく頭の中で想いが踊り出す。
 きちんと言葉にしたいと思った。けれどそれは郁人の中に見当たらず、代わりに出たのは…。

『オレもどっか行きたいんや、佐波と2人で!2人っきりで!』

 そんな言葉だった。
 もちろん間違いじゃなかった。
 間違っていないが胸の奥の方で何かがモヤモヤと揺れ動き、両手で頭を掻きむしった。

『…だ、大丈夫か?』
『そや!遊園地や!そこ行くで。オレまだ行ったことないし!乗り物もごっつぅええらしいやないか!』
『あ、まぁ…そのくらいなら……みんなも行ける…』

 今回は郁人に黙って彼の父親と二人で出かけたという負い目がある一哉はやや逡巡してから口を開いたが、

『ちゃうって!重要なんは遊園地やのうて、ふ、た、りで、行きたいんや。二人で行くことに意味あんねん!』

 遮ったのは郁人の声だったが、昼休み。人もまばらとはいえ教室内で、大きく響いた声に周囲が振り返る。

『あ、……』
『なんだなんだ?二人で何の相談?』
『なんか怪しい研究でもするんじゃないの?』

 言い淀む郁人の周りに友人たちが寄ってくる。その口調はかなり面白がっており、

『ちゃう、ちゃう!』

 郁人は否定のために大きく手を振った

『二人で行くことに意味があるんでしょ?』
『……よう、聞いとったな』
『ってことは一人ではムリだってことだろ?』
『UFOとの交信か!?』
『なんでや!!』

 友人との微妙なやりとりを聞いた後、一哉がにっこりと笑みを見せる。

『白崎の親父さんの説得だよ。一人よりは二人でって』
『そっ、そやそや。父ちゃんがま~たえらいもんやらかしそうなんで』

 せっかくの一哉のフォローだったが、郁人が気付いた時には遅かった。

『…ばか』

 一哉の小さな声はかき消され、友人たちに、どういうことだと追い立てられ、休み時間中隠れる羽目になったのだ。けれど帰宅時には遊園地へ出かける約束をきっちりと取り付けた郁人である。

『二人で遊園地行って何が楽しいんだか』と少し呆れたように告げる一哉に、
『いーんや。たまには二人で出掛けるんもありや』と郁人はにっかりと笑顔を添えて言う。
『何言ってんだかな』

 つられたように笑みを浮かべる一哉に、なぜか郁人は安堵していた……。

 隣にいることを心地よく思い、自分を見てくれていることを嬉しく思う。

 ただ嬉しい。それだけの理由で良い気がした。しかし、父は始終一哉を連れて出かける。当の一哉も、
『学校の勉強よりおもしろい』と目を輝かせる。

 義務教育を無視して学校をさぼっても成績は落とさない。はや、郁人に何が言えるというのか。
 それでも、時々は郁人も合流した。

 どこだかの洞窟。人里離れた廃墟。穴蔵を通り、土を持ち帰る。実験室で土を弄っては奇妙な機械にかけ、爆発させること日常茶飯事。フランケンシュタイン城は付くべくして付いたあだ名だった。



 それは高校になった今も変わらない————。

 うん、そやそや、と郁人は前を歩く一哉を眺めた。

 夏盛り、制服はすでに半袖だがその腕は日焼け知らずの滑らかな肌だった。

 小学4年から変わらない、いやどちらかと言うと魔性に神秘がついて静謐なイメージまで持ついい感じに育っている一哉だ。
 5月の段階で先輩女子2人から告白されていることを郁人は人伝に聞いている。

 けっこうちゃっかりしてるで~と郁人は思う。
 尻尾が生えるなら一哉の方や、と真剣に考える。
 鉤付きのフランケンは、ちょいいただけんなぁ…。
 思わずぼやく郁人である。
 けれど、けも耳なら…と想像して一哉の黒髪にふんわりと犬の耳を想像し……。

「あ、そう言えば」
「んぁ!?」

 突然振り返る一哉に、郁人は慌てたように大きくその釣り目を見開いた。

「なんだお前、…変な顔」
「っ!変な顔って言うなや。微妙に傷つくやろ」

 ちょっとした動揺に自分自身も知らず驚き、慌てて口を開くが、

「…意外と繊細なんだな。今気付いたよ。それはともかく」
「さらっと流すやっちゃなぁ」

 そんなことは知っているとつぶやきながら小さく呼吸を吐き出す。幾分か心が落ち着く感じがした郁人だったが、その目の前についと鍵が差し出され、思わずきょとんと首を傾げた。

「ばあさんが肉じゃが作ってくれたんだよ。冷蔵庫に入っているから頼む」

 ふっと口元に小さく笑みを浮かべながら告げる一哉の言葉に郁人は大きく頷いた。

「おう、了解」

 これもまたいつものことだった。

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