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陽光/月と太陽 編
31.ただいま
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国境の長い洞窟を抜けると、深く雪が積もっていた。
澄んだ夜空では無数の星々が輝きを放ち、僅かに欠けた月と共に、夜の底をうっすらと照らしている。
「ローグ様、お寒くはないですか?」
気を利かせてくれたのだろう。
従者であるウールが俺にそう尋ねるが、確かにやや肌寒さを感じている。
長年この雪国に住んで、寒さには慣れていたつもりであったが、少し他の国へと足を延ばしてから戻ってくると、身体というものは他国の温暖な気候に慣れてしまうようだ。
「少し寒いな。お前達も寒いだろう。早く城に戻ろう」
話すたびに自分の口から出る白い息が、この国の寒さを物語っている。
これほどの雪では、我々が乗っている馬も進めない。
俺は深く積もった雪を強い炎で溶かし、数十メートル先まで道を作った。
俺は魔王であり、魔法の扱いには長けている。
この程度の雪を溶かすなど容易いことだ。
「流石は魔王様、雪解け水まで蒸発させてしまうとは、恐れ入りました」
もう一人の従者、メフィルがそう言って手を叩いた。
「別にお世辞なんか言わなくてもいいんだよ。さあ、帰るぞ。ベリィが待っている」
俺にはベリィという幼い娘がいる。
あの子を産んで直ぐに病で命を落とした妻の為にも、俺があの子に出来るだけ沢山の愛情を注いでやりたいと思っているが、魔王という立場上、城を留守にする事も多くなってしまうのだ。
城に着き、馬を降りて扉を開くと、下半身が蛇の姿をしたメイドが出迎えてくれた。
ベリィの世話係を頼んでいる、ミアという者だ。
「お帰りなさいませ、魔王様」
「ただいま。ベリィは……?」
「もうお眠りになりました」
当然か、既に夜は更けているのだから。
帰って直ぐに娘の顔が見れないのは残念ではあるが、俺も従者達も長旅で疲れている。
先ずはゆっくり眠るとしよう。
「遅くまでありがとうな。ゆっくり休んでくれ」
俺は従者達にそう伝え、自分の部屋へと向かった。
翌朝、ダイニングで本を読みながら朝食が出来るのを待っていると、ベリィが眠そうな目を擦りながらやってきた。
彼女は俺を見つけた途端、その可憐な顔でにっこりと笑った。
「おとうさま、おはよう!」
「おはよう、ベリィ。久しぶりだな」
「もう、おそいよ! きのうは待ってたけど、眠くなっちゃって待てなかった。ごめんね」
「遅くなっちゃってごめんな。待っててくれてありがとう、ベリィ」
ベリィはもう一度にっこり笑い、俺の向かいの席に座る。
「ねえねえ、おとうさま。おとうさまが居ない間にね、わたしお友達ができたんだよ!」
「そうなのか、どんな子なんだい?」
「サーナって子でね、わたしみたいな角は生えてないんだけど、とっても優しくてかわいい子なんだよ!」
サーナ、ルシュフ・キャンベル公爵のご令嬢か。
どんな形で知り合ったのか分からないが、ルシュフの娘となら安心だ。
何より、ベリィに友達が出来たことが嬉しかった。
魔王である俺の娘ということもあり、交友関係を作るのが難しいだろうと心配していたが、杞憂だったようだ。
「良いお友達でよかったな。仲良くするんだぞ」
「うん!」
俺のいない間にも、娘は大きく成長しているようだ。
本当ならば、こうして毎日ベリィと話していたいのだが、王という立場であるからには成すべきことも多い。
それに、世話係のミアはベリィを大切に育ててくれている。
母親のいないベリィにとっては、本当の母親のようなものだろう。
料理を運んできたミアに、ベリィが目を輝かせながら何かを話している。
その可憐な花のような笑顔を見て、俺はこの子の健やかな成長を心から願った。
そんな愛娘から、こんな疑問を投げかけられたことがある。
「おとうさま、どうしてわたしとおとうさまには、こわいツノが生えているの?」
当然、それは俺達が魔王の家系に生まれた者だからである。
古くより、魔王には畏怖の象徴とされるツノがある。
それは夜空に浮かぶ三日月のような形で、ツノを見た者は恐怖してしまうのだ。
近頃、外で友達と遊ぶようになったベリィにとって、そのツノは邪魔にしかならないだろう。
何せ、友達を怖がらせてしまうのだから。
「わたしね、お友達からこわいって言われちゃったの。わたしのせいで、サーナもほかのお友達とあそばなくなっちゃった……」
ベリィは自分が怖がられたということよりも、友達も巻き込んでしまったということに酷く落ち込んでいる様子だった。
俺は慰めの言葉をかけてやろうとしたが、何か言おうにも開きかけた口から言葉が出ない。
暫く半開きの口が塞がらず、ゆっくりと乾いていく喉の奥で、娘にかける言葉を探していた。
「ベリィ、すまないな」
言葉を間違えた気がした。
ベリィは、俺に謝って欲しかったわけではないのだろう。
ただ彼女は、友達のサーナに迷惑をかけてしまったことを気にしているのだ。
案の定、俺が謝ったことにベリィは首を傾げている。
「おとうさま?」
「そうだな……このツノは、魔王の証だからな。俺も子供の頃から、このツノでみんなに怖がられてしまったよ。けどな、ベリィのお母さんだけは違ったよ。恐ろしいはずだが、それを気にせず俺に寄り添ってくれた。ベリィは、お友達からそのツノが嫌だと言われたのか?」
結局、俺にはこんな話しかできない。
果たしてこれが正しい答えだったのか、俺は我が子を正しく育てることができているのか、レヴィア……君だったら、この子に何と言ってあげられたのだろう?
太陽のように眩しい彼女の笑顔が、ふと脳裏に浮かぶ。
ベリィは少し俯き、その小さな頭をゆっくりと横に振った。
「いわれてない。お友達いなくなっちゃったことサーナに謝ったら、気にしなくていいよって……」
「それなら、ベリィはサーナちゃんと仲良くしてあげなくてはだな。サーナちゃんは、ベリィのツノにも怖がらず仲良くしてくれる、大切なお友達じゃないか」
ベリィの表情が、少し明るくなったように見えた。
言葉を吟味した末に勢いで言ってしまったが、俺の伝えたいことは上手く伝わってくれたようだ。
「サーナ、わたしのこときらいじゃないかな……?」
「サーナちゃんは、ベリィのことが大好きだと思うぞ。だって、そのツノを怖がらないぐらいなんだから」
ベリィは自分の頭に生えた二本のツノを触り、そして可憐に笑った。
「おとうさま、わたしサーナとこれからもいっぱいあそぶ!」
元気を取り戻した娘の言葉に、俺はゆっくりと頷く。
俺はレヴィアのように、ベリィを明るく照らすような存在にはなれない。
俺は俺として、ベリィの成長を見守っていこう。
太陽の様でなくとも、夜を優しく照らす月明かりのように。
たとえ魔王のツノを持っていようと、ベリィには心の優しい子でいて欲しい。
などと常々考えていた俺だったが、ある時ベリィはこんな事を言ってきた。
「おとうさま、わたし勇者になりたい!」
図書館にある本で読んだのだろう。
魔王を倒し、世界を救う勇者の姿は、誰であろうと憧れを持つものだ。
「勇者、良いじゃないか。ベリィは元気いっぱいだから、沢山の人を守れる立派な勇者になれるぞ!」
現実にも、勇者という存在はいる。
ルミナセイバーという光の剣に選ばれた者が、世界の均衡を保つうちの一人である勇者となるのだ。
「えへへ! でも、私がゆうしゃになったら、おとうさまと戦わなきゃいけないよね? それはいやだな~」
其れもそうか。
物語の世界で、勇者とは魔王を討ち倒す正義の戦士である。
それは現実でも例外ではなく、勇者の持つルミナセイバーには俺を倒す為の力が秘められているのだ。
だが俺は思う。
勇者とは、魔王を倒すだけの存在ではない。
民を守り、世界を平和にする。
現実の勇者も、今はそうして戦っているだろう。
困ったような顔のベリィを、俺はそっと抱き上げた。
「大丈夫、何も勇者になったら、魔王と戦わなければならないという事はないんだ。大切な人やものを守れるなら、誰であろうと勇者になれるんだよ」
「そうなの? わたしもゆうしゃになれる?」
「なれるさ。もし困っている人がいたら、ちゃんと助けてあげるんだ。それを積み重ねていけば、ベリィはきっと凄い勇者になれるぞ!」
「やったぁ! おとうさま、わたしがんばる!」
そう言ったベリィの目は、これまでに無いほど強く輝いていた。
もしかしたら、この子なら本当に勇者になれるかもしれない。
魔王の後継者がいなくなるのは残念だが、俺はこの子の夢を素直に応援してやりたいと思った。
*
いつ頃からだったか、ベリィが勇者になりたいと言わなくなってしまった。
流石に思春期ともなれば、言わなくなるのも当然かもしれないが、娘の成長を感じると同時に寂しさもあった。
ベリィの読書好きは相変わらずだが、少し大きくなってからは図書館にある難しそうな本を読むようになり、昔好きだった童話には手もつけていない。
「ねえ、お父様は人族が好きなの?」
ある時、ベリィが俺にこんな事を訊いてきた。
昔の俺は、人族が嫌いだった。
かつての魔王が犯した禁忌で、俺達まで身に覚えのない罪を背負わされ、人族に蔑まれて生きている。
現に、アイテール帝国とは冷戦状態にあるのだ。
いっそのこと、人族を滅ぼしてしまえば良いとすら考えた事がある。
「私は、人族が好きですよ。昔、とっても優しい人族の方にお会いした事があるんです」
俺にそう教えてくれたのは、妻のレヴィアだった。
レヴィアは、悲観主義者だった俺に前を向かせてくれた。
そうして人族との和平を目指すようになり、遂には平和と名高い国である、カンパニュラ公国へと訪問させて貰える事にまでなったのだ。
気付けば、俺は人族の友人も出来ていた。
友人と言うよりも、息子のような存在だった。
「おやっさんは、人族を憎んでないのか?」
そう言えば、その友人であるユーリからも、こんな事を訊かれたことがある。
今の俺は、もう人族を憎んでなどいない。
いつか、魔族と人族が共に暮らせる世界を、この俺が創ってみせる。
そう決意を決めて来たのだ。
「お父様、どうなの?」
「ん? ああ、すまない。そうだな、俺は人族が好きだ。いつか魔族と人族が共生できる、そんな世界を創りたい」
「そっか、私もお父様が目指す世界が、一番良いな」
ベリィはそう話し、愛らしい笑顔を浮かべた。
その顔がレヴィアにそっくりで、どこか嬉しいような、懐かしいような感覚だった。
そうだ、俺はこの子が生まれた時に誓った。
ベリィに酷な思いをさせない為に、俺の代で平和な世にしてみせると。
その為の第一歩が、カンパニュラ公国訪問のはずだった。
気が付けば、俺の意識はゆっくりと沈んでいった。
湖の深い水底を漂うように、暗く黒い世界を彷徨い続ける。
今見たものは、きっと走馬灯だ。
俺は死んだのか。
もうベリィに会うことも、アルブに帰ることすらも叶わない。
そんな中で、不意に水面から仄かに月明かりが差し込んだ気がした。
月明かりは次第に鮮明さを増し、やがて水面は星空へと移り変わった。
俺の前には、あの頃と変わらない……いや、あの頃よりもずっと逞しくなったベリィの姿があった。
俺にロードカリバーを刺したその姿は、まるで魔王に立ち向かう勇者のようだった。
ベリィは、夢を叶えたんだな。
そうして俺は、ベリィに救われた。
俺の意識がない間、きっと酷い事をしてしまったのだろう。
どれだけ謝ろうと許される事ではないが、この言葉だけは、どうしても最後に伝えたかった。
「ただいま、ベリィ」
そして、愛してる。
澄んだ夜空では無数の星々が輝きを放ち、僅かに欠けた月と共に、夜の底をうっすらと照らしている。
「ローグ様、お寒くはないですか?」
気を利かせてくれたのだろう。
従者であるウールが俺にそう尋ねるが、確かにやや肌寒さを感じている。
長年この雪国に住んで、寒さには慣れていたつもりであったが、少し他の国へと足を延ばしてから戻ってくると、身体というものは他国の温暖な気候に慣れてしまうようだ。
「少し寒いな。お前達も寒いだろう。早く城に戻ろう」
話すたびに自分の口から出る白い息が、この国の寒さを物語っている。
これほどの雪では、我々が乗っている馬も進めない。
俺は深く積もった雪を強い炎で溶かし、数十メートル先まで道を作った。
俺は魔王であり、魔法の扱いには長けている。
この程度の雪を溶かすなど容易いことだ。
「流石は魔王様、雪解け水まで蒸発させてしまうとは、恐れ入りました」
もう一人の従者、メフィルがそう言って手を叩いた。
「別にお世辞なんか言わなくてもいいんだよ。さあ、帰るぞ。ベリィが待っている」
俺にはベリィという幼い娘がいる。
あの子を産んで直ぐに病で命を落とした妻の為にも、俺があの子に出来るだけ沢山の愛情を注いでやりたいと思っているが、魔王という立場上、城を留守にする事も多くなってしまうのだ。
城に着き、馬を降りて扉を開くと、下半身が蛇の姿をしたメイドが出迎えてくれた。
ベリィの世話係を頼んでいる、ミアという者だ。
「お帰りなさいませ、魔王様」
「ただいま。ベリィは……?」
「もうお眠りになりました」
当然か、既に夜は更けているのだから。
帰って直ぐに娘の顔が見れないのは残念ではあるが、俺も従者達も長旅で疲れている。
先ずはゆっくり眠るとしよう。
「遅くまでありがとうな。ゆっくり休んでくれ」
俺は従者達にそう伝え、自分の部屋へと向かった。
翌朝、ダイニングで本を読みながら朝食が出来るのを待っていると、ベリィが眠そうな目を擦りながらやってきた。
彼女は俺を見つけた途端、その可憐な顔でにっこりと笑った。
「おとうさま、おはよう!」
「おはよう、ベリィ。久しぶりだな」
「もう、おそいよ! きのうは待ってたけど、眠くなっちゃって待てなかった。ごめんね」
「遅くなっちゃってごめんな。待っててくれてありがとう、ベリィ」
ベリィはもう一度にっこり笑い、俺の向かいの席に座る。
「ねえねえ、おとうさま。おとうさまが居ない間にね、わたしお友達ができたんだよ!」
「そうなのか、どんな子なんだい?」
「サーナって子でね、わたしみたいな角は生えてないんだけど、とっても優しくてかわいい子なんだよ!」
サーナ、ルシュフ・キャンベル公爵のご令嬢か。
どんな形で知り合ったのか分からないが、ルシュフの娘となら安心だ。
何より、ベリィに友達が出来たことが嬉しかった。
魔王である俺の娘ということもあり、交友関係を作るのが難しいだろうと心配していたが、杞憂だったようだ。
「良いお友達でよかったな。仲良くするんだぞ」
「うん!」
俺のいない間にも、娘は大きく成長しているようだ。
本当ならば、こうして毎日ベリィと話していたいのだが、王という立場であるからには成すべきことも多い。
それに、世話係のミアはベリィを大切に育ててくれている。
母親のいないベリィにとっては、本当の母親のようなものだろう。
料理を運んできたミアに、ベリィが目を輝かせながら何かを話している。
その可憐な花のような笑顔を見て、俺はこの子の健やかな成長を心から願った。
そんな愛娘から、こんな疑問を投げかけられたことがある。
「おとうさま、どうしてわたしとおとうさまには、こわいツノが生えているの?」
当然、それは俺達が魔王の家系に生まれた者だからである。
古くより、魔王には畏怖の象徴とされるツノがある。
それは夜空に浮かぶ三日月のような形で、ツノを見た者は恐怖してしまうのだ。
近頃、外で友達と遊ぶようになったベリィにとって、そのツノは邪魔にしかならないだろう。
何せ、友達を怖がらせてしまうのだから。
「わたしね、お友達からこわいって言われちゃったの。わたしのせいで、サーナもほかのお友達とあそばなくなっちゃった……」
ベリィは自分が怖がられたということよりも、友達も巻き込んでしまったということに酷く落ち込んでいる様子だった。
俺は慰めの言葉をかけてやろうとしたが、何か言おうにも開きかけた口から言葉が出ない。
暫く半開きの口が塞がらず、ゆっくりと乾いていく喉の奥で、娘にかける言葉を探していた。
「ベリィ、すまないな」
言葉を間違えた気がした。
ベリィは、俺に謝って欲しかったわけではないのだろう。
ただ彼女は、友達のサーナに迷惑をかけてしまったことを気にしているのだ。
案の定、俺が謝ったことにベリィは首を傾げている。
「おとうさま?」
「そうだな……このツノは、魔王の証だからな。俺も子供の頃から、このツノでみんなに怖がられてしまったよ。けどな、ベリィのお母さんだけは違ったよ。恐ろしいはずだが、それを気にせず俺に寄り添ってくれた。ベリィは、お友達からそのツノが嫌だと言われたのか?」
結局、俺にはこんな話しかできない。
果たしてこれが正しい答えだったのか、俺は我が子を正しく育てることができているのか、レヴィア……君だったら、この子に何と言ってあげられたのだろう?
太陽のように眩しい彼女の笑顔が、ふと脳裏に浮かぶ。
ベリィは少し俯き、その小さな頭をゆっくりと横に振った。
「いわれてない。お友達いなくなっちゃったことサーナに謝ったら、気にしなくていいよって……」
「それなら、ベリィはサーナちゃんと仲良くしてあげなくてはだな。サーナちゃんは、ベリィのツノにも怖がらず仲良くしてくれる、大切なお友達じゃないか」
ベリィの表情が、少し明るくなったように見えた。
言葉を吟味した末に勢いで言ってしまったが、俺の伝えたいことは上手く伝わってくれたようだ。
「サーナ、わたしのこときらいじゃないかな……?」
「サーナちゃんは、ベリィのことが大好きだと思うぞ。だって、そのツノを怖がらないぐらいなんだから」
ベリィは自分の頭に生えた二本のツノを触り、そして可憐に笑った。
「おとうさま、わたしサーナとこれからもいっぱいあそぶ!」
元気を取り戻した娘の言葉に、俺はゆっくりと頷く。
俺はレヴィアのように、ベリィを明るく照らすような存在にはなれない。
俺は俺として、ベリィの成長を見守っていこう。
太陽の様でなくとも、夜を優しく照らす月明かりのように。
たとえ魔王のツノを持っていようと、ベリィには心の優しい子でいて欲しい。
などと常々考えていた俺だったが、ある時ベリィはこんな事を言ってきた。
「おとうさま、わたし勇者になりたい!」
図書館にある本で読んだのだろう。
魔王を倒し、世界を救う勇者の姿は、誰であろうと憧れを持つものだ。
「勇者、良いじゃないか。ベリィは元気いっぱいだから、沢山の人を守れる立派な勇者になれるぞ!」
現実にも、勇者という存在はいる。
ルミナセイバーという光の剣に選ばれた者が、世界の均衡を保つうちの一人である勇者となるのだ。
「えへへ! でも、私がゆうしゃになったら、おとうさまと戦わなきゃいけないよね? それはいやだな~」
其れもそうか。
物語の世界で、勇者とは魔王を討ち倒す正義の戦士である。
それは現実でも例外ではなく、勇者の持つルミナセイバーには俺を倒す為の力が秘められているのだ。
だが俺は思う。
勇者とは、魔王を倒すだけの存在ではない。
民を守り、世界を平和にする。
現実の勇者も、今はそうして戦っているだろう。
困ったような顔のベリィを、俺はそっと抱き上げた。
「大丈夫、何も勇者になったら、魔王と戦わなければならないという事はないんだ。大切な人やものを守れるなら、誰であろうと勇者になれるんだよ」
「そうなの? わたしもゆうしゃになれる?」
「なれるさ。もし困っている人がいたら、ちゃんと助けてあげるんだ。それを積み重ねていけば、ベリィはきっと凄い勇者になれるぞ!」
「やったぁ! おとうさま、わたしがんばる!」
そう言ったベリィの目は、これまでに無いほど強く輝いていた。
もしかしたら、この子なら本当に勇者になれるかもしれない。
魔王の後継者がいなくなるのは残念だが、俺はこの子の夢を素直に応援してやりたいと思った。
*
いつ頃からだったか、ベリィが勇者になりたいと言わなくなってしまった。
流石に思春期ともなれば、言わなくなるのも当然かもしれないが、娘の成長を感じると同時に寂しさもあった。
ベリィの読書好きは相変わらずだが、少し大きくなってからは図書館にある難しそうな本を読むようになり、昔好きだった童話には手もつけていない。
「ねえ、お父様は人族が好きなの?」
ある時、ベリィが俺にこんな事を訊いてきた。
昔の俺は、人族が嫌いだった。
かつての魔王が犯した禁忌で、俺達まで身に覚えのない罪を背負わされ、人族に蔑まれて生きている。
現に、アイテール帝国とは冷戦状態にあるのだ。
いっそのこと、人族を滅ぼしてしまえば良いとすら考えた事がある。
「私は、人族が好きですよ。昔、とっても優しい人族の方にお会いした事があるんです」
俺にそう教えてくれたのは、妻のレヴィアだった。
レヴィアは、悲観主義者だった俺に前を向かせてくれた。
そうして人族との和平を目指すようになり、遂には平和と名高い国である、カンパニュラ公国へと訪問させて貰える事にまでなったのだ。
気付けば、俺は人族の友人も出来ていた。
友人と言うよりも、息子のような存在だった。
「おやっさんは、人族を憎んでないのか?」
そう言えば、その友人であるユーリからも、こんな事を訊かれたことがある。
今の俺は、もう人族を憎んでなどいない。
いつか、魔族と人族が共に暮らせる世界を、この俺が創ってみせる。
そう決意を決めて来たのだ。
「お父様、どうなの?」
「ん? ああ、すまない。そうだな、俺は人族が好きだ。いつか魔族と人族が共生できる、そんな世界を創りたい」
「そっか、私もお父様が目指す世界が、一番良いな」
ベリィはそう話し、愛らしい笑顔を浮かべた。
その顔がレヴィアにそっくりで、どこか嬉しいような、懐かしいような感覚だった。
そうだ、俺はこの子が生まれた時に誓った。
ベリィに酷な思いをさせない為に、俺の代で平和な世にしてみせると。
その為の第一歩が、カンパニュラ公国訪問のはずだった。
気が付けば、俺の意識はゆっくりと沈んでいった。
湖の深い水底を漂うように、暗く黒い世界を彷徨い続ける。
今見たものは、きっと走馬灯だ。
俺は死んだのか。
もうベリィに会うことも、アルブに帰ることすらも叶わない。
そんな中で、不意に水面から仄かに月明かりが差し込んだ気がした。
月明かりは次第に鮮明さを増し、やがて水面は星空へと移り変わった。
俺の前には、あの頃と変わらない……いや、あの頃よりもずっと逞しくなったベリィの姿があった。
俺にロードカリバーを刺したその姿は、まるで魔王に立ち向かう勇者のようだった。
ベリィは、夢を叶えたんだな。
そうして俺は、ベリィに救われた。
俺の意識がない間、きっと酷い事をしてしまったのだろう。
どれだけ謝ろうと許される事ではないが、この言葉だけは、どうしても最後に伝えたかった。
「ただいま、ベリィ」
そして、愛してる。
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