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第一部

戦う理由

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時はターニャとドライケルの決着が着く少し前に遡る。


「あら…….ドライケルのやつ、珍しく本気になってるわね。まさかこんな辺鄙なところにそれだけの相手がいるなんて驚きだわ」


天を衝くほどの魔力の唸りを感知したのか、女が言った。

アルテアも先程の男ーードライケルと呼ばれたイーヴルの魔力が爆発的に膨れ上がったことには気づいていた。


「それに比べて、こちらはずいぶんと地味な戦いよねぇ」


女が挑発めいた視線を寄越した。

舐めつけるような粘りっぽい視線にアルテアは若干の不快感を覚えて鼻を鳴らす。


「それはあんたの攻撃が地味なせいだろ」


「あらあら……まだそんなに強がりが言えるなんて大したものだわ。お姉さん、生意気な子も好きよ。とってもいたぶりがいがあるんだもの。一枚ずつ爪を剥いでいくのがすっごく楽しいのよ?」


女が恍惚とした声で言いながら嗜虐的な笑みを浮かべる。

他人を屈服させることが楽しくて仕方がないという顔だった。


「悪趣味なやつめ」


「だが、そのおかげで時間が稼げておるのも事実」


顔をしかめるアルテアに、ハクが言う。

性格は最悪だが、ハクの言う通り、そのおかげでアルテアはまだ生き延びていた。

女が本気ならアルテアは五分と持たずに殺されていたかもしれない。それ程の実力差があるのだ。

突如、アルテアの身体に不可視の力がのしかかった。


「くっーー!!」


即座に横に跳ぶと、

ズンっ!と彼のいたあたりの地面だけが大きく陥没した。

何とかかわしたのも束の間、

不可視の攻撃がさらにアルテアを襲う。

縦横無尽に駆け回りアルテアは何とか攻撃をかわしていくが、徐々に避けきれなくなっていく。女が攻撃の速度を上げているのだ。


「もっとはやく避けないと潰れちゃうわよ。ほら、がんばってぇ」


女の甲高い猫なで声が癇に障りつつ、アルテアは攻撃をかわし、ハクに牽制をまかせて着実に女との距離を詰めていく。

アルテアは女の性格をある程度は掴んでい た。

おそらくは相手をなぶるのが好きな生粋のサディスト。


だからこそ女は我慢弱いはず。

アルテアの考えている通りなら、こうして攻撃を交わし続ければ痺れを切らし、必ず大きな一撃を叩き込んでくるだろう。

その時が反撃の機会だった。

アルテアは攻撃をかわしつつ高速で思考を巡らせていた。


先程、会敵直後に二人に魔法を撃ち込んだ時のことを思い出していた。

雷迎雨は上級魔法だ。

一発で山一つを吹き飛ばすほどの威力がある。だがそれにしてはずいぶんと爆発の規模が小さかった。


つまり、どちらかが魔法を弾くか威力を減衰させるかして直撃を防いだのだ。

そして男の方は奇襲した時際、斬撃を避けるのではなく受け止めていた。あの斬撃は局所的な威力なら雷迎雨を上回る。それほどの防御力があるなら、魔法を打ち込んだ時、男が何かをしたとは考えにくい。


何かをしたのは女の方だ。

つまり、女は男ほど防御力が高くない。

渾身の斬撃を直撃させることができれば首を落とせるというのがアルテアの出した結論だった。

だからこそ、今も魔力を研ぎ澄ませながら攻撃を避け続けていた。

そうして避け続けること少し。


「面倒な魔道具ね……」


自分の周りを飛び回りちまちまと魔力弾を撃つハクが鬱陶しかったのか、女が苛立ちをつのらせていた。


「なんだか飽きてきちゃったわねぇ。ドライケルも手こずってるようだし、あなたを始末してあいつを笑いにいくほうが楽しそうだわ」


女の周りに魔力の渦が出来る。

アルテアはそれが解き放たれる瞬間に意識を集中させる。


ーーまだ、まだ、まだだ。


直撃すれば即死。今すぐに逃げろと身体中の細胞が騒ぎ立てていた。警報を鳴らす本能を抑え込んで、ギリギリの瞬間を見極める。


女が魔力を解き放った。

アルテアの身体に攻撃があたる刹那、女の顔が邪悪に歪んだ。完全に仕留めたと思っている顔だった。

アルテアがかっと目を見開き、両足に全力を込めた。


雷を纏ったアルテアがすんでのところで攻撃を掻い潜り、大地に亀裂をつくりながら疾走する。

女の顔は先程と変わらず邪悪な笑みに染まっている。反応できていない。もらった。抜き放った刃が女の首筋に向かって空気を割いていく。

そして、女の首に触れる寸前でぴたりと止まった。


「なにっ……!?」


アルテアが驚愕する。どんなに力を込めても、まるで見えない空間が無限に重なっているように、女に刃が届かない。


「ふふ……私はドライケルほど防御力が高くない。そう思ったのでしょう?正解よ。でもね、坊や。甘いわよ」


女が嘲笑するかのように言った。


「私が操るのは重力。私の周りの空間は歪んでいるのよ。あなたの攻撃は永遠に届かない」


クスクスといやらしく口元を歪めながら女が脚を組み替えて、ピンと指を弾くと、それにあわせてアルテアの身体も凄まじい勢いで地面に引き寄せれた。


「がはっ……!」


小さな身体が地面に叩きつけられたとは思えないほど、衝撃で地面が大きくえぐれた。

なんとか身体を起こして立ち上がろうとするが、不可視の力が重くのしかかっていてまるで動くことができなかった。


「あなたたち人間はそうして虫をみたいに地面に這いつくばっているのがお似合いよ」


さらに重力がのしかかり、耐えきれなくなった身体からバキバキと骨が砕ける音がした。


「ぐああああああああっ!」


「アルッ……!!」


ハクが叫び、女に向かって魔法陣を展開、特大の魔力弾を放つ。

女は迫る魔力弾にロウソクの火を消すようにふっと息を吹きかけると、魔力弾は女に当たる寸前で風船が弾けるように霧散した。


「ぬうっ……!!」


「あなたはまさに羽虫よね」


女は唸るハクに目を向けると、パチンと指を鳴らした。

すると宙に浮かぶハクが凄まじい速さで女の手元に引き寄せられた。


「しまっーー」


ハクは抵抗しようとするも逃れられず女の手に落ちた。

女はハクを手に取り少し眺めたあと、火の魔法で手に持つ魔導書を燃やしてつまらなさそうに投げ捨てた。

メラメラと燃える炎に包まれたハクがアルテアの眼前にドサリと落ちた。


「は、ハク……!」


「あなたはもう少しそこで這いつくばってなさい」


「がっ……があああああああ!!!」


全身の骨が砕かれるあまりの激痛にアルテアが絶叫する。それでも意識だけは保っていた。


「まだ生きてるなんてすごいわね。あなた、本当に人間の子供なのかしら?」


女も感心したような呆れたような調子で口を開いた。


「まあ、もうすぐ死んじゃうからどうでもいいけれど。さて、私もドライケルのところに行こうかしらね」


女がアルテアを一瞥した。興味のなくなった玩具を捨てるみたいに、その目は何の感情も持ってはいなかった。

女が視線を切って歩き出そうとしたところで、背中に痛みがはしった。

女の背中からつうっとわずかに血が流れる。


「あなたにかけた重力魔法は解いていないはずだけれど……」


立ち上がり剣を構えるアルテアを、女が苛立たしそうに睨みつけた。


「行かせないと、言ったはずだ……」


アルテアは射るような視線を返した。


「私の肌に傷をつけるなんて……そんなに苦しんで死にたいのかしら?」


「はは……は。元々肌割れがすごいんだ、そんなに気にするな」


「このガキ、減らず口を!」


女がヒステリックに叫んで手を捻ると、アルテアの脚もそれにあわせて捻りあげられた。


「ぐああああっ!」


たまらず地面に倒れ伏した。

意識がだんだんと遠のいていく。

痛みも感じなくなっていた。


自分は死ぬのだろうか。

誰も救えず、果たすと誓った目的も果たすことなく、何も成せずに死ぬのだろうか。


女が何かを喋っているが、それも聞こえない。

女の動きがコマ送りのようにゆっくりと見えた。


イーヴルと初めて戦った時もこんなことがあった気がするなと、場違いなことをアルテアは思った。

不意に、どこからか声が聞こえた。


ーーだから私は止めたのだ。お主はあの時、逃げるべきだった


「ハク……」


本の姿ではなく、初めてあった時の少女の姿をして目の前に立っていた。彼女は怒っているようにも、哀しんでいるようにも見えた。


「そう、かもな」


何故か痛みは感じず、普通に話すことが出来た。周囲のあらゆるものが時間が止まったように動きを止めていた。


「なぜそんなになってまで戦う?所詮は他人だろう。お主にはお主の目的があるはずだ」


ハクが吐き捨てるように言う。


「なぜ……か」


アルテアが噛み締めるように呟いた。


「お前はいつか言ったよな。選択とその結果が人をつくるって……そして、そこには正解も不正解もなくて、俺の信念があるって」


「ふん……それがどうした」


「この世界に来てから、俺は色々なことで随分と悩んだよ。でも……そんなに悩む必要なんてなかったんだ。お前の言う通り、きっとそこには正解も、もちろん不正解もない。俺はただ、自分に素直になってやりたいことをやれば良かったんだ。そして俺は戦うことを選んだ。俺が、この世界が好きだからだ。家族がいて、友だちがいて、綺麗な空が見える。そんな世界が好きで、皆が好きで、失いたくないと思ったからだ。そして前の世界も、皆が家族と笑いあって生きていけるような世界にしたい。ここで皆を見捨てて逃げたら俺はきっとそこにはいけない……だから俺は戦うんだ」


「バカが……死んでは何にもならんだろうが。自分を大切にせよと、私は言ったはずだ」


「それは……すまない….…」


「やれやれ……お主は本当に、どうしようもないバカだ」


ハクが心底呆れたように首を振る。

そして大きく深呼吸して、何かを考えるようにアルテアをじっと見つめて、やがて口を開いた。


「生きたいか?」


そう問いかけるハクの顔は、見たこともないほど真剣で、神秘的だった。

まるで神様みたいだと、場違いながらもアルテアがそう思ってしまうほどに。


「生きる術があり、それがどんなに苦しいものだとしても……いっそ死んだ方がマシだと思えるような苦難や苦痛が先に待っているかもしれん。それでも……お主は生きたいか?選べ。己の意思で」


いつか、どこかで聞いたことのあるような問いかけだった。

そんなに時間は経っていないはずなのに、なんだがとても遠くまで来てしまったような気がして懐かしくなった。


「ああ……俺は、生きたい」


アルテアは力強く頷いた。


「……よかろう。ならば私もパートナーとして……共に歩もう」


少女の姿が光のように淡く消えていく。

消える直前、少女が最後に笑ったように見えた。
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