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第一部
触れてはいけないような
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賑やかな夕食も終わりを迎え、後片付けの手伝いを三人がしていたとき、屋敷の扉が慌ただしく叩かれた。夜に屋敷を尋ねてくる者は珍しい。何事かとターニャが片付けの手を止めて足早に扉を開けると、見知った男が中に飛び込んできた。
「ア、アルゼイド旦那はいるか!?」
一度見れば忘れない、深い髭に覆われた顔。テオだった。余程急いできたらしく、すっかり息を切らしていた。
「いえ……旦那様はまだお戻りになられておりません。何かありましたか?」
ターニャが答えると、テオは苦虫をかみ潰したように顔を歪めた。その様子でアルテアとターニャは何か問題が起きているらしいと察する。
「お、お父さん!?」
騒ぎを聞きつけてひょっこりキッチンから顔を出したノエルがテオを見て駆け寄ってきた。
「そんなに慌ててどうしたの?」
「お、おお……ノエル!!」
テオが娘の姿を見て心底安心したという様子で大きく胸をなでおろした。サンドロッド家で夕食をとることは事前に伝えていたのだが、そのことに気が回らないほどテオは焦っているようだった。
「それで、いったい何事ですか?」
アルテアがテオに尋ね、ターニャがキッチンから水を持ってきてテオに手渡す。
テオは受け取った水を一息で飲み干してから、ふぅ、と息を整えた。
「すまねえ。気が動転しちまってよ」
一息ついたことで少し落ち着いたようだ。ノエルの方にチラと目をやって少し迷った素振りをしてから、 思い切ったように口を開いた。
「……死人が出ちまった」
彼の言葉にその場にいた誰もが息を呑み、雰囲気が一変した。部屋の温度が一気に下がった気がするほどだった。テオの顔も悲痛な色に染まっている。
「事故や病気などではなく、殺害された……ということですか?」
ターニャが声を硬くして言うと、テオが無言でそれに頷く。
「俺のとこに相談が来たんだ。村の若いのが森に入ったきり戻らねえ。最近、バケモン地味た唸り声もよく聞こえてくるから心配だ。少し探してみてくれないか、ってな。ここ最近、森の魔獣が騒がしいのはアル坊たちも知ってんだろ?」
テオの言葉にみなが頷く。今日もけたたましい獣声を何度か耳にしていた。アルテアの中で、染みが広がるみたいにじわりじわりと嫌な予感が大きくなる。
「そんで腕っ節に自信のあるやつを集めて捜索したんだ。そんときゃ誰もそんな大事になるとは思ってなかった。おおかた日が落ちて暗くなったから道に迷ったんだろうってなもんだ。だから、わざわざあんたらにも言わなかった」
「そして遺体を発見した、というわけですね」
ターニャが静かに続けた。
「ああ。……遺体、なんて生易しい状態じゃなかったがな」
その時の記憶が蘇ったのか、テオは唇をかみしめて顔を曇らせた。彼の怒りが伝わってきた。
「問題はそれだけじゃねえんだ。姿の見えねえガキどもがいる。聞いた話だが森の中に隠れ家みたいなもんを造ってそこでよく遊んでたらしい。旦那がいるなら陣頭指揮を取ってもらうよう頼もうと思って尋ねたんだが……」
テオはそこで言葉を詰まらせ、伺うようにターニャを見る。豪放磊落を地で行く彼にしては珍しく、期待と不安が入り交じったような目をしていた。
「状況は把握しました」
その視線に応えるようにターニャが静かに告げる。
「微力ながら、私が捜索に加わりましょう」
「ありがてぇ。あんたが来てくれれば心強いぜ。じゃあ早速行くとすっか!」
そう言って二人が駆け出そうとしたところで、アルテアが二人の背中に声をかけて呼び止めて二人に告げる。
「待って、俺も行く」
「なりません」
ターニャがぴしゃりと言った。有無を言わせぬ厳しい口調だった。
「今回は、何やら嫌な予感がするのです。万が一、坊ちゃんの身に何かあっては旦那様に顔向けできません。どうか、こちらでお待ち下さい」
彼女が自分の身を案じて心からそう言っていることがアルテアにはわかった。だが、引かなかった。
「俺は領主代行の息子だ。俺には領地の問題を解決する義務があり、それだけの力も持っているつもりだ。何より俺はアルゼイド・サンドロッドの息子だ。だから俺も行かせてほしい」
主従の二人が見つめ合う。両者とも譲る気は無いと言外に告げていた。その沈黙を破ったのはアルテアでもターニャでもなかった。
「行かせてあげなさい」
「しかし、奥様……」
「大丈夫よ、ターニャ。アルちゃんはすごく強いもの。それに、何かあってもあなたが守ってくれる。そうでしょう?」
そう言っていたずらっぽくティアが笑うと、ターニャが観念した様子でため息をついた。
「ずるいですね。そう言われては認めるしかありません」
「あら、心外だわ。私はあなたのことをとても信頼してる。それだけよ」
「身に余るお言葉でございます」
いつものように冗談めかしていう彼女は、しかし喜んで見えた。
「……母さん」
アルテアが声をかけると彼女は優しく微笑んだ。
「話はまとまったみてえだな。そんじゃあ行くとすっか」
「そういうわけで俺は二人と一緒に捜索に加わる。悪いけどお前たちはここで待っててくれ。今は無闇に出歩かない方がいいと思う」
アルテアが二人の少女にそう告げると、
ノエルが何かを決心したみたいにぎゅっと拳を握りしめた。
「わ、わたしも行くっ!」
「はあ!?」
テオが仰天した。
「だめだ、だめだ!ここで大人しくしてろ!ほんとに危ねぇんだ。お前に何かあったら俺は死んでも死にきれねえ!」
テオがターニャと同じようなことを言って諌めるが、それに対してノエルから思いもよらぬ言葉が飛び出した。
「み、皆が秘密基地って呼んで遊んでたところ、わたし知ってるの!」
「なっ、そりゃあ本当か!?」
テオが驚きながら、ターニャが鋭い視線で、アルテアが注意深くノエルを見つめる。皆の視線が一斉に自分に向けられ、彼女はその小さな身体をさらに小さく竦ませる。そんな彼女の緊張をほぐすようにアルテアがなるべく優しく尋ねた。
「今の話は本当なのか?」
「……うん。私もそこで遊んでたことあるから案内できる」
普段の彼女からは想像できないほどきっぱりと言い切った。
「なら地図でも書いてくれりゃあいい!一緒に来るのはだめだ!」
「今は夜だし、道はけっこう入り組んでるんだよ?迷わずに行ける?」
「だ、大丈夫だ、問題ねえ!」
頑なな姿勢を貫くノエルとテオの話は平行線を辿ったまま終わりそうになかった。ターニャもそれを察したのか、少しの瞑目のあと静かに口を開いた。
「テオ様のお気持ちは痛いほどわかります。私も坊ちゃんの同行に反対した手前、このようなことを言うのは不躾だと自覚しております。ですがノエル様の言うことも一理あります。今は一刻を争います。知っている者に案内していただくのが最善でしょう。どうかお許しを」
そう言って深々と頭を下げた。
「ぬぐっ……。そりゃそうだが、しかしよぉ」
ターニャにそうまでされては流石のテオも言い淀む。父として娘を危険に晒すわけにはいかないという想いと、子供たちを一刻もはやく助けたいという使命感がせめぎ合っていた。
「テオさん、ノエルは俺とターニャが守ります」
揺れるテオの背中を押すようにアルテアが言うと、テオは観念したように首を降った。
「わーったよ…。そこまで言われちゃ俺も反対できねえよ。ノエル、案内よろしく頼むぜ」
「は、はいっ!」
ノエルが形の良い眉を引きめて元気よく返事をした。
「気をつけて」
イーリスが言うのを聞いて、アルテアは少し意外に思った。彼女ならきっと自分もついていくと言い出しかねないと思っていた。やけに素直に居残りを決めた彼女をまじまじと見る。
「……なに?」
紅の瞳で不思議そうにアルテアを見返す。
「いや、なんでもない。母さんを頼むな」
「任せて」
彼女の力強い返事にアルテアは無言で頷き返した。
「行ってらっしゃい。待ってるわよ、この子と一緒にね」
ティアがアルテアの手を取って、お腹にその手を当てた。
どくんと、お腹の中の脈動が伝わる。
新しい生命の脈動。
無垢なる命がそこに宿っているのだ。
そう思うと、触れてはならないものに触れてしまったような罪悪感が湧いてきた。
「あ、ああ……行ってきます」
動揺を隠しつつアルテアはそっと手を離して踵を返した。二人に見送られてアルテアたちは村の方へ駆け出した。
アルテアは走りながら、何かを思うように自分の手をまじまじと見つめる。
掌の中には、冷めない熱が残っていた。
「ア、アルゼイド旦那はいるか!?」
一度見れば忘れない、深い髭に覆われた顔。テオだった。余程急いできたらしく、すっかり息を切らしていた。
「いえ……旦那様はまだお戻りになられておりません。何かありましたか?」
ターニャが答えると、テオは苦虫をかみ潰したように顔を歪めた。その様子でアルテアとターニャは何か問題が起きているらしいと察する。
「お、お父さん!?」
騒ぎを聞きつけてひょっこりキッチンから顔を出したノエルがテオを見て駆け寄ってきた。
「そんなに慌ててどうしたの?」
「お、おお……ノエル!!」
テオが娘の姿を見て心底安心したという様子で大きく胸をなでおろした。サンドロッド家で夕食をとることは事前に伝えていたのだが、そのことに気が回らないほどテオは焦っているようだった。
「それで、いったい何事ですか?」
アルテアがテオに尋ね、ターニャがキッチンから水を持ってきてテオに手渡す。
テオは受け取った水を一息で飲み干してから、ふぅ、と息を整えた。
「すまねえ。気が動転しちまってよ」
一息ついたことで少し落ち着いたようだ。ノエルの方にチラと目をやって少し迷った素振りをしてから、 思い切ったように口を開いた。
「……死人が出ちまった」
彼の言葉にその場にいた誰もが息を呑み、雰囲気が一変した。部屋の温度が一気に下がった気がするほどだった。テオの顔も悲痛な色に染まっている。
「事故や病気などではなく、殺害された……ということですか?」
ターニャが声を硬くして言うと、テオが無言でそれに頷く。
「俺のとこに相談が来たんだ。村の若いのが森に入ったきり戻らねえ。最近、バケモン地味た唸り声もよく聞こえてくるから心配だ。少し探してみてくれないか、ってな。ここ最近、森の魔獣が騒がしいのはアル坊たちも知ってんだろ?」
テオの言葉にみなが頷く。今日もけたたましい獣声を何度か耳にしていた。アルテアの中で、染みが広がるみたいにじわりじわりと嫌な予感が大きくなる。
「そんで腕っ節に自信のあるやつを集めて捜索したんだ。そんときゃ誰もそんな大事になるとは思ってなかった。おおかた日が落ちて暗くなったから道に迷ったんだろうってなもんだ。だから、わざわざあんたらにも言わなかった」
「そして遺体を発見した、というわけですね」
ターニャが静かに続けた。
「ああ。……遺体、なんて生易しい状態じゃなかったがな」
その時の記憶が蘇ったのか、テオは唇をかみしめて顔を曇らせた。彼の怒りが伝わってきた。
「問題はそれだけじゃねえんだ。姿の見えねえガキどもがいる。聞いた話だが森の中に隠れ家みたいなもんを造ってそこでよく遊んでたらしい。旦那がいるなら陣頭指揮を取ってもらうよう頼もうと思って尋ねたんだが……」
テオはそこで言葉を詰まらせ、伺うようにターニャを見る。豪放磊落を地で行く彼にしては珍しく、期待と不安が入り交じったような目をしていた。
「状況は把握しました」
その視線に応えるようにターニャが静かに告げる。
「微力ながら、私が捜索に加わりましょう」
「ありがてぇ。あんたが来てくれれば心強いぜ。じゃあ早速行くとすっか!」
そう言って二人が駆け出そうとしたところで、アルテアが二人の背中に声をかけて呼び止めて二人に告げる。
「待って、俺も行く」
「なりません」
ターニャがぴしゃりと言った。有無を言わせぬ厳しい口調だった。
「今回は、何やら嫌な予感がするのです。万が一、坊ちゃんの身に何かあっては旦那様に顔向けできません。どうか、こちらでお待ち下さい」
彼女が自分の身を案じて心からそう言っていることがアルテアにはわかった。だが、引かなかった。
「俺は領主代行の息子だ。俺には領地の問題を解決する義務があり、それだけの力も持っているつもりだ。何より俺はアルゼイド・サンドロッドの息子だ。だから俺も行かせてほしい」
主従の二人が見つめ合う。両者とも譲る気は無いと言外に告げていた。その沈黙を破ったのはアルテアでもターニャでもなかった。
「行かせてあげなさい」
「しかし、奥様……」
「大丈夫よ、ターニャ。アルちゃんはすごく強いもの。それに、何かあってもあなたが守ってくれる。そうでしょう?」
そう言っていたずらっぽくティアが笑うと、ターニャが観念した様子でため息をついた。
「ずるいですね。そう言われては認めるしかありません」
「あら、心外だわ。私はあなたのことをとても信頼してる。それだけよ」
「身に余るお言葉でございます」
いつものように冗談めかしていう彼女は、しかし喜んで見えた。
「……母さん」
アルテアが声をかけると彼女は優しく微笑んだ。
「話はまとまったみてえだな。そんじゃあ行くとすっか」
「そういうわけで俺は二人と一緒に捜索に加わる。悪いけどお前たちはここで待っててくれ。今は無闇に出歩かない方がいいと思う」
アルテアが二人の少女にそう告げると、
ノエルが何かを決心したみたいにぎゅっと拳を握りしめた。
「わ、わたしも行くっ!」
「はあ!?」
テオが仰天した。
「だめだ、だめだ!ここで大人しくしてろ!ほんとに危ねぇんだ。お前に何かあったら俺は死んでも死にきれねえ!」
テオがターニャと同じようなことを言って諌めるが、それに対してノエルから思いもよらぬ言葉が飛び出した。
「み、皆が秘密基地って呼んで遊んでたところ、わたし知ってるの!」
「なっ、そりゃあ本当か!?」
テオが驚きながら、ターニャが鋭い視線で、アルテアが注意深くノエルを見つめる。皆の視線が一斉に自分に向けられ、彼女はその小さな身体をさらに小さく竦ませる。そんな彼女の緊張をほぐすようにアルテアがなるべく優しく尋ねた。
「今の話は本当なのか?」
「……うん。私もそこで遊んでたことあるから案内できる」
普段の彼女からは想像できないほどきっぱりと言い切った。
「なら地図でも書いてくれりゃあいい!一緒に来るのはだめだ!」
「今は夜だし、道はけっこう入り組んでるんだよ?迷わずに行ける?」
「だ、大丈夫だ、問題ねえ!」
頑なな姿勢を貫くノエルとテオの話は平行線を辿ったまま終わりそうになかった。ターニャもそれを察したのか、少しの瞑目のあと静かに口を開いた。
「テオ様のお気持ちは痛いほどわかります。私も坊ちゃんの同行に反対した手前、このようなことを言うのは不躾だと自覚しております。ですがノエル様の言うことも一理あります。今は一刻を争います。知っている者に案内していただくのが最善でしょう。どうかお許しを」
そう言って深々と頭を下げた。
「ぬぐっ……。そりゃそうだが、しかしよぉ」
ターニャにそうまでされては流石のテオも言い淀む。父として娘を危険に晒すわけにはいかないという想いと、子供たちを一刻もはやく助けたいという使命感がせめぎ合っていた。
「テオさん、ノエルは俺とターニャが守ります」
揺れるテオの背中を押すようにアルテアが言うと、テオは観念したように首を降った。
「わーったよ…。そこまで言われちゃ俺も反対できねえよ。ノエル、案内よろしく頼むぜ」
「は、はいっ!」
ノエルが形の良い眉を引きめて元気よく返事をした。
「気をつけて」
イーリスが言うのを聞いて、アルテアは少し意外に思った。彼女ならきっと自分もついていくと言い出しかねないと思っていた。やけに素直に居残りを決めた彼女をまじまじと見る。
「……なに?」
紅の瞳で不思議そうにアルテアを見返す。
「いや、なんでもない。母さんを頼むな」
「任せて」
彼女の力強い返事にアルテアは無言で頷き返した。
「行ってらっしゃい。待ってるわよ、この子と一緒にね」
ティアがアルテアの手を取って、お腹にその手を当てた。
どくんと、お腹の中の脈動が伝わる。
新しい生命の脈動。
無垢なる命がそこに宿っているのだ。
そう思うと、触れてはならないものに触れてしまったような罪悪感が湧いてきた。
「あ、ああ……行ってきます」
動揺を隠しつつアルテアはそっと手を離して踵を返した。二人に見送られてアルテアたちは村の方へ駆け出した。
アルテアは走りながら、何かを思うように自分の手をまじまじと見つめる。
掌の中には、冷めない熱が残っていた。
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