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前編
38
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ぺたぺた。
「…………」
「…………」
シュッシュッ。
「……レイラ」
「……言いたいことは分かる」
ぺちょ。
「おい」
「我慢してください」
「だからって、そんなにベタベタ触られたら落ち着いて話も出来ないだろうが!」
「レイラ様がこちらでお手入れされると仰ったのですよ」
それを言われたら負けだ。項垂れた俺の手を取ったデリスがヤスリで爪を整える音が寝室に響いている。寝室に入ってから行われた「お手入れ」は、いつも以上にしっかりと行われていて、目を覚ましていたカーディアスに見られながらのそれは少し気恥ずかしい。今度はしっかりばっちり起きているカーディアスの視線が痛い。
「悪いな、カーディ。デリスはこうなったら引かないから……」
「うん……でも、いつかは俺がレイラをお手入れするから」
「ん? カーディもされる側だろ」
「でもレイラは俺がお手入れするの」
ちょっとよく分からないけど、何やらカーディがやる気になっているから良しとしよう。
「レイラ様をお手入れするのは私の特権ですよ。カーディアス様にお譲りするつもりはございません」
「こら。子供相手に張り合うな」
「本音ですから」
素知らぬ顔で俺の爪を磨き続けていたデリスは、反対側に移ってもう片方の手の爪を磨き始める。磨かれた爪を触ってみると、ツルツルとしている。
前世ではここまで爪を手入れしたことはなかった。でも貴族の世界ではレディーをダンスにお誘いする時にガサガサの手だったらダメってことで手も爪の先まで手入れされる。だから俺の手もガサガサになったことのないツルスベ肌だ。毛が薄い体質だからか、令嬢にも見劣りしない手になっている。手のタレントにもなれるレベルだ。
「レイラ、手、貸して?」
「? ああ」
寝転がったまま俺の手を両手で撫でているカーディは、真剣に爪の先まで確認している。爪の表面を撫でられ、少しこそばゆい。指を絡めてにぎにぎするのは可愛いんだけど、そのまま俺の指を齧るのはやめてくれ。
「……苦い」
「クリームを塗っていたからな。ほら、口寂しいならこれを舐めてなさい」
いくら蜂蜜由来とは言っても、そこには薬草も混ぜられているのだから苦いに決まっている。眉を顰めているカーディの身体を起こして、口の中に蜂蜜飴を放り込んだ。
「レイラ様、あまり蜂蜜飴を食べ過ぎてはいけませんよ」
「分かってるって。時々舐めてるだけだよ」
寝室の枕元の棚に置いてあった蜂蜜飴の瓶を見て、デリスは俺が太っていた時のことを思い出したのだろう。あの時もこの飴はお気に入りだったからなぁ。
「あぁ、そうだ。ジェイス・ローレンのことなんだが」
口の中でカラコロと飴を転がしながら、俺を睨むように見てくるカーディに思わず苦笑が漏れる。
「これから婚約者になることは間違いない」
「んんー!!」
飴を舐めているせいで話せないからか、呻き声で不満を訴えているカーディアスの眼には涙が溜まっている。そんなに嫌なのか。
「大丈夫。婚約者カッコ仮だ。婚約の申し込みを断るためには、アイツを受け入れた方がいいという結論になった。だけど、すぐに結婚はしない。最低でもお前とユリウスが学園に入学するまでは、婚約のままにする」
「んぐっ! やだ! 婚約は他の虫を追い払うために許すとしても、結婚はやだ!」
ジェイス、嫌われてるな。確かに嫌いな相手が家族になるのは嫌だよなぁ。というか、他の虫ってなんだよ。
「でも、いつかは俺も結婚しないと……。それがジェイスになるかは分からないけど、あまりにも結婚しないとフィリア姉上だけじゃなくてお義兄さんまで出てきちゃうし。お義兄さん、フィリア姉上と同じくらい仕事できる人だから、俺を駒にしようとするかも」
「あの方なら、確かにやりそうですね」
デリスもお義兄さんのことを思い出しているのか、その口調は苦々しい。
お義兄さん――フィリア姉上の夫は、フィリア姉上を男にしたような人だ。つまりあの二人は最強夫婦。結婚した時は、これでパトリック公爵家は安泰だと言われ、その裏で恐れおののかれたものだ。
そして俺は、あのお義兄さんのことが苦手だ。結婚前は氷の貴公子とまで言われた人。姉上と両親以外への態度は冷え冷えなのである。つまり、俺への態度も絶対零度。この前はたまたま王都を離れていたようで会わずに済んだけど、出来れば会いたくない人だ。
「じゃあ、せめて結婚は俺達の卒業まで待って!」
「うーん……ジェイスとフィリア姉上が許せば大丈夫だけど、入学まで待つのもかなり無理言ってるんだよ?」
「たったの3年しか違わないなら、待ってくれてもいいじゃん!」
「いや、それはジェイスに言うべき……」
「じゃあ今から言ってくる!」
「ちょっ、待て待て!」
ベッドから飛び降りて走り出そうとした身体を慌てて捕まえる。大きくなったとはいえまだまだお子様。俺に捕まって悔しそうなカーディアスをベッドに寝かせて、自分もその横に滑り込んだ。
「レイラ様、まだ終わっていませんよ」
「後は夜でいい。どうせまた同じの塗りたくるなら、その方が効率的だろ」
「……まったく。わがままさんなんですから」
「その呼び方は止めろ」
デリスの口撃を聞き流して、俺はギュッと腕の中の温かい存在を抱き締める。
「レ、レイラ?」
「まだ夕食まで時間がある。一緒に少し寝よう」
「でも……」
「俺と一緒に寝るの、嫌か?」
ごそごそと居心地悪そうに動いていたカーディアスは「嫌じゃない」と小さく呟いて、俺の胸に頭を擦り寄せた。可愛い奴だ。
そっと振り向いて、デリスに視線を送る。その意味をちゃんとくみ取った優秀な俺の専属執事は、ため息をついてヤレヤレと首を振ると、仕方なさそうにライトを消して退室した。
まったく。あの顔は後でまたお小言を言われるな。
憂鬱な気持ちを紛らわすように、俺はスリスリと胸に頭を擦り付けてくる可愛い息子を再びギュッと抱きしめたのだった。
「…………」
「…………」
シュッシュッ。
「……レイラ」
「……言いたいことは分かる」
ぺちょ。
「おい」
「我慢してください」
「だからって、そんなにベタベタ触られたら落ち着いて話も出来ないだろうが!」
「レイラ様がこちらでお手入れされると仰ったのですよ」
それを言われたら負けだ。項垂れた俺の手を取ったデリスがヤスリで爪を整える音が寝室に響いている。寝室に入ってから行われた「お手入れ」は、いつも以上にしっかりと行われていて、目を覚ましていたカーディアスに見られながらのそれは少し気恥ずかしい。今度はしっかりばっちり起きているカーディアスの視線が痛い。
「悪いな、カーディ。デリスはこうなったら引かないから……」
「うん……でも、いつかは俺がレイラをお手入れするから」
「ん? カーディもされる側だろ」
「でもレイラは俺がお手入れするの」
ちょっとよく分からないけど、何やらカーディがやる気になっているから良しとしよう。
「レイラ様をお手入れするのは私の特権ですよ。カーディアス様にお譲りするつもりはございません」
「こら。子供相手に張り合うな」
「本音ですから」
素知らぬ顔で俺の爪を磨き続けていたデリスは、反対側に移ってもう片方の手の爪を磨き始める。磨かれた爪を触ってみると、ツルツルとしている。
前世ではここまで爪を手入れしたことはなかった。でも貴族の世界ではレディーをダンスにお誘いする時にガサガサの手だったらダメってことで手も爪の先まで手入れされる。だから俺の手もガサガサになったことのないツルスベ肌だ。毛が薄い体質だからか、令嬢にも見劣りしない手になっている。手のタレントにもなれるレベルだ。
「レイラ、手、貸して?」
「? ああ」
寝転がったまま俺の手を両手で撫でているカーディは、真剣に爪の先まで確認している。爪の表面を撫でられ、少しこそばゆい。指を絡めてにぎにぎするのは可愛いんだけど、そのまま俺の指を齧るのはやめてくれ。
「……苦い」
「クリームを塗っていたからな。ほら、口寂しいならこれを舐めてなさい」
いくら蜂蜜由来とは言っても、そこには薬草も混ぜられているのだから苦いに決まっている。眉を顰めているカーディの身体を起こして、口の中に蜂蜜飴を放り込んだ。
「レイラ様、あまり蜂蜜飴を食べ過ぎてはいけませんよ」
「分かってるって。時々舐めてるだけだよ」
寝室の枕元の棚に置いてあった蜂蜜飴の瓶を見て、デリスは俺が太っていた時のことを思い出したのだろう。あの時もこの飴はお気に入りだったからなぁ。
「あぁ、そうだ。ジェイス・ローレンのことなんだが」
口の中でカラコロと飴を転がしながら、俺を睨むように見てくるカーディに思わず苦笑が漏れる。
「これから婚約者になることは間違いない」
「んんー!!」
飴を舐めているせいで話せないからか、呻き声で不満を訴えているカーディアスの眼には涙が溜まっている。そんなに嫌なのか。
「大丈夫。婚約者カッコ仮だ。婚約の申し込みを断るためには、アイツを受け入れた方がいいという結論になった。だけど、すぐに結婚はしない。最低でもお前とユリウスが学園に入学するまでは、婚約のままにする」
「んぐっ! やだ! 婚約は他の虫を追い払うために許すとしても、結婚はやだ!」
ジェイス、嫌われてるな。確かに嫌いな相手が家族になるのは嫌だよなぁ。というか、他の虫ってなんだよ。
「でも、いつかは俺も結婚しないと……。それがジェイスになるかは分からないけど、あまりにも結婚しないとフィリア姉上だけじゃなくてお義兄さんまで出てきちゃうし。お義兄さん、フィリア姉上と同じくらい仕事できる人だから、俺を駒にしようとするかも」
「あの方なら、確かにやりそうですね」
デリスもお義兄さんのことを思い出しているのか、その口調は苦々しい。
お義兄さん――フィリア姉上の夫は、フィリア姉上を男にしたような人だ。つまりあの二人は最強夫婦。結婚した時は、これでパトリック公爵家は安泰だと言われ、その裏で恐れおののかれたものだ。
そして俺は、あのお義兄さんのことが苦手だ。結婚前は氷の貴公子とまで言われた人。姉上と両親以外への態度は冷え冷えなのである。つまり、俺への態度も絶対零度。この前はたまたま王都を離れていたようで会わずに済んだけど、出来れば会いたくない人だ。
「じゃあ、せめて結婚は俺達の卒業まで待って!」
「うーん……ジェイスとフィリア姉上が許せば大丈夫だけど、入学まで待つのもかなり無理言ってるんだよ?」
「たったの3年しか違わないなら、待ってくれてもいいじゃん!」
「いや、それはジェイスに言うべき……」
「じゃあ今から言ってくる!」
「ちょっ、待て待て!」
ベッドから飛び降りて走り出そうとした身体を慌てて捕まえる。大きくなったとはいえまだまだお子様。俺に捕まって悔しそうなカーディアスをベッドに寝かせて、自分もその横に滑り込んだ。
「レイラ様、まだ終わっていませんよ」
「後は夜でいい。どうせまた同じの塗りたくるなら、その方が効率的だろ」
「……まったく。わがままさんなんですから」
「その呼び方は止めろ」
デリスの口撃を聞き流して、俺はギュッと腕の中の温かい存在を抱き締める。
「レ、レイラ?」
「まだ夕食まで時間がある。一緒に少し寝よう」
「でも……」
「俺と一緒に寝るの、嫌か?」
ごそごそと居心地悪そうに動いていたカーディアスは「嫌じゃない」と小さく呟いて、俺の胸に頭を擦り寄せた。可愛い奴だ。
そっと振り向いて、デリスに視線を送る。その意味をちゃんとくみ取った優秀な俺の専属執事は、ため息をついてヤレヤレと首を振ると、仕方なさそうにライトを消して退室した。
まったく。あの顔は後でまたお小言を言われるな。
憂鬱な気持ちを紛らわすように、俺はスリスリと胸に頭を擦り付けてくる可愛い息子を再びギュッと抱きしめたのだった。
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