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「ナチ」
「あ、お帰りなさい」

コツコツと品のある足音がしたと思ったら、やっとこの部屋の主が帰ってきた。飼い主を待っていた犬みたいにラスに駆け寄って喜びを表現する僕とは対照的に、ラスの不機嫌ですと大きく顔に書いている。

「どうしました?」
「……扉の傷は、アイツらか?」

開けっ放しになっている内開きの扉。ちらっと見ると、向こう側には強い力で蹴りつけたと一目で分かる傷がついていた。誰かが蹴破ろうとしていたのは一目瞭然だ。
あーあ、だから言ったのに。

「アイツらって?」
「聖女と商人の職業スキルを授かった二人だ」
「それって姫川さんと坂元くんのことですか?」
「名前なんか覚えてない。基本的に彼らのことは職業名で呼ぶからな。それで、どうなんだ」
「名前を覚えてないなら確かめられない。ラスはなんでその二人だと思ったんです?」
「訓練の途中にその二人が一時的に抜けた。戻ってきた時もイラついていたし、俺の顔を見て驚いていた」
「じゃあ正解ですね」

久々の団長様がいる訓練で何人も抜け出すとは思えない。この場合はむしろ、誰も抜けないのが正解だろう。あの二人は部屋の主のラスがいなければ僕のことは簡単だと思ったようだけど。そういう短絡的な所が馬鹿なんだよねぇ。

「何をされた」
「何も。しいて言うなら、またアイツらのサンドバッグになれって言われたくらいです。後は勝手に団長室に入った不法侵入と、扉に傷をつけた器物破損」
「サンドバッグって何」
「簡単に言うと、殴られるための玩具」

本当は競技のためのちゃんとした器具だけど、ここではそういった説明は求められていない。完全な答えではないけど、ここでは使われる意味としては正解だからいいだろう。

「アイツらは僕が自分の意志でアイツらのところに戻ったっていう事実が欲しかったからか、強引に連れ出そうとはしませんでした。だから、この部屋全体に守護魔法がかかっていて、強引に部屋に入ろうとするとラスに警告が行くって言ったらビビッて帰っていきましたよ」
「だから俺を見て驚いていたのか。大方、俺が部屋に向かってるとでも言ったんだろ」
「大正解です」
「だが、訓練場に戻ってきたら俺は変わらず訓練をしていた。お前が嘘をついたと思って今度はこの部屋にも入ってくるかもしれないぞ」
「そう思わせておけばいいんです。それを理由にアイツらの信頼を無くしたいので」

僕の作戦を聞いても、ラスの機嫌は悪いままだ。それは、かけておいた警告の魔法がうまく作動しなかったことも含まれているんだろう。だけどあれは部屋の扉を本気で開けようとしない限り作動しない。坂元くんは蹴っていただけだから、警告の対象から外れたんだろう。

「勇者の仲間であれば、二人ほどの信頼を無くしたところで何の解決にもならないぞ」
「信頼を無くすのは、神尾くんたちの中でです。彼らはたった6人。少人数だけど、彼らの中でのヒエラルキーは絶対的です。ここで何か問題を起こせば、神尾くんが黙っていない。あの二人自身がヒエラルキーの最下位に落ちる可能性もある。それをあの二人は分かっていない」
「……成程な。わざとここに強引に踏み込ませる気か」
「そのとおり。ラスは今まで通りに訓練に参加してください。その間に僕を誰か信頼できる人に預けてくれれば、後は勝手に自滅します。警告が来たら、貴方はすぐに部屋に戻るだけ。そして姫川さんと坂元くんに詰問する。以上」

ずっと立ったままだったラスの手を引いてベッドに座らせる。その間に話す内容にも納得していない顔だ。眉間に皺が寄っている。でも、ムってしている顔も綺麗で可愛いんだから、美形っていいなぁ。

「お前を他人に任せたくはない」
「僕だって、僕のことを一番に守ってくれるのはラスだって信じてますよ。だけど、アイツらには一度、ちょっとしたお灸を据えないといけないんです。僕の可愛らしい仕返しに乗ってくれませんか?」
「…………」

むむっとした顔で悩んでいるラスも可愛い。多分傍から見ると、すっごい怖い顔なんだろうけど、僕には可愛く悩んでるって感じしかしない。これが恋は人を盲目にするってやつか。

「ラス。僕は、僕を守ってくれるのは貴方だけでいいと思います。だけど同時に、僕に傷をつけるのも貴方だけがいいと思うんです」

――ラスは、そう思わないんですか?

言外にそう加えると、ラスの目に獰猛な光が過ぎった。それは明らかな嫉妬の色。僕の過去と、これから僕を傷つけるかもしれない存在に向けての、嫉妬。
それを見て、僕は心が満たされるのを感じた。これ程の強い感情を向けてもらえて、嬉しくないはずがない。あぁ……やっぱり好きだなぁ。
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