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<おまけ>ハインリヒの視点4

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 久しく会った彼女は、いつになく顔色が良い。匂い立つような美貌が、何とも言えず輝いている。
 どこか悲しげで陰のある美貌も良かったが、王家という厄介な憑き物を払い落した彼女は随分とすっきりしていた。
 ようやく休養を取ることができたのも大きいだろう。彼女は常に激務を押し付けられていた。睡眠時間を削り続け、王家に尽くしていたのだ。
 そして、その見返りが婚約破棄という侮辱である。
 分かっていたと言え、ハインリヒは苦々しい気持ちになる。フレアの計画に水を差すのはいけないと我慢していがた、それでも苛立たしい気持ちになる――一方で、フレアの頬が化粧ではない薔薇色を帯びているのが、嬉しく思えた。
 これからが、ハインリヒの一世一代の大勝負である。




 グランマニエ皇族という肩書きを利用し、やや強引に接近した。
 おどけて従者ごっこをしてフレアの傍にいた。
 その立場利用して好みの紅茶やお菓子、読書する本の傾向や、色々な趣味やちょっとした癖などをつぶさに観察する。
 彼女は休んでいるとは言うものの、山のよう来る縁談に毎日返事を書いていたり、妹の縁談のフォローをしたりと忙しくしている。神殿からもひっきりなし連絡が来る。
 ハインリヒとしては、少し、いや、かなり複雑である。
 ようやく王家と距離ができても、フレアは大変そうだ。
 父親は相変わらず無能な屑だし、伯父だという男は知っての通り――『横顔』ので彼だが――下衆だった。
 フレアの母親と祖父母がまともなのが救いである。
 フレアは彼らがいざという時は逃げ場所になってくれると知っていたから、ここまで徹底して王家に復讐したのだろう。
 そして、だからこそ王家の被害がいかない様に距離も取っていた。
 帰る場所があるというのが、フレアの人としての心を糸一本繋いでいた。
 信頼する使用人の前では、花すら霞む笑みを浮かべている。
 エンリケは散々冷血女、氷のようだと罵っていたが、単にそれは彼の不誠実な言動の末の姿である。
 傍にいて感じたフレアは、計算高い一面はあるが、身内には真摯な人柄である。強者におもねることだけを良しとせず、虐げられる弱者にそっと逃げ道を用意し、気遣いをする人であった。
 異母妹ーー正しくは従妹のユリアにもそれは与えられた。問題の多い出生を知っていても、彼女を妹として最後まで守り国外に逃がした。
 計画は狂い、グラニアとケイネスの宿願は壊れた。特にケイネスは激昂していたが、逆に捕らえられて牢に入れられた。
 フレアは着々と、自分を軽んじた人間を裁いていく。
 早めに芽を摘むのも確かに正しいことだ。だが、機が熟した時に花を毟り、実を叩き落とすというのも効果的だ。
 大事に整えた舞台が大きく破綻する。それを準備した者達は絶望するだろう。
 待った分だけ、働いた分だけ――そして、時期を逃せばやり直しが二度とできなくなる。
 フレアは大鉈を振るった後、丁寧に残骸を潰していった。
 的確に、迅速に、丁寧に。一つ一つ確実に。ハインリヒはその手際の良さにうっとりとする。
 慈悲は必要なところに注ぎ、不要なところからこそぎ落とすようにして壊して奪っていく。
 その采配は見ていて実に素晴らしいものだった。気持ちが良いと言っていいくらいである。


 やがてブランデル王国の治安が少しずつ危うくなってくる。
 フレアの後始末が粗方終わったのを見計らって、グランマニエ帝国に招待した。
 ここ最近、ハインリヒがブランデルに――フレアの傍にいると知った皇帝夫妻や皇太后から猛プッシュで攫って来いと催促が来ていた。
 このままでは自分ではなく、彼らが攫いに来そうである。それは困る。ハインリヒにも面子があるのだ。やや強引にフレアを連れ帰ると、大歓迎をする家族に、ハインリヒは頭を抱えた。
 見事にブランデル王国に火種をバラまいたフレア。それを解っていて喜んでいるのだろう。表立ってよくやったと褒めはしないが、恨み芯骨であったベネシーやトルハーン辺りの素晴らしい笑顔がやけに晴れやかだった。
 あの国が地図上から消えるのは時間の問題であった。



 ブランデルという忌まわしい場所から離れたフレアは、纏う空気がとても穏やかになった。
 グラン語に堪能であるし、異文化への理解も深いフレアがグランマニエ帝国に馴染むのは早かった。
 自分のホームにまんまとフレアをおびき寄せたハインリヒは、ここぞとばかりにフレアを懐柔しにかかった。
 そこで分かったのは、フレアは随分と初心な少女であることだ。
 性病持ちの婚約者とはキスもセックスも絶対したくない。ハグだってしたくないと拒絶しまくっていたこともあっただろう。
 未来の王妃として教育されていた彼女は、淑女の鑑としても求められた。貞淑というカードですべてを跳ね除けており、淑女らしく異性と深くかかわらなかったフレア。
 それはエンリケがまともに彼女をエスコートしなかったことや、プライベートの時間がなかったことも察せられた。
 それを埋めるようにハインリヒはデートやプレゼント、手紙やメッセージカードを惜しまなかった。
 とっくに惨殺されてい元婚約者のエンリケを、一度刺しておくべきだったと後悔するくらい、フレアは可愛らしい女性だった。知れば知るほどのめり込み、寵愛し耽溺するようになっていく。
 フレアはハインリヒの思惑に気付かないわけがなかったが、それでも拒絶しなかった。
 グランマニエの皇子妃教育や皇后教育もすんなりと履修したフレアは、ハインリヒの公務に付き添うようになる。
 婚約破棄から一年ほどで、皇子妃として遇されることとなった。
 本来ならもう少し時間をかける婚約期間は、皇帝と皇太后がゴリ押して縮小させた。
 ハインリヒより前のめりにフレアを囲い込もうとする二人。
 長年見守っていた分、拗らせていた。
 もともとフレアの器量の良さは国際的な場では有名であったし、ぼーっとしていて横やりが入るのを危惧していたのもあっただろう。 


 フレアが皇子妃となり、一年もしないうちに皇后になり、すぐに子宝に恵まれた。
 フレアによく似た皇女。だが黄金色の瞳はハインリヒ譲りだった。フレアは耳と爪の形がそっくりだとも言っていた。爪の形を比べたが、武骨な自分の爪と小さな桜貝のように愛らしい娘の爪は、比べようがなかった。とにかく可愛くて仕方なかったのだ。同じように耳を確認しようとしたが、自分の目では鏡を使っても確認が難しかった。
 サイモンに手伝ってもらい、何とか確認できた。一人で小一時間頑張っていたのが馬鹿みたいに簡単だった。最初から二枚の鏡を使えばよかったのだが、興奮しすぎて頭が回っていなかった。
 待望の娘は、控えめに言って天使だった。
 皇太后と皇帝夫妻が激しい孫フィーバーになっていた。
 子宝にはよく恵まれ、その後に皇子も皇女も生まれた。どの子も愛おしい。フレア以外の皇妃は娶らなかったが、トルハーンの皇子や皇女も含め後継者には困らなかった。
 母になったフレアは神々しいほどに美しい。王侯貴族の夫人や妹でありママ友でもあるユリアと文通しながら妻として、母として努力を惜しまなかった。
 ハインリヒは日記に書く内容が多すぎて、一日五ページ埋まることすらあった。出だしの九割は、今日もフレア(もしくは婚約者・妻)が美しい(可愛い)である。偶然、運悪く中身を見たフレアの侍従であるサイモンが「死ぬまで絶対、この日記は隠してくださいね」とやたら念を押すくらいには赤裸々だった。
 一度、取り寄せた外国書籍に紛れて日記をフレアへ渡してしまったのだが、彼が気付いて回収してくれたのだ。
 不審な本だったので、中身をうっかり見てしまったそうだ。
 ハインリヒは恩人であるものの、サイモンが恨めしかった。


 ある日、皇帝の私室のとある場所が壊れた。具体的に言えば、壁にある隠し部屋というか、倉庫が壊れた。
 日記を入れっぱなしである。これは、絶対見つかったらアウトな感じである。
 サイモンの完全なるフラグ回収である。
 退位して部屋を引き払うことになっても、回収できなかった。
 日記のある場所だけ局地的な大火事になって欲しいと思わずにはいられなかった。
 



 退位して四十年経った。
 王宮の片隅で、愛する妻と静かに暮らしていたハインリヒ。
 娘が一人、次の皇帝に嫁いだ。ネスティには長年ハインリヒの天使に恋い焦がれていた。どうしてもとずっと乞われ、ついに譲らなければならなくなった。
 それを悲しんでいる間に娘が産んだ皇子がこの度、立太子することとなった。
 おかしい。つい最近までフレアの膝の上で「ばぁば」と甘えていたのに。ちょっと嫉妬した。ちょっと、いや割と本気である。フレアは子供っぽいハインリヒにくすくすと転がすような声で笑っていた。
 年を重ねても、フレアはずっと美しい。白くなった髪も、老いた皺すら愛おしかった。
 最近、フレアは寝台から起き上がらない。体調が芳しくないのだ。
 それでも穏やかに目を細め、ハインリヒの話を聞いている。
 彼女と最後にデートに行ったのは、半年ほど前の避暑地であった。
 最近ではオペラや舞台などの観劇も見に行っていない。ハインリヒとフレアをモチーフにした『比翼』という舞台が王都でもまだ流行っているそうだ。『横顔』と二大巨塔は、必ずどこかでは演じられているという。
 どんな女優が演じても、フレアの方が美人である。
 そういうたびに、フレアが笑っていた。




 フレアが死んだ。老衰だった。
 帝国の慈母フレア・ブランデル。『皇帝が太陽ならば、彼女は月である』と称された皇后であった女性。
彼女は静かな夜に息を引き取った。
 死んでもなお美しく、火葬される間際までハインリヒはそばから離れなかった。
 どんな時も前を向いていた、偉大なる皇帝ハインリヒ。
 その彼が背を丸め、慟哭していたのは後にも先にもこれ一度きりだったそうだ。
 あとを追うようにして、間もなくハインリヒは息を引き取った。

「どうか、フレアの傍に埋葬してくれ」

 彼が願った通り、彼は愛する妻の隣に墓を作られた。
 王墓である霊廟は広い。不仲である皇帝皇后は歴史の中にいた。必ずしも同じ墓に入るとは限らないのだ。
 一般的に隣り合うことが普通だが、彼は敢えて強く願った。
 傍に居たいと。
 偉大なる皇帝は、虹の向こうで待っている妻を追った。
 骨も魂も共に傍にと、彼は望んだのだった。



 偉大なる皇帝が没して、伝説となりつつあった頃、皇帝の私室から世紀の発見がされる。
 ハインリヒは死ぬまでその日記が見つからなかったことに安堵したが、彼が墓に入った後にその日記は見つかってしまうのだった。
 それがきっかけで、歴代彼の使用していた部屋を捜索され、晩年における日記まで後世にさらされることとなる。
 また、晩年の彼が先に逝った己の片翼に思いを馳せるために、大事に保管していた細君の日記も発見された。
 死後にハインリヒに愛読された挙句、子孫たちにバレたフレアにしてみればとばっちりである。
 だが、きっとフレアは困った顔をしながら許すのだろう。

「そこまで寂しかったのかしら、ごめんなさいね」

 そう揶揄われたハインリヒは、唇を尖らせて拗ねるのだろう。

「本当だよ。私より先に逝ってしまうなんて。君のいない世界に置いていかれるなんて、なんて酷い意地悪なんだ」

 意地悪ではなく寿命だと分かっていても、ハインリヒとしては文句も言いたくなる。
 そしてやはり、その隣でフレアは微笑むのだった。
 誰よりも美しく、幸せに。






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 読んでいただきありがとうございました。
 おまけ編はアルファポリスが初出のエピソードです。
 最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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