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<おまけ>ハインリヒの視点3

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 ハインリヒは慎重にフレアに近づいた。
 不自然なく、不足なく、少しずつ――と言っても、フレアの警戒の一線を超えることはできなかった。
 それなりに友好関係は築けているが、彼女はけして公人のテリトリーを出ようとしない。
 そのギリギリまでは歩み寄るが、感情のままに踏み越えたりはしなかった。
 その絶妙な匙加減が堪らなく憎い。ハインリヒがますますフレアを欲しいとのめり込むのに、さして時間はかからなかった。
 呼び方が、アシュトン公爵令嬢からフレア嬢に変わった頃、ついにハインリヒは我慢できなくなった。
 だから聞いたのだ。

「グランマニエに、ダメならランファンに来ないか? そこでなら、君は自由だ。少なくとも今よりはずっと。そんな立場を強いられない」

「いいえ、殿下。わたくしにはやりたいことが有るのです。それはどうしてもブランデルでしかできないです」

 静かに、だがはっきりと彼女は断った。
 ある程度は予想していたが、ハインリヒは思った以上に落ち込んだ。
 相変らずブランデルでは頭の沸いたシンデレラストーリーが人気らしい。
 一方で、グランマニエ帝国をはじめとする国ではとある小説が人気を伸ばし始めていた。
 タイトルは『横顔』。
 ハインリヒは読んでみたが、最初は辟易した。
 いかにもブランデル受けしそうな、国王夫妻の恋愛劇を思い出させる内容だったのだ。
 だが、中盤から終盤にかけて――結婚後の国王夫妻の破綻した仮面夫婦状態や、外聞ばかり気にする王、放埓な王妃の言動、それを写し取ったような王子の傲慢で我儘な姿が出てくる。それを補うために、高位貴族でも特に血筋が良く優秀な令嬢が婚約者に宛がわれる。
 それを搾取して、虚栄を続ける滑稽な王家の姿が淡々とつづられていた。
 そこには不倫、不貞、略奪愛—―彼らの掲げた真実の愛の裏で繰り返される、爛れたつじつま合わせがあった。
 滑稽さと悍ましさ。冷静と情熱。激情と冷徹。それが折り重なり、せめぎ合う。ぞっとするがのめり込ませる魅力がある。
 衰退していく国力と、失墜していく王家の姿が鮮明にあった。

(……視点はメイド。でも、これは……これがあの少女が書くのか? でもあの子なら)

 できるだろう。
 登場する国の名前も人物名も違うが、どうみてもブランデルが舞台である。
 フレアなら見えていておかしくないという確信が、ハインリヒにあった。
 だが、それが事実だとしたらとてつもない暴露だ。
 こんなに堂々と、滑稽に、痛快に世にお披露目するとは。あのおとなし気なレディが。
 彼女は哀れで儚げな淑女ではない。鋼の精神とマグマの憤怒を秘めた戦士であり、謀略者でありエンターテイナーだ。
 なんて面白い。なんて素晴らしいのだろうか。虫も殺せぬようなか弱げな少女は、これ以上もなくブランデルの破滅を望んでいると分かってしまった。
 フレア本人に、彼女が筆者がと匂わせて聞いたが明確には答えが返ってこなかった。
 あくまで他人のふりである。
 そんなやり取りの間にも『横顔』は貴族から中流層までに大人気の書籍となった。
 除け者にされているブランデルのだけが知らない。
 ブランデル国王のヘンリーは、自分の暴挙が原因で周辺国から爪弾きにあっていることをひた隠している。
 外交の窓口はもっぱらフレアに押し付け貿易の口利きの多くはフレア頼りだ。もし知っても、あの見栄っ張りの王と絶対に隠すだろう。それが思い切り裏目に出ている。

(ああ、これが彼女のやりたいことか。……彼女は一番良い席で見ていたいのだな)

 自分を苦しめてきた連中の末路を、死にざまを夢見てあの茨の地に立っている。
 破壊的で攻撃的な夢だろう。
 だが、彼女にはそれを望む権利も理由もあった。
 幼い頃から抑圧され、利用され、疲弊したフレアがそう望んで何が不自然なのだろう。
 彼女は自分が表立って主導せず、だが着実に自分が居なければブランデルが回らない様に周到に動いてきた。
 ブランデルの愚鈍な王族たちは、自分たちの足元の石がどうやって積まれているかなんて気づくはずがない。
 誰が高みまで押し上げてくれているかなんて、顧みようとしない連中だ。

「小さな段差では足りないかも知れないでしょう?」

 確か、とある観光名所で行われた国際会議。
 いつも通り、ブランデルの愚行で槍玉にあげられそうだった彼女をそうっと連れ出した。
 強引に連れ回したのは分かっていたが、グランマニエと言う大国の名で守られているハインリヒを糾弾できる人間などいやしない。小国のブランデルで出身であるフレアも、当然ハインリヒに従う。
 観光などできないだろうフレアを憐れんでいたのもあった。

「でも、高い塔のてっぺんから落ちたならどうなるでしょうか? きっと小さな力で投げても大丈夫です。どこから当たっても砕けますわ」

 彼女はそういって、その場所で一等高い尖塔を指さしていた。
 彼女は綺麗に砕けたら願いが叶うという投げ石を持っていた。それに、彼女は何を重ねていたのかようやく分かった。
 低いところより、高いところから落ちた時の方が当然衝撃は大きい。

「一撃必殺だな」

 たった一度の徒花。
 それはブランデル王族たちの命を使って、盛大に凄惨に作り上げられるだろう。
 彼は既に高いところを登り切り、はしごを外される準備がされていることに気付かない。
 ハインリヒは準備を進めた。
 愚かな道化は、随分と両親の真似事が好きらしい。
 真実の愛とやらを叫び、女たちの間を渡り歩いているという。
 きっと、エンリケは両親の真似をして、婚約破棄をするだろう。
 フレアを侮っているエンリケは、彼女の重要性を全く理解していない。自分の対場がどれほど危ういか理解していないのだ。
 何から何までフレアにお世話をして貰っているのに、フレアが居なくなった後のことなど考えていない。

「……フレアの通っている学園の卒業式の日程と、プロムナードの時間を調べろ。念のため、彼女の身に何かありそうであれば保護できるように整えていてくれ。無事なようなら、彼女から絶対目を離さぬようにしろ」

 アシュトン公爵家の別荘は多い。
 婚約破棄できる準備が整ったら、彼女はすぐさま王家から物理的に距離を置くだろう。
 彼女の隣は空席となる絶好のチャンスだ。一番に駆けつけて口説けば、妃になってくれる可能性はぐんと上がる。


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