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63、『横顔』 ハインリヒ視点

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 ふと、ハインリヒは見覚えのある本を見つける。
 女性の横顔のシルエットの表紙だ。
 これは、美しいと察せられる横顔。すっと通った鼻筋にふっくらとした唇、美しい首筋や、綺麗に結い上げられた髪。シルエットなので表情は分からないが、きっと若い女性だと思うだろう。
 この本はグラニアを題材にしていると言われている。
 ブランデルでは学園生活と華々しい結婚式のパレードで終わっている物語が大半だ。
 だが『横顔』にはその後のことも書いてあった。そのシンデレラガールとなった少女と、結ばれた王子に裏で、彼女に選ばれなかった男たちの存在。
 学生の時の関係は、結婚後は不倫という形となって続いていた。
 表では王妃として運命の人、運命的な恋を謳いながらも複数の男と関係を持ち続ける。
 生まれた子供には夫との恋を素晴らしいものだと吹き込んだその唇で、別の男に結ばれないことを嘆いて愛を囁く。
 彼女の寵愛欲しさに不倫相手は狂っていく。実家から追放され、犯罪に手を染め、どんどん落ちぶれていく。
 彼女は憐れみを口にしながら、口先だけの愛と慰めで、実際は何も手助けしないのだ。
 うすら寒いのは彼女がその矛盾した行動に全く疑問も、罪悪感も持っていないこと。
 爛れた日々を過ごしているうちに、不倫相手の子供を身籠ってしまう。それが夫に似てないのは当然であり、浮気相手の要素が出ていると不倫相手に押し付けた。
 彼女は自分が主役でないと気が済まなかった。
 だから娘――王女は欲しくなかった。息子の婚約者も嫌いだった。姑である王の母も大嫌いだった。
 自分は常に一番輝いている存在であり、そしてその自分はたくさんの男性から求められ、愛を乞われていたいという狂った怪物性を持っていた。
 その願望で周囲が傷つき、巻き込まれて狂っても、落ちぶれても人の尊厳や命が無くなっても、構わない。
 幼い少女から同年代までにたくさんの羨望を長年浴びた、『愛』を免罪符に数多の人生を壊す悪女という言葉で片づけるのも烏滸がましいナニカ。
 そして、『横顔』は幼いながらに賢い少女がそれに気づいてしまったことにより、王妃という人気者の側面を知ってしまう。
 視点は侍女だったが、この本を書いた人物はかなりの教養を持っていることを、見る者は気づいていた。
 侍女というレベルではない。王宮の侍女に貴族の子女が登用されるのはよくあることだ。国有数の貴人に仕えるに値する機転や聡明さや気品が求められる。
 だが、それを超える知識があった。使用される単語や、使い回しの端々にそれは滲んでいた。ブランデルだけでなく、他国の言葉や文化にも造詣深い。
 最初は女性の読み物だった。最初は夢見る少女向けのラブストーリーだった。ただのありふれた恋愛小説だったはず。しかし、そこから華々しさと毒々しさが激しく混ざり合う怒涛のストーリーが始まる。
 中には難しい単語や言い回しもあり、だが引き込まれる物語をより深く味わいたくて少女たちは辞書を引き、ある時は周囲に聞きまくった。
 そこからその兄弟・姉妹や親、友人らの手に渡った。
 よくある恋愛小説と最初は思いきや流行りのドレススタイルや作法、マナーやお茶会や夜会の豆知識まであれこれ網羅していたので、幅広い層が目を丸くしてみていた。
 侍女である少女は無感動で淡々としていたが、その分周りを見ていた。
 承認欲求がいかれた王妃と、取り繕うのに必死な王、どこまでも滑稽で愚かな色ボケ王子、問題のあり過ぎる彼らに頭を抱える王太后—―そして、その歪な王室のツケを払わされ、消耗されていく婚約者。
 一見は優雅で豪奢、その実情は滑稽なメッキとハリボテの王家。
 今まで何とかバランスを取っていたが、王子が最も損な役回りをしていた婚約者を追放してしまう。
 帳尻合わせに無理を強いられていた彼女にとっては、それは悲劇ではなく喜劇だっただろう。だが、疲れ果てていただろう彼女はあっさりと退場した。
 婚約者だった令嬢は、長年秘めていた鬱屈を胸に燻らせていたのだ。
 彼女が長年仕込んでいた罠が発動する――と言う所で、終わっていた。
 そして皆が待つ次巻は、発売されていない。
 現在ブランデルは騒乱の真っただ中だ。作者も巻き込まれたのではと、読者はヤキモキしている。
 最近、蜂起した民が王宮や貴族街を強襲する事件が頻発している。
 襲われた一つに、アシュトン公爵家の名もあった。王家の名に目が眩み、妻が止めるにも関わらず娘を差し出した悪魔の父と顰蹙を浴びている。
 フレアが公爵邸にいつかず、不在なのをいいことに好き勝手したことが露見したのが、更に悪感情に拍車をかけた。公爵家に支払われている慰謝料では飽き足らず、フレアに払われる慰謝料にまで手を付けていた。屋敷を悪趣味なほど豪奢にして、村一つはいる程のワインセラーを作り、趣味の剣や骨董品の蒐集に明け暮れていたという。
 公爵邸には妻も子もいなく、すべては当主のジョージが行ったというのは明白だった。
 その浪費を見咎めた神殿は、今は回収できた慰謝料の支払いを保留すると宣言している。フレアへ直接支払われるよう手続きを新たにすると明言したのだ。理由が理由なので、みなは当然だと頷いている。
 フレアへの慰謝料は、フレアの個人資産となるのだ。そのあたりは、フレアがきっちり契約書に記していた。
 正しく被害者に渡らねば、神殿の威信にも関わる――そして、フレアに渡さねば、後で寄付金となって返ってこないのだ。
 神殿側としても、ジョージしかいないアシュトン公爵家にフレアの慰謝料を預けては、骨折り損のくたびれ儲けという奴だ。
 仕事をしたのにお布施がいまいちだと思っていたら、狸爺がくすねていたということである。



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