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56、完璧淑女の仮面の下
しおりを挟むグランマニエにいるフレアは賓客として扱われていた。
滞在する離宮には一流の使用人がつけられ、真面目な騎士たちが警護している。
彼らはフレアを見ると感嘆を漏らす。母譲りの青みがかった銀髪や碧眼は、シェリダン公国の王族に良く現れる色らしい。皇太后の生まれたシェリダン公国を敬愛していることもあり、国民もそれに倣う傾向が強いそうだ。
事実として、わざわざグランマニエの皇太后が、祖国懐かしさとフレア会いたさに訪ねてくるほどだった。
ハインリヒの庇護だけでなく、皇太后のお気に入りとなったフレアは更に丁重に扱われることとなる。
皇帝トルハーンは、歓迎していた。亡き国シェリダンの面影を強く感じるフレアの滞在に、いたく喜んでいる。皇帝や皇太后のシェリダン公国贔屓は有名だったが、想像以上の歓迎っぷりである。
しかしランファンの一件もあり、国としての立場や皇后を思って今までは抑えていた。ブランデルの代表として出向くことの多かったフレアを大っぴらに厚遇できなかったのもあるだろう。
いまはすっぱりとブランデル王家との縁も切れており、諸手を上げての歓迎していた。
今回は公務ではなく純粋な旅行という形になっている。
ヘンリーに続きエンリケまで起こした婚約破棄に酷く心を痛めた被害者――ということになり、療養も兼ねているという形式になっている。手厚い対応も顰蹙を浴びることはなかった。
皇后ベネシーもかつては同じことをされた身として、フレアを擁護している。
仕事から解放され、自由を満喫するフレア。時折訪問者はいるが、話題に富んだ話し手が多くて心も踊る。
それ以外でも読書も小説や詩集、純文学や歴史書、はたまた経済新聞まで好きなように読めた。刺繍をしたいと言えば、見事な白漆の螺鈿細工の施された裁縫箱と色辞典並みに取り揃えられた刺繍糸が用意された。
フレアが気を許していた使用人のみを厳選してアシュトン公爵家から連れて来てもらえたこともあり、いたれりつくせりである。
二日に一度はハインリヒがフレアを訪ね、熱心に愛を囁きに来る。
非常にまめまめしいハインリヒは、その瞳に、声に、すべてにフレアへの愛情が滲んでいた。ひと月だけで十二年間のエンリケの婚約期間よりたくさんの手紙やメッセージカードを貰い、お茶会、デートを重ねた。
今日もまたフレアにプレゼントを持参して、自ら持て成して睦言を重ねに来ている。
「フレア。今日はグランマニエの北の大地でだけ栽培されている稀少な花茶を用意したんだ。良く見ていてくれ」
そういってガラスの急須にハインリヒがお湯を注ぐと、フレアに見やすいようにそっと寄せてくれた。
中では干した花のような赤茶色の茶葉が揺れている。
「まあ、花茶なのに林檎? あと蜂蜜のような香り」
「いい匂いだろう? この甘い匂いに誘われて、熊がやってくるという逸話から別名熊呼び茶とも言われている」
「ふふ、そんな逸話もあるのね。でもわかるわ。美味しそうな香りだもの」
フレアとハインリヒが和やかに会話しているうちに、急須の中では茶葉が変化していた。
ありきたりな茶色から鮮やかな赤になる様は見事だった。
「このままでもいいけど、レモンや柑橘の汁を垂らすともっと綺麗になるんだ」
薄い菫色から淡い水色へと変わっていく。良く開いた茶葉は、ヤグルマギクのような姿になっていた。それに合わせて、紅茶の色も変わっていった。
初めて見る光景に、フレアは感動して目を輝かせる。知らずハインリヒに身を寄せてしまうくらい興奮していた。
「なんて綺麗。素敵だわ……これが本当に飲み物なの?」
「勿論、味も保証するよ。この青色は君の髪色や瞳の色のようだったから、見せたかったんだ」
そういって、青みがかった銀髪を一房そっととって口づけを落とす。
一拍遅れて気付いたフレアは、余りに近い距離と、その甘い眼差しに頬をじわじわと赤らめる。だが、揺れる瞳は絡めとられたようにハインリヒを映していた。
戸惑うフレアは、氷の女王ではなく年相応の乙女であった。
恥ずかしがっているフレアをこれ以上つつき回すのは紳士ではない。ハインリヒは、隙だらけのフレアが落ち着くまで待った。
(エンリケとかいう馬鹿も本当に見る目がない。こんなに可愛い人をほったらかしにして、頭も股も緩い女ばかりにうつつを抜かしていたなんて)
ハインリヒは笑みの奥に、一瞬だけ走る苦々しい怒りを飲み下す。
かわりに、この花茶に合うメレンゲのレモンパイを持ってくるようにメイドに合図するのだった。
これはパティシエ自慢の逸品で、表面がカリッと焼いて中はふわふわのメレンゲ、その下にあるレモンカードと香ばしいパイ生地が絶妙である。フレアの苦手な食材は一つもないし、好みの傾向から考えてもオールクリア。きっと彼女も気に入るはずだ。
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