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7巻

7-2

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 カミーユは串に刺したまま肉にかぶりつき、ビャクヤは熱すぎて食べられないとはしで取り外しながら、ゆっくりと咀嚼そしゃくする。
 カミーユの実家は侯爵家こうしゃくけだが、これではどっちが貴族の令息かわからない光景である。
 やっと話ができるまで精神が回復した二人に、シンは改めて聞く。

「で、なんかあったの?」
「ピコちゃんがピコさんやった」
それがしの序列がますます下がったでござる」

 ビャクヤとカミーユはカッと眼光鋭く答えたが、言っていることはとても情けない。
 シンの二人を見る目がなんとも微妙なものになる。

「え? いつからピコより上だと錯覚さっかくしていたんだ?」

 シンの中では大事な騎獣たちの方が、優先順位が上である。
 魔馬たちはシンが庇護するべき存在であり、二人は学友(ただし〝ちょっと面倒くさい〟と注釈が付く)だ。まだ若いが善悪の区別のつかない年齢でもないので、自分の尻は自分でぬぐえと常々思っている。主にカミーユには、色々と物申したいところだ。
 シンがマジトーン――半分冗談、半分本気であるが――で言ったものだから、騎士科コンビはショックを受ける。わあっと泣きわめきはじめた。

ひどい! 酷いわ、シン君! ウチらのこともてあそんだん!?」
「信じていたのに! この人でなしー!」

 ゴミ捨て場で残飯を奪い合うカラスのように、ギャアギャアとうるさくかしましく喚くビャクヤとカミーユ。
 シンは心底鬱陶うっとうしそうに、妙に女々めめしく責め立ててくる同級生を見た。その視線の冷たさに、二人は「下手打った」と今更気づく。

「その言葉、現実にしてあげることもできるけど?」

 家主様の強権を見縊みくびるんじゃねぇ、と副音声が聞こえた。
 王都で宿の当てがなく、寮にいられない金欠二人を受け入れたのはシンの善意だ。ちょっとだけティルレインの世話を押し付けたい思惑があったが、宿代を取ってないのはシンの慈悲である。
 余計な茶化しは悪手あくしゅだと気づいた二人は、今更ながらに自分の知る限り、最高の非礼の詫び方をする。別名DOGEZAスタイルである。

「悪ノリしすぎました。ごめんなさい」

 カミーユがござる口調を放り投げ、堅苦しく頭を下げる。

してお詫び申し上げます」

 同じように、ビャクヤは綺麗きれいに指を揃えて平伏へいふくした。
 シンに追い出されたら、二人は野宿するかタニキ村の数少ない民宿に泊まるしかない。
 当然、お金を取るか質を取るかという選択を迫られる。そして、基本温厚だとタニキ村の人々に認識されているシンに叩き出された自分たちがどんな目で見られるかなど、考えたくもなかった。
 タダの謝罪で回避できるなら、安いものである。プライドでは腹はふくれないし、安眠も保証されない。二人はその辺の考えはシビアだった。

「ふざけるのも程々にしてよね。で? ちゃんと僕にわかるように説明して」

 嘆息たんそくしながらシンが言った。先ほどの冷然とした視線はなくなったから、怒りのほこを収めてくれたようである。
 ちょっとおふざけがすぎた。ほっと胸をろした二人は、ちゃんと今日の出来事を語り出す。

「ピコが滅茶苦茶めちゃくちゃ強かったでござる! 角からビリビリしたのが出て、狼たちをゴッシャーしたでござる!」

 カミーユが一生懸命身振り手振りで説明したが、語彙ごいが完全に小学校低学年レベルである。
 シンは非情ではなかったので、その努力だけは認めた。うんうんと頷いて――だが、それ以上詳細に聞く気はなかった。潔くカミーユから聞き出すのはあきらめ、ビャクヤの方に向き直る。

「簡潔に」

 ビャクヤは同級生の残念な説明に頭が痛そうな顔である。シンに説明を再要求され、さもありなんと頷いた。

「俺らは猪やボアの形跡から、山に他の脅威がいるんやないかと追ってたんよ。そしたら、赤い狼にガッツリ目ぇ付けられて、追いかけ回されてな……あれはアカンと思ったわ。そしたらピコちゃんが追っ払ってくれたんや。魔角から高等魔法相当の威力の攻撃をしてな。ピコちゃんが強いねん。狼を蹴散らしたから、その隙に逃げてきた」

 ピコの武勇伝に、シンも目を丸くする。
 グラスゴーなら敵ごと焼野を作るのは通常運転だが、ピコは割とおましタイプだ。
 好戦的ではないはずだが、そこまで追い詰められていたのだろうか、とシンは首をひねる。
 帰ってきた時は特に興奮した様子もなく、いつもの愛らしい目をぱちくりとしていた印象しかない。それより異様なのが二人いたので、そっちに意識が向いていた。
 よっぽどやんちゃしたのかな、と思いながらも、シンは別のことが気になった。

「赤い狼? 緑や茶、白、灰色ならよく見るけど……」

 真っ白は冬場に出る狼だが、それ以外は四季を問わず見かける。だが、赤はこの辺りでは見ない。
 地元の狩人のシンの言葉に、二人は目を丸くする。

「この辺ではあまり見ない種でござるか?」
「赤茶くらいなら見ることもあるかな?」

 シンの言葉に、カミーユは首を横に振る。

「赤茶ではないでござる。真っ赤。真紅と言っていいような濃い赤でござる。毛の採取に成功したから、見てほしいでござる」

 そう言って、カミーユは懐紙かいしを取り出すと、その上に獣毛を載せた。
 懐紙は白いので、明るい場所だと毛色がはっきりとわかる。
 確かに赤い。茶というより赤である。錆色さびいろでもなく赤茶でもなく、真っ赤。
 こんなに目立つ体毛なら、目につきやすいはずだ。だが、シンの記憶に引っかかる動物や魔物はない。普段はこの周辺にいない種類か、突然変異のたぐいかもしれない。

「うーん、僕もタニキ村に移住してきたからなぁ。珍しい狼なのかも。ハレッシュさんなら知っているかも。もともとここの出身だし、僕の狩りの師匠だから」
「シン君も知らんかぁ。あれ、ヤバいで。女子供どころか、少数なら狩人でも逆に取って食われる。かなり好戦的なうえ、獲物を追い立てるのが上手い。群れも大きかった……ピコちゃんに蹴散らされたのは、きっと全部やない。遠吠えで次から次に増えとったから、普段は群れを分けて、広範囲で狩りをしとるっちゅうことや」
「群れか。厄介だな。好戦的なのは危険そうだね」

 巨大な群れはそれだけで脅威だ。集団とは力そのものである。
 しかも、赤い狼は統率のとれた狩りを行うという。タニキ村を包囲して襲撃してきたら大損害になりかねない。
 山狩りで追い立てるにしても、群れの大きさを間違えれば稀少きしょうな戦力をがれる恐れもあった。

「明日ハレッシュさんに聞いてみよう。ダメなら冒険者ギルドや村人に何か思い当たるのはないか、片っ端から聞き込みをする。それでも情報がなかったら、隣村となりむらに確認しに行くことも考えよう」

 狼たちの群れの大きさ次第では、隣村のバーチェ村からの助力をう必要がある。あちらだって、タニキ村の次に狙われるのは自分たちの村だとわかっていれば、戦力が多いうちに追い払うなり、駆除なりしてしまいたいはずだ。

「これ、僕が預かっていい?」
「いいでござるよ。シン殿が聞いた方が、話が早く済みそうでござる」

 シンは懐紙に包んで赤い狼の毛を仕舞った。
 二人が集めてくれた、貴重な手がかりだ。なくさないように、すぐに魔道具の『マジックバッグ』に入れた。

(後で鑑定してみよう。種族名がわかるかもしれない)

 フォルミアルカから貰った女神謹製めがみきんせいスマホの特殊機能は、基本オフレコだ。
 色々な物を鑑定できるし、情報検索もできる。それに神託しんたくという名の創造主直通の連絡機能が付いているし、バレたら非常に面倒な代物しろものなのだ。

「念のためにピコを見てくるね」

 シンは二人にそう告げ、さりげなくその場を後にした。



 第二章 獣毛の正体



 厩舎きゅうしゃに足を運んだシンは、ピコの方へと向かう。
 飼い葉をんでいたピコは、シンの姿を見つけると、うれしそうに顔を上げて近づいてきた。
 グラスゴーもピコを押しのけんばかりに寄ってくるが、今はピコの点検である。シンは軽く鼻筋はなすじと首を撫でてから、ピコに譲るように促した。
 すでによいくちなので、厩舎の中は暗い。魔法で明かりを出し、ピコを撫でながら顔、首、胴体、脚の順に確認していく。念のため蹄の裏まで確認したが、怪我はない。
 ここまで見て、ようやくシンは一安心できた。
 馬は骨折しただけで殺処分されることも珍しくない。
 馬の蹄はさながら第二の心臓とも言える役割を果たしており、歩くことにより血液を行き渡らせている。従って、歩くことができないと、その巨体に栄養や酸素、老廃物などの循環ができなくなってしまう。やがて循環不良により鬱血うっけつし、その先には死が待っている。
 骨折した競走馬が安楽死させられたというニュースを耳にするが、あれは苦しませないための処置でもあるのだ。

(回復魔法や傷薬があるとはいえ、悪化する前に見つけるに越したことはないからな)

 ピコは健康そのものだが、シンは念のためと、前にうっかり作ってしまった劣化エリクサーを与える。それをうらやましがったグラスゴーにもあげた。

(うん、これでよし。あとはあの獣毛を確認しよう)

 シンはカミーユが採ってきた獣毛を取り出して、スマホで検索してみる。
 すぐに『獣毛。ブラッドウルフの毛』と出てきた。二人とも狼と言っていたし、ビンゴである。シンはさらにブラッドウルフについて検索する。

『ブラッドウルフ。赤い毛並みが特徴の狼の魔物。非常に獰猛どうもうかつ好戦的な性格で、獲物を見つけると遠吠えで仲間を呼びながら狩りをする。山林や平野等、獲物が多い場所に棲息する。食生活が独特で、肉より血を好む。特に人間の血肉を好むので、危険視される』

 説明を読んで、シンは少し気持ち悪くなった。血をすするのが好きな狼とか、気味が悪い。

『非常に食欲旺盛おうせいで、周囲一帯の獲物を狩り尽くし、共食いをすることも。共食いの果てに残った強い個体で群れを再編成し、別の狩場に移動する。まれに共食いから逃げ、単独行動をする個体もいる。基本的に群れで生活と狩りを行うので、一匹で生き残るのは極めて珍しい』

 明らかにヤベー奴である。共食いで残ったのを……なんて、蟲毒こどくのようだ。
 そして、周囲一帯の獲物を狩り尽くされては、狩人として非常に迷惑である。
 そんな食物連鎖をぶち壊すアナーキーな迷惑魔獣が山にいるなど、考えるのも嫌だった。元の生態系に戻るのにどれだけかかるのだろう。

(ビャクヤの説明を聞く限り、襲ってきた狼たちの群れはかなり大きい)

 共食いをするのは周囲の獲物を狩り尽くしてからだとすると、今は全盛期なのかもしれない。
 群れが大きければ、それだけ食料も多く必要だ。山火事から徐々に戻ってきた動物たちを追いかけて、ついてきてしまったのかもしれない。
 普通の馬より俊足しゅんそくのピコにとって、半日で往復できる距離ならば、決して遠くない。群れがこちらに雪崩なだんで襲撃するのは時間の問題だ。
 木の柵での妨害を想定しているのは猪やボアだ。狼だと柵を飛び越えてくるかもしれない。
 シンは厩舎からちらりと顔を出して、ハレッシュの家を見る。ぼんやりとランプの明かりが見えるので、まだ起きているのだろう。趣味の剥製作はくせいづくりに精を出しているのかもしれない。

(危険だな。早めに相談した方がいい)

 村人たちは山菜や野苺摘のいちごつみ、釣りやたきぎひろいなど、日々のかてを得るために山に入る。うっかりブラッドウルフに遭遇そうぐうして、襲われたらひとたまりもないだろう。
 シンはハレッシュのいる母屋おもやに向かって歩き出した。
 扉をノックすると、物音がしてハレッシュが顔を出す。
 彼はシンの姿を見て目を丸くするが、すぐに気さくな笑みを浮かべる。

「どうしたんだ? こんな時間に訪ねてくるなんて、珍しい」
「突然すみません。相談したくて来ました。実はカミーユとビャクヤが森の探索に行ったら、気になるものを見つけて……僕の知らない獣か魔物なんです」

 本当はついさっきスマホで調べたが、シンは実物の狼を見たことがない。規格外な女神謹製のスマホについては誤魔化ごまかして、ハレッシュになるべく真実に近い話をする。

「なんだって? どれだ? どの辺で見つけた? あ、その前に家に入れ。立ち話もなんだしな」

 どことなく歯切れの悪いシンの様子に何か感じ取ったハレッシュは、シンを家に招き入れる。
 お言葉に甘えて、シンは母屋に足を踏み入れた。

「お邪魔します」

 テーブルに案内されるまま、シンは腰を下ろす。
 部屋のちょっと奥には不気味な剥製があって、相変わらずホラーなお宅である。ハレッシュの趣味は実益も兼ねているが、シンは苦手だった。
 それらから一生懸命ピントをずらして、見て見ぬふりだ。

「見つけたのは、森の奥ですよ。村人でも、狩人や猟師じゃないと行かないところです。大岩をにれの大木のある方から登って……と言えばわかります?」

 身振り手振りを交えつつ、シンはカミーユとビャクヤが狼と出くわした場所を説明する。
 タニキ村の狩人であるシンたちにとって、近くの山林は庭も同然だが、目印もなく歩くわけではない。大岩も楡の木も、素人しろうとからすれば目印になるか微妙だが、タニキ村では通じるローカル地理ネタである。
 大岩は何十年も前に土砂崩れで地中から転がり出たもので、楡の木はその一帯で一番の大木だ。近くに雷が落ちて焦げても生き残った、恐るべき生命力の木である。

「あっちか。結構奥まで行ったんだな。十日くらい前にその辺に狩りに出た奴からは、そんな報告はなかった。となると、移動してきたのは最近だろう」

 説明を聞きつつも、ハレッシュは手早く温かいお茶を用意して、シンに差し出す。
 湯気が揺れるマグカップを受け取り、シンはゆっくりとお茶を啜る。

「ありがとうございます。そこで狼に遭遇したそうなんです。あまり見ない狼で、毛並みが赤で、大きな群れを作って行動していたそうです。幸い、ピコが大技で追い払ったので無事帰れたそうですが……」

 シンがそこまで説明した時、ハレッシュの気配が変わった。
 それに気づいたシンが思わず顔を上げると、ハレッシュから普段の人の好い笑みが消えていた。

「真っ赤な狼?」

 ハレッシュの顔が険しくなる。声色が重くなり、眉間みけんにしわが寄って、露骨ろこつに目つきが厳しくなった。どうやら狼に心当たりがあるようだ。
 シンはカミーユから預かった獣毛の入った懐紙を取り出す。

「死体は回収できなかったんですけど、毛があります。これです」
「赤いな。この色はアースウルフじゃない。日中に明るい場所で見れば断定でき――いや、少し借りるぞ」

 シンが頷くのとほぼ同時に、ハレッシュは懐紙を手に取って獣毛に鼻を近づける。
 そして、何かに気づいたのかさらに顔を強張こわばらせた。

「血の臭い! ブラッドウルフだ。クッソ、アイツら、また来やがったのか」

 大きな音を立てて立ち上がるハレッシュが、吐き捨てんばかりに言った。その声には忌々いまいましさと憎悪がにじんでいた。
 ハレッシュの変貌へんぼうぶりに、シンは少し驚いて目を見張る。そんなシンの表情に気づいたのか、冷静さを取り戻したハレッシュは、浮かせかけた腰を下ろした。

「危険な狼なんですか?」
「ああ、アレは好んで人を襲う。魔物や魔獣に分類される中でも、オークやゴブリンなんかとは比較にならないほど危険だ」

 ハレッシュは両肘をテーブルの上について、組んだ手の上にひたいを載せてうつむく。
 シンの問いには答えているが、声は切羽詰せっぱつまっている。自制心を精一杯働かせて、冷静になろうと努めているのだろう。
 一つ大きく溜息をつくと、幾分いくぶんいつものハレッシュに戻っていた。しかし、テーブルに手をついて立ち上がる彼の目には、変わらず強い光が宿っている。
 ハレッシュの中にある感情の正体はわからないが、彼の中で腹をくくったか、何かの決意が固まったのが、シンにもわかった。

「シン、緊急事態だ。説明は後だ。領主様のところに行くぞ。パウエル様とあの眼鏡めがねの貴族様にも伝えにゃならん」
「わかりました」

 すでに日は暮れているが、ハレッシュはタニキ村の領主であるパウエルと、眼鏡の貴族ことルクスのもとへと行くと言う。
 シンもその判断に異論はない。むしろ、後回しにするならかしただろう。
 早速家を出たところで、ハレッシュがシンの家から漏れる明かりを見た。いつもなら気にしないだろうに、硬い声で注意を呼び掛ける。

「あっちの二人に、きっちり戸締りをするように言っとけ。ブラッドウルフが近いとなると、できれば窓も開けない方がいいが……この季節はさすがにきついな」

 うーんとうなって腕を組むハレッシュに、シンも頷く。

「虫除けをくので、密閉するのはちょっと」

 今は真夏である。タニキ村は都会のコンクリートジャングルによるヒートアイランド現象とは無縁だが、それなりに気温は高い。
 密閉はつらいので、窓を開けて虫除けを焚くのだが、今回は調合に少し失敗して煙が多い。閉めきったら視界が白く染まるだろう。

「……あの臭いはウルフたちも嫌がりそうだな」
「だいたいが植物由来なので、グラスゴーたちは平気なんですけどね」

 蚊取り線香は独特の臭いがする。シンには結構お馴染なじみの香りだが、ビャクヤは慣れるまで微妙な顔をしていた。獣人には辛いが、ずっとモスキート音が響いているよりマシと我慢している。
 シンはグラスゴーに、ハレッシュはピコにまたがって、急いで領主邸に向かう。
 満天の星が輝く夏空。草木の青い匂いを含む夜風が、やけにひんやりと冷たかった。


 村の中を駆け抜けていると、すでに明かりの消えた家が結構あった。この世界では娯楽が少ないのもあるし、蝋燭ろうそくやランプの消耗を減らすために、陽が落ちる前に夕食を済ませて、陽が沈むと同時に寝るところも珍しくないのだ。
 それでも、その日のうちにやらねばならないことや、仕事が残っていれば明かりをつける。
 庭で焚火たきびをしていると思えば、追加の柵を作っている村人がいた。予想外に増設作業が早く進んだから、急遽きゅうきょやることになったのだろう。
 領主邸もちらほらと窓から明かりが漏れていた。玄関先には魔石の街灯があり、常に照らされている。ついでに言うと、簡単な賊や魔物除けの魔法も施されている優れものだ。
 腐っても王族であるティルレインが滞在しているので、色々と警備機能があるのだ。
 夜分遅くというほどではないが、陽が暮れた後に訪ねてきた人物に、執事のテルファーは驚いていた。だが、ハレッシュが「森の異変の正体がわかった」と言うと、すぐさま動揺を抑え、表情を引き締める。

「すぐにパウエル様におつなぎします。応接室にご案内いたしますので、そこでお待ちを」
「眼鏡の……じゃなくて、ルクス様も呼んでくれ。頭が回る奴が多い方がいい」

 ハレッシュの様子から、緊急性を感じ取ったのか、テルファーは頷いた。
 シンは、その二人のやり取りをちょっとだけ居心地を悪くしながら聞いていた。

「あの、この話をするなら、実際に見たカミーユとビャクヤも連れてくればよかったのでは?」
「俺を乗せたピコにさらに二人は無理だろう。ブラッドウルフがいた場所はわかっているんだから、十分だ」

 そう言ってハレッシュはシンの頭に手を伸ばすと、黒髪をクシャクシャと撫で回した。
 ナチュラルにグラスゴーの二人乗りがナシにされたが、ツッコミは入れなかった。
 新築された領主邸の応接室は、貴族のお屋敷らしい綺麗なアラベスク模様の壁紙と、上品な調度品が揃えられていた。床には幾何学模様きかがくもようの毛足の短い絨毯が敷かれ、部屋の中央にはよく磨かれた紫檀したんのテーブルに、革張りのソファーが置かれている。壁には絵画がいくつかかかっていて、天井には小ぶりのシェードタイプのシャンデリアがある。
 お茶が運ばれてきたのとほぼ同時に、パウエルとルクスがやってきた。二人はテーブルを挟んで、シンたちと向かい合うように座った。
 それを待って、ハレッシュが口火を切る。

「単刀直入に言う。ブラッドウルフが村の近くまで来ている。じゃない。群れだ」

 はぐれはボス争いで追い出されたり、怪我や病気で群れについていけなくなったりして単独行動をしている個体のことだ。
 単体と複数では脅威が違う。これはタニキ村が大きな危機にひんしているという宣告でもあった。

「ブラッドウルフ……数年前にも出たあれかい?」

 パウエルはすぐに思い当たったのか、優しげな顔立ちが深刻そうに曇った。
 ルクスも苦々にがにがしい様子で、少し俯いて思案顔になる。

「私も本での知識しかありませんが、基本は食料が多い山間やまあいや広大な草原地帯にいることが多いと聞きます」

 この辺りも自然豊かだが目撃例はなかった。少なくともルクスの知る限り、普段は見かけないはずの魔獣なのだ。

「ああ、そうだ。だがな、アイツらはたまに餌を探しに周回するエリアを外れてくることがあるんだ。この周辺でも十年に一回くらいなら、群れからはぐれてきたのが流れてくる。しかし、今回は規模が違う」

 ブラッドウルフは群れという大きな扶持ぶちまかなうために、餌の多い場所へ移動していく習性がある。群れごとにそのコースはある程度決まっているし、そこを縄張りにしている。
 だが、その旺盛な食欲に任せて餌となる動物や魔物たちを追うあまり、縄張りを外れてしまうことがままあった。それ以外にも、他の群れに奪われたり、他の肉食動物との衝突に負けたりするなど、理由は多々あったが――問題はタニキ村の周辺に出てきたことだ。
 都市であれば、兵士や冒険者を使ってブラッドウルフを制圧できるものの、小規模集落は絶好の狩場だ。

「困りましたね。現在の柵は猪やボアに対抗するためのものです。少し勢いをつけられる距離があれば、狼には飛び越えられてしまいます」

 ルクスは当初、作物を荒らす害獣対策として柵作りを想定していた。杭を深く打ち込んだしっかりした造りになっていて、多少ぶつかられてもいいようになっているが、高さはない。


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