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3巻
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「初めまして、神々の寵愛めでたきお方。私はアンジェリカ・スコティッシュフォールドです。この度は警備に当たらせていただきますが……もしや神子様はこの小屋にお住まいに?」
女性はにわかに信じがたいといった様子でシンの家を一瞥した。
確かに小屋にも見えるだろうが、住めば都にしている真っ最中の大事な我が家である。
「好きで住んでいるので」
シンの様子に、少し空気が張りつめる。
辺鄙とも言えるのどかなタニキ村に、こんな物々しい人々が来たのだ。グラスゴーも気が立ってきたのか、蹄で土をガツガツと引っ掻いている。
グラスゴーはすでに、ティルレインの護衛騎士は〝デカいくせに雑魚なキンキラ〟のお世話係だと理解しているので、彼らに対しては警戒していない。
ティルレインはジャックより勘が悪く、体はデカいのに機敏ではないし、力が強いわけでもない。魔法を使うわけでもない。むしろなんで生き残れているのか意味不明な雑魚プリンス。
その雑魚は、たくさんの共生している護衛がいるから生きていられるのだと、グラスゴーは認識している。
シンもなんだかんだ言ってティルレインの世話をしているので、グラスゴーは目上の立場から弱者には寛容に接することに落ち着いた。別に、たまに持ってくるパンや果実に懐柔されたわけではない。シンのくれる魔石やポーションがずっと美味しいのだから。
さて、そんな連中と比べて、今目の前にいる人間のメスはどうか。
戦士の足捌きを持った、戦うメスである。シンも緊張して強張っている様子だ。明らかに警戒している。
メスたちはシンには敵意を向けてはいないが、グラスゴーの蹄が届かないギリギリの距離にいる。
グラスゴーは魔力を蹄に集めながら、戦力を持ったメスの群れを睨んでいた。
そんな厳しい視線を受けながらも、アンジェリカは切々と訴える。
「神子様、それは許されないことでございます。神子様は神々の寵愛を得られたお方にございます。神子様ほどのお方がお住まいになるなら、最低でも領主宅程度の設備が必要です。警備は後から増やすにしても、この状態ではあまりに……。領主が反抗的なようでしたら、訴え出て貴族籍を剥奪してでも――」
アンジェリカは神子であるシンを保護しようと、いらぬ使命感に燃え満ちている。
だが、シンの目には大義に酔いしれているようにしか見えなかった。
シンの都合を考えず、勝手に進めようとする。一方的ともいえる姿勢に、一気に不信感が増し、好感度が下がった。
領主のパウエル・フォン・ポメラニアン準男爵は切れ者ではないが、領民思いの良い領主であり、ジャックの良き父親だ。シンもタニキ村の人々も、領民と一緒にタニキ村を盛り立てようとするパウエルの姿勢を好ましく思っている。
「パウエル様やジャックに何かしたら、僕はこの国を出ます。タニキ村の人たちに危害を加える人はいりません。お帰りください」
シンの声は凍り付かんばかりだ。
村人とは明らかに毛色の違う人がぞろぞろと取り囲むようにやってきたのだから、当然と言えば当然だ。
警戒が増し、拒絶を帯びたシンの様子を見て、アンジェリカは「失敗した」と顔を青くした。
「神子様!」
「僕は神子様ではなく、シンです。ただの〝シン〟です」
「み、いえ、シン様! お待ちください! ご気分を害されたのでしたらお詫び申し上げます!」
「いりません。不要だと言っているのです。お帰りください」
「シン様!」
悲愴な様子で食い下がるアンジェリカを、シンは眉をひそめて見据えていた。
この構図だけ切り取れば、完全にシンが悪者に見える。
「見ればわかるでしょう。僕の家には誰かを住まわせる余裕もないし、村には兵舎もない。ああ、宿屋なら村の入り口にありますよ」
「お許しください、神子様。お願いします、貴方に国を出ていかれたら……っ! 私の失言はお詫び申し上げますゆえ、どうか! どうか!」
アンジェリカは地面に膝をつき、肩をすぼめて胸の前に指を組んで謝罪を繰り返す。もとより色白だった顔が真っ青になっている。アンジェリカに倣って他の五人の女騎士たちも地面に膝をついて謝罪の姿勢をとる。
ただでさえ、煌びやかな白銀の甲冑の女騎士というだけで目立つのに、全員が妙齢の顔立ちの整った美女や美少女ばかりだ。大体十代前半から二十歳くらいだろう。垢抜けた雰囲気も相まって非常に華やかでもある。
そんな人たちが家の前で頭を垂れていれば、どうしたって人目につく。
「だからお断りします! 騒がしいのも物々しいのも迷惑です!」
「これでも精鋭です! 本当はこの三十倍の人数の予定だったのですよ!」
「それはもう軍隊じゃないですか。なんで子供のお目付け役がそんなにいるんですか。まるで僕を捕まえて監視するみたいですね」
「そのようなことは決して! ただ身の回りのお世話をさせていただくだけです」
「僕、周りに人が多いと落ち着かないので、一人にしてください」
NOと言える日本人のシンは、嫌がる様子を隠しもせず、首を横に振る。
ここで折れたらもっと状況が悪くなるとわかっているから、当然である。
改めて白銀の甲冑が煌びやかな女性陣を見る。
「貴方たちが居座るのでしたら、僕は今から山籠もりをします」
最悪、そこから街道を迂回して山を下りて、国境を越えてやるつもりである。
グラスゴーから一切下りようとせず、今にでも駆け出しそうなシン。
その目は警戒心剥き出しである。猫だったら毛を逆立ててフゥーッと激しく威嚇しているだろう。
いよいよ困ったらしい女騎士たちは、顔を見合わせる。まさかここまで拒絶されるとは思っていなかったのだろう。
一般的な十代の男が見目麗しい美女・美少女に「神子様」と特別感満載に傅かれたら、夢のハーレムに「ムフフ」と助平心が疼くかもしれない。
だが、シンは心穏やかにスローライフを謳歌したかった。王都の騒動で地味にメンタルが疲れたので、田舎でゆっくりしたかったのだ。
美女たちに囲まれる優越感と心の安寧を天秤にかけたシンの心は、音速で後者に動いた。
ちょうどヤベーハニトラによるトラウマ持ちのティルレインが身近にいるのも悪かったのだろう。シンの興味は異性には向かなかった。
ずっと言い争っていると、修羅場になっていると嗅ぎつけて村人たちが集まってきた。
その中にはジーナや、いつものように絵を描きにやってきたティルレインの姿もある。
そして空気の読めないティルレインは、人垣をあっさり抜けてこう言った。
「お前たちは神殿の騎士だな? シンは僕の友人だ。無礼は許さないぞ」
「こ、これはティルレイン殿下! ご挨拶を申し上げます!」
突然現れた第三王子に驚き、アンジェリカは慌てて頭を下げる。
「よい。で、用件は何だ?」
「我々は神子様であるシン様をお守りすべく、神殿より派遣されました」
「ああ、シンが嫌がっていたやつか」
あっけらかんとティルレインが放ったその言葉に、ヒュッと女騎士たちが息を呑む。
ティルレインにまでお呼びでないと追撃されたのだ。
余程その言葉が突き刺さったのか、絶望に染まる彼女たちの顔は可哀想なほどだった。年下の騎士たちはすすり泣きをしはじめている。
それでも、アンジェリカは諦めず言い募る。
「シン様の意向に沿わずとも、稀少な加護をお持ちになられている神子様を放置しては、危険でございます。生きて〝居る〟だけで周囲に恩恵を与えると言われる神子様でございます。シン様とも年齢が近く、実力ある精鋭部隊で、護衛に携わることとなったのですが……」
さすが王子と言うべきか、悲愴感漂う女騎士の前でも、ティルレインは堂々としている。
聖騎士たちに「ふむ」と頷いたティルレインは、ルクスの方へ歩いていった。そしてヒィンと泣き出す直前のヘタレ顔で〝自分より賢い頼れる大人〟に助言を請う。
か弱い女性の懇願とはいえ、怒ると怖いシンの逆鱗に触れるのはまずい。勝手な真似は危険だと判断したのだ。
今までのティルレインなら後先考えず引き受けて、周囲に迷惑をバラまいていただろう。躾がそこそこ実を結んでいるらしい。
お馬鹿王子なりの最善の選択だった。
「どうしよう、ルクス」
「一度こちらで預かってはいかがでしょう。シン君はかなり警戒しております。聖騎士で、ましてや女性相手ですし、恐らくパウエル様であれば、場所を用意してくれるでしょう。彼女たちは身元不明の傭兵や冒険者ではないのですから」
彼女らがパウエルを領主から降ろそうと神殿側から圧力をかけようとしていた会話は、ルクスには聞こえていなかったようだ。
もし聞こえていたら、二人とも態度は違っただろう。
「うーん、あの子たち、諦めそうにないけど、シンはすごぉく嫌がっているからなぁ。女の子には優しくしろって父上や兄上たちにも言われているけど……パウエルに迷惑を掛けると、シンに怒られないかな?」
ルクスはティルレインがちゃんと考えていることに感動した。
確かに聖騎士たちは女性ではあるが、全員が淑女とは限らない。そこもティルレインは、以前こっぴどく騙された糞女から学んだようだ。
ちなみに、ティルレインはコソコソしているつもりだが、耳の良いシンには丸聞こえだった。
「送り返すにも、彼女たちが納得しないのであれば難しいでしょう。シン君は自分の自由を侵害されることが大嫌いです。『神子』はその性質もあり、余程のことでない限り意思は尊重されるはずですし……」
使命感に燃えるアンジェリカたちは、てこでも動かないだろう。動きたくないし、動いた後に行ける場所すらないのかもしれない。
そこで、ルクスはある事実に気づいて顔を上げる。
ルクスは伯爵子息だから、社交界にある程度顔が利く。だから、ここに来た妙齢の女性たちに既視感を覚えていた。
神殿から報告があったのだ。彼女たちは、おそらく元貴族や多少社交界に繋がりのある家の者――それも、どれも没落や、不祥事、家督相続に巻き込まれて追い出された女性ばかりだ。
異世界生まれの異世界育ちのシンは、当然知る由もない。
(容姿は美しく、シン君とも年齢が近い。警戒されにくいと言えるでしょう。そして身の上も同情されやすい立場であり――後ろ盾のない女性ばかり。……なるほど、本命を後で送り込むために、彼女たちは小手調べ、もしくは捨て石ですか。試金石というより、あえて無茶を通す態度をさせて、後発の本命部隊でシン君を懐柔するつもりかもしれません)
シンだって、一度断った後にもっと良い条件で来られたら、さすがに断りづらい。
ましてやこの少女たちはシンに尽くしたいと、便利な王都を出てわざわざ鄙びた場所まで山河を越えてやってきたのだ。
一途だが、強硬とも言える。
だが、残念ながら交渉は失敗したようだ。
そもそも、シンはその辺の青少年よりよっぽどガードが堅く、堅実な性格だ。
勤勉で優秀で、こちらが礼儀を払えば物腰も丁寧だ。非常に冷静に現状を見ており、多くの美麗なルックスの女性が目の前に現れても、浮足立つどころかむしろ不審がっている。
この千分の一の慎重さがティルレインにもあれば、自分の気苦労は九割くらい減るだろう。
ルクスはそんな考えを頭から振り払う。ない物ねだりは虚しいだけだ。
神殿としては、この若い女騎士たちが運良くシンの懐に抱き込まれたなら、少しずつ本命部隊と入れ替えていくつもりなのだろう。
神子といえども生身の若い男。若い異性の魅力に抗えない場合もある。
もっとも、ときめきのとの字もないシンを見る限り、それは望み薄だったが。
葬式というより愁嘆場と修羅場の間のような空気が流れる。
シンはあまりの鬱陶しさに、げんなりとしはじめた。
ルクスはそんなシンの様子を察して助け船を出す。
「シン君、一度こちらで彼女たちを預からせていただいていいでしょうか?」
ルクスの申し出に、今まで警戒の目つきだったシンは、目を丸くする。
そして、すっかり消沈したアンジェリカたちを見て、こくりと頷いた。
さすがにまるっきり放置というのもできなかったのだろう。
「お願いします」
シンの了承の言葉を聞き、皆が安堵の溜息を漏らす。
聖騎士たちはけんもほろろに即日追い出されなかったことに、ルクスは不機嫌なシンがこちらの妥協案に頷いたことに、ティルレインはとりあえず修羅場を回避したことに。
ルクスは良識ある人間で、頭の回転は速い方だ。ただ、他人を蹴落とし、踏みつけながら自分の利益を追求するのを好まなかった。権力争いに参加するつもりもない。
そんな温和な性格なため、閑職気味な第三王子の侍従をしている。
ティルレインのような脳内からフローラルを醸している王族が珍しい方だし、権力中枢には権謀術数に長けたその手の人間が溢れて跳梁跋扈している。
そういった手合いの相手は色々な意味で疲れるのだ。
ひとまず、この場はなんとか収まった。
余計な人員を送り付けてきた神殿への苛立ちが止まらないシンは、それを薪割りにぶつけ、殺気立ちながら暖炉用の薪を量産しはじめた。
ルクスはティルレインにも了承を得て、アンジェリカたちを領主邸に連れ帰る。
彼女たちがあと一歩踏み込んでいたら、シンの導火線が着火していたかもしれない。
シンは普段は大人しいが、一度スイッチが押されると一気に相手を叩き潰しにかかるところがある。
若い女性聖騎士のみで構成された『神子様』の護衛部隊。下世話な気配しかしない。
本人たちはそういう意味であっても、平民――他の貴族との血縁的なしがらみのない神子であれば、自分にも可能性があると息巻いているのかもしれない。
名誉職でもあるが、神子の伴侶になれれば上級貴族級の扱いは保証される。
騎士としての栄誉だけでここまで来た者は少ないだろう。
よく見れば、聖騎士の少女たちの一部は化粧をしっかり施し、貴金属を身につけて、鎧の下にはやけに短いスカートを穿いている。
あからさまにシンに媚びた視線を向けている者もいた。
ルクスはアンジェリカを含めて六人いる騎士たちを見た。
その中でまだまともに仕事をする気のありそうな者だけを選ぶと、二人しか残らなかった。
まずはリーダー格であり、シンと話していたアンジェリカ・スコティッシュフォールド。そして小柄で少しおどおどしたレニ・ハチワレだ。
アンジェリカはわかりやすく迫力ある二十歳ほどの美女である。レニは可愛らしい雰囲気のボブカットの美少女だ。年齢はシンと同じか少し下くらいだろう。
観察するようにルクスが見ていると、アンジェリカは堅苦しくかっちりと一礼した。
「遅ればせながら、ご挨拶申し上げます。サモエド伯爵のご子息、お久し振りでございます」
「スコティッシュフォールド子爵令嬢、お久し振りですね。……確か、貴方はブル子爵とのご婚約があったのでは?」
ルクスが彼女と会ったのは三年ほど前で、その時はグライド・ブル子爵令息にエスコートされていたはずだ。騎士の格好などしておらず、貴族らしく裾の長いドレスを纏っていて、普通の令嬢といった具合だった。
順調にいけば、今頃ブル家の末子であるグライドと結婚していておかしくないはずだ。
だが、アンジェリカは神殿の聖騎士としてタニキ村に来ている。ルクスが王都を不在にしていた間に、何かあったのだろう。
「グライド様はマリスと婚約を結び直すこととなり、私は家を出ました」
アンジェリカはほんの少し俯き、心なしか沈んだ声で答えた。ルクスは訳ありな気配を感じたが、今は置いておく。
次いで、彼は今名前が出たマリス・スコティッシュフォールドのことを思い出そうとするが、あまり印象がなかった。
やたらふわふわした砂糖菓子のような少女だった気がする。シンが見れば「脳味噌花畑が」と冷ややかに言いそうなタイプだ。
マリスという令嬢は、天真爛漫な少女らしい少女――と言えば聞こえは良いが、令嬢としてのマナーはいまいちな印象だった。
マリスはアイリーンにどこか似た印象があり、心中に苦いものが広がるが、ルクスは表情には出さなかった。
「シン君はかなり大人びた子なので、あまり干渉して行動を制限しないようにしてください」
「ですが、複数のご加護をお持ちの稀少な方なのです! 彼を失うのは神殿、そして国家の損失とすら言えます! いくらしっかりしていても、まだ子供です!」
はきはきと答えるアンジェリカだが、明らかに気合が空回りしている。
ルクスは、昔ティルレインが飼っていたハムスターを思い出した。
可愛らしく機敏な動きで、よく滑車をカラカラと回していた。ティルレインは溺愛していたのだが、そのハムスターは昼寝や食事の邪魔をされると不機嫌そうに「じゅぃっ!」とよく鳴いたものだ。
シンは確かに若いというより幼いという雰囲気を感じる面立ちであり、年齢より華奢で小柄に見える体躯から、頼りなさそうに見えたのだろう。
だが実際のところは弓の腕はかなりのものだし、魔法も使えるから、総合能力は上級騎士にも引けを取らないはずだ。山林で騎馬付きなら、一部隊とも渡り合えるかもしれない。
正直、聖騎士とはいえお飾り感が拭えない少女たちに護衛が務まるとは思えない。
「ですが、機嫌を損ねないように言われませんでしたか?」
「……それは、気を付けるようにと」
「シン君は王家からも目を掛けられていますし、並みの冒険者よりは強いと聞きます。大人数の知らない人に無意味にうろつかれても、嫌がられるだけですよ」
シンは冬ごもりに向けてせっせと家の周囲をリフォームして、薪や食料を集めている。
すでに十分足りているとは思うが、楽しそうに動き回っているところを邪魔されたら、不愉快に感じるだろう。
ルクスとて、神殿を敵に回したいわけではないが、奔放お馬鹿王子のティルレインを着実に仕留めて撃沈させる貴重な人材を、みすみす渡したくなかった。
シンは業突く張りではないし、身の丈をよくわかっている。そしてその身分制度のルールを軽率にぶち破る王子を、正論ビンタで諭してくれる。
王妃のマリアベルや宰相のチェスターからも、くれぐれもよろしく頼むと念を押されている。
シンは金子にも身分にもつられない稀有な人材ゆえに、慎重に距離を詰めて信頼関係を築こうとしているのだ。
勘が鋭いシンに下心たっぷりで近寄れば、すぐさま回れ右をするだろう。
ルクスは人に取り入るのは得意でないが、寄り添うことは自然とできる人間だ。そこを見込まれての人選だった。
ルクスはシンの騎獣の後見人を頼まれる程度には信頼されている。そう考えると、彼はシンの周りにいる者の中ではかなり信用されている方だろう。
だが、そんなことはアンジェリカやレニにはわからない。
レニがきゅっと唇を噛み締めながら、果敢にも言い返す。
「で、ですが、神子様は神殿で保護されるべきお方です……っ」
しかしルクスも黙ってはいられない。ティルレインのお気に入りであり、常識のテコ入れが心強いシン大先生様を、横からかっ攫われるわけにはいかないのだ。
「では聞きますが、レニ・ハチワレ嬢。貴方はシン君の前に、あのデュラハンギャロップやジュエルホーンを倒せますか?」
無理だろう。レニだけでなく、アンジェリカも悔しそうに視線を落とした。
デュラハンギャロップは、かなり難易度の高い討伐対象だ。
幼体であってもバイコーンの群れ並みに強い。Bランクの冒険者がチームを組んで討伐できるかというレベルだ。
特にシンの愛馬がずば抜けて戦闘力が高いことは、その雰囲気からすら察せられる。
立派な成獣だし、一度折れた角はシンの手に渡ってからぐんぐん伸びている。
上級魔法に準ずるスキルを複数持っており、上級騎士が隊列を組んでも行く手を阻むのは難しいだろう。
ルクスは王都からタニキ村に帰る際、その恐ろしさの片鱗を見た。戦いは専門外とはいえ、それでもグラスゴーの強さが尋常でないことはよくわかった。
シンに対してはデレ一択ですり寄ってベロベロと顔や頭を舐めているグラスゴーだが、ティルレインの護衛騎士たちに「師団を組んでも戦いたくない」と言わしめるレベルである。
ピコはアイドル馬ポジションだが、シンに世話をされるようになってから見違えるほどの美人ならぬ美馬となった。
ジュエルホーンは魔馬の中でも穏やかな馬とはいえ、その辺の馬より脚力も持久力もあるし、魔法も使う。
そして、二頭はアホの申し子にも優しい心の広い馬――別名、それは雑魚認定という――でもある。
女性はにわかに信じがたいといった様子でシンの家を一瞥した。
確かに小屋にも見えるだろうが、住めば都にしている真っ最中の大事な我が家である。
「好きで住んでいるので」
シンの様子に、少し空気が張りつめる。
辺鄙とも言えるのどかなタニキ村に、こんな物々しい人々が来たのだ。グラスゴーも気が立ってきたのか、蹄で土をガツガツと引っ掻いている。
グラスゴーはすでに、ティルレインの護衛騎士は〝デカいくせに雑魚なキンキラ〟のお世話係だと理解しているので、彼らに対しては警戒していない。
ティルレインはジャックより勘が悪く、体はデカいのに機敏ではないし、力が強いわけでもない。魔法を使うわけでもない。むしろなんで生き残れているのか意味不明な雑魚プリンス。
その雑魚は、たくさんの共生している護衛がいるから生きていられるのだと、グラスゴーは認識している。
シンもなんだかんだ言ってティルレインの世話をしているので、グラスゴーは目上の立場から弱者には寛容に接することに落ち着いた。別に、たまに持ってくるパンや果実に懐柔されたわけではない。シンのくれる魔石やポーションがずっと美味しいのだから。
さて、そんな連中と比べて、今目の前にいる人間のメスはどうか。
戦士の足捌きを持った、戦うメスである。シンも緊張して強張っている様子だ。明らかに警戒している。
メスたちはシンには敵意を向けてはいないが、グラスゴーの蹄が届かないギリギリの距離にいる。
グラスゴーは魔力を蹄に集めながら、戦力を持ったメスの群れを睨んでいた。
そんな厳しい視線を受けながらも、アンジェリカは切々と訴える。
「神子様、それは許されないことでございます。神子様は神々の寵愛を得られたお方にございます。神子様ほどのお方がお住まいになるなら、最低でも領主宅程度の設備が必要です。警備は後から増やすにしても、この状態ではあまりに……。領主が反抗的なようでしたら、訴え出て貴族籍を剥奪してでも――」
アンジェリカは神子であるシンを保護しようと、いらぬ使命感に燃え満ちている。
だが、シンの目には大義に酔いしれているようにしか見えなかった。
シンの都合を考えず、勝手に進めようとする。一方的ともいえる姿勢に、一気に不信感が増し、好感度が下がった。
領主のパウエル・フォン・ポメラニアン準男爵は切れ者ではないが、領民思いの良い領主であり、ジャックの良き父親だ。シンもタニキ村の人々も、領民と一緒にタニキ村を盛り立てようとするパウエルの姿勢を好ましく思っている。
「パウエル様やジャックに何かしたら、僕はこの国を出ます。タニキ村の人たちに危害を加える人はいりません。お帰りください」
シンの声は凍り付かんばかりだ。
村人とは明らかに毛色の違う人がぞろぞろと取り囲むようにやってきたのだから、当然と言えば当然だ。
警戒が増し、拒絶を帯びたシンの様子を見て、アンジェリカは「失敗した」と顔を青くした。
「神子様!」
「僕は神子様ではなく、シンです。ただの〝シン〟です」
「み、いえ、シン様! お待ちください! ご気分を害されたのでしたらお詫び申し上げます!」
「いりません。不要だと言っているのです。お帰りください」
「シン様!」
悲愴な様子で食い下がるアンジェリカを、シンは眉をひそめて見据えていた。
この構図だけ切り取れば、完全にシンが悪者に見える。
「見ればわかるでしょう。僕の家には誰かを住まわせる余裕もないし、村には兵舎もない。ああ、宿屋なら村の入り口にありますよ」
「お許しください、神子様。お願いします、貴方に国を出ていかれたら……っ! 私の失言はお詫び申し上げますゆえ、どうか! どうか!」
アンジェリカは地面に膝をつき、肩をすぼめて胸の前に指を組んで謝罪を繰り返す。もとより色白だった顔が真っ青になっている。アンジェリカに倣って他の五人の女騎士たちも地面に膝をついて謝罪の姿勢をとる。
ただでさえ、煌びやかな白銀の甲冑の女騎士というだけで目立つのに、全員が妙齢の顔立ちの整った美女や美少女ばかりだ。大体十代前半から二十歳くらいだろう。垢抜けた雰囲気も相まって非常に華やかでもある。
そんな人たちが家の前で頭を垂れていれば、どうしたって人目につく。
「だからお断りします! 騒がしいのも物々しいのも迷惑です!」
「これでも精鋭です! 本当はこの三十倍の人数の予定だったのですよ!」
「それはもう軍隊じゃないですか。なんで子供のお目付け役がそんなにいるんですか。まるで僕を捕まえて監視するみたいですね」
「そのようなことは決して! ただ身の回りのお世話をさせていただくだけです」
「僕、周りに人が多いと落ち着かないので、一人にしてください」
NOと言える日本人のシンは、嫌がる様子を隠しもせず、首を横に振る。
ここで折れたらもっと状況が悪くなるとわかっているから、当然である。
改めて白銀の甲冑が煌びやかな女性陣を見る。
「貴方たちが居座るのでしたら、僕は今から山籠もりをします」
最悪、そこから街道を迂回して山を下りて、国境を越えてやるつもりである。
グラスゴーから一切下りようとせず、今にでも駆け出しそうなシン。
その目は警戒心剥き出しである。猫だったら毛を逆立ててフゥーッと激しく威嚇しているだろう。
いよいよ困ったらしい女騎士たちは、顔を見合わせる。まさかここまで拒絶されるとは思っていなかったのだろう。
一般的な十代の男が見目麗しい美女・美少女に「神子様」と特別感満載に傅かれたら、夢のハーレムに「ムフフ」と助平心が疼くかもしれない。
だが、シンは心穏やかにスローライフを謳歌したかった。王都の騒動で地味にメンタルが疲れたので、田舎でゆっくりしたかったのだ。
美女たちに囲まれる優越感と心の安寧を天秤にかけたシンの心は、音速で後者に動いた。
ちょうどヤベーハニトラによるトラウマ持ちのティルレインが身近にいるのも悪かったのだろう。シンの興味は異性には向かなかった。
ずっと言い争っていると、修羅場になっていると嗅ぎつけて村人たちが集まってきた。
その中にはジーナや、いつものように絵を描きにやってきたティルレインの姿もある。
そして空気の読めないティルレインは、人垣をあっさり抜けてこう言った。
「お前たちは神殿の騎士だな? シンは僕の友人だ。無礼は許さないぞ」
「こ、これはティルレイン殿下! ご挨拶を申し上げます!」
突然現れた第三王子に驚き、アンジェリカは慌てて頭を下げる。
「よい。で、用件は何だ?」
「我々は神子様であるシン様をお守りすべく、神殿より派遣されました」
「ああ、シンが嫌がっていたやつか」
あっけらかんとティルレインが放ったその言葉に、ヒュッと女騎士たちが息を呑む。
ティルレインにまでお呼びでないと追撃されたのだ。
余程その言葉が突き刺さったのか、絶望に染まる彼女たちの顔は可哀想なほどだった。年下の騎士たちはすすり泣きをしはじめている。
それでも、アンジェリカは諦めず言い募る。
「シン様の意向に沿わずとも、稀少な加護をお持ちになられている神子様を放置しては、危険でございます。生きて〝居る〟だけで周囲に恩恵を与えると言われる神子様でございます。シン様とも年齢が近く、実力ある精鋭部隊で、護衛に携わることとなったのですが……」
さすが王子と言うべきか、悲愴感漂う女騎士の前でも、ティルレインは堂々としている。
聖騎士たちに「ふむ」と頷いたティルレインは、ルクスの方へ歩いていった。そしてヒィンと泣き出す直前のヘタレ顔で〝自分より賢い頼れる大人〟に助言を請う。
か弱い女性の懇願とはいえ、怒ると怖いシンの逆鱗に触れるのはまずい。勝手な真似は危険だと判断したのだ。
今までのティルレインなら後先考えず引き受けて、周囲に迷惑をバラまいていただろう。躾がそこそこ実を結んでいるらしい。
お馬鹿王子なりの最善の選択だった。
「どうしよう、ルクス」
「一度こちらで預かってはいかがでしょう。シン君はかなり警戒しております。聖騎士で、ましてや女性相手ですし、恐らくパウエル様であれば、場所を用意してくれるでしょう。彼女たちは身元不明の傭兵や冒険者ではないのですから」
彼女らがパウエルを領主から降ろそうと神殿側から圧力をかけようとしていた会話は、ルクスには聞こえていなかったようだ。
もし聞こえていたら、二人とも態度は違っただろう。
「うーん、あの子たち、諦めそうにないけど、シンはすごぉく嫌がっているからなぁ。女の子には優しくしろって父上や兄上たちにも言われているけど……パウエルに迷惑を掛けると、シンに怒られないかな?」
ルクスはティルレインがちゃんと考えていることに感動した。
確かに聖騎士たちは女性ではあるが、全員が淑女とは限らない。そこもティルレインは、以前こっぴどく騙された糞女から学んだようだ。
ちなみに、ティルレインはコソコソしているつもりだが、耳の良いシンには丸聞こえだった。
「送り返すにも、彼女たちが納得しないのであれば難しいでしょう。シン君は自分の自由を侵害されることが大嫌いです。『神子』はその性質もあり、余程のことでない限り意思は尊重されるはずですし……」
使命感に燃えるアンジェリカたちは、てこでも動かないだろう。動きたくないし、動いた後に行ける場所すらないのかもしれない。
そこで、ルクスはある事実に気づいて顔を上げる。
ルクスは伯爵子息だから、社交界にある程度顔が利く。だから、ここに来た妙齢の女性たちに既視感を覚えていた。
神殿から報告があったのだ。彼女たちは、おそらく元貴族や多少社交界に繋がりのある家の者――それも、どれも没落や、不祥事、家督相続に巻き込まれて追い出された女性ばかりだ。
異世界生まれの異世界育ちのシンは、当然知る由もない。
(容姿は美しく、シン君とも年齢が近い。警戒されにくいと言えるでしょう。そして身の上も同情されやすい立場であり――後ろ盾のない女性ばかり。……なるほど、本命を後で送り込むために、彼女たちは小手調べ、もしくは捨て石ですか。試金石というより、あえて無茶を通す態度をさせて、後発の本命部隊でシン君を懐柔するつもりかもしれません)
シンだって、一度断った後にもっと良い条件で来られたら、さすがに断りづらい。
ましてやこの少女たちはシンに尽くしたいと、便利な王都を出てわざわざ鄙びた場所まで山河を越えてやってきたのだ。
一途だが、強硬とも言える。
だが、残念ながら交渉は失敗したようだ。
そもそも、シンはその辺の青少年よりよっぽどガードが堅く、堅実な性格だ。
勤勉で優秀で、こちらが礼儀を払えば物腰も丁寧だ。非常に冷静に現状を見ており、多くの美麗なルックスの女性が目の前に現れても、浮足立つどころかむしろ不審がっている。
この千分の一の慎重さがティルレインにもあれば、自分の気苦労は九割くらい減るだろう。
ルクスはそんな考えを頭から振り払う。ない物ねだりは虚しいだけだ。
神殿としては、この若い女騎士たちが運良くシンの懐に抱き込まれたなら、少しずつ本命部隊と入れ替えていくつもりなのだろう。
神子といえども生身の若い男。若い異性の魅力に抗えない場合もある。
もっとも、ときめきのとの字もないシンを見る限り、それは望み薄だったが。
葬式というより愁嘆場と修羅場の間のような空気が流れる。
シンはあまりの鬱陶しさに、げんなりとしはじめた。
ルクスはそんなシンの様子を察して助け船を出す。
「シン君、一度こちらで彼女たちを預からせていただいていいでしょうか?」
ルクスの申し出に、今まで警戒の目つきだったシンは、目を丸くする。
そして、すっかり消沈したアンジェリカたちを見て、こくりと頷いた。
さすがにまるっきり放置というのもできなかったのだろう。
「お願いします」
シンの了承の言葉を聞き、皆が安堵の溜息を漏らす。
聖騎士たちはけんもほろろに即日追い出されなかったことに、ルクスは不機嫌なシンがこちらの妥協案に頷いたことに、ティルレインはとりあえず修羅場を回避したことに。
ルクスは良識ある人間で、頭の回転は速い方だ。ただ、他人を蹴落とし、踏みつけながら自分の利益を追求するのを好まなかった。権力争いに参加するつもりもない。
そんな温和な性格なため、閑職気味な第三王子の侍従をしている。
ティルレインのような脳内からフローラルを醸している王族が珍しい方だし、権力中枢には権謀術数に長けたその手の人間が溢れて跳梁跋扈している。
そういった手合いの相手は色々な意味で疲れるのだ。
ひとまず、この場はなんとか収まった。
余計な人員を送り付けてきた神殿への苛立ちが止まらないシンは、それを薪割りにぶつけ、殺気立ちながら暖炉用の薪を量産しはじめた。
ルクスはティルレインにも了承を得て、アンジェリカたちを領主邸に連れ帰る。
彼女たちがあと一歩踏み込んでいたら、シンの導火線が着火していたかもしれない。
シンは普段は大人しいが、一度スイッチが押されると一気に相手を叩き潰しにかかるところがある。
若い女性聖騎士のみで構成された『神子様』の護衛部隊。下世話な気配しかしない。
本人たちはそういう意味であっても、平民――他の貴族との血縁的なしがらみのない神子であれば、自分にも可能性があると息巻いているのかもしれない。
名誉職でもあるが、神子の伴侶になれれば上級貴族級の扱いは保証される。
騎士としての栄誉だけでここまで来た者は少ないだろう。
よく見れば、聖騎士の少女たちの一部は化粧をしっかり施し、貴金属を身につけて、鎧の下にはやけに短いスカートを穿いている。
あからさまにシンに媚びた視線を向けている者もいた。
ルクスはアンジェリカを含めて六人いる騎士たちを見た。
その中でまだまともに仕事をする気のありそうな者だけを選ぶと、二人しか残らなかった。
まずはリーダー格であり、シンと話していたアンジェリカ・スコティッシュフォールド。そして小柄で少しおどおどしたレニ・ハチワレだ。
アンジェリカはわかりやすく迫力ある二十歳ほどの美女である。レニは可愛らしい雰囲気のボブカットの美少女だ。年齢はシンと同じか少し下くらいだろう。
観察するようにルクスが見ていると、アンジェリカは堅苦しくかっちりと一礼した。
「遅ればせながら、ご挨拶申し上げます。サモエド伯爵のご子息、お久し振りでございます」
「スコティッシュフォールド子爵令嬢、お久し振りですね。……確か、貴方はブル子爵とのご婚約があったのでは?」
ルクスが彼女と会ったのは三年ほど前で、その時はグライド・ブル子爵令息にエスコートされていたはずだ。騎士の格好などしておらず、貴族らしく裾の長いドレスを纏っていて、普通の令嬢といった具合だった。
順調にいけば、今頃ブル家の末子であるグライドと結婚していておかしくないはずだ。
だが、アンジェリカは神殿の聖騎士としてタニキ村に来ている。ルクスが王都を不在にしていた間に、何かあったのだろう。
「グライド様はマリスと婚約を結び直すこととなり、私は家を出ました」
アンジェリカはほんの少し俯き、心なしか沈んだ声で答えた。ルクスは訳ありな気配を感じたが、今は置いておく。
次いで、彼は今名前が出たマリス・スコティッシュフォールドのことを思い出そうとするが、あまり印象がなかった。
やたらふわふわした砂糖菓子のような少女だった気がする。シンが見れば「脳味噌花畑が」と冷ややかに言いそうなタイプだ。
マリスという令嬢は、天真爛漫な少女らしい少女――と言えば聞こえは良いが、令嬢としてのマナーはいまいちな印象だった。
マリスはアイリーンにどこか似た印象があり、心中に苦いものが広がるが、ルクスは表情には出さなかった。
「シン君はかなり大人びた子なので、あまり干渉して行動を制限しないようにしてください」
「ですが、複数のご加護をお持ちの稀少な方なのです! 彼を失うのは神殿、そして国家の損失とすら言えます! いくらしっかりしていても、まだ子供です!」
はきはきと答えるアンジェリカだが、明らかに気合が空回りしている。
ルクスは、昔ティルレインが飼っていたハムスターを思い出した。
可愛らしく機敏な動きで、よく滑車をカラカラと回していた。ティルレインは溺愛していたのだが、そのハムスターは昼寝や食事の邪魔をされると不機嫌そうに「じゅぃっ!」とよく鳴いたものだ。
シンは確かに若いというより幼いという雰囲気を感じる面立ちであり、年齢より華奢で小柄に見える体躯から、頼りなさそうに見えたのだろう。
だが実際のところは弓の腕はかなりのものだし、魔法も使えるから、総合能力は上級騎士にも引けを取らないはずだ。山林で騎馬付きなら、一部隊とも渡り合えるかもしれない。
正直、聖騎士とはいえお飾り感が拭えない少女たちに護衛が務まるとは思えない。
「ですが、機嫌を損ねないように言われませんでしたか?」
「……それは、気を付けるようにと」
「シン君は王家からも目を掛けられていますし、並みの冒険者よりは強いと聞きます。大人数の知らない人に無意味にうろつかれても、嫌がられるだけですよ」
シンは冬ごもりに向けてせっせと家の周囲をリフォームして、薪や食料を集めている。
すでに十分足りているとは思うが、楽しそうに動き回っているところを邪魔されたら、不愉快に感じるだろう。
ルクスとて、神殿を敵に回したいわけではないが、奔放お馬鹿王子のティルレインを着実に仕留めて撃沈させる貴重な人材を、みすみす渡したくなかった。
シンは業突く張りではないし、身の丈をよくわかっている。そしてその身分制度のルールを軽率にぶち破る王子を、正論ビンタで諭してくれる。
王妃のマリアベルや宰相のチェスターからも、くれぐれもよろしく頼むと念を押されている。
シンは金子にも身分にもつられない稀有な人材ゆえに、慎重に距離を詰めて信頼関係を築こうとしているのだ。
勘が鋭いシンに下心たっぷりで近寄れば、すぐさま回れ右をするだろう。
ルクスは人に取り入るのは得意でないが、寄り添うことは自然とできる人間だ。そこを見込まれての人選だった。
ルクスはシンの騎獣の後見人を頼まれる程度には信頼されている。そう考えると、彼はシンの周りにいる者の中ではかなり信用されている方だろう。
だが、そんなことはアンジェリカやレニにはわからない。
レニがきゅっと唇を噛み締めながら、果敢にも言い返す。
「で、ですが、神子様は神殿で保護されるべきお方です……っ」
しかしルクスも黙ってはいられない。ティルレインのお気に入りであり、常識のテコ入れが心強いシン大先生様を、横からかっ攫われるわけにはいかないのだ。
「では聞きますが、レニ・ハチワレ嬢。貴方はシン君の前に、あのデュラハンギャロップやジュエルホーンを倒せますか?」
無理だろう。レニだけでなく、アンジェリカも悔しそうに視線を落とした。
デュラハンギャロップは、かなり難易度の高い討伐対象だ。
幼体であってもバイコーンの群れ並みに強い。Bランクの冒険者がチームを組んで討伐できるかというレベルだ。
特にシンの愛馬がずば抜けて戦闘力が高いことは、その雰囲気からすら察せられる。
立派な成獣だし、一度折れた角はシンの手に渡ってからぐんぐん伸びている。
上級魔法に準ずるスキルを複数持っており、上級騎士が隊列を組んでも行く手を阻むのは難しいだろう。
ルクスは王都からタニキ村に帰る際、その恐ろしさの片鱗を見た。戦いは専門外とはいえ、それでもグラスゴーの強さが尋常でないことはよくわかった。
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ピコはアイドル馬ポジションだが、シンに世話をされるようになってから見違えるほどの美人ならぬ美馬となった。
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