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2巻

2-16

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「あんま飛び跳ねると、お菓子が割れるぞ」

 シンの忠告を受け、ジャックはぴたりと止まる。慎重に持ち替え、大事そうに両手で胸に抱きしめた。その変わりように、自然と周囲から笑みがこぼれる。
 ポメラニアン準男爵は、屋敷の裏手で農作業をしているそうだ。
 魔物の襲撃もなく天候にも恵まれ、旅路は至って順調だったため、予想よりも少し早めに着いた。しかも屋敷の裏手からでは馬車は見えないので、迎えがなかったのも仕方がない。
 恐らく、領主のパウエルはしばらくティルレインの相手に忙しくなるだろう。
 シンはパウエルには会わずに、その場でティルレインやルクスたちと別れ、自分の家に帰ることにした。
 シンの家は、狩人のハレッシュから借りた離れである。
 まだ日中なので家主のハレッシュは討伐や狩りに出ている可能性が高い。母屋おもやは静かだった。
 だが、隣家の家具職人であるガランテ・ベッキーや、その妻のジーナは在宅のようだ。そして息子のカロルとシベル兄弟も、近くの畑で草むしりをしていた。
 シンを見つけたカロルとシベルが真っ先に騒ぎ出し、それに気づいた夫婦も大慌てで外に出てきた。皆、笑顔で帰りを喜んでいるのがよくわかる。
 走り寄ってくる二人を目で追いつつも、シンはグラスゴーの背中からひらりと降りて「ちょっと待ってて」と鼻を撫でた。

「シン兄ちゃん、おかえり!」
「なぁ、王都はどうだった? おいしいものあった? おみやげはー?」

 二人とも泥だらけの手でシンに抱きついてくる。
 ジーナが眉をはね上げて「こら!」と怒るが、兄弟はどこ吹く風だ。
 シンとしては歓迎してくれる相手がいるのは嬉しいものだ。泥汚れなんて洗って落とせばいい。

「お土産にお菓子があるから、手を洗って飲み物を用意してきなよ」

 お菓子という言葉に喜色満面きしょくまんめんの二人は、我先にと井戸の傍にある洗い場へと向かう。
 この様子ではもう草むしりどころじゃないだろう。
 行儀の悪い息子たちを呆れ顔で睨んでいたジーナだが、シンの方を向く時はにっこりとした笑顔に変わっていた。

「おかえり、シン。ハレッシュさんは狩りに出て今はいないよ。暗くなる前には帰ると思うんだけどね」
「無事で何よりだ」

 ガランテも落ち着いた低い声で、ややぶっきらぼうに言う。もとより饒舌ではないので、シンもさして気にしない。それぞれの性格がはっきり出た反応に、むしろ帰ってきたなぁという実感が湧き、感慨深いものがある。

「ただいま戻りました。お土産買ってきたので、良かったらどうぞ」

 シンが渡したのは、先ほどカロルとシベルにも言ったお菓子だ。焼き菓子なので保存は利くし、そもそも異空間バッグに入っていたので風味も落ちていないはずだ。
 それ以外にもジーナには暖かい魔羊の毛で編まれた大判のストールと、ひざ掛けにできそうなブランケット。ガランテにはビッグフロッグをよく鞣した革でできた大きなバッグを渡した。

「あら、ありがとうねぇ!」
「子供なのに気を遣いやがって」

 そう言いつつも、ガランテの目元は緩んでいた。
 彼は今まで、ボロボロだった仕事用のバッグをなんだかんだ繕い、つぎはぎして使い続けていた。重い物を入れるのでしっかりした素材でないとすぐダメになってしまうし、かといって買い換えるのは大きな出費になるので先延ばしにしていたのだ。
 ビッグフロッグの革は独特の質感と滑らかさ、そして弾力があるため、傷や汚れに強い。なめし加工をする工程でひと手間入れると、水にも強くなるとのことだ。

「あんたねぇ、素直に喜びなさいよ!」

 ジーナの勢いある張り手がバシンとガランテの背中に当たる。だいぶ良い音がしたが、彼はびくともしない。よくあることだ。
 ガランテは受け取ったバッグがずっしり重たいのに気づいた。中を開けると、砂糖と塩、チーズがみっちり入っていた。

「こっちより王都の方が安いですから。あと、小麦粉はどこに置けばいいでしょうか?」

 シンは次々と土産を出すが、その量にガランテは困惑する。

「いくら馬に積んだとしても多すぎだろう」
「あ、これからもジーナさんのパンやシチューや煮物のお世話になる予定なので、これは自分の食費の先払いみたいなものです」

 シンだってちょっとした料理はできるが、手の込んだ料理はまるでお手上げである。保存食の作り方は覚えたものの、一般家庭料理のレパートリーは少ない。当然、この世界にはレトルトや缶詰のような既製品はない。つまり、ジーナが作った料理の方が断然美味だ。
 堂々としたたかる宣言に、ガランテも「そういうことなら」と納得して受け取った。
 下心たっぷりなシンの言葉にもかかわらず、ジーナは陽気な笑みとともにドンと来いとばかりに胸を叩いた。むしろ思わぬ追加の食料に喜んでいる節がある。

「任しときなさい! でもね、シン? アンタ自分の分もちょっとは残しているんだろうね? いくら隣っていっても、大吹雪の時なんかはさすがに届けられないよ」
「それは大丈夫です」
「馬に載せているように見えんが……それにしても、やけにデカいな、その馬」

 大柄なガランテでも少々気後れするほどに、グラスゴーは巨体だ。
 シンはだいぶ慣れてしまっているが、やはり初めて見た人にとっては圧迫感を覚えるほど存在感があるのだろう。
 よく言われる言葉に、シンはお決まりの返答をする。

「怪我をしていた騎獣を格安で購入したんです。荷物の方はティルレイン殿下のお世話をしていたことで、とある方からマジックバッグを頂いたので、その中に仕舞っています」

 シンの説明に「はへぇ」と気の抜けた声を出すジーナ。頬に手をやりながら、驚いている。

「それならいいけど……魔道具って貴重品なんだろう? やっぱり王族は違うねぇ」

 呑気なジーナの隣でガランテは腕を組みながら、周囲を気にして声を落とす。

「そういうもんは盗まれねぇように気を付けな。田舎にもたまに手癖の悪い奴が流れてきて、普段は大人しくしていても、高価なモノに目が眩んで手が出る奴もいるからな」

 シンのことをとても心配しているからか、ガランテが顔をしかめる。

「あはは、気を付けます」

 シンは苦笑しながらその忠告に頷く。
 もとより、マジックバッグのことはベッキー一家を信用しているからこそ教えただけで、他には積極的に言うつもりはない。泥棒騒ぎは王都でもう懲りた。シンは静かに過ごしたいし、犯罪に巻き込まれたいなんて微塵も思っていないのだ。


 再会の挨拶を終えて久々の我が家に戻ると、少し籠もったような空気を感じた。
 貴重品や保存食はまとめて異空間バッグに詰めていたので、盗られて困る物はなかったが、一応室内を確認する。
 どんどん窓を開けて換気する。大きな家ではないから時間はかからなかった。

(まだ陽が高いし、ちょっと風もあるから、シーツを洗ってもすぐ乾くな。魔法で洗浄もいいけど、陽の光の方が洗ったって感じするし)

 窓の外ではグラスゴーが伸び切った雑草を食べている。
 背中には首からかけたマントが広がっているから、野放しの魔物だとは思われないだろう。
 シンは、ハレッシュが帰ってきたら馬小屋を建てていいか聞くつもりだった。

(他の洗濯物も洗って干して……食事は携帯保存食で一回は済まそう。とりあえず掃除しなきゃ。干し草ベッドは……うん、入れ替えよう。できればマットレスや敷布団にいい加減替えたいよな。もしくは獣皮? 臭いがな……)

 宿屋のベッドは使い込まれていたが清潔だったし、ドーベルマン伯爵家のベッドはさらに綺麗だった。
 王都で贅沢を覚えてきてしまったせいで、少し前まで特に気にせず寝ていたはずの場所が、急にみすぼらしく見える。
 毛布などは王都で入手していたが、敷布団をすっかり忘れていた。いや、あのベッドでいいやと、情報が脳内更新されていなかっただけだ。
 土台の部分はガランテに造ってもらっているので、マットレスとして何か弾力や柔軟性のある素材を調達したい。
 しばらくは予備の掛布団を一枚、敷布団に回すなどした方がいいかもしれない。

(狩りをして動物や魔物で手頃なのがいなかったら、考えなきゃ)

 マットレスがなかったら死活問題とは言わないが、あったらいいなという希望である。
 その時、外から騒がしい音が聞こえてきた。
 ドタドタと荒々しい足音とともに、ノックもせず扉が開け放たれる。

「シン、戻ったのか!」

 入ってきたのはシンの使っている家の持ち主、ハレッシュだ。
 洗濯物がいっぱい入った籠を持っているシンを見て少し面食らっているが、至って無事な姿にほっとしているのがよくわかる。

「はい、ただいま戻りました。ハレッシュさん」
「おかえり、王都はどうだった?」
「賑やかですが、同時に騒がしいところですね。やっぱりタニキ村がいいですよ」
「若い奴らには、あっちの方が面白いって出て行ったきりのもいるからなぁ」

 出発時は快く送り出してくれたが、心配していたのだろう。

「ああ、そういえばタニキ村よりイキった痛い感じの若い冒険者が結構いましたね」
「それ、本人たちの前で言うなよ?」
「言いませんよ、関わりたくありませんから」

 相変わらず虫も殺せなそうないとけなさの残る顔をしているシンだが、言葉の刃はギラッギラに冴えている。
 しかし、よくよく見れば村を出た時よりもちょっと身長が伸びたし、ほんのり日に焼けた頬のラインも精悍せいかんになった気がする。
 ハレッシュは息子が少し大人になって帰ってきたような気分になり、目を潤ませた。
 彼はもともとシンに亡くなった息子を重ねていたところがあったので、感動もひとしおだ。
 ちなみにハレッシュのお土産は毛皮のフードとちょっとお高い鋭利なナイフだ。完全に実用品である。

「そういえば、さっき領主様のお宅を見ましたけれど、立派になってましたね」
「だよなぁ、さすが王族様というべきか……食料の配給もあったし、今年はマシな冬越しができそうだ」
「村人にもあったんですか?」
「少し前だが、小麦と干し肉の配給があったぜ。貧乏村としては大助かりだな」

 馬鹿王子のすくすく冬籠り生活を温かく見守ってほしいという意図の、袖の下だったのだろう。
 気品や典雅な雰囲気は木っ端レベルだが、愛嬌のあるティルレイン第三王子。釣りや馬の世話や畑仕事を楽しそうにやっていた姿を、皆は微笑ましく見守っていた。
 一般的な十七歳を見ているのとは違う生温かい眼差しだったのは仕方がないことにしておく。
 以前この村で色々あったが、前領主のボーマンは悪事が露見してしょっぴかれたし、お騒がせ王子を引き取ってくれた療養先ということで、現領主のパウエルはお咎めなしのようだ。


 ◆


 シンが愛しの我が家に帰ってきて数日経った。
 改めて生活してみると、足りないものも浮き彫りになってくる。
 シンの住居は小屋に毛の生えたようなものだ。簡素な土台に木を組んで造られている。
 グラスゴーと鹿毛の馬のための厩舎も建てることを考え、家主であるハレッシュに相談したら二つ返事で承諾を貰えた。
 ハレッシュはデュラハンギャロップを知っているのか、グラスゴーにはあまり近づこうとしなかった。戦闘力抜群な上に、首狩り特性のある魔馬なので仕方ないと言えば仕方ない。
 ティルレインはシンにばかり懐いているように見えるが、ポメラニアン準男爵一家にも懐いている。特にご子息のジャックとは仲の良い遊び相手になっていた。
 ティルレインのことだから、ジャックと遊んだとか、シンに冷たくされたなど、馬鹿正直にその日あった出来事を親への手紙に書いているに違いない。

(まあ、僕の無礼なツッコミを許容しているあたり、その辺の扱いの判定はグレーに誤魔化しが入っているんだろうな)

 普通なら王族に何していると怒られるところだが、タニキ村での健やかスローライフで、有害なお馬鹿から無害なお馬鹿になるのだからいいだろう。
 加護の相乗効果など知りはしないシンは、そう考えていた。
 確かに回復への期待もあったが、王宮魔術師や聖女が苦戦していた精神汚染を治療しつつ田舎に放逐して躾直しとセットなら、大変お買い得だとタニキ村送りになったのだった。
 シンがいれば国王夫妻をはじめ、ロイヤルファミリーや宰相も安心だろう。
 そして、シンがあまり辛辣にならないように、ルクスという良識ある侍従も付けている。
 また、ティルレインは催促しなくてもシンのことを手紙に書いてくるから、監視紛いのことをせずに済んで一石二鳥だ。
 シンはタニキ村に帰るとすぐにチェスターとミリア宛に手紙を書き、王都でお世話になったお礼と無事に村に着いたことを知らせた。
 サモエド伯爵の方にも、騎獣の後見人の件について改めてお礼の手紙を出す。泥棒騒ぎで名前を使わせてもらったからだ。その件はミリアからチェスターにも伝わっているはずだし、非常に多忙そうなので時間を取らせることが申し訳なかった。
 手紙はルクスに頼んで、ティルレインが王都の婚約者や家族にあてる手紙と一緒に出してもらえることになった。ド庶民のシンがいきなり伯爵邸へ便りを出しても、手に届く前に処分されかねないが、これなら大丈夫だろう。
 このところティルレインは、大公妃へ贈る絵画の制作に没頭しているからか、概ね静かだ。それ以外にも村や周囲の風景なども描いているし、時折人物画も描いていた。
 今熱心に手掛けているのも人物画で、凛とした雰囲気の、癖のない長い白金髪の美少女の絵だ。背筋せすじを伸ばして聡明そうな橙色だいだいいろの瞳をこちらに向けて優美に微笑んでいるその肖像画のモデルはシンも知っている。
 正確に言えば、シンが見たことがあるのは、現在の姿ではないが。
 ティルレインの自室に飾ってあるのはまだ十四~十五歳くらいに見えるから、過去に描いたものだろう。
 新しく描き出しているのは、少し年齢を重ねたものだ。まだ下書きの鉛筆のデッサンだが、面立おもだちから推測できた。

「美人だろう! ヴィーは頭も良くて社交も上手で、刺繍やダンスも上手なんだぞぅ!」

 テレテレとデレデレの間の顔でドヤられ、シンは少しイラッとした。
 しばらく会えないから、部屋に飾るために描いているという。これだけ聞けばどう考えてもラブラブだと思うが、この馬鹿王子はその婚約者から魚のすり身入りの猫用クッキーを食わされている。そう考えると溜飲りゅういんが下がった。

(あれ? 婚約者の絵が描けなくなったって、前にルクス様が言っていたような?)

 ちらりとルクスを見れば、彼はティルレインに大層優しい眼差しを向けていた。
 どうやら、婚約者の絵はタニキ村に着いてから描けるようになったようだ。


 とりあえず、ティルレインは大人しいので、手紙を預け終えたシンは家に戻り、冬の寒さ対策に邁進まいしんすることにした。
 まずは家。今シンが生活している小屋は、元はハレッシュが長く放置していた倉庫なので、隙間風が少しある。暖かい季節は気にもしなかったが、これからはそうもいかない。
 どうするべきかとハレッシュに相談したところ、土に虫除けと殺虫作用のある木灰を混ぜた粘土状のもので塞ぐのがこの辺のやり方らしい。
 シロアリをはじめとした害虫対策にもなるという。
 魔法でサクッとできればいいが、家を建て替えるほどの煉瓦れんがや漆喰、木材は調達できない。
 物は試しと魔法で煉瓦を作ってみたが、できたのは硬い土の塊か、モロモロの煉瓦未満の何かだった。シンは土魔法をあまり練習してこなかったこともあるだろう。要修練と言える。
 ハレッシュは母屋で同居する案も出してくれたが、彼が飾っている虚ろな眼差しの剥製たちと一緒に住みたくないので、シンは丁重に辞退した。
 ハレッシュのことは嫌ではないけれど、ぶっちゃけ剥製が怖いと、正直に言った。
 隣家のカロルやシベルもハレッシュの家に入りたがらないのは同じ理由だろう。外でハレッシュと会う時はにこにこしているが、断固として家の中には入らない。
 ありのままのカミングアウトに、ハレッシュは唸るしかない。

「カッコイイと思うんだがなぁ」
「実益のある良い趣味だとは思いますが、あれを暗がりで見たらチビります」

 精神がアラサーのシンは、尊厳を保ちたかった。
 そんなに怖いか? と、ハレッシュはやや不満顔だが、普通に怖い。照度が下がると一気にホラー仕様に変わる。

「まあ、ガランテのおっさんも、来た時に魔物が入り込んだと思って悲鳴上げてたしな」

 ハレッシュとそんな会話をしながらペタペタと壁の隙間を塞ぎ、山林から採取した木で厩舎を用意した。積雪や吹雪にも耐えられるようにしっかりした造りにしておいた。補強と隙間風防止のため土魔法で土壁も作ってあるが、一冬限定の耐久性しかない。
 グラスゴーは大きいから中は広々としている、鹿毛の『ピコ』も一緒だ。
 ちなみにピコという名前はティルレインが命名した。なんでも、耳が動く様子がピコピコしているからだそうだ。
 マジかよと思いながら見ていたら、シンまでピコの耳が動くたびにそんな音が聞こえてくる気がしてきた。たとえるならピコハンのような高めの音である。
 タニキ村への帰路の途中からそう呼びはじめ、気づいたら村でも定着していた。
 村に戻って詳しく調べると、どうやらピコも普通の馬ではなく、ジュエルホーンという魔馬で、本来なら綺麗な宝石の角が生えているらしい。
 だが、グラスゴーの身代わりにされた時には、既に角をへし折られた後だった。
 グラスゴーと同じやり方でいいかと魔石やポーションを与えているが、今のところ健康そうである。
 ただ「ワイの分は?」みたいな顔で、愛馬グラスゴーが視線で訴えかけてくる。
 ちなみにグラスゴーの角は既に丸くはなく、尖りはじめている。長さは家畜用の山羊やぎ程度のもので、どことなくスモーキーな黒水晶のような角である。質感は黒曜石というよりも白いもやのような濁りがある気がするものの、汚くはない。むしろ綺麗だ。
 他のデュラハンギャロップの角と比べられればいいが、タニキ村の周囲には野生のデュラハンギャロップはいないし、シンにはもう一頭飼う予算も予定もない。
 最初は喧嘩するのではなかろうかと心配して、ピコを領主邸に預けていた。しかし、存外二頭は仲が良く、同じ場所にも置けると判断して、厩舎の完成を機に連れてきた。
 シンは二頭を無事越冬させるために精力的に動いている。

(うーん、既存の小屋の補強と新しい厩はできたけど……できれば暖炉は欲しいなぁ)

 着々と整備されていく環境に満足感を覚えるとともに、もっともっとと欲も出てくる。
 家のことならば大工もやっているガランテに、と相談したところ、難しい顔で「ないと最悪死ぬ」と言われた。
 十数年に一度くらいの割合でたまにとんでもない極寒の冬が来ることがあり、そうなるとまきと暖炉が命綱になる。ましてやシンは一人暮らしだから、暖炉はあった方が良いと念押しされた。
 そして、古い煉瓦ならぎりぎり一基くらい暖炉を組める量があるかもしれないと、荒れ放題の草むらに案内された。

「ここには若夫婦が住んでいたんだが、王都へ出稼ぎに行った旦那がそのまま帰らず、女を作って蒸発しちまったらしくてな。嫁さんは細々と暮らしていたんだが、子供と暮らすにはちっと心許ないって、実家に帰ってそのままだ」

 背丈の高い草を避けてよく見ると、それなりに大きな土台のある建物の形跡があった。

「家?」

 見事に打ち捨てられている残骸ざんがいに、シンは思わず疑問形。
 正解だったらしく、ガランテは頷いた。

「ここは村でも外れの方にあるから、ゴブリンどもがたまにちょっかい出して、あっという間にボロ屋だな」

 暖炉が無理なら囲炉裏式いろりしきでもいい。それはそれで風情がある。だが、いずれにせよ一酸化炭素中毒にならないために煙突などの排煙設備が必要だ。
 打ち捨てられた家の木製部分はすっかりてていたが、煉瓦を積んで出来ていた部分は残っていた。ここで異空間バッグの出番である。このまま魔物に荒らされて朽ちるのを待つだけなんて勿体ないと、シンは遠慮なくガンガン煉瓦を持ち帰った。


 ◆


 一人きりの我が家。マイホームは、シンにとって安息の地であり城である。
 愛しい我が家ちゃんの改装は進んでいるが、結構問題ありである。
 暖炉についてはガランテに相談し、押し入れのようになっていた小屋の一部を崩してそこに造ることにした。しかし、生活するための動線が崩れて不自然な設計になりそうだった。
 ちょっと家具の配置を変えた方がいいかもしれないと、シンは部屋の中をうろうろした。

(うーん、確かに仕方がないかもしれないけれど、そうすると収容面積が減るなぁ。マジックバッグや異空間バッグがあるから必要ないとはいえなぁ……。いっそ、この家ごと異空間バッグで出し入れできればいいのになぁ。素材ごとにバラして造り直せればいいのに)

 などと考えていたところ……突然ヒュンと空を切るような音がして、シンはいつの間にか剥き出しのちょっと湿った地面の上に立っていた。
 少し離れたところで、きょとんとしたグラスゴーとピコがこちらを見ている。グラスゴーは飼い葉を食んでいたのか、口の中が草まみれである。

「え? えぇ? え?」

 思わず変な声が漏れるシン。
 ――マイホームが消えた。
 シンはきょろきょろしながら更地になった場所をペタペタ触る。やっぱり地面である。
 まさかと思ってスマホを確認すると、マイホーム(故)は個別に素材として分解されて異空間バッグに入っていた。木材や煉瓦や土壁とかになっている。

(ちょっと待って、ちょっと待って!)

 声にならない絶望があふれ出す。

(……いや、こんなんになって入っちゃったなら、組み立てて出すこともできるはず! 考えろ! 魔法はイメージ! より具体的な設計!)

 何か設計できるCADキャド的なものがあればいいのにと思っていると、シンのスマホがタブレットサイズに変わって、自動的にダウンロードされたアプリが起動する。
 目の前に、ちょっとファンシーなゲーム風のデザインの画面が出てきた。
 画面の上と下には作業や素材のアイコンが並び、タップして色々と変えられるようになっているらしい。
 試しにタップすると、消えたはずの家が再び出てきた。

(……フォルミアルカ様、ありがとうございます)

 幼女女神のスマホ様は優秀だった。
 イマジナリー幼女女神は「えっへん!」とニコニコしている。
 ゲーム感覚でポチポチと触って色々とデザインを吟味する。
 ちょっとおしゃれなフル煉瓦の自宅は素材不足で無理だったが、材料次第でできるというメッセージがポップアップしてくる。
 必要素材は土、灰、火魔法と出てきた。他にも石や木材や布や紙なども素材の候補として表示されている。つまり、素材さえあれば家のフルオーダーが可能なのだ。
 とりあえずは、今ある素材で仮に家を造る。
 ちょっと不便だった間取りに手を加えた以外は、概ね元のデザインのままである。

(……この辺で土をごっそりとるとバレるから、今度狩りや討伐に出た時に森や河原で採取してくるか)

 河原には手ごろな石がゴロゴロしているし、森には当然木材がある。いつもは討伐対象や食べ物ばかり狙っていたが、気を付けて探せば、素材になりそうなものはもっと見つかるはずだ。
 それに、どうせ暖炉用の薪を調達しなくてはならない。本来なら乾燥したものが適しているが、都合よく転がっているはずもないので、魔法で時短乾燥させる予定だ。

(……もしかして、リフォームしたから自分の物扱いになったのかな?)

 だが、厳密に言えばハレッシュからの借物でもある。

(新築できたら、ハレッシュさんに剥製を作るための作業場でもプレゼントして、こっちの家を貰うとか、できるかな……)

 下心大ありのシンだった。
 もっとも、ハレッシュ的にはシンは既に息子のポジションなので、欲しいと言われれば、そのまま譲るのはやぶさかではなかった。
 ものは使わないとどんどん劣化していたんでいく。家などはその最たる例だ。
 人が住んでいるということは、常時メンテナンスされているようなものである。
 楽しい我が家改造計画に、気持ちが浮き立つシン。
 王都は嫌いではなかったが、やはりタニキ村がしっくりくる。本来あるべきところに戻ってきた、と感じるのだ。
 シンは自分をふるこすように気合を入れなおす。

「よーし! やっとタニキ村に帰ってこられたんだ! やるぞ!」

 風から暖かさが抜けている。
 緑の色がくすみ、黄色や茶色に色付きはじめるものも見受けられる。
 冬はもうすぐ傍まで来ていた――そして、新たな騒動も。


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