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2巻

2-14

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「シーンー! 来ちゃった♡」

 ティルレインは真っ先にシンに近寄ってきて、がばっと抱きついてくる。
 そして、珍しく逃げないどころか、そのまま腕の中で大人しくしているシンに首を傾げた。

「シン? どうしたんだ?」

 ぷるぷると震えたシンは、姿を隠すようにそうっとティルレインの後ろに回り込んで、そのままじっとしている。
 珍しく自分にくっついてくるのが嬉しいのか、ティルレインの顔が緩んでいる。
 ルクスは少し離れたところからこの状況を見て、全てを察した。

「ああ、神殿に行くための衣装合わせですね」

 その声に反応したシンは、ずざぁっと恐るべき速さでティルレインからルクスに鞍替えする。
 一瞬にして背後から消えたシンに、ティルレインは涙目だ。撫でようとしていた手が空ぶっている。

「どうしてルクスの方へ行くんだよぅ!」
「安全性」

 そこでようやくシンが口を開いた。
 その目は信頼していた飼い主にシャンプーされた猫、もしくは散歩だと思っていたら予防接種に連れて行かれた犬のようだ。要は裏切ったな、という顔だった。
 シンにそんな目で見られたメイドたちは、やってしまったとちょっと反省して宥めにかかる。

「一応儀式なので、ある程度のフォーマルさを求められるんです」

 しかし、もう衣装合わせはうんざりだとばかりに威嚇いかくするシンに、彼女たちも諦めざるをえなかった。
 ミリアもちょっと残念そうにしていることからも、ここの女性たちは服や装飾品といったお洒落が好きなタイプが揃っているようだ。
 シンとしても、服を貸してくれるのはありがたかったが、玩具にされたくはない。
 どうも子供の姿になって以来、女性にもてあそばれる回数が増えた気がしてならなかった。
 金品的な被害はないが、精神的なものはゴリゴリがれる。メンタルが肉体に多少引っ張られる傾向はあるが、中身は立派なアラサーである。

「シン、シン! 何かお揃いにしよう!」

 ティルレイン殿下はハイハイと必死に手を挙げてアピールするが――

「嫌だ」

 ――あえなく拒否される。

「最近シンが一切つくろわずに意思表示をしてくるようになった! 嬉しいんだけど悲しい! 複雑!」

 何が悲しくて男同士、しかもロイヤル十七歳児とペアルックを決めなければならんのだ。
 今日もティルレインのラブコールはシンに届かない。一生届かないかもしれない。



 第五章 神殿



 タニキ村へと旅立つ日。シンが王都を出ると聞いて、ティルレインもしっかり日付を合わせてきた。
 シンは神殿に行く日だけ付き合ってくれればいいと言ったが、ティルレインが恒例の駄々をこねた。それだけでなく周囲も、強靭きょうじんなメンタル保護者であるシンが同行した方が、タニキ村への移動も楽だと判断したため、結局一緒に行くことになったのだ。
 馬車がかなり多いから、そこに画材などを詰めているのだろう。行きよりも明らかに荷物が増えている。
 ルートは王都を出る前に神殿へ立ち寄るという形に変更された。
「いらんことするな」とツッコミたいところだったが、ルクスに手を合わせてお願いされたら、シンも折れるしかなかった。
 ――断じて彼が学生時代に使っていた調合器具や訓練用の胴着や武具に釣られたわけではない。
 ミリアたちからもお下がりを渡されたものの、わかりやすく仕立ての良い貴族服など、そうそう着る機会があるとは思えなかった。
 そうしてやってきた神殿は、石造りの荘厳な建物だった。
 まぶしいほど真っ白で、他の建物とは一線を画している。入り口には白石のタイルが敷かれ、中に入るとよく磨かれた大理石に変化している。
 彫刻で飾られた円柱がいくつも立っており、柱一つ一つの意匠が微妙に違うことからして、何か意味があるのかもしれない。
 ティルレインは見慣れていて特に思うところもないのか、意外にも静かにしている。
 ルクスはきょろきょろとするシンに、あっちには聖職者たちの宿舎があるとか、一般用の礼拝堂であるとか、向こうにあるのは特殊な儀式やお祭りに使う建物であるとか色々教えてくれた。
 王族の訪問とあって、白を基調とした紋様の入った胴着とゆったりとしたローブを纏った神官らしき老人が一行の対応に当たった。かなり高位の神官なのか、何人も付き人を連れている。
 ティルレインはこういったVIP待遇には慣れているようで、鷹揚に構えている。
 シンは少し身構えていたが、神官たちが穏やかな物腰で応対してくれるので、次第に警戒も薄まる。

「ティルレイン様、この子は新しい侍従ですか?」
「違うぞぅ、シンは僕の友達だぞー!」
「臨時の侍従です。タニキ村まで随行ずいこうすることになりました」

 神官とティルレインの会話に割り込むのは失礼だとわかっていても、そこはきっちり訂正するシンだった。
 ティルレインは急激に目をうるませ、ギャン泣き寸前ですと言わんばかりの顔で、恨みがましくシンを見る。しかしツンドラのような視線を向けられていることに気づくと、気まずそうに目を逸らした。

「違うもん、友達だもん! 父上がそー言っていいって言ってた!」

 ついには国家権力系の父親まで持ち出して駄々をこねるティルレイン。ルクスが宥めようとするがヒートアップする一方だ。

「チェスター様はなんと?」

 そう聞いたシンの纏う空気は順調に冷え切っている。冷蔵庫でたとえると、既に野菜室の温度から製氷室の温度くらいだ。

「怖い顔で『父親の精巣からやり直してからほざけ』って言ってた」
「宰相閣下、エッジが効きすぎじゃありませんか」

 ここまで言われる殿下も凄い。
 ティルレインも彼なりに滅茶苦茶けなされているのは察したのか、しょんぼりしている。

「僕は諦めない……シンディードに誓って、親友になってみせる!」
「今は亡き友をそんなしょべえことに出さないでください。そんなのとっとと諦めて、ヴィクトリア様との仲を修繕してはいかがですか。というより、タニキ村に戻って大丈夫なんですか?」
「あ、なんか他所から賓客が来るから、トラブル起こす馬鹿は王都からいなくなりあそばせって言われた」
「元婚約者も鋭角すぎる」

 こんな扱いでいいのか、ティルレイン第三王子殿下……と、シンは途轍とてつもなく可哀想なモノを見る目を向ける。ところが、いつになくシンがじっと見つめるので、ティルレインは何故か見当違いに照れはじめる。
 極めて雑に扱われている本人より、侍従のルクスの方がよほど気を揉んでいた。
 ルクスもシンも、ティンパインのトップブレインたちが踊る会議によって「とりあえず色々馬鹿王子は問題児だけど、シン君付けておけば大丈夫」という決断を下したことを知らない。
 お馬鹿な言動を矯正してくれるし、精神操作の弊害からくるメンタルバグも、シンがいればオールクリア。彼らにとってはこれ以上ない預け先である。
 一応、最後の良心と言えるルクスも付けている。
 その案内役は、ポンポン出る不敬と無礼の殴り合い状態に、宇宙猫と化していた。
 これでティルレインがシンに激怒しているなら、神官たちも態度の取りようがあったのだろう。しかし、当の王子が自分よりずっと小さな子供に縋って駄々っ子のようにギャンギャン泣いているのだから、立ち尽くすしかない。
 時と場所を選ばない馬鹿プリンスである。

「なんでシンは僕に冷たいの! もっと友情をはぐくもうよ!」
「メンヘラや地雷タイプみたいなこと言わないでください。あまりに騒ぐようですと、僕だけ先に馬車へ帰りますよ」
「それはダメ! 一緒に行くの!」
「わかりました。じゃあ、すぐに、とっとと、可及的速かきゅうてきすみやかに駄々こねるのをやめてください」

 シンの静かな圧に、ティルレインはぐすぐすと鼻をすすりながら、必死に泣き止もうとしている。
 護衛たちはもう慣れつつあるので「またやってんな」程度の反応だ。国王夫妻公認なら、完全にスルーである。
 宰相のチェスターに至っては「あの甘たれ馬鹿がくれぐれも愛想を尽かされぬように、生かさず殺さず、シン君に相手をしてもらうようにしてください」とルクスたちに念押ししていた。
 ロイヤルトップ馬鹿の飼育係であるチェスターとしては、これ以上やらかしが増えてほしくないと必死なのだろう。
 ティルレインが本当に危険なのは大人しく静かにしている時だ。口数が多いのは元気印が付いている証拠である。

「うぐ……ルクス、シンが冷たい。僕に構ってくれない」
「儀式を終わらせたら、ちゃんと相手をしてくれますよ」

 涙目のティルレインを慰めるルクスの物腰は、完全に三歳児に接する優しさだった。
 だが、実際いるのは背丈も立派な、もうちょっとで成人する野郎である。
 よくこんなお荷物すぎるロイヤルを――ド田舎のタニキ村とはいえ――放逐ほうちくする気になったものだと、シンは呆れていた。外に解き放つくらいなら、貴人用の牢屋にぶち込むか、ガチ幽閉系ゆうへいけいの蟄居にすれば良かったのではないかと思う。
 しかし、これ以上胃痛の種を増やしたくないチェスターとしては、ティルレインは被害者という結論に至った以上、いくら馬鹿とは言えどもそこまで厳罰を科すことができないのだ。
 シンの前では元気だが、王宮魔術師や聖女の見立てだと、精神的な被害は甚大だった。
 もちろん、シンはその辺の事情までは知らない。

「ルクス様、甘やかしすぎは良くないと思います」

 シンのツンドラの視線を受け、ルクスは「すみません」と消え入りそう声で応える。
 だが、ティルレインがそれに反抗の声を上げた。

「ルクスがいなくなったら、僕の周り塩対応と鞭担当むちたんとうばっかりじゃないかあああ! もっと優しくしてよぉ!」
「……なんで?」

 シンが心の底から疑問に思って呟くと、ティルレインが狼狽ろうばいした。

「え、逆にそんな曇りなきまなこで言われた僕が困っちゃうんですけど。シン君はどうして僕にそんなにスーパードライなソルティ対応なの? 僕のこと、なんだと思っているの?」
「トラブル吸引機のうるさい・よく泣く・威厳がない、の尊敬できない三拍子が揃った、血統だけは立派な迷惑な隣人」
「悔しいけど心当たりがありすぎる!! ねえ、一個くらい褒めてよ! なんか褒めるべきところない!?」
「顔面偏差値の高さと絵が上手なところと無駄にめげないところ」
「うん、良いところも見てくれているなら良し!!」

 あれだけ貶されていたのに、あっさりと満足するティルレインである。
 無駄にめげないというのは褒めているか微妙だし、それを抜いたら性格的なところはろくに褒めていない。
 それでも泣きべそ王子は、打って変わってくねくね上半身を揺らしながら浮かれポンチになっているので、誰も何も言わなかった。
 そんな会話をしながら、一行は神殿の奥にある大きなホールのような場所にやってきた。
 シンは今まであまり教会に縁がなかったため、片手で数えられる程度しか訪れた経験がない。せいぜい同期や友人の結婚式に呼ばれた時くらいで、それもきちんとした宗教的なものではなく、セレモニー的な要素の強いイベントだ。
 夢と希望がいっぱい詰まったハッピーウェディングは、労力と金を注ぎ込んで作り上げたものである。とてもキラキラしていたのは確かだが、シンが思ったことは「あいつの貯金って残っているのかな」だった。
 シンは社畜時代のある同期の思い出を振り返る。
 彼は入社二年目で社内結婚したのだが、当然そんな豪勢な結婚式を挙げるほどの財力があるわけがなく、両親から借りても足りず、一部ローンを組んでいたという。
 花嫁とやりたいことを盛りだくさんに詰め込んだ結婚式は、さぞかし満足できるものだっただろう。だが、新居や新車や新婚旅行の費用もそれで吹き飛んだという。
 あの夢のひと時は、共働きだからこそできたことだ。

(確かその後、年子で三年連続子宝+双子コンボで、かなり大変そうだったなぁ)

 幸せの悲鳴を上げていた一方で、家計も悲鳴を上げていたと思う。
 改めて言うまでもないが、シンがかつて在籍していた会社はブラック企業だ。「福利厚生全部揃っています♡」なんて謳っておいて、実際は育休も時短就業もドチャクソ渋られる。
 シンが知っているのは同期の男性の方だけだったが、その後どうなったのかはわからない。
 何せブラック社畜戦士だった同期は、シンが異世界転生する少し前にうつだかノイローゼになって退職したからだ。女性の方も一度目の産休を取るとすぐさま異動になったし、冷遇されているのは想像に難くない。

(うん、結果として僕もあの会社を辞めることになったけれど、それはラッキーだったな)

 忙しすぎて追い詰められていて、思考的な意味で脳死していた。
 今だったらわかるが、あの連勤地獄は労働基準法違反だったし、きっと残業や休日出勤といった超過勤務分の給料は出ていないとまではいかないが大幅カットされていた。
 定額支払いという名のぼったくりだ。休日出勤はしていない扱い。酷い現実である。
 そんな昔の思い出を久々に掘り返しながら、シンはてくてくと神官たちについていった。


 ◆


 シンがティルレインと神殿を訪問していた頃、創造主フォルミアルカは天界で一生懸命に数を数えていた。
 普段彼女が人の世を覗き見ている水鏡は、人々の生活ではなく、無数の針のような光の筋を点々と映し出していた。
 この光の筋は、神の柱の数――つまりはこの世界の神の数を表している。
 弱小宗教の小さな神もどきではなく、大衆に認知された力を持つ神だけが選別されて映し出されるものだ。

「ない、ない、やっぱり一本ナイですぅ! バロスの神殿も空っぽだったし、神力の気配も感じませんし、何より人々の間から戦神の加護がごっそりなくなっているー!」

 がばりと水鏡から顔を上げたと思ったら、絶叫して頭を抱えるフォルミアルカ。

「はわわわわ……ちょっと前までありましたよね? でもバロスの神官たちは神聖魔法が使えなくなっていますし……がみになってしまったんでしょうか? ややや、でも、そしたらバロスほどの大きな力を持った神なら魔王並みの影響があるはず!」

 フォルミアルカは動揺を露わに、水鏡の周囲をうろうろと徘徊はいかいして唸る。
 明らかに挙動不審すぎる動きだが、周囲に人影はないため、その奇行を止める者もいない。

「あああ、どうしましょう! あまりに神々の力が減ったら、魔物が活発化して魔王がまた新たに生まれてしまいますー!」

 彼女はひゃあああと情けない声を上げて、碧眼にたっぷりと涙を溜める。


 あたふたしながら頭を抱えるフォルミアルカだが、ややあって「あれ?」と首を傾げた。

「……でも、バロスのような中身が伴わなくて力だけはある神が堕ちたら、邪神として猛威を振るうはず? 堕ちてはいないのでしょうか? むむ? どうなっているんでしょう。……他の神々はむしろ元気があるというか、活発になっていますね。ああ、なるほど。バロスがいない分、他の神々が頑張ってくださっているんですね」

 ちょっと安心したようで、落ち着きを取り戻したフォルミアルカは、無数の光の筋を消して、水鏡を下界覗き見モードに変えた。
 魔物の大発生は特にないようだし、人々の生活に影響は出ていないらしい。
 戦神を祀っていたテイラン王国はかなり荒れているが、それ以外の国は至って平穏だ。

「やっやぁ!? 季節の四女神たちが全員復帰していますぅ! バロスに求婚されてブチ切れて散り散りに消えていった他の女神たちや眷属けんぞくたちも!」

 フォルミアルカは喜びながらも、どうなっているんだと首を傾げた。
 バロスに無理やり妻にさせられるくらいなら、神域に引き籠もると言って隠れてしまった女神たち。
 なんとか説得し、泣き落として、季節が途切れないようにはしたが、彼女たちは「バロスが神をやめるか、死ぬまで出るものか」と口を揃えていた。
 長女、美と春の女神ファウラルジット。
 次女、情熱と夏の女神フィオリーデル。
 三女、芸と秋の女神フェリーシア。
 四女、厳格と冬の女神フォールンディ。
 全員が全員タイプの違う美女である。もちろん、バロスは全員を自分のモノにしようとした。
 当然、そんなことをしたものだから、もとより女癖が悪く横暴だったバロスに対する彼女たちの心証は一気に氷点下になる。前評判も最悪だったが、それを突き抜けた。
 それ以外にも、バロスは種族は関係なく、見目の良い若い女性を節操なく手に入れようとしていて、女癖の悪さは病的だった。
 その結果、結婚という名の契約でバロスの権能も神力も毟り取る恐るべき計画が敢行かんこうされたのだ。この計画そのものも、その裏でシンが助言をしたことも、ファウラルジットたちが画策したことも、フォルミアルカは知らなかった。
 だが、それも仕方がない。
 こう見えて、彼女は忙しい。
 原因はかつて世界を救うためにテイラン王国に与えた異世界召喚魔法を悪用されたことだ。近年、かの国は強引な手段で立て続けに召喚を実行していた。世界に乱暴に穴を開けて強奪するようなやり方で、世界の魔力を強引に搾取していたと言っていい。
 本来、世界が危機にひんした時に百年に一度くらいの割合でやるべきところを、十~数十年ほどのスパンで乱発していたのだ。
 しかも、魔王討伐や特異な強さを持つ魔物の大量発生への対処などではなく、人間同士の戦争目的。安易な戦力欲しさでやっていたのだから始末が悪い。
 何も知らない異世界人は、彼らの適当なヨイショに誤魔化され、世界を渡った時に得たスキルで暴れまくった。
 テイラン王国の私欲に塗れた暴挙の弊害で、世界の魔力は乱れ、淀んでいた。
 フォルミアルカもその責任の一端を担う者として、シンの助言に従い、今では召喚魔法をテイラン王国から取り上げている。ついでに、テイラン王国の大地を流れる龍脈りゅうみゃく――魔力の大動脈といえるものを、こっそりシンのいる場所を追いかけるように設定を変えた。
 技術も魔力も失えば、テイラン王国は召喚魔法を二度と発動できなくなるだろう。
 とはいえ、龍脈の移動による大きな影響が出るのは数十年から数百年後になる。
 ゆっくりじっくり時間をかけて、徒歩と大して変わらない速度で移動しているし、そもそも巨大なので地上に影響が出ないように、地中深くを移動させている。
 しばらくの間はシンの周りでちょっぴり、心なしか豊作になった気がする程度の恩恵だ。
 人間の寿命は長くても百年未満が大半だ。
 シンが亡くなってだいぶ経ってからその大地は肥沃ひよくになり、数多くの魔法使いや妖精、精霊、魔法種の亜人や幻獣が生まれてくるはずだ。

「うう……シンさんにはご迷惑が掛からないようにと思ったのですが……」

 子供の姿で他国に移動したシン。
 彼が飢饉ききんや災害によって食べるのにも困る場所で暮らすことのないように、というささやかな配慮でもあった。
 最近はティンパインという国で楽しくやっているらしい。
 このまま気兼ねなく人生を謳歌おうかしてほしいものだ。
 しかし、そんなフォルミアルカの願いは、意外と実現が難しかった。


 ◆


 その頃、シンはやたら麗しい見てくれの菫色すみれいろの髪をした美形に抱きしめられていた。
 ちなみにドン引きである。

神子みこさまぁああああああああ! 神々の加護を、麗しくも芳しき加護の気配を感じまするぅううう!」

 やたらずるずるとした衣装の偉そうな人であるのが、一層シンの心をドン引きさせていた。
 彼はシンが宇宙猫スペキャる暇もなく、目と目が合った瞬間に、足元にジャンピング土下座で滑り込んできた。
 ここまで嬉しくない歓迎の五体投地は生まれて初めてである。
 シンはごく普通の庶民なので、こんなわかりやすく「オッスオラ貴人、ドチャクソ貴い身分でしがらみたっぷりだぜ!」みたいな人間に、何故こんなにやべー言動を取られるのかわからない。
 シンはイヤイヤしまくる子供のように仰け反り、すぅうううううと体臭を胸いっぱいに吸われていることに気づくと、つんざくような悲鳴を上げた。

「ぎゃあああ! 変態! ショタコン野郎がいる!」

 今のシンなら、人間に〝猫吸い〟をされて匂いを嗅がれるのを拒否る猫ちゃんの気持ちが理解できた。
 ――否、こんな気持ち悪い苦行を受け入れるなんて、あの生き物は神か仏かもしれない。爪で引っ掻くのなんて可愛いものだ。
 何しろ、猫にとって人間は数倍から数十倍の大きさである。しかも興奮気味にハァハァ言いながら、甲高い甘ったるい赤ちゃん言葉で話しかけてくることすらあるのだ。
 かなり腰が引けているシンと、ぐいぐい来る変態の攻防を眺める助手役と老神官。
 やがて助手役が、老神官にのんびり話かけた。

枢機卿すうききょう~。この子、相当強い加護持ちですよー。見てくださいよ、この加護探知犬のみにくいほどの反応を」
「ほんじゃまあ、聖女様にシバかれる前に引き剥がすかの~」

 この二人、菫色の変態の気候や醜態しゅうたいに慣れているのか、微塵も動じていない。そして、全く変態を止める気配もなく、苛立ったシンがついに怒鳴った。

「ほのぼのしてないでこの変態なんとかしてくださいよぉお! 全っ然離れてくれないんですけど!!」

 その間も、シンの体に大好きホールドが止まらない変態は「神子様ああああ!」と涙や鼻水など色々な水分を、顔面から感激スプラッシュしている。
 まるでタコの吸盤を思わせる吸いつきでシンから離れない菫色男。
 ややあって、衝撃から復活したティルレインが、果敢にも変態に噛みついた。

「シンをいじめるな!」
「虐めてなどいない!! 加護を! かんばしき加護の気配を! 堪能しているだけ!」
「でも嫌がっているだろー! 離れろー!」

 珍しく正論のティルレイン。絶滅危惧種レベルに稀少である。

「いくらティルレイン王子殿下とて、その願いは聞けない! この素晴らしき加護を逃したら、次はいつ堪能でき――」

 気持ち悪い言葉が突然途切れたかと思うと、その男はぱたんと倒れた。
 背中に爪楊枝くらいの太さの針が刺さっている。
 枢機卿の傍にいた助手役が冷めた顔をして、顔の前に構えていた筒状の物を降ろす。

「睡眠薬と麻痺まひどくが塗ってあるので、半日は目を覚まさないかと」

 彼はしれっとそう言った後、弛緩した変態を足蹴あしげにして転がす。
 この変態、三途さんずかわは渡らないようだ。

「あ、あの、この人……」

 シンが恐々と声をかけると、吹き矢を放った助手役は笑顔で説明を始める。

「彼は嗅覚で加護を感知できるんですよ。これでも加護持ちに強烈なウザ絡みする以外は至って真面目で無害なんですけどね。……こんなにトチ狂った反応は聖女様以来初ですよ。今日はティルレイン殿下が来るって話で、ノコノコ来ていたんです。殿下は女神フェリーシアの加護を持っておられるので」

 変態は口から泡こそ噴いてはいないが、白目を剥いてぴくぴくしている。せっかくの仕立ての良い衣装も、端整な顔立ちも台無しであった。
 この醜態――というか変態の所業は珍しくないのか、白く冷たい床に転がる男は慣れた様子の神官たちの手でどこかへ連行されていく。
 シンにとっては今まで遭ったどの魔物より怖かった。このまま一生どこかに封印されていてほしいくらいだ。
 衝撃からまだ立ち直れないシンは「はぁ」と微妙な返答をしてしまった。


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