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1巻

1-16

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「交流学習で仲良くなったんだもん。アイリに絵の描き方教えてほしいって言われて、何回か教えてたんだもん。僕、昔から絵や彫刻とか好きだったし、学園でも美術専攻していたんだ。アイリはあんまり上達しないから、美術館とか壁画がある教会に連れてってみたりして……」
「意外とまともですね」

 てっきり最初から脳味噌アッパラパーで周囲にイチャイチャパラダイスを見せつけていたかと思いきや、そうではなかったらしい。

「そしたら、アイリがお礼をしたいって誘ってきたんだ。四阿ガゼボでお茶を御馳走になって、気づいたら裸のアイリが同じベッドで寝てた」
「え。完全に一服盛られていますよね。それって、ティル殿下がヤったというより、ヤられたんじゃないですか。護衛や側近は何してたんですか?」
(事案だ事案。これって立派な強姦罪ごうかんざいじゃないか。しかもヤったのが女の方で、ヤられたのが王子殿下とか……)

 ショックのあまり脱魂だっこんしかけているルクスの驚愕きょうがくっぷりからして、シンの考えは間違っていないのだろう。さすがアバズレと言うべきか、男を引きずり込むためなら手段は選ばないらしい。加えて、第三王子であり、生来の性格が能天気なティルレインのゆるーい危機管理が、最悪の誤解を生んだようだ。
 そこまで込み入った事情は聞いていなかったのか、周囲はぎょっと目をひん剥いてこちらを見ている。彼らの様子から見て、これは初出の情報のようだ。
 そんな周囲にも気づかないティルは、バランスの崩れた振り子のように頭を左右にゆらゆらさせている。

「えっとなー、アイリ大好き倶楽部ってのを立ち上げてた。活動内容は、アイリの願い事を叶えてあげることって言ってたなぁ」
(なんだ、その頭が腐りきった、メンバー名簿がイコールで「イカレた奴らを紹介するぜ」となりそうな精神的にペインフルすぎる倶楽部は!? 耳から脳味噌が液状化して流れ出ているとしか思えない。本来守るべき君主に雑菌を近づけてどうする)

 シンは女性に貢ぐ楽しさなどわからなかった。ましてや、相手の性根が腐っていると知っていれば、さらに理解の範疇はんちゅうを超えている。

「もしかして、糞ビッチはそこからのご紹介で?」

 ティルレインはこくりと頷く。
 ルクスは今すぐ卒倒しそうな様子で、何を言えばいいのかとわからずに口をパクパクさせている。顔色が尋常じんじょうでないほど悪い。
 ティルレインは、シンに怒られるんじゃないかとちょっと首をすぼめて、とつとつと話しはじめる。

「その、平民はそういうのはそれほど厳しくないらしいけど、貴族の令嬢は貞淑ていしゅくであるのが求められるんだ。男とそんな姿でいた時点で、アイリにはまともな縁談が一切来なくなるから、僕が責任を取らなきゃって思って……。僕は兄様たちと違ってあんまり友達もいないし、友達だったアイリがそんなことになるのはちょっと可哀想だし」

 なんと、傷物にされた方が性犯罪者を気遣っている。もとは病弱だったらしいお馬鹿王子は、結構ボッチ歴が長いようだ。今は亡き親友のシンディードに重ねてシンに絡んでくるあたりも、『お友達』の優先順位が高いからだろう。
 ルクスが補足を入れてくれる。

「もし、結婚歴もないのに初夜の時点で初めてじゃないってバレたら、そのまま夫に首を切られたり、裸で家から追い出されたりしてもおかしくないですね。血と血を繋ぎ、家と家を繋ぐための婚姻がありきですから。そういう契約です。後妻や妾、側室であればそこまでにはならないかもしれませんが、相手が格式高く、その辺りを気になさる御家であったら一発アウトです」

 意外にも、ティルレインはアイリーンという女性の未来のことをきちんと考えていた。
 どうしてその分別を、それなりに付き合いがあっただろう婚約者のヴィクトリアにも適応しなかったのか。ふと、シンの中に引っかかりが残った。

「待ってください、友達? 友達って言いましたよね? その時点では恋人でなかったと?」
「え? キスしてベッド一緒に過ごしたら恋人だって、アイリが言ってたよ?」

 何がおかしいかわかっていないらしく、首を傾げてきょっとーんとする王子殿下は、思い切りさらなる情報を暴露した。お馬鹿具合でかすんでいるが、ティルレインはかなりの純粋培養らしい。
 シンもルクスも、この王子が生粋の阿呆の子なのは嫌というほど知っている。賢い二人の脳内に警鐘けいしょうが鳴り響いていた。バチクソヤバいと。
 さらに何かヤベー気配に気づいたルクスは、ティルレインに大慌てで駆け寄った。

「でででで、殿下! 逆です! 普通、恋人になってからキスしてエッチなことをするんです! 貴族は基本、婚前交渉などナシ! 良家ほどナシです。いきなりベッドインは恋愛上級者か、やけっぱちか、仕出かしのパターンです」

 他にも出てくるのではないかと思い、シンも続けて尋ねる。

「ティル殿下、他に糞ビッチから吹き込まれませんでしたか? 恋人はああしろこーしろとか」

 まだ理解していないらしい被害者ティルレインは「えーと?」と頭をふらふらさせながら左右に揺れている。目は落ち着きなく、きょろきょろと動き回っている。

「じゃあ、『はい』か『いいえ』で答えてください。第一問! 恋人同士、とりわけ男性は女性にプレゼントを贈り、食事やドレスを必ず奢るなどして、私財家財を投じて尽くさなくてはならない!」
「知ってるぞ! これは『はい』だ!」
「第二問。贈り物には家宝の宝石やドレスの類も含まれる」
「えーと……『はい』。持っている宝石は全て身につけさせてあげなきゃいけないんだぞ?」
「第三問。たとえどんな時であろうと、恋人を庇わなくてはいけない」

 ティルレインは何か誤魔化そうとしているのか、指を組んだり揉んだりと忙しない。それは、身分が身分だけに普段は姿勢もお行儀も良いティルレインにしては違和感のある動作だった。顔は笑っているのだが、表情が辛そうに見える。色々とちぐはぐだ。

「うん、これも『はい』だな」
「第四問……恋人の『お願い』は絶対。もしくはそれに類似した制約がある」
「? 『はい』だろう?」
「第五問。恋人が……あー、もういいや。クロだ。もしかして例の婚約破棄は、糞ビッチと取り巻きが考えたんですか?」
「違うぞ?」

 そう言いながら、ティルレインはぎいっと不自然に首を傾げた。口が歪な弧を描き、ニタァとした粘ついた笑みになる。目が完全に据わっていた。情けなさは他の追随を許さないお笑い担当の困ったボンボンの豹変ひょうへんに、ルクスは青ざめている。
 深い色の瞳が茫洋ぼうようとしており、狂信的、あるいは猟奇的な雰囲気がする。

「え……」

 シンが小さく呟くと、ティルレインは壊れたように語り出す。

「アイリがちゃんと台詞を作って、台本まで用意してくれたんだぞ! これくらいのノートで、このタイミングでこう言うんだって! なんでも、ちまた流行はやっているって言ってたぞ! こうやれば問題なく婚約が白紙になるって……みんな幸せデ、幸せな・ニなるんだぞ」

 とうとう喋り方までおかしくなってきた。
 ティルレインのとち狂った笑顔と炯炯けいけいとした眼光に軽く引きながらも、シンは会話を続ける。

「白紙にはなりましたけど、多分殿下の思っている円満白紙ではないですよ」
「でも? ん? 何だろう……頭が? もやがかってきたぞー? アイリはタダシた、ただ、ただだだだ?? アイ・ヴィクトボクはてぃるレいん・えヴぁヴぁじりん・ばざあがが?」

 元々落ち着きがない人間だったが、今のティルレインは異常性を感じるほどだ。しかも言葉がバグっている。シンもさすがに不気味になってきた。
 ぐりんとこちらを見たティルの藍紫らんしの瞳には、不気味な丸い文様が浮かんでいた。
 シンはヒュッと息を呑み――

「必殺!! 昭和式テレビの直し方!!」

 思わずこぶしを握り締め、ティルレインのほっぺたに叩き込む。


 シンの鉄拳は、バチコーン!! と、かなりイイ具合に入った。
 内心ずっとしばきたいと思っていたので、シンはなんだかすっきりするシン。

「ふぐぅ!! いったあああああああ!!」

 悲鳴を上げつつも、ティルレインの目はまだ淀んでいる。シンは追撃の掌底を顎の下にお見舞いする。

「もういっちょついかあああ!」

 アウルベアすら脳震盪のうしんとうを起こすシンの手が、容赦なくパァンと命中した。
 叫び声が嘘のように消え失せ、ティルレインがソファの上に伸びる。すっかり静かになったのを確認し、シンは一息つく。

「今の何ですか。滅茶苦茶怖い。幼気いたいけな庶民を脅すのも大概になさってください。ブチ転がしますよ」

 シン以外は思った――幼気な庶民は躊躇ちゅうちょなく王族の顔面をグーで殴らない。追撃で掌底なんて食らわさない。
 だが、先ほどのティルレインの言動は明らかに普通ではなかった。誰よりも早く、目の前にいたシンが横っ面と顎を殴ったことによりティルレインは完全に伸びている。
 ルクスは何故か明るい表情でシンをねぎらう。

「シン君ナイスショットです! 恐らく開示式の催眠魔術です!」
「何ですかソレ。露骨に怖い」
「特定のことを暴かれると綻びができるか、破綻して解呪されるんです。恐らく、今まで隠蔽いんぺいがあって、ティルレイン殿下にかかっていた魔法が気づかれなかったんですね」
「目がぐるんぐるん回っていましたよ。目の中に魔法陣が浮いてましたし」
「すぐに王宮魔術師と医師と聖女様をお呼びいたします!」

 念のため打撃の跡を消しておこうと、シンは真っ赤を通り越してどす黒くなりはじめたティルレインのほっぺと顎に傷薬を塗った。
 ついでにだらしなく開いた口に、市販の下級ポーションを注いでやる。ちょっと急激に注ぎすぎたのか、ティルレインは「がふぅっ」とせてのたうち回った。だが、これは喉を詰まらせたのではなく、苦さのせいだったらしく、ぐすぐすと泣き言が漏れてくる。

「苦いよぅ、苦いよぅ……おくすり臭いよぉ」

 子供みたいに頬っぺたを押さえる王子を見て、周りが呆れていた。さすが十七歳児である。
 このへたれっぷりはティルレインの通常運転だ。いつもの情けない王子殿下である。


 ◆


 ――こんな感じで、実は操られていたらしい王子殿下は、今度こそ徹底検査されることになった。今まで周囲の目を巧妙こうみょうあざむいていた魔法だ。非常に狡猾こうかつかつ悪質な手段であるため、王室の威信をかけて改めて犯人捜査が始まった。
 捜査が進むにつれて段々と、真実がかされていく。
 アイリーンはお世辞にも魔法には精通していなかったが、異性を惑わすのにはけていた。基本はその若い美貌と肉体と甘言を使ったもの。ティルレインのアイリーンに対する執心しゅうしんは、初恋によるやらかしではなく、『魅了』と『精神操作』をかなり重ねた結果だった。
 もともと頭の作りがお馬鹿だったボンボンの暴走も多少はあったが、それは誰かによって意図的に誘導されたと考えられる。
 ティルレインは確かにアイリーンを好意的に見ていた。しかしそれは、愛情というよりも友情寄りの感情である。そのほのかな恋心は、熟す前に悪意によっておかしな方へと転がった。
 ティルレインはアイリーンと肉体関係を結んでしまったという誤認から、責任を取ろうとしたようだ。彼女はその同情をかなり強引に捻じ曲げていた。しかもアイリーンがやたらいじめられているのを見かねたティルレインが、「守らねば!」と、余計な正義感を持ったのがさらに悪かった。
 おまけに、相談すべき側近がアイリーンに骨抜きにされたアレな連中ばかりだったのだから、完全にトドメになった……というわけだ。


 ――事の顛末てんまつをまとめ上げた報告書を読んだ国王グラディウスが、ポンと手を打つ。

「うむ、まさに初恋だけに!」

 初恋は叶わない。誰も失敗が多いものである。だが、この件は笑いごとにできる範疇は既に飛び越えている。これだけ強烈なら、あのティルレインでも一生忘れないトラウマになってもおかしくない。ある意味での一生に一度の恋になるかもしれない。
 国王の笑えない冗談に、宰相と王妃がぶち切れる。

「うるせぇですよ、糞国王陛下。まだ第三王子だから良かったものの、王太子だったら相当危なかったんですよ! 簡単な検査とはいえ、王宮魔術師や医師の目を欺いたんですから」
「黙らっしゃい遊ばせ、ふざけすぎていますと鼻毛と眉毛を全て脱毛いたしましてよ! 宮中美容、最新脱毛ジェルの威力思い知りますか?」
「ぴえん」
「「腹立つ」」

 宰相と王妃は悪くない。


 ◆


 とある宮殿から情けない号泣が響き渡る。

「シンに会いたいよぉおおおおお! うわあああああん! 一緒に王都観光するんだあああああ!」

 監獄か隔離病棟ばりに監視が厳しい特設王室医院にぶち込まれたティルレインが、おいおいと身も世もなく泣き叫んでいた。
 王宮魔術師の見立てでは、アイリーンから離れて新しい環境にいたことにより、掛けられていた魔法もしくはスキルに緩みが生じていた。
 そこでシンが事情を看破したことにより、隠蔽に綻びができたのだ。
 元気にのびのびした田舎生活をしていたティルレインは、ちょっと顔が陽に焼けて精悍せいかんになったし、運動をよくしていたのか体も締まっていた。そして何より生き生きしていた。
 密偵の調査報告によれば、馬鹿丸出しでシンという少年に毎日のように付き纏っていたようだ。そして、何かやらかすたびに辛辣なほどの正論殴打を受けて泣かされていたらしい。
 その教育が行き届いているようで、たまに「これやったらシンに怒られる」と、思い留まる姿が見受けられた。護衛やルクスたちがこの少年に一目置くのも当然だ。
 ともあれ、結構な量の魔術痕が発見されたティルレインは、完全解呪のために毎日魔法オタクに囲まれ、聖女様にどつかれ――暴力ではなく、解呪のための愛のある殴打だ――ている。


 ――一方。
 いつまでも城で厄介にはなりたくなかったシンは、早々に城を出ようとしたが、チェスターにしつこく引き留められていた。

「シン君、君は王家の恩人ですから、王宮の賓客ひんきゃくや食客として、いくらでも滞在していいんですよ?」
「いえ、結構です。申し出は大変ありがたいのですが、遠慮させていただきます」

 何度も引き留められるうちに、だんだんとシンが犯罪者を見るような眼差しになってきていた。
 さすがのチェスターも、これ以上は無理と判断したらしく、大人しく引き下がった。国王の戯言たわごとをあしらったりフォローしたりするのは朝飯前でも、自分の息子より小さな子供からショタコンを疑われるのは辛いようだ。
 城を後にするシンに、ルクスが庶民の懐にも優しいおすすめの宿屋を調べて教えてくれた。
 王都までの道中で知り合った騎士たちも、シンを見かけると気に留めて声をかけてくれる。
 いくらしっかりしていても年齢的にはまだまだ子供。しかも小さく華奢な部類に入るシンが一人でいるのは心配なのだろう。
 彼がスキルの恩恵で隠れゴリラ筋力であることを知らない善良な人たちは、子供に対して親切だった。

(しっかし、異世界なんて放り出されてどうなるかと思ったら意外と何とかなるもんだな。最初はあんまり深く考えていなかったけれど。前の世界の生活より今の生活の方がずっと充実している)

 泣き虫女神の次は胡散臭い国。身寄りもなく、なんとなく冒険者になり、テイラン王国を出た。
 ティンパイン王国に流れた後、タニキ村で様々な人に出会った。
 文明や生活レベルはかなり退化しているが、日々の糧を得るための緩やかな生活は性に合っている。社畜時代の時間と仕事に追われる日々には戻りたいとは思わない。
 けったいな人間もいる。ティルレインとか、その関係者とか。まともなのもいたが、やたら強烈なのが多い。


 異世界に来て多くの人と触れあい、改めて人の温かさを感じたシン。かつての死人のように淀んでいた彼の目は、希望の光に満ちていた。
 見た目は子供、中身はアラサー。
 ちょっと詐欺しているような気もして、後ろめたいシンだった。



 書下ろし外伝エピソード ささやかな野望



 ――これは、シンがタニキ村に来た当初の話。


 シンは川に映った自分を見て、ふと思う。

(そんなに小さいか? ……前の世界では平均身長くらいだったけど、この世界基準だと、かなり小柄に見られるんだよな)

 一応、十歳から十一歳くらいということで年齢を自己申告している。小学校四年生か五年生くらいの、ランドセルがお似合いの年齢だ。
 だが、この世界では大抵それよりもっと年下に見られる。

(アジア人は欧米の人より若く見られやすい。ティンパインやテイランの人相を見る限り、文化圏はヨーロッパ系だし、人々もそれに近い……よな?)

 西洋系の人が多いとはいえ、浅黒い肌も珍しくない。冒険者ギルドではケモミミ系の人を何度か見たかけた。
 そもそも髪の毛も非常にカラフルなものが多い。黒髪、金髪、茶髪、白髪は前の世界でもいたが、この世界にはそれこそ絵の具ばりの赤髪や青髪、緑髪、オレンジや紫色の髪の持ち主も珍しくない。まさにファンタジーな色合いだ。
 前の世界では生まれてからずっと平均値の背だったし、年齢を極端に若く、もしくはけて見られることはなかった。どちらかと言うと、周りの基準が変わったのかもしれない。
 このまま成長したら、ここでは標準より少し小さいくらいだ。

(今の僕は成長期前だし、伸びしろはまだまだある! もしかしたら前より伸びるかもしれない)

 シンはそう自分に言い聞かせる。
 文明的な理由で肉体労働が多いせいか、筋肉の厚みもこの世界の人々の方が多い気がする。
 シンはかなり華奢で小柄な上に、童顔のコンボも決まり、相対的に見て年齢より三割引きの外見をしている。つまり、幼い。だから冒険者ギルドや商店の大人達には、決まって小動物的な印象を持たれる。

(適度な運動はちゃんとしているし、栄養は……野菜も肉もバランスよく食べている)

 だが、人種的にどうにもならない要因や、一人一人の体質というものもある。
 ハレッシュやガランテのようなガッツリした筋力を――とは言わずとも、細マッチョくらいにはなりたかった。将来的に。
 弓を引く力は普通の子供と比較にならないが、筋力以外にスキルやギフトがどれくらい影響を与えているかわからないところもある。

(今から筋トレするべきか? いや、筋力をつけすぎても身長は伸びにくくなるらしいし)

 質の良い食事に適度な運動、そしてきちんと睡眠をとることが肝心かんじんだと聞く。
 テイランにいた時は脱出で頭が埋め尽くされていたが、生活が安定してちょっと余裕ができると、ふとした時に自分は標準よりミニサイズなのでは、と思うことが増えた。

(最低でも日本にいたときくらいの身長は欲しい……。たとえ鍛えてマッチョになれたとしても、チビだけは嫌だ!)

 平凡な自分の顏の下に、ゴリゴリマッチョで低身長な体がついていても滑稽こっけいなだけである。
 かといって、八頭身クラスのスマートボディが搭載されていても、「これは合成ですか?」と言いたくなるだろう。

(いや、憧れるけれどね!)

 日本人の平均は大体六~七頭身くらいらしい。モデルだと平均が八~九頭身。
 シンはスマホで体格や身長について調べる。
 外国の人は日本人とは骨格や筋肉の質が若干違うので、頭身がさらに高くなるらしい。
 そこまで見て、無言でスマホをしまう。悲しくなるだけだ。
 人間、外見が全てではない。


 ◆


 今日も今日とてスローライフだ。
 森林を歩いて本日の獲物を探す。道すがら、山菜やキノコ、木の実などを収穫していく。
 途中、何匹か現れたサーベルバニーを狩っていった。狂暴ではあるが、おおむね大きな兎のようなものだ。討伐報酬の他に、牙と毛皮と肉が素材として売れる。
 最近シンの弓の精度はますます上がり、村一番――むしろ、この近隣一番の名手ではないかと言われているほどだ。
 若年でありながら、自分の才能におごらず、冷静で欲張らない。着実と堅実を重視する。お喋りなわけではないが、閉鎖的へいさてきでもなく、ほどほどに人付き合いをする穏やかな少年。あと数年すれば、争奪戦になるのは間違いない有望株――それが、タニキ村でのシンの評価だ。
 テイラン王国からの流れてきた冒険者で、故郷と家族は失ったと聞けば、歳の割に達観している大人びた性格も受け入れられた。戦争ばかりするテイラン王国に嫌気が差して逃げ出す流民や難民は珍しくない。
 保護者に当たるのは気の良いハレッシュくらいだし、ガンガンに稼いでいる。シンは嗜好品や酒、博打ばくちで散在する気配はなく、森に入っていない時は保存食作りや掃除、家の修繕を黙々とやっていた。
 本人、スローライフをお楽しみ中なので自覚は薄いが、これで結構モテる。
 そんな割と何でも持っている男シンは、その日、珍しくアンニュイな表情を浮かべていた。

「どうしたんだ、シン? 悩み事でもあるのか?」

 気にして話しかけてくるハレッシュに、曖昧に答える。

「ええ、まあ……」
「欲しいものでもあるのか?」
「まあ、その、欲しいと言えば欲しいんですが」

 ちなみに隣のベッキー家のカロルとシベルは新しい釣り竿だの、シンが持っているような弓矢などをしょっちゅう欲しがる。やんちゃな彼らはすでに何回か遊んで壊してしまっているので、ジーナは安っぽいものしか与えなかった。
 手先が器用なガランテであれば数日で作れるのだが、簡単に渡したら物を大事にしないからという理由で禁止されている。
 対して、シンが何かを欲しがるなんて珍しい。ハレッシュはちょっと期待しながら聞いた。

「なんだ、言ってみろ」
「身長」

 ズバッと言ったものは、この年頃ではよくあることで、お金では入手できないものであった。
 シンが言い淀んだ理由を理解し、ハレッシュが思わず唸る。子供らしくて可愛い、ない物ねだりである。

「ハレッシュさん、背が高いですよね。ご両親に似たんですか?」
「あー、親父もおふくろも結構タッパがあったな」
「遺伝性か……」

 シンが露骨にがっくりする。
 こればっかりはハレッシュも何もしてやれない。

「シンの親は……っと、悪い」
「いえ、気にしないでください。うちの親は普通ですよ。デカくもなく小さくもなく……」

 だが、年齢とともにお腹周りは成長していた気がする。
 ぱっと見は目立たないのだが、ポッコリお腹だった。ビール腹や洋ナシ体型と呼ばれる類の脂肪の付き方をしていた。
 シンは思わずお腹をさする。
 まだぺったんこだが、油断すれば彼も父親のようになる可能性は高い。

(……高身長はダメでも、頑張ればシックスパックは目指せるかな)

 弓を使い、山や森を歩き回っているから、足腰はしっかりしている。
 腹周りを鍛えれば、体幹も安定するはずだ。そうすればもっと大きな弓を引けるようになるし、色々と安定する。
 ちらりとハレッシュを見ると、ゴリッゴリの上腕二頭筋やシャツがぱっつぱつに伸びて窮屈になるような胸筋がある。
 ガッチリしているとは思っていたが、ここまでとは。シンは思わず羨望せんぼうの眼差しを向けてしまう。
 薪割りの休憩中だったハレッシュは、上着を脱いで薄着だった。

(あそこまでいかなくても! せめて細マッチョ!)

 前の世界のシンも十代の頃はそれなりにスポーツをして引き締まっていたのだが、長いこと社畜をしていたせいで、微妙に脂の乗った中肉中背だった。……仕事の進捗状況次第ではやせ型にもなっていたが。

「シン、どうしたんだ? 急に黙り込んで」
「いえ、身長がダメなら腹筋を鍛える路線でいこうかと」
「ハハハ! そんなもん、そのうち勝手につくって!」

 ハレッシュは笑いながらバシバシとシンの背中を叩く。
 筋肉は裏切らない。言い換えれば、鍛えなければおとろえるだけなのである。
 少なくとも、シンの知る人間の中で鍛えていないのに割れた腹筋を持っている者はいなかった。ハレッシュだって日々肉体労働で鍛えている。とはいえ、遺伝性や人種補正説も十分あり得える。
 真剣に悩むシンの横顔を、ハレッシュは微笑ましく眺めていた。







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