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1巻
1-15
しおりを挟む「宰相閣下、殿下は王族でいらっしゃいますよね? 僕は平民ですよ」
「ええ、ですが、ティルレイン殿下のお立場は少々今厄介なのです。昔は体が弱く、不憫だったせいか、国王陛下夫妻も殿下には甘いんですよ。腫れ物扱いも多かったので、ティル殿下の周辺に集まるのは、傀儡として担ぎ上げたがる者、たかる者、厳しく当たる者など、極端だったんです。もとは気の良い明るい方だったのですが、アバズレ糞小娘と懇意にしはじめてから、ずいぶん横暴になりまして。それも療養という名の蟄居先で、君に鼻っ柱ぺきっとぼこぼこにされた結果、だいぶ昔に戻って丸くなりましたが」
(いいのか、オタクのロイヤルファミリーの一角が、庶民に馬鹿犬扱いされているのに)
ノリノリで王子を貶す様子に、ちょっと困惑するシンであった。もしかして、この人がティルレインのやらかした後始末に奔走したのだろうかと深読みする。
チェスターの晴れやかな表情が不気味に思えてきたシンが、そろそろと手を挙げると、目で発言を促された。人を使い慣れた人の仕草だ。
「あのー、不敬罪とかは」
「シン君の言葉は間違っていない上に、あの馬鹿王子殿下がきちんと聞いて、理解して、行動しようとしている時点で褒賞モノです。君のおかげで、あの馬鹿王子殿下が国宝のネックレスや皇太后の指輪を毒虫女に貢いでいたのも早期に発見できましたし。一歩間違えば国際問題でした。幸い、それを理由にあのアイリーン・ペキニーズを現場で捕縛できましたが」
「え、捕まっていなかったんですか」
「馬鹿王子がやらかした時、たまたまテイラン王国の神官が来ていて、あの女はそこにもぐり込んで逃げたんですよ。他国の神官ですし、そもそも宗教絡みの人間というのは非常に面倒臭いんですよ。特に戦神バロスを奉る神殿や教会は厄介でしてね。それから狡く立ち回って逃亡を続けており、手を焼いていました。しかし、本来王族かその伴侶しか身につけてはいけない宝飾品を、堂々とつけてパーティに参加していたので、そのままとっ捕まえました」
「良かったですね」
アイリーンは危機管理能力が虚栄心に負けたのだろう。
追われている立場なのに、騙した男から巻き上げたアクセサリーでパーティに出るような女だ。豪勢なものを身につけ、それを周囲に見せびらかして自慢するのが好きな人種に違いない。
「幸い、王族所縁の宝石類は戻ってきましたが、他の物は一部売却されていましたね。しかもアイリーンはその神官……よりによって大司教の愛人になっていたんです」
「宗教に疎くて申し訳ありませんが、大司教というのは、どれくらいの立場ですか?」
「失礼。そうですね、奉る神々や教会、宗派によって差異はあります。基本は教皇がトップ、その下に枢機卿、そしてその下に大司教や司教、司祭や役職のない神官たちとなります」
「上から三番目の役職……ということですか?」
「ええ。どうやらあの糞ビッチ、男に取り入る才能はあるようでして。入信希望と言って懐に入り込んだようです」
「性病があるかもしれませんよって伝えれば、速攻捨てられるんじゃないですか?」
するとチェスターはにやりと笑った。既にやっているのかもしれない。
「ええ、早々にその大司教のもとから追い出されましたよ。でもまあ、今度はすぐさま別の貴族にすり寄って、寄生先を変えたようです。一応、今はわざと理由を付けて外へ逃がし、泳がせておりますよ。友釣りができそうなので」
友釣りとは鮎などに行う技法の一つだ。鮎は縄張り意識が強く、自分の縄張りに別の鮎が入ろうとするとガンガン攻撃して追い払おうとする。その習性を利用して、ルアーや囮に針を仕込み、ぶつかりに来た鮎を引っかける方法である。
つまりアイリーンは現在、囮役なのだ。
権謀術数を扱う類の人に特有のうすら寒い気配を感じ、そっと離れようとするシンだったが、突然肩を掴まれた。
「少々、シン君にお願いがありまして」
宰相閣下が良い笑顔でそう聞いた。
「お断りします!」
「あと二年くらいでいいです。あの駄犬王子の飼い主をやってくれませんか?」
「本音! ほーんーねーー!! モロダシですー!」
「ようやく我が国の無駄に身分の高いやんごとなき三馬鹿の一角を押し付けられる貴重な人材を見つけたのだ! いくらでも金子や領土や爵位を積んでもいいと、国王からの許可を得ている!」
「他に二人もいるんですか!?」
「一人は国王陛下その人だぞ! そして私がお目付け役だ。その絶望がわかるか!!」
「なんで受けたんですか……」
「もとは子爵家の五男坊だった俺が、クソバカのクソバカっぷりに腹が立ち、うっかりケツに蹴りを入れて、あまつさえなじって泣かせたことから全てが始まった……。あのやんごとなきウツケに手を焼いていた当時の宰相や大臣の言葉に釣られたのだ。あのスペシャル馬鹿の相手をしてくれれば他は何をしてもいい。研究でも、実験でも、好きな女性との結婚も色々便宜するというな」
いつの間にかチェスターの一人称は俺に変わっていて、馬鹿がゲシュタルト崩壊しそうなほど激しいディスりが始まった。
「フラグですやん」
年季が長いだけあって、積もるものがあるのだろう。チェスターの語りが止まる気配はない。
「馬鹿をシバいてシバいて吊るし上げる日々が続き、毎日アホをやらかさなくなったかと思えば、代わりに突発的に大事故を起こす馬鹿の世話。そうしたらその馬鹿は、俺がこっそり『ちょっといいな~』なんて思っていた凄く可愛い伯爵令嬢と結婚していた。王妃とはある意味馬鹿の世話役仲間で……俺は気づけば文官から大臣、大臣から宰相になっていた。あいつは即位したら俺を宰相に指定しやがったんだ……。そして! あれが国王になった瞬間、当時の重臣たちが一斉に俺に押し付けやがった、あの世紀末馬鹿を!! 第一王子が病に倒れた際、本来は第二王子のアレではなく、第三王子が即位予定だったが、その王子、実は『女の子になりたかったのよ!!』と突如王女になってよそに嫁いでしまった……!!」
「待って、ついていけない」
「しかもそれが隣国の……友好国のトラッドラの王太子に嫁いだのだから、文句言えないだろう!? 当時のトラッドラの王太子は三十路になっても妻どころか恋人すら作らない。兄殿下らは先の戦争でお亡くなりになり、美しい姉妹姫はテイランに無理やり奪われて………結婚してすぐにご懐妊、そして三年後には一姫二太郎じゃあどうしようもないだろう!?」
「まって、じょうほうりょうがおおい」
チェスターの勢いに圧倒されて、シンの呂律が怪しくなる。
「あとで聞いたが、第三王子はトランスジェンダーとやらだったらしい。体は男性で心は女性というものだ。それを隠しながら長年トラッドラの王太子と文通を続け、思いを募らせていたそうだ。それを不憫に思ったお人好しの異世界人が、変わった魔法やスキルを持っていたらしく、どうにかしてくれたらしい」
「どうにか」
「ちなみに、その異世界人はトラッドラの食客で、その一週間ほど前に元第三王子とトラッドラ殿下がベロッベロに酒に酔わされて、何か契約を交わしていたらしい」
「りょーおもいだったんですね、よかったですね」
「おかげで、トラッドラはテイラン王国から養子を貰わずに済んで、干渉も防げたし、王位継承者問題も解決した……」
ティンパイン王国としては、トラッドラ国があるからこそテイラン王国と直接対決をせずに済んでいる状況だった。しょっちゅう周囲とバチバチ戦争をやらかして領土問題を起こす国と隣国になどなりたくないティンパインとしても、なるべくトラッドラには安泰でいてほしいのも事実だろう。国という、最大の防波堤だ。
シンはあまりの情報の濃さにツッコミを放棄した。
「ちなみに、三大馬鹿のうちの最後の一人は?」
ようやく少し落ち着きを取り戻したらしいチェスターが答える。
「先代国王……今は大公閣下です。大公妃が目を光らせてらっしゃいますので、そうやらかさないお方です」
ティンパイン王国のやんごとなき馬鹿の排出率の高さに、シンはドン引きする。
継嗣ガチャが完全にいかれている。
「大公閣下は、それはもう貿易や国交においては右に出るものはいないほど優秀な方です。あのお方にかかればどんな悪魔もケツの毛まで毟り取られ、詐欺師やイカサマ師すら素寒貧になると言われる才能をお持ちなんです。しかし……」
ティンパイン王国に貢献した尊敬される国王だったそうだ。
「いきなり真夏に『全裸で王宮を歩きたい』とか言って飛び出した時は、当時の王妃(大公妃)に『離婚か去勢か選べ』って、ヒールで顔に蹴りを入れられていましたよ。当時の国王(大公)は半裸で泣いて土下座しながら、頭を踏みつけられていました」
「なんだそのやべーのは」
強張った顔のシンが、敬語も取り繕うのも忘れて素で喋った。
控えめに言ってドン引きだ。変態である。いくら国王だろうが、露出狂はない。
「謁見の間でいきなり服を脱いで、駆け出したところで、離婚と言われてすぐに戻ってきたそうです」
「待ってください。それに比肩するレベルの馬鹿を僕に押し付けようって言うんですか!?」
「我が国の王族の馬鹿は、それに比例して何らかの才能があるはずです! 今の国王も料理の才能は抜群なんです!」
「それって、王様じゃなくても」
「王妃一筋なので、王妃と喧嘩するたびに料理をして許しを乞うています。あと、うちの王の料理が美味いおかげで、辺境部族との折り合いが良くなったんですよね。胃袋掴んでいるんで」
「なんか違う、王族」
「ちなみに、国王引退したい現王VSもうちょっと遊びたい王太子で、日々パチパチやっています」
「バチバチじゃないんですね」
「バチバチしたら、それぞれの妃からビンタがバチバチ飛びます。よそでは珍しいみたいですが『夫の過ちを拳で止めるのが妻の務め』というのが慣例なんです」
「パワフル奥様がいっぱい」
「私は妻に叩かれたことがないのでわからないのですが、陛下といい王子たちといい、妙にシバかれると嬉しそうなんですよね」
「王族はマゾの集まりですか」
「いえ、離婚というワードが出ると一気に生気や正気を失う輩が多いので、単に構ってもらって嬉しい説も捨てきれず……。まあ、そういう暴走する癖の強い夫を持つことが多いので、妻が強くなるという話も有力ですね。幸い、夫婦仲は良いですし、側室を娶らずとも後継には困らなくてありがたいですが」
「わぁー」
「ドン引きしないでください。君の役目は、どうにかしてティル王子の手綱を握れる人を見つけるまで終わらないんですよ」
「ルクス様がいらっしゃいます」
「ルクス・フォン・サモエド伯爵子息ですね。彼は良い青年なのですが、ティル殿下の心を抉るツッコミが足らない」
「ツッコミ」
「心を潰す勢いで正論を叩きつける潔さが必要なんです。シン君のように」
「あ、遠慮します」
「色々便宜を図りますから! 私だって、陛下で手一杯なんですよ!」
「なんでこの年齢で特大の不良債権を持たなきゃならないんですか! 出国しますよ!!」
勢いで押し切ろうとしたが、それは失敗したと悟り、チェスターは舌打ちする。
――さすがあのティルレインをやり込めただけあって、シンは冷静かつ的確に打ち返してくる。手強い。ティンパイン王国の馬鹿三大巨頭の一角を躾けた舌鋒と気概の持ち主だ。チェスターはますますシンを逃したくなくなった。
「シン君は何をご希望ですか?」
「冒険者をちょっとやりつつ、田舎でスローライフ」
取り付く島はないとばかりに、シンは淀みなく答えた。金子も爵位もいらない方向性の希望だ。
ふぅむ、とチェスターは内心で唸る。
シンは度胸もあるし、頭の回転も悪くない。そして、むやみやたらな上昇志向がない堅実な性格。実に手放しがたい人材で、馬鹿王子を付けるにうってつけだ。
「じゃあ、王都でしばらく王子を診察したら、タニキ村に返品するので、それなら引き続き面倒を見られますか? 護衛も多少付けます」
「ルクス様は?」
「はい、ちょうどポメラニアン前当主が蟄居した離れが空くようですので、そちらを改装すれば、侍従も護衛も住み込みに問題ないでしょうし。サモエドの子息(飼育係)が必要ならば――」
「いえ、断固拒否させていただきます。王宮で責任もって飼育してください」
「決意は固そうですね」
誰だって、あんな特大の不良債権の面倒を好んで見るわけがない。
悪い人間でなくても、身分や責任や経歴といった付属物が面倒すぎる。
「ではとりあえず、今までの育児の報酬として、何か欲しいものは?」
「コンソメの素とカレールー、焼き肉のタレ。あと圧力鍋」
シンは久々に故郷の『よくある味』を食べたくなっていた。それに、純粋に狩人生活で塩系の味付けにマンネリ感があった。果実やハーブで色々変化は持たせているものの、それでも限度がある。醤油や味噌といった調味料も欲しかったが、鉄板で焼いた肉には焼き肉のたれがダントツだ。焼いたものに付けるのも良いが、炒め物の味付け、煮るときの味付けに使うのも良し。多種多様の調味料とスパイス、うまみ成分が凝縮されている。単なる『タレ』だと思ってはいけないくらい、割と万能なのだ。
「あと麺つゆ」
この世界にあるかは不明だが、ティンパイン王国はそれなりに大きいはずだ。
ここは西洋文化圏に近いので、出汁という概念が薄い。残念ながら市場で鰹節や昆布を見かけたことはない。ついでに言えば、ケチャップやウスターソースも欲しかった。
だが、どれも聞いたことがないのか、チェスターは首を傾げている。
シンは、異世界人が今まで何人も来ていたなら、運良く普及しているものがあるかもしれないと思って提案してみたのだが、あまり良い反応は得られなかった。
「……すぐに用意できるかはわからない」
「いえ、ほとんどが僕の故郷のものです。手に入らなかったとしても、この国にはもともと存在しないモノでしょうから……」
「そうか、そういえば君はテイランからきた流民だったな」
「調べたのですか?」
「ただの子供にしては賢すぎる……。しかし、テイランの流民ならわかる。あそこは一夫多妻や一妻多夫性が敷かれているからな。正妻や正夫の伴侶は一名のみだが、側室や妾に関してはザルだ。そういったのに奴隷や敗戦国の貴族を無理やり従わせることが多い。国王や将軍職ほどの者たちは、何十何百という数の妻子がいるという――それに嫌気が差して逃げる者たちもいる。もしくは子供だけでも逃がす者もな。君もそういう血筋なのではないかね?」
「僕は生まれも育ちも平民です。ただ、他の国よりは教育の場に恵まれている場所でした」
今の世界と以前の世界では水準が違う。シンの生れた日本は、一応先進国の一つであった。この国より数百年単位で進んだ文化圏に住んでいた。
だが、シンが異世界人ということはわざわざ話す必要はないだろう。そしてチェスターもまだそうとは思っていないようだ。
ティンパイン王国では基本テイラン王国のヘイトが高いし、迂闊な事は言わない方が良い。沈黙は金、雄弁は銀という。余計な欲をかいても碌なことにならない。
ティーカップを持ち上げるシンに、チェスターが「私のお勧めは杏子の甘露煮です」と、オレンジ色の果実が乗ったショートビスケットを勧めた。果肉の歯ごたえが少し残っており、独特の酸味と濃厚な甘さと杏子の香りがクリームとよく合う。
お高い味がする。思わず堪能してしまうシンである。
その時、バン! と後ろの扉が開いた。
「シーンー君!」
このウザ絡みテンションは……と、シンはげんなりした。
「許可なくドアを開けないでください、お馬鹿犬」
「そのドライな対応は素晴らしいと思いますが、残念ながら来たのは、生産元の方です」
「゛えっ!」
思わずぴしゃりと言ってしまったが、チェスターは全く咎めない。
そして後ろの推定国家元首は、スキップしながら鼻歌でも歌いそうなテンションでやってくる。
その無駄な暑苦しさに苛立ち、同時に意味不明な生き物への恐怖を覚える。なんせ、さすがに国王はティルレインのようにしばけない。
「わー、ちっちゃーい! 七歳くらいかな?」
現れたのは、チェスターと同年代くらいと思しき男性。白銀の髪に、形の良い眉。鼻梁は通っており、鋭く聡明そうな目元には、紫とも藍色とも言える深い色合いの瞳が輝いている。
一際目を引くのは、黄金の土台に宝石をたくさん嵌め込んだ宝冠。鮮やかな緋色のアラベスク柄を精緻に刺繍された真っ白な上着には、ボタン一つに至るまで見事な彫金が施されていた。
装飾品一つ、布地の輝き一つ、全てにおいて、シンが見慣れた物とは大違いだ。
身も蓋もなく言えば、凄く高そうだった。
「あ、ティンパイン国王のグラディウス・アルゼウス・バルザーヤ・ティンパインで~す! よろしく!」
薄めの唇に笑みを浮かべながら、男性が軽いノリで名乗った。
グラディウスの白銀の髪と深い色合いの瞳の色は言わずもがなだが、顔立ちもティルレインとよく似ていた。非常に整った顔立ちに齢を重ねた渋みが乗っている。
「十一歳だそうです」
シンの代わりにチェスターが応えた。
「小さい……え、まさか栄養失調とか、成長不順とか?」
ぎゅううとシンを背後から抱き、そのままベアハグかサバ折りしそうな勢いで持ち上げてくる推定馬鹿の生産元=ロイヤル最高峰。
シンはガチロイヤルの登場に固まった。庶民にはついていけない展開だ。
(何だろう、この異常なプライベートスペースの狭さ、鬱陶しさマシマシのテンションは……)
「単に小柄なのでしょう。まだ成長期前ですし」
「そっかぁ、ちっちゃーい。お目めクリクリしてて、ハムスターみたい」
気色悪い物言いに、シンとチェスターのツッコミが同時に炸裂する。
「稚児趣味ですか?」
「変態が主君とか、辛いので辞職していいですか?」
「ちょっとー、二人とも酷くない!? これでも国王なんですけど!?」
「玉座へお戻りください(馬鹿の相手している暇ないんで)」
シレっと追い返そうとするチェスターに続いて、シンも追撃を入れる。
「不良債権回収してください。ティルレイン殿下もきっと再会を楽しみにしておられますよ」
「副音声ぇええ! 今、凄く除け者の気配を感じた! 二人とも、なんでそんなに仲良くなっているんだよー!」
ティンパイン国王は間違いなくティルレインの父親――あのやんごとなき阿呆の生産元だった。この無性にイラっと来る感じがよく似ている。許されるならば、このまま一本背負いを決めたいうざさである。
「邪魔だったら、投げていいですよ」
「無茶言わないでください」
チェスターの言葉を否定するシンだったが、さすがに国王がむちゅーっと唇を近づけてくると、思わずパァンと平手打ちしてしまった。
「ブフォァッげほげほっごふぅっふひひひひひっ!」
自国の王が平民に叩かれたというのに、チェスターはそれを見て紅茶を噴き出し、あまつさえ思い切り指差しながら笑っている。笑いすぎて、もはや引き笑い状態だ。
ドアの近くにいた騎士も、密かに「あー」と、幼児や猫がコップを倒してしまった時のような顔で見ている。
「酷い! 両親とお爺様とおばあ様と兄弟とチェスターと王妃とばあやと侍女頭と息子たちと歴代家庭教師三十人と騎士団長と護衛の王宮騎士たちと……とりあえず、人類の一パーセントくらいにしか殴られたことないのに!」
王が列挙した名前を聞いて、シンは呆れかえる。
(多すぎだ。あと、いい歳した大人が頬を押さえて乙女座りはやめてほしい。やらかしてんな、この王様)
それでも王は、懲りずにシンに抱きついて頬をツクツクしてくる。
「こちらが馬鹿の原液ですか」
「はい、ソレが濃縮された馬鹿の素です」
シンとチェスターのやり取りを聞いた国王は、妙に芝居がかったしなを作って「酷くなぁい!?」と喚いている。
騎士の一人が王を助け起こしながら説教する。
「恥の上塗りはおやめください! アンタ国王以前に大人でしょう!」
平民にぶっ叩かれたことは良いのだろうかと、シンは逆に居心地が悪くなった。
「ねえ扱い酷くない!? 国王なんですけどー!? 私国王なんですけどぉ~! シン君って、チェスターの親戚!? もしかして隠し子!? なんか似てる気がする!」
そんな王を、チェスターは心底どーでもよさそうに指さす。
「ギャーギャーうるさい。んなわけあるか! 大臣! 衛兵! こちらに脱走したキング馬鹿がいますよ!」
遠くから「あっちだー」「決済終わってねーですぞ、国王陛下!!」「王妃に言いつけんぞ、マジでこの野郎ですよ!」とずいぶんと切れ気味のシャウトとともに、足音が近づいてくる。
そろーっと衛兵から逃げようとする陛下。しかし、それをチェスターが許すはずもなく、すぐにとっ捕まった。
もしかして、傍から見たティルレインと自分はこんな感じなのか――そう思って凹むシンだった。
「あ、シン君、うちのティルをよろしくネッ」
「ネッじゃないですよ。返品します」
愉快な陛下とマジギレ宰相の声をBGMに、シンは少し冷めた茶を啜っていた。
国王は往生際悪くしばらくここに残ろうとしたが、彼がいると話が進まない。
ついに諦めたチェスターが国主を睨み、力強い舌打ちまで披露しながら、首根っこを掴んで直々に連れて帰った。
(マジでこんな役目引き受けたくない)
ロイヤル問題児の現実を見て、シンはティンパイン王国の地図を確認しようと決意した。良くてタニキ村に帰還、最悪出国である。
◆
嵐のような国王が去ると、豪奢な部屋が急に静かになり、シンの場違い感が再び浮き彫りになる。
なんでこんなところに自分がいるのかわからなかった。
そんな中、ひょっこりと表れたのはティルレインだった。後ろにはルクスと護衛騎士もいる。
こちらは勝手に脱走してきたわけではないようだ。
「……シン、チェスターとのお話は終わったのか?」
「殿下こそ、ご家族やヴィクトリア様に謝罪なさいましたか?」
「なんか、目が合った瞬間体調が悪くなったと言って、家に帰ったぞ。また王都に来た時に会えたら謝る」
「なに言ってんですか、すっとこどっこい。寝言は寝て吐くものですよ」
「ひぇえええっ! だってヴィーは体調悪いって!」
「んなもの、仮病です。人生をぶち壊そうとしてくださいやがった糞プリンスに会いたくないに決まっているでしょう。ちゃんとアポとって、詫びの品の十や二十、用意したんですよね?」
「ほへ?」
おまぬけなポカン顔にシンは無言で苛立ち、ルクスは頭を抱える。
(この馬鹿、いきなり会いに行ったのか……)
たまたま登城していたご令嬢に、行き会っただけなのだろう。頭痛を覚えるシン。
こちらの文化は推測でしかないが、身分の高い方は体裁や形式を重んずる傾向が多い。アポはもちろん、先触なども必要になるはずだ。
ティルレインの様子からして、ヴィクトリアが王城に来ているのは珍しくないことのようだ。つまり、それだけ彼女は身分が高いのだ。王子妃候補だったことから、王族か高位貴族の娘である可能性が高い。
ルクスの項垂れ具合からして、シンの予想は当たっていそうだ。
「今すぐ! 手紙を書いて、会いに行っていいか連絡してください。相手先の都合を伺いなさい! いいですか? 形はお見舞いです! 中身は謝罪でも、表向きは見舞い! 断られても、花と直筆の手紙やカードは入れること! 自分で適当に決めないで、相手の好みと状況にあった物をお送りしてください。苦手な花やトラウマになっている花はダメですよ! もしかしたら馬鹿王子が嫌いすぎて、本当に嫌気が差して気持ち悪くなったのかもしれないんですから! 香りの強い花も駄目です!」
「そ、そんなのわからない……えーと、あ、アイリはとにかくド派手で大きければ大きいほど喜んでた!」
「殿下は本当に地雷原が大好きですよね。歩くというより、すでにブレイクダンスやタップダンス――いえ、地団太や四股を踏んでそうですね。僕は何度その糞ビッチの名を出すなと言えばいいのでしょうか?」
「びゃああああん! だって僕、家族とアイリとヴィーと以外の女性に花なんて贈ったことない!」
「そもそも、なんでその人類の中でも人間性がド底辺みたいなアバズレに引っかかったんですか」
ちんまいシンが繰り出すオブラートをキャストオフした物言いに、ルクスは何やら苦渋を噛み締めた顔をしている。
まろい頬の子供が、凍てついた眼と荒んだ顔で糞ビッチとかアバズレなどと口にするのは、絵面と音声がキツイ。常識と良識を持つ良いとこの坊ちゃんでもあるルクスの脳は、処理を拒否した。
べそべそと泣きながら、ティルレインはなれそめを語りはじめる。
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