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1巻
1-12
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「性病」
ぴたっと醜いバイブレーションが止まった。涙目で鼻水を垂らしそうな殿下に、テルファーがそっと鼻紙を差し出し、チーンとかませる。
シンの推測が正しければ、ティルレインは青春だけじゃなく下半身まで暴走させて遊ばせた。そして、アイリーンという女性はかなり男慣れしていて、多くの男を手玉に取っていたようだ。彼女のモラルがどれほどかは知らないが、あまりオツムもよろしくなさそうなので、期待はできない。次から次へと関係を持っていたとしたら、普通の女性と交接するよりはるかに危険性が高い。
娼婦ならば商売ということもあって、自衛しているだろう。だが、素人で無類の男好きなら、そういう対策は期待できない。
「基本、この手のことはナイーヴな問題です。みな隠したがるでしょう。プラベートが関わりますし、何せ不名誉極まりない病気の一つですからね。重ねて言いますが、田舎の医療なんて期待しない方がいいですよ。聞きますけど、王都を出てから医者にかかりました? というより、複数の男性と密な関係を持つ娼婦でもない女性と寝たのは、ちゃんと報告しました?」
「なんでそんなことしなきゃダメなんだよぉおおお!?」
真っ青になって騒ぎはじめたティルレインに、シンは冷たく言い放つ。
「あなたにまだ価値があるなら、名医を派遣してもらえます。性病で死ぬ確率は減りますし、性病以外にも感染症を含むその他の病気の有無を確認できます」
このお馬鹿には、複数人の男と関係を持ち、股の緩い女と付き合うのがいかにヤバいかを伝えた方がいい。貞操観念ガバガバな女が、同じような異性にだらしない男と付き合っていたら、危険度は跳ね上がる。
「アイリさんが女誑しと言われる類の異性と噂があるとか、同性の友人より異性の友人が多いとか、その異性の友人で特に仲良しがしょっちゅう変わるなら、危険ですよ」
「………」
シンが問い詰めると、血の気を失ったティルレインは黙り込んだ。思い当たる節があるのだろう。
「フルコンボだ、ドン――と言うなら、マジで一度医者に診てもらった方がいいですよ」
シンが情報を追加するたびに、ティルレインの顔色は青を通り越して白くなり、土気色にすらなっていく。端整な顔がすでに恐怖で歪み、歯がガタガタ鳴るほど震えている。
「シ、シン。シン君!」
「なんでしょう」
「誰に相談すればいい!?」
「以前、あなた宛ての費用を分捕られた時に相談した人でいいんじゃないですか?」
「テルファあああああー! 便箋! ペンと紙をぉおおおお!!」
「は、はいいい!」
ティルレインはようやく危機感を持ったらしい。
病気の可能性は低いと思うが、ティルレインが相手ならば、これくらい脅した方が反省はするだろう。いい勉強になる。わんわんどころかぎゃんぎゃん泣き叫んで恐慌状態のお馬鹿犬殿下を見て、ほっこりとするシンだった。
閑話 女神様はやっぱり見ている
「ふんふふふ~ん、お花ぁ! お花! キレイなお花!」
フォルミアルカは今、ご機嫌だった。
彼女が手にしている美しい花は、シンやティル、そして祭壇に足を運んでいたポメラニアン準男爵邸の一家や使用人たちの祈りとともに、フォルミアルカのもとに届いていた。
何故か最近ヤクザ紛いのスキル取り立てをしてくるバロスは来ないし、心なしか活力が湧いてくる。
シンが作った祭壇の力なんて些細なものだが、純粋に嬉しかった。
それに、シンのアドバイスを受けてスキルの配分を安易にしないようにしてから、いろいろな国が安定してきたのだ。
今までテイラン王国に偏りがちだったスキルは分散しつつある。
色々なところにピンチになるたびに授けていたのだが、采配が悪かったのか渡してすぐに死んでしまう者もいれば、スキルを悪用する者も後を絶たなかったが、今回はない。
「ん~? でも、なんで最近バロスは静かなんでしょうかね?」
ちょっと様子を覗いてみようと、フォルミアルカは水鏡をチョンと突く。
波紋が広がり、歪んだ水面が次に映し出したのは、戦神バロス。
なにやらすっかり脂下がった様子で、へらへらとだらしない顔であった。そして、そんなバロスと対面しているのは、美と春の女神ファウラルジットだ。
「ふぇ!? 何故彼女が……? 確かファウラルジットはバロスが大嫌いだったはずですが……」
何故かにこやかにお茶をしている。
豊満で女性的な肉体に釘付けになっているバロスはいつものこととして、ファウラルジットが心底不快そうな顔をしていないのは、非常に珍しい。
フォルミアルカは幼女女神と呼ばれるだけあって、見事な絶壁ツルペタの不毛の大地だった。スレンダーというのもおこがましい、ぷにった幼児体型である。
ファウラルジットは形、大きさ、張り全てが百点満点中一億点のたわわな果実の如き豊穣さである。そしてきゅっと括れた腰のラインは悩ましく張っている。
バロスはずっと、舐めるようにその体と美貌を見ている。
「あああ、どうしましょうか!? ファウラルジットがバロスに手籠めにされてしまいます! ヒトだけではなく、ついに女神まで! ど、どうしましょう!? シンさん! 大変ですー! でんじゃーです! えまーじぇんしーです!」
はわわわわ、と幼女は涙と鼻水を爆発させながらシンにメッセージを飛ばす。
部屋を無闇にうろついたり転がったり、落ち着かない様子で水面を見ながら待っていると……しばらくして、返事が来た。
「ああ! 良かったです! 今日は早く気づいてくれましたー! えーと、ナニナニ……?」
『戦神バロスに対抗すべく、女神連合が動き出しただけだから、静観しておいてください』
「どういうことでしょうか……むむぅ? ファウラルジットが大丈夫そうならいいのですが」
そう言っているそばから、ファウラルジットがにっこりと笑みを浮かべてバロスから離れる。手には何か紙を持っていて、ひらひら振って席を立った。バロスは脂下がったまま高笑いしている。
訳がわからない……そう思っていたら、ファウラルジットの妹女神たちが入れ代わり立ち代わりでやってきて、同じようににこやかにバロスと会話をして、しばらくすると席を立つ。
いつもならべたべたと付き纏うバロスだが、今日はそんな気配もない。
大抵は女神たちに冷たくあしらわれて不機嫌になり、何かに八つ当たりするのに。
「はぅう~~~……本当に大丈夫なんでしょうか……シンさーん」
やきもきする幼女女神であったが、結局は大人しく見守ることにしたのだった。
第五章 王都からの手紙
「父上と母上から手紙が来た!」
喜色満面で報告してくるティルレインに、シンは淡々と返す。
「国王陛下と王妃様ですね。良かったですね、無視されなくて」
「王都で医者に診てもらえることになった!!」
「そうですか、良かったですね、見捨てられていなくって」
「一緒に行こう、シン!!」
「お一人で行ってらっしゃいませ、二度とお戻りにならなくて結構ですよ」
「ぴえん!!」
ぴえん、と目を潤ませて顔を悲しげに歪めたティルレインに対し、シンは絶対零度をぶつける。
「それ、腹立つから二度とやるなって言ったよな?」
テルファーは内心ドキドキしていたが、この二人の会話がキャッチボールに見せかけたドッジボールかデッドボールになることはよくある。
即刻折れたのはティルレインだ。
「シン君にご不快な思いをお掛けして申し訳ございません。つきましては、お詫びとしまして王都の観光は如何かと、お誘いをさせて頂きたく存じます」
清々しいほどプライドがない王子殿下である。
駄犬は駄犬なりにご主人様の機嫌を読む方法を覚えつつあった。
「言い方は悪くないけど、僕はタニキ村が好き」
飼い主に合格を貰うと、ぱっと顔を明るくさせた。完全に調教済みである。
ティルレインはシン相手に完全に下手に出ているし、何度も口でやりこめられているにもかかわらず、羞恥や屈辱を覚えている気配はない。
ただ、親愛なるご主人様に褒められたことを喜んでいた。
テルファーはインビジブル尻尾がぶん回されているのが見えた気がした。
「僕も王都よりタニキ村が好き。マナーとか表情にうるさくないし……。あっちだと口を大きく開けて笑うだけで怒られるんだもん。食べるものも話せる人も話す内容も、全部チェックされるし、できないと兄弟と比較されるしーっ。僕は王太子になるつもりないのに、周りが騒がしいんだもん」
「アンタが王太子とか悪夢ですし、それを支える大臣や王太子妃が可哀想でなりません。生まれ出た家や親は選べないから仕方ないので、王族であることは我慢できます」
「ねえ、シン君。なんでそんなしみじみと慈愛に溢れた眼差しで僕のことを全力で貶すの? 僕の硝子のハートが粉々になりそう。ねえ、もしも、だよ? 僕が王太子になるようなことがあったらどうするの?」
「ティンパイン王国を出ます。それでもって、隣接していない国へ逃げます」
「ひどいじゃないかぁ!!」
ティルレインの顔じゅうから液体が飛び出す。わかりやすい長所である美貌がぐっちゃぐちゃだ。神秘的な宵色の瞳からぼろぼろと大粒の涙を流すが、シンは「わー、数少ない褒めるべき点すら消えた」と、のほほんとトドメを刺す。
ティルレインは某ネズミのきぐるみを着た猫のような濁声で泣いている。妙に野太く湿ったおっさんのような声だ。
テルファーは子供の相手をしているのか、オッサンをあやしているのかわからなくなってきていた。顔はインテリヤクザでも実は甲斐甲斐しいところがある彼は、こう見えて子供好きだ。しかし、初対面の子に泣いて逃げられる悲しき強面である。
「テルファーさん、その十七歳児を甘やかさないでください。泣き癖や甘え癖がつきます」
「で、ですが」
そして、明らかに子供であるシンに注意される。
最近、この強面の使用人が実は優しいと気づいたティルレインは、味方をなくすものかと、しっかりとテルファーのカマーベルトを掴んでいる。
「嫌だぁ、シンと行く! シンと一緒がいいよぉおおおお!!」
「自立してください、張っ倒しますよ」
「僕の屍を越えてゆけええええ!!」
ぐだぐだである。
「父上も母上もヴィーも、シンに会ってみたいって言ってたんだぞ!」
どうやらティルレインは、わざわざ謝罪のために出させたお手紙に、馬鹿正直に経緯を書いていたらしい。自分の言動に責任を持てと何度もエッジ強めに叩き込んでいたのに意味がない。シンは本気でこの馬鹿犬を縊り殺したくなった。
「それ、僕が処刑されるフラグじゃないですか!」
「そんなわけないぞ! ヴィーの代わりに僕を諭すことができる、アダマンタイトより貴重な人材だから、金貨を積んでも爵位で釣ってもいいから連れて来いって言ってた!」
その身も蓋もない言い方に、国王夫妻の必死さを感じる。
どうやら、あんぽんたん王子の保護者は大変らしい。できない子ほど可愛いといっても限度があるのだろう。お目付け役を必ず連れて来いと言うあたりは、ちゃんと理性があるらしい。
「ティルさんのご両親の評価が的確すぎてクッソ笑える」
「えへへへ」
シンは微塵も褒めていないのに、嬉しそうに照れるティルレイン。
ティルレイン・エヴァンジェリン・バルザーヤ・ティンパイン第三王子はそのやんごとない立場にもかかわらず、シンに構ってもらえることを至上の喜びのように思っている節がある。タニキ村に来てからずっとこの調子だ。
どんなに毒舌が突き刺さってもめげない。いちいち反応はするが、逃げる気配は一切ない。
結局、シンは王都までこの馬鹿王子についていく羽目になった。
またしても全力で駄々をこねたロイヤル十七歳児に辟易したこともあるが、原因は、漏れなくこの馬鹿犬のやらかしである。
ハレッシュには同情され、ギルドの人たちには惜しまれ、ポメラニアン準男爵からは拝み倒されて、結局は折れる形になった。
予定外に王都へ行くことになったので、シンはシンなりにティルレインに要求を出した。
「条件があります。まず、前領主のボーマン様のやった悪事を明確にして、彼に全て償わせてください。投獄及び労働義務を伴う十年以上の実刑に処すこと。それが無理なら、彼が一切権力を使えない場所に蟄居させてください。あとポメラニアン準男爵領に屋敷を修繕できる金子に、塩と小麦、そして鉄製の農具をお願いします」
「いいぞ!」
ダメもとで言ってみたら、ティルレインはあっさり頷いた。彼個人にそんな権限はない。履行されるとは限らないが、頼んでおいて損はない。
タニキ村からシンが去れば、今まで彼が狩りや依頼で供給していた食料が流通しなくなる。
ポメラニアン準男爵に王都行きを告げると、くれぐれもティルレインをよろしくと、再三にわたって頼まれた。どうやら馬鹿犬殿下にすっかり情が移ってしまっているようだ。
「僕って、情が移るから里親探す予定だった捨て猫とか拾わないようにするタイプなんですけど……」
「わかります」
テルファーだけはシンの言葉に深く同意を示した。
◆
なんだかんだ言いながらも、シンは家を整理し、村人たちに挨拶して、タニキ村を発つこととなった。
「シン、お前なら上手くやっていけると思うが、気を付けるんだぞ?」
「はい、ハレッシュさん。とっとと撒いて戻るので」
「あの王子殿下はちょっとアレだけどしつこいぞ」
「無駄に不屈ですよね」
出発の準備を整えたシンは、そんなやり取りでハレッシュに送り出され、ティルレインのもとへと向かった。
第三王子の王都帰還の迎えには、豪奢で大きな馬車と立派な馬、そして大勢の騎士がやってきた。彼らは、何故かティルレインの隣にいる明らかに庶民のシンに訝しげな視線を向けている。
その時のシンは、豪華な一行に目を輝かせるどころか、市場に売られていく仔牛よりも哀愁を帯びた目をしていた。隣ではしゃいでいるティルレインの満面の笑みと対照的だ。
迎えの中に、眼鏡をかけた背の高い青年がいた。ホワイトブロンドに、黒い瞳をしている。ちょっと垂れた目から優しそうな印象を受ける。
貴族なのか、仕立ての良い服を着ていて、白いシャツに落ち着いた青のジャケット、黒のトラウザーズ。華美ではないが、襟や裾に上品な刺繍が入っている。
「王子殿下、お久し振りです。ご機嫌麗しゅうございます」
代表格と思われる貴族の青年が、優雅な一礼とともに挨拶した。滑らかな口上は慣れていると察せられるものだ。
知った顔なのか、ティルレインもにこやかに対応する。
「久しいな、ルクス。出迎えご苦労!」
「勿体なきお言葉、大変恐縮でございます。――して、その子供は?」
ルクスと呼ばれた青年が、シンにちらりと目を向ける。
「僕の友達のシンだぞ! 狩人としても凄腕だし、凄く頭が良いし、冷静なんだ!」
シンがこの場で思い切り抵抗できないことをいいことに、ティルレインは後ろから抱き着いてぐらぐら揺さぶる。ちょっかいを出されながらも、シンはなんとか頭を下げる。
「初めまして、シンと申します。この度は脳味噌お花畑野郎の王都帰還に随行することとなりました。身に余る光栄とは存じておりますが、ティルレイン王子殿下によりますと、国王夫妻が私に興味をお持ちになられているそうです。恐縮の極みではございますが、よろしくお願い申し上げます」
大真面目に挨拶するシンを面白がって、ティルレインが茶々を入れる。
「シン、堅いぞぉ~! ルクスは伯爵家だし、そこまで身分が高くないんだから、ガチガチにならなくても……」
「伯爵は立派な貴族ですよ。ご当主でもご子息でも、平民の僕にとってはどちらも殿上人のような方です」
「れ、歴史はあるかもしれないが普通というか、地味な文官家系だぞ?」
「それは譜代臣下であらせられる、由緒正しき家柄であるということです。ご理解くださいませ、スカタン殿下」
「アイリはルクスともすぐにフレンドリーになったよ?」
「不敬罪常習犯ビッチと一緒にしないでください、冗談じゃない」
「うわぁ、なんだろう、言葉遣いはとっても丁寧なのに、地雷を踏んだ気配がするぞぅ!」
ティルレインはうろうろうねうねと体を揺らしながらシンのご機嫌を必死にとろうとする。
しょぼくれて垂れた耳と尻尾が見えそうなくらいわかりやすい。
数分したところで「馬車に乗っとけ」と、鉄壁の笑顔でシンに突き放されたティルレインは、本格的に涙目になってルクスに泣き付いた。
「ルクスーっ! どうしよう! シンはアイリが大っっっっ嫌いなんだ! 話題に出すな、名前を出すなと何度もいわれていたのを忘れていた! どうやって許してもらおう!?」
「えーと、子供でしたらお菓子でも差し入れしてみてはいかがでしょう? 休憩用に荷台に積んでおりますが」
そうは言いつつも、ルクスは多分無理だろうなと思っていた。そして何故か、このやりとりに既視感を覚える。一瞬の二人の会話で、精神的なイニシアチブがどちらにあるかなど、わかり切ってしまった。そして、今の様子を見るに、ティルレインからあれだけ入れ込んでいたアイリーンへの過ぎた盲目さが若干消えている気配がする。
以前ルクスが会った時は、どんなに苦言を呈し、窘めても、アイリーン・ペキニーズに勝るものはないと聞かなかったのだ。
シンは黙々と自分の荷物を馬車に乗せており、荷台の端っこに自分も腰かけていいか確認している。徒歩ではとてもではないがついていけない。子供のシンでは、馬に乗っても鐙に足が届かないから、それが一番無難だろう。
ルクスは密かに胸を撫で下ろす。
(よかった……ペキニーズ嬢のような身の程知らずではなさそうだな、あの少年は)
だが、シンと一緒に馬車に乗れると思っていたティルレインが駄々をこねた。イヤだイヤだと地団太を踏む姿を、シンがゴミを見る目で見ていた。
知っているか? この手足をばたつかせているのが十七歳の王子殿下なんだぜ――そんな空気が流れた。
シンが小柄で年齢以上に幼く見えるのが、その絵面の酷さに拍車をかける。
平民であるシンが頑なに「身分が違います」と言って折れないものだから、ティルレインは泣き落としにかかり、顔がしおしおのべちゃべちゃになる。
どっちが子供だかわからないが、だんだんと空気が「ちょっとシン君、王子泣いちゃったじゃなぁい」というものに変わりはじめる。あんまりなティルレインのしょぼくれっぷりに同情票が集まったのだ。
スンスンと鼻を啜りながら「シンと一緒がいい」の一点張りで、護衛の騎士やルクスの説得もあって、とうとうシンが折れた。
るんるんと鼻歌を歌いそうに喜んでいるティルレインを見るシンの目には、「この駄犬が!!」と書いてあった。
それを見て、誰かが言う。
「……国王陛下と宰相閣下とそっくり……」
ぽくぽくちーん。
……あ。
という感じで、その場にいたシンとティルレインを除く全員の中で合点がいった。
公の場では真面目でまともな現国王も、かつてはやんちゃだった。そのたびに王妃と宰相の幼馴染タッグに締め上げられている。
今ではだいぶ回数は減った。そう、減った。しかし、たまに発作のようにやらかす。ティルレインの場合と違うのは、身内で解決できるし、ある程度その影響をコントロールできているところだ。
そんな理由もあって、ティルレインを迎えに来た一行の中で、シンに対する評価が決まった瞬間であった。
シンが駄犬の躾に忙しくて気づかなかったことは幸せなのか、不幸せなのかはわからない。
◆
移動の間、シンは渋々ティルレインの隣に座った。
馬車は外装も立派だが、中身も立派だ。座り心地は良いが、居心地は悪い。
タニキ村に来る時と違って凱旋の如く元気が良いティルレインが、しばしば窓の外の風景に「あれはなんだ!?」と首を突っ込みたそうにするのを、シンは言葉で叩き伏せていた。
必殺技は「どうぞお一人でお楽しみくださいませ」「置いていきますよ」である。
ティルレインはシンと楽しみたいので、そう言われるたびに顔をくちゃっとさせてしょんぼりする。そして寄り道を断念するのだ。
だが、元々ティルの我儘を考えて組まれていた予定だったため、王都への旅は予想よりもはるかに順調に進んだ。
当然、これを見て皆はこう思う。
ティルレイン殿下はシンに任せておけば安全だ。
我儘を言わず――即座に却下・論破され。
飛び出していかず――その前に首根っこを掴まれ説教され。
馬車で大人しくしている――シンにずっと話しかけている。
ものすごく楽だった。
シンの態度は確かに平民としては逸脱したものではあったが、へりくだった態度をとるとティルレインが鬱陶しいほどにふてくされるのだから仕方がない。べそをかいたティルレインが命令とまで言って駄々をこねて、フランクな態度を求めるのをたびたび目撃しては、ルクスも騎士たちも何も言えない。
一番偉いお馬鹿が全力で我儘を言っているのだ。
皆だんだんと、それを根気よく諭している小さなシンが可哀想になってきた。
初日こそは「生意気すぎやしないか、この子供」だったのが、三日後には「いいぞ、もっと言ってやれ!」になり、一週間もすれば「シンさんご苦労様です」になった。
そうだ、ウチの第三王子って脳味噌がびっくりするほどユートピアだったんだ――それを痛感した。恋愛浮かれポンチになる前から、結構お馬鹿さんだったのだ。
そして今も、この街で野外観劇があると知ったティルレインが一緒に行こうと誘ったところ、シンに一刀両断されている。
「ティルレイン殿下の頭蓋の中身が非常に春爛漫なのは常々存じ上げておりましたが、それを僕に強要するのでしたら、僭越ながら今後お付き合いを差し控えさせていただきます」
それでもしつこく食い下がるティルレインに、シンが冷たく言い放つ。
「何度言ったらわかるんですか。もう宿は別の部屋で寝ますから。部屋がなかったらよそで素泊まりでも一人で野営でもしますから」
「やだああああ、ごめんなさいいい!」
子供の腰にしがみつき、ずーるずーると引きずられる王子。残念ながら、これはたびたび見られる光景である。最終的には常にティルレインが平謝りだ。
「ルクス様や護衛騎士様をはじめとする付き添いの方々に迷惑をかけんなって、何度言えばわかるんです」
謎の子供が同伴すると知って「子守かよ」と揶揄した騎士がいたが、彼はすぐに考えを改めることになった。ティルレインの我儘をことごとく完封するシンの手腕は素晴らしいとしか言いようがない。『あの』ティルレインが一度として道草を食わないし、脱線していないのだ。
というより、子守をしているのは完全にシンだった。恥の多い人生を歩みすぎているロイヤルベイビー御年十七歳。病的を超えて猟奇性を感じる酷い字面である。
ぴたっと醜いバイブレーションが止まった。涙目で鼻水を垂らしそうな殿下に、テルファーがそっと鼻紙を差し出し、チーンとかませる。
シンの推測が正しければ、ティルレインは青春だけじゃなく下半身まで暴走させて遊ばせた。そして、アイリーンという女性はかなり男慣れしていて、多くの男を手玉に取っていたようだ。彼女のモラルがどれほどかは知らないが、あまりオツムもよろしくなさそうなので、期待はできない。次から次へと関係を持っていたとしたら、普通の女性と交接するよりはるかに危険性が高い。
娼婦ならば商売ということもあって、自衛しているだろう。だが、素人で無類の男好きなら、そういう対策は期待できない。
「基本、この手のことはナイーヴな問題です。みな隠したがるでしょう。プラベートが関わりますし、何せ不名誉極まりない病気の一つですからね。重ねて言いますが、田舎の医療なんて期待しない方がいいですよ。聞きますけど、王都を出てから医者にかかりました? というより、複数の男性と密な関係を持つ娼婦でもない女性と寝たのは、ちゃんと報告しました?」
「なんでそんなことしなきゃダメなんだよぉおおお!?」
真っ青になって騒ぎはじめたティルレインに、シンは冷たく言い放つ。
「あなたにまだ価値があるなら、名医を派遣してもらえます。性病で死ぬ確率は減りますし、性病以外にも感染症を含むその他の病気の有無を確認できます」
このお馬鹿には、複数人の男と関係を持ち、股の緩い女と付き合うのがいかにヤバいかを伝えた方がいい。貞操観念ガバガバな女が、同じような異性にだらしない男と付き合っていたら、危険度は跳ね上がる。
「アイリさんが女誑しと言われる類の異性と噂があるとか、同性の友人より異性の友人が多いとか、その異性の友人で特に仲良しがしょっちゅう変わるなら、危険ですよ」
「………」
シンが問い詰めると、血の気を失ったティルレインは黙り込んだ。思い当たる節があるのだろう。
「フルコンボだ、ドン――と言うなら、マジで一度医者に診てもらった方がいいですよ」
シンが情報を追加するたびに、ティルレインの顔色は青を通り越して白くなり、土気色にすらなっていく。端整な顔がすでに恐怖で歪み、歯がガタガタ鳴るほど震えている。
「シ、シン。シン君!」
「なんでしょう」
「誰に相談すればいい!?」
「以前、あなた宛ての費用を分捕られた時に相談した人でいいんじゃないですか?」
「テルファあああああー! 便箋! ペンと紙をぉおおおお!!」
「は、はいいい!」
ティルレインはようやく危機感を持ったらしい。
病気の可能性は低いと思うが、ティルレインが相手ならば、これくらい脅した方が反省はするだろう。いい勉強になる。わんわんどころかぎゃんぎゃん泣き叫んで恐慌状態のお馬鹿犬殿下を見て、ほっこりとするシンだった。
閑話 女神様はやっぱり見ている
「ふんふふふ~ん、お花ぁ! お花! キレイなお花!」
フォルミアルカは今、ご機嫌だった。
彼女が手にしている美しい花は、シンやティル、そして祭壇に足を運んでいたポメラニアン準男爵邸の一家や使用人たちの祈りとともに、フォルミアルカのもとに届いていた。
何故か最近ヤクザ紛いのスキル取り立てをしてくるバロスは来ないし、心なしか活力が湧いてくる。
シンが作った祭壇の力なんて些細なものだが、純粋に嬉しかった。
それに、シンのアドバイスを受けてスキルの配分を安易にしないようにしてから、いろいろな国が安定してきたのだ。
今までテイラン王国に偏りがちだったスキルは分散しつつある。
色々なところにピンチになるたびに授けていたのだが、采配が悪かったのか渡してすぐに死んでしまう者もいれば、スキルを悪用する者も後を絶たなかったが、今回はない。
「ん~? でも、なんで最近バロスは静かなんでしょうかね?」
ちょっと様子を覗いてみようと、フォルミアルカは水鏡をチョンと突く。
波紋が広がり、歪んだ水面が次に映し出したのは、戦神バロス。
なにやらすっかり脂下がった様子で、へらへらとだらしない顔であった。そして、そんなバロスと対面しているのは、美と春の女神ファウラルジットだ。
「ふぇ!? 何故彼女が……? 確かファウラルジットはバロスが大嫌いだったはずですが……」
何故かにこやかにお茶をしている。
豊満で女性的な肉体に釘付けになっているバロスはいつものこととして、ファウラルジットが心底不快そうな顔をしていないのは、非常に珍しい。
フォルミアルカは幼女女神と呼ばれるだけあって、見事な絶壁ツルペタの不毛の大地だった。スレンダーというのもおこがましい、ぷにった幼児体型である。
ファウラルジットは形、大きさ、張り全てが百点満点中一億点のたわわな果実の如き豊穣さである。そしてきゅっと括れた腰のラインは悩ましく張っている。
バロスはずっと、舐めるようにその体と美貌を見ている。
「あああ、どうしましょうか!? ファウラルジットがバロスに手籠めにされてしまいます! ヒトだけではなく、ついに女神まで! ど、どうしましょう!? シンさん! 大変ですー! でんじゃーです! えまーじぇんしーです!」
はわわわわ、と幼女は涙と鼻水を爆発させながらシンにメッセージを飛ばす。
部屋を無闇にうろついたり転がったり、落ち着かない様子で水面を見ながら待っていると……しばらくして、返事が来た。
「ああ! 良かったです! 今日は早く気づいてくれましたー! えーと、ナニナニ……?」
『戦神バロスに対抗すべく、女神連合が動き出しただけだから、静観しておいてください』
「どういうことでしょうか……むむぅ? ファウラルジットが大丈夫そうならいいのですが」
そう言っているそばから、ファウラルジットがにっこりと笑みを浮かべてバロスから離れる。手には何か紙を持っていて、ひらひら振って席を立った。バロスは脂下がったまま高笑いしている。
訳がわからない……そう思っていたら、ファウラルジットの妹女神たちが入れ代わり立ち代わりでやってきて、同じようににこやかにバロスと会話をして、しばらくすると席を立つ。
いつもならべたべたと付き纏うバロスだが、今日はそんな気配もない。
大抵は女神たちに冷たくあしらわれて不機嫌になり、何かに八つ当たりするのに。
「はぅう~~~……本当に大丈夫なんでしょうか……シンさーん」
やきもきする幼女女神であったが、結局は大人しく見守ることにしたのだった。
第五章 王都からの手紙
「父上と母上から手紙が来た!」
喜色満面で報告してくるティルレインに、シンは淡々と返す。
「国王陛下と王妃様ですね。良かったですね、無視されなくて」
「王都で医者に診てもらえることになった!!」
「そうですか、良かったですね、見捨てられていなくって」
「一緒に行こう、シン!!」
「お一人で行ってらっしゃいませ、二度とお戻りにならなくて結構ですよ」
「ぴえん!!」
ぴえん、と目を潤ませて顔を悲しげに歪めたティルレインに対し、シンは絶対零度をぶつける。
「それ、腹立つから二度とやるなって言ったよな?」
テルファーは内心ドキドキしていたが、この二人の会話がキャッチボールに見せかけたドッジボールかデッドボールになることはよくある。
即刻折れたのはティルレインだ。
「シン君にご不快な思いをお掛けして申し訳ございません。つきましては、お詫びとしまして王都の観光は如何かと、お誘いをさせて頂きたく存じます」
清々しいほどプライドがない王子殿下である。
駄犬は駄犬なりにご主人様の機嫌を読む方法を覚えつつあった。
「言い方は悪くないけど、僕はタニキ村が好き」
飼い主に合格を貰うと、ぱっと顔を明るくさせた。完全に調教済みである。
ティルレインはシン相手に完全に下手に出ているし、何度も口でやりこめられているにもかかわらず、羞恥や屈辱を覚えている気配はない。
ただ、親愛なるご主人様に褒められたことを喜んでいた。
テルファーはインビジブル尻尾がぶん回されているのが見えた気がした。
「僕も王都よりタニキ村が好き。マナーとか表情にうるさくないし……。あっちだと口を大きく開けて笑うだけで怒られるんだもん。食べるものも話せる人も話す内容も、全部チェックされるし、できないと兄弟と比較されるしーっ。僕は王太子になるつもりないのに、周りが騒がしいんだもん」
「アンタが王太子とか悪夢ですし、それを支える大臣や王太子妃が可哀想でなりません。生まれ出た家や親は選べないから仕方ないので、王族であることは我慢できます」
「ねえ、シン君。なんでそんなしみじみと慈愛に溢れた眼差しで僕のことを全力で貶すの? 僕の硝子のハートが粉々になりそう。ねえ、もしも、だよ? 僕が王太子になるようなことがあったらどうするの?」
「ティンパイン王国を出ます。それでもって、隣接していない国へ逃げます」
「ひどいじゃないかぁ!!」
ティルレインの顔じゅうから液体が飛び出す。わかりやすい長所である美貌がぐっちゃぐちゃだ。神秘的な宵色の瞳からぼろぼろと大粒の涙を流すが、シンは「わー、数少ない褒めるべき点すら消えた」と、のほほんとトドメを刺す。
ティルレインは某ネズミのきぐるみを着た猫のような濁声で泣いている。妙に野太く湿ったおっさんのような声だ。
テルファーは子供の相手をしているのか、オッサンをあやしているのかわからなくなってきていた。顔はインテリヤクザでも実は甲斐甲斐しいところがある彼は、こう見えて子供好きだ。しかし、初対面の子に泣いて逃げられる悲しき強面である。
「テルファーさん、その十七歳児を甘やかさないでください。泣き癖や甘え癖がつきます」
「で、ですが」
そして、明らかに子供であるシンに注意される。
最近、この強面の使用人が実は優しいと気づいたティルレインは、味方をなくすものかと、しっかりとテルファーのカマーベルトを掴んでいる。
「嫌だぁ、シンと行く! シンと一緒がいいよぉおおおお!!」
「自立してください、張っ倒しますよ」
「僕の屍を越えてゆけええええ!!」
ぐだぐだである。
「父上も母上もヴィーも、シンに会ってみたいって言ってたんだぞ!」
どうやらティルレインは、わざわざ謝罪のために出させたお手紙に、馬鹿正直に経緯を書いていたらしい。自分の言動に責任を持てと何度もエッジ強めに叩き込んでいたのに意味がない。シンは本気でこの馬鹿犬を縊り殺したくなった。
「それ、僕が処刑されるフラグじゃないですか!」
「そんなわけないぞ! ヴィーの代わりに僕を諭すことができる、アダマンタイトより貴重な人材だから、金貨を積んでも爵位で釣ってもいいから連れて来いって言ってた!」
その身も蓋もない言い方に、国王夫妻の必死さを感じる。
どうやら、あんぽんたん王子の保護者は大変らしい。できない子ほど可愛いといっても限度があるのだろう。お目付け役を必ず連れて来いと言うあたりは、ちゃんと理性があるらしい。
「ティルさんのご両親の評価が的確すぎてクッソ笑える」
「えへへへ」
シンは微塵も褒めていないのに、嬉しそうに照れるティルレイン。
ティルレイン・エヴァンジェリン・バルザーヤ・ティンパイン第三王子はそのやんごとない立場にもかかわらず、シンに構ってもらえることを至上の喜びのように思っている節がある。タニキ村に来てからずっとこの調子だ。
どんなに毒舌が突き刺さってもめげない。いちいち反応はするが、逃げる気配は一切ない。
結局、シンは王都までこの馬鹿王子についていく羽目になった。
またしても全力で駄々をこねたロイヤル十七歳児に辟易したこともあるが、原因は、漏れなくこの馬鹿犬のやらかしである。
ハレッシュには同情され、ギルドの人たちには惜しまれ、ポメラニアン準男爵からは拝み倒されて、結局は折れる形になった。
予定外に王都へ行くことになったので、シンはシンなりにティルレインに要求を出した。
「条件があります。まず、前領主のボーマン様のやった悪事を明確にして、彼に全て償わせてください。投獄及び労働義務を伴う十年以上の実刑に処すこと。それが無理なら、彼が一切権力を使えない場所に蟄居させてください。あとポメラニアン準男爵領に屋敷を修繕できる金子に、塩と小麦、そして鉄製の農具をお願いします」
「いいぞ!」
ダメもとで言ってみたら、ティルレインはあっさり頷いた。彼個人にそんな権限はない。履行されるとは限らないが、頼んでおいて損はない。
タニキ村からシンが去れば、今まで彼が狩りや依頼で供給していた食料が流通しなくなる。
ポメラニアン準男爵に王都行きを告げると、くれぐれもティルレインをよろしくと、再三にわたって頼まれた。どうやら馬鹿犬殿下にすっかり情が移ってしまっているようだ。
「僕って、情が移るから里親探す予定だった捨て猫とか拾わないようにするタイプなんですけど……」
「わかります」
テルファーだけはシンの言葉に深く同意を示した。
◆
なんだかんだ言いながらも、シンは家を整理し、村人たちに挨拶して、タニキ村を発つこととなった。
「シン、お前なら上手くやっていけると思うが、気を付けるんだぞ?」
「はい、ハレッシュさん。とっとと撒いて戻るので」
「あの王子殿下はちょっとアレだけどしつこいぞ」
「無駄に不屈ですよね」
出発の準備を整えたシンは、そんなやり取りでハレッシュに送り出され、ティルレインのもとへと向かった。
第三王子の王都帰還の迎えには、豪奢で大きな馬車と立派な馬、そして大勢の騎士がやってきた。彼らは、何故かティルレインの隣にいる明らかに庶民のシンに訝しげな視線を向けている。
その時のシンは、豪華な一行に目を輝かせるどころか、市場に売られていく仔牛よりも哀愁を帯びた目をしていた。隣ではしゃいでいるティルレインの満面の笑みと対照的だ。
迎えの中に、眼鏡をかけた背の高い青年がいた。ホワイトブロンドに、黒い瞳をしている。ちょっと垂れた目から優しそうな印象を受ける。
貴族なのか、仕立ての良い服を着ていて、白いシャツに落ち着いた青のジャケット、黒のトラウザーズ。華美ではないが、襟や裾に上品な刺繍が入っている。
「王子殿下、お久し振りです。ご機嫌麗しゅうございます」
代表格と思われる貴族の青年が、優雅な一礼とともに挨拶した。滑らかな口上は慣れていると察せられるものだ。
知った顔なのか、ティルレインもにこやかに対応する。
「久しいな、ルクス。出迎えご苦労!」
「勿体なきお言葉、大変恐縮でございます。――して、その子供は?」
ルクスと呼ばれた青年が、シンにちらりと目を向ける。
「僕の友達のシンだぞ! 狩人としても凄腕だし、凄く頭が良いし、冷静なんだ!」
シンがこの場で思い切り抵抗できないことをいいことに、ティルレインは後ろから抱き着いてぐらぐら揺さぶる。ちょっかいを出されながらも、シンはなんとか頭を下げる。
「初めまして、シンと申します。この度は脳味噌お花畑野郎の王都帰還に随行することとなりました。身に余る光栄とは存じておりますが、ティルレイン王子殿下によりますと、国王夫妻が私に興味をお持ちになられているそうです。恐縮の極みではございますが、よろしくお願い申し上げます」
大真面目に挨拶するシンを面白がって、ティルレインが茶々を入れる。
「シン、堅いぞぉ~! ルクスは伯爵家だし、そこまで身分が高くないんだから、ガチガチにならなくても……」
「伯爵は立派な貴族ですよ。ご当主でもご子息でも、平民の僕にとってはどちらも殿上人のような方です」
「れ、歴史はあるかもしれないが普通というか、地味な文官家系だぞ?」
「それは譜代臣下であらせられる、由緒正しき家柄であるということです。ご理解くださいませ、スカタン殿下」
「アイリはルクスともすぐにフレンドリーになったよ?」
「不敬罪常習犯ビッチと一緒にしないでください、冗談じゃない」
「うわぁ、なんだろう、言葉遣いはとっても丁寧なのに、地雷を踏んだ気配がするぞぅ!」
ティルレインはうろうろうねうねと体を揺らしながらシンのご機嫌を必死にとろうとする。
しょぼくれて垂れた耳と尻尾が見えそうなくらいわかりやすい。
数分したところで「馬車に乗っとけ」と、鉄壁の笑顔でシンに突き放されたティルレインは、本格的に涙目になってルクスに泣き付いた。
「ルクスーっ! どうしよう! シンはアイリが大っっっっ嫌いなんだ! 話題に出すな、名前を出すなと何度もいわれていたのを忘れていた! どうやって許してもらおう!?」
「えーと、子供でしたらお菓子でも差し入れしてみてはいかがでしょう? 休憩用に荷台に積んでおりますが」
そうは言いつつも、ルクスは多分無理だろうなと思っていた。そして何故か、このやりとりに既視感を覚える。一瞬の二人の会話で、精神的なイニシアチブがどちらにあるかなど、わかり切ってしまった。そして、今の様子を見るに、ティルレインからあれだけ入れ込んでいたアイリーンへの過ぎた盲目さが若干消えている気配がする。
以前ルクスが会った時は、どんなに苦言を呈し、窘めても、アイリーン・ペキニーズに勝るものはないと聞かなかったのだ。
シンは黙々と自分の荷物を馬車に乗せており、荷台の端っこに自分も腰かけていいか確認している。徒歩ではとてもではないがついていけない。子供のシンでは、馬に乗っても鐙に足が届かないから、それが一番無難だろう。
ルクスは密かに胸を撫で下ろす。
(よかった……ペキニーズ嬢のような身の程知らずではなさそうだな、あの少年は)
だが、シンと一緒に馬車に乗れると思っていたティルレインが駄々をこねた。イヤだイヤだと地団太を踏む姿を、シンがゴミを見る目で見ていた。
知っているか? この手足をばたつかせているのが十七歳の王子殿下なんだぜ――そんな空気が流れた。
シンが小柄で年齢以上に幼く見えるのが、その絵面の酷さに拍車をかける。
平民であるシンが頑なに「身分が違います」と言って折れないものだから、ティルレインは泣き落としにかかり、顔がしおしおのべちゃべちゃになる。
どっちが子供だかわからないが、だんだんと空気が「ちょっとシン君、王子泣いちゃったじゃなぁい」というものに変わりはじめる。あんまりなティルレインのしょぼくれっぷりに同情票が集まったのだ。
スンスンと鼻を啜りながら「シンと一緒がいい」の一点張りで、護衛の騎士やルクスの説得もあって、とうとうシンが折れた。
るんるんと鼻歌を歌いそうに喜んでいるティルレインを見るシンの目には、「この駄犬が!!」と書いてあった。
それを見て、誰かが言う。
「……国王陛下と宰相閣下とそっくり……」
ぽくぽくちーん。
……あ。
という感じで、その場にいたシンとティルレインを除く全員の中で合点がいった。
公の場では真面目でまともな現国王も、かつてはやんちゃだった。そのたびに王妃と宰相の幼馴染タッグに締め上げられている。
今ではだいぶ回数は減った。そう、減った。しかし、たまに発作のようにやらかす。ティルレインの場合と違うのは、身内で解決できるし、ある程度その影響をコントロールできているところだ。
そんな理由もあって、ティルレインを迎えに来た一行の中で、シンに対する評価が決まった瞬間であった。
シンが駄犬の躾に忙しくて気づかなかったことは幸せなのか、不幸せなのかはわからない。
◆
移動の間、シンは渋々ティルレインの隣に座った。
馬車は外装も立派だが、中身も立派だ。座り心地は良いが、居心地は悪い。
タニキ村に来る時と違って凱旋の如く元気が良いティルレインが、しばしば窓の外の風景に「あれはなんだ!?」と首を突っ込みたそうにするのを、シンは言葉で叩き伏せていた。
必殺技は「どうぞお一人でお楽しみくださいませ」「置いていきますよ」である。
ティルレインはシンと楽しみたいので、そう言われるたびに顔をくちゃっとさせてしょんぼりする。そして寄り道を断念するのだ。
だが、元々ティルの我儘を考えて組まれていた予定だったため、王都への旅は予想よりもはるかに順調に進んだ。
当然、これを見て皆はこう思う。
ティルレイン殿下はシンに任せておけば安全だ。
我儘を言わず――即座に却下・論破され。
飛び出していかず――その前に首根っこを掴まれ説教され。
馬車で大人しくしている――シンにずっと話しかけている。
ものすごく楽だった。
シンの態度は確かに平民としては逸脱したものではあったが、へりくだった態度をとるとティルレインが鬱陶しいほどにふてくされるのだから仕方がない。べそをかいたティルレインが命令とまで言って駄々をこねて、フランクな態度を求めるのをたびたび目撃しては、ルクスも騎士たちも何も言えない。
一番偉いお馬鹿が全力で我儘を言っているのだ。
皆だんだんと、それを根気よく諭している小さなシンが可哀想になってきた。
初日こそは「生意気すぎやしないか、この子供」だったのが、三日後には「いいぞ、もっと言ってやれ!」になり、一週間もすれば「シンさんご苦労様です」になった。
そうだ、ウチの第三王子って脳味噌がびっくりするほどユートピアだったんだ――それを痛感した。恋愛浮かれポンチになる前から、結構お馬鹿さんだったのだ。
そして今も、この街で野外観劇があると知ったティルレインが一緒に行こうと誘ったところ、シンに一刀両断されている。
「ティルレイン殿下の頭蓋の中身が非常に春爛漫なのは常々存じ上げておりましたが、それを僕に強要するのでしたら、僭越ながら今後お付き合いを差し控えさせていただきます」
それでもしつこく食い下がるティルレインに、シンが冷たく言い放つ。
「何度言ったらわかるんですか。もう宿は別の部屋で寝ますから。部屋がなかったらよそで素泊まりでも一人で野営でもしますから」
「やだああああ、ごめんなさいいい!」
子供の腰にしがみつき、ずーるずーると引きずられる王子。残念ながら、これはたびたび見られる光景である。最終的には常にティルレインが平謝りだ。
「ルクス様や護衛騎士様をはじめとする付き添いの方々に迷惑をかけんなって、何度言えばわかるんです」
謎の子供が同伴すると知って「子守かよ」と揶揄した騎士がいたが、彼はすぐに考えを改めることになった。ティルレインの我儘をことごとく完封するシンの手腕は素晴らしいとしか言いようがない。『あの』ティルレインが一度として道草を食わないし、脱線していないのだ。
というより、子守をしているのは完全にシンだった。恥の多い人生を歩みすぎているロイヤルベイビー御年十七歳。病的を超えて猟奇性を感じる酷い字面である。
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