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1巻
1-9
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「クソ猿!!」
額や後頭部、心臓、喉、目と、致命的な場所ばかりを容赦なく狙った矢は、きちんと一発で命中していた。
絶命した妙に手足の長い緑の猿を蹴り飛ばす。
それでも、哀れな干し肉たちは七割程食べられていた。残りも落とされたものや、血を浴びたもの、落ちた猿に巻き込まれてしまったものもあり、実際に食べられる分はもっと少ない。
「まさか猿が肉を狙うなんて……」
他にも何か食べられていないか確認すると、想像以上の甚大な被害が出ていた。
干していたはずの山葡萄が全部ない。
あの山葡萄は巨峰を思わせるふっくらとして甘みの強い種類で、シンは食べるのを楽しみにしていたのだ。
(マジでふざけるな)
シンの中で殺気がてんこ盛りである。
その時――
「Gixiyaxaaaaaaaa!!」
雄叫びとともに、再び猿たちが現れた。殺された猿の仲間がまだいたらしい。追加で現れた五匹の中の一匹は、猿というよりゴリラのように大柄で、腕がシンの胴回りほどある。
猿たちは示し合わせたように同時に飛びかかってくるが、シンは猿の指が届く寸前に身を屈め、横に転がりながら矢を二本放つ。
眉間を撃ち抜かれた猿が絶命し、太ももに矢を受けた猿がのたうち回った。声が非常に大きくてうるさい。
シンはさらに矢を放ち、悶える猿にとどめの一発を見舞う。続けて牽制に三発。腹や胸に矢を受けた猿は、そのまま倒れ込んだ。
「っと」
後ろから迫ってきた別の猿の剛腕を避け、腰に差していた短剣で喉笛を引き裂く。
これで五匹のうち四匹を倒した。
(残ったこいつがボスか?)
明らかに一匹だけシルエットがでかい。一匹で三匹分のウェイトがあるのではないかというほどだ。
シンと対峙した大猿が、身の毛のよだつ咆哮を上げる。普通ならすくみ上ってしまいそうな大絶叫だが、今のシンは非常食を食い漁られた怒りが恐怖に勝っていた。
大猿は四本の手足で地を駆けて突進してくる。
まだ遠い。
まだ。
だん、と強く地面を蹴った大猿が、シンに躍りかかる。目は怒りで深紅に燃え、開いた口から真っ赤な喉と悍ましい乱杭歯が覗く。
(今だ!!)
矢を番えたシンは、大猿のがら空きの胴体と眉間、口の中めがけて矢を一斉に放つ。
跳躍したのは悪手だった。宙にいる状態では逃げられはしない。
放たれた矢は大猿の毛皮を貫き、肉に食い込み、骨を砕いた。
バランスを崩した巨体がシンの横に無様に落下し、勢いのままにゴロゴロと転がった。
「……緑の猿? ゴブリンモンキーか!」
それを睨みつけるシンの目には、まだ怒りがマグマのように煮えたぎっている。
絶命した緑の猿たちをロープで縛り上げたシンはそのままギルドに向かい、冒険者カードとともに叩きつけた。
「報酬は明日貰いに来ます! そいつらムカつくので、僕の目に入らないところで処理してください!!」
そう言い残して、シンはさっさと家に帰ってしまった。
スローライフですっかり丸くなっていたシンだが、意外と地雷は近くにあった。いつの世も食べ物の恨みは怖いということだ。
これで、シンのランクはFに上がった。
一方、ギルドの中は騒然としていた。
シンからぶん投げられた大量の魔物は、緑色で少し手足の長い猿。ゴブリンモンキーの成体だ。そして、一体だけごわごわした体毛を持ち、一際凶悪な面構えと筋骨隆々たる大猿の魔物がいた。
キラーエイプ――ゴブリンモンキーをはじめとする猿の魔物の上位種だ。稀にユニーク成長や進化を遂げた猿系の魔物がキラーエイプとなる。文字通りの殺人猿で、その剛腕と鋭い牙、そして機敏な動きと狡賢さで大量殺人を行う危険な猿だ。
「……こいつ、ゴブリンモンキーじゃなくてキラーエイプだよな」
「ああ、ゴブリンモンキーは十一匹、このデカいのはキラーエイプだ」
ギルド職員と、酒場代わりにギルドで飲んだくれていた冒険者たちが、大量に並ぶ魔物の死体に呆然としている。
「キラーエイプの討伐はDランク相当だよな……いや、群れを単独で討伐したとなると、CかBランク相当だぞ」
「……シン君、腕がいいとは思ったけど、ここまでとはなー」
「何か怒っていたし、火事場の馬鹿力じゃないのか?」
ゴブリンモンキーはたまに出るが、キラーエイプなど、ここ数十年見ていない。
以前現れた時は、王都のギルドから討伐隊が来るまで村の皆は家の中で身を潜めて戦々恐々としていた。女子供は昼間でも家に出るのすら躊躇い、男たちも決して単独行動はせず、ずっと警戒し続けた。
シンがキラーエイプと知って討伐した可能性は低い。
このあたりでもかなり珍しいのだが、森林や山岳から遠い王都ではさらに馴染みが薄い魔物だ。
タニキ村に来て一年も満たないシンが知っている可能性は非常に低い。
猿の喉笛を見事に貫通している矢尻。弓の腕といい、子供らしからぬ膂力といい、ギルドではスキル持ちかもしれないと疑う者もいたが、それが今夜、確信に変わりつつあった。
「とりあえず、昇格はFランクだけど、これは王都に報告した方がいいかねぇ?」
「まあ、王都に行くことがあったらってことで、連絡しておくのが妥当じゃないか」
シンの知らないところで少しずつ、隠していた情報は漏れていくものである。
ギルドとしても、働き者の冒険者を手放したくなかった。ずっと依頼を貼り付けたままで全く達成されず壁紙のようになっていた依頼カードも、シンが来たおかげで少しずつ減ってきた。
それに彼はまだ子供だし、健やかに過ごしてほしいと、わずかばかりのお節介を焼く、ギルド職員たちであった。
第四章 女神フォルミアルカの祭壇
あれから数日後、あの糞猿がまた村をはじめ近隣にいないかと、シンは殺意がマシマシに研ぎ澄まされていた状態でうろついていた。しかし、周囲にはこの辺によくいる動物やそれに近い形態の魔物しか見かけなかった。どうやらゴブリンモンキーはシンが討伐したあの一団だけだったようだ。
結局、シンは保存食を作り直す羽目になった。異空間バッグがあれば必要はないのだが、趣味と実益を兼ねてやっている。最近は色々と調べながら凝った保存食を作っていたので、台無しにされた怒りは一層強くなった。
そんな中、隣家のガランテが女神の祭壇を作ってくれた。
中型犬くらいなら入りそうな犬小屋サイズで、シンでも持ち運べそうだ。簡素だが雨除けの屋根はついているし、奥に像を置くスペースがある。
そして、やけにファンキーなこけしを一緒に貰った。
研磨がされていないため粗削りで、顔はどちらかというとあっさりめの醤油顔。ややシャープな目鼻立ちが木目と相まって禍々しい。髪を描こうとしたのか、一部色がついているものの、何故かそれが角のように見える。
(……フォルミアルカ様が泣きそうだ)
幼女なだけあって、こんな恐ろしいものが自分に見立てられたと知ったら、号泣しかねない。色々な意味で。
その時、突然バッターンと大きな音を立てて木製の玄関扉が開いた。
お世辞にも重厚とは言えないごく普通のドアは、勢いよく開かれたせいで、心なしか痛そうだ。
「シ~~~ン~~~! 最近来てくれないから、来ちゃった!」
まるでギャルゲの幼馴染か彼女のような台詞だが、それを言っているのはシンより身長がだいぶ高い男である。綺麗な顔立ちでも立派に野郎だ。
「うぜえ、ハウス」
「お、何してるんだ? 何だこれは……これは小屋? んん? 祭壇? ……と、呪いの人形?」
「女神像です」
「えっ!」
シンの素っ気ない態度にもめげなかったティルレインだが、存在感抜群のこけしが女神像だと知った瞬間に、表情が固まった。
ティルレインは「ウッソォ~、ヤバすぎ……」といった表情で、シンが手にしている前衛的な女神像にまじまじと見入る。
「家づくりや家具作りが得意な方にお願いしたのですが、人型は苦手だったようで……」
「いや、これ酷いよ。女神様に喧嘩売ってるぞー……どの女神様なんだ?」
「フォルミアルカ様です」
「主神だな。うん、いくらマイナーでも、創造主だし大神なんだからやめておこう? それを飾るくらいなら、ちょっと綺麗な石を神体に見立てた方がましだぞぅ! ちょうど河原に良い感じに石がごろごろしているから、そっちを探した方がいいぞ!」
「クッソ、滅茶苦茶失礼だけど、否定できないのが悔しい……」
ティルレインは貴族だけあって、庶民にはあまり有名ではないフォルミアルカもすぐにわかった。
そしてやはり、彼女は戦神バロスほどメジャーではないらしい。
「いや、冗談じゃなく、やめた方がいい。神様は結構本気で呪うぞー! 女神様は特に自分の美にプライドを持っているのが多いから、変な像を作るなら、宝石を見立てるのがいい! 貴族はそうしている! 下手に像を作ると、彫刻師や奉ろうとした貴族、神殿ごと呪うからな!」
「コッワ!」
「女神も怖いが、戦神バロスも結構ヤバいと聞くな! とある貴族の娘が戦地に赴く婚約者の勝利を祈ったところ、婚約者は捕虜になり、戦場を引きずり回され、遺体の判別もできないほど無惨な姿で帰ってきたんだそうだ! なんでも、そのご令嬢が大層美しかったから、自分に仕えるシスターにするために殺したらしいぞ!」
「邪神じゃねーか」
女欲しさに祈りに来た信者の祈りをまるっきり無視するとは、邪すぎる戦神だ。
「アハハハ、ちなみに、ご令嬢は恐怖のあまりバロスから逃げようとしたんだって」
「そりゃそうですよね」
「しかしバロスは彼女に対して、自分の神殿から離れるとどんどん衰弱してしまう呪いをかけたんだ。婚約者に操立てしていたご令嬢は、バロスを受け入れることを拒み、死を覚悟して距離を取った。すると今度は、彼女の家や国が戦争に勝てないように呪ったという」
「疫病神ですね」
「まあ、バロスは戦い、勝利をもたらす神であるとともに、好色で強欲な神としても知られている。ティンパインではそれほど信仰されていないが、テイランなんて派手に奉っているから、表立って批判しない方がいいぞ!」
「そーですね」
大いに思い当たる節があるシンだったが、曖昧な言葉とアルカイックスマイルで誤魔化した。
声を聞いた感じ、戦神バロスは地上げ屋みたいな、ガラの悪いヤクザな神様だった。
「シンの故郷は女神フォルミアルカを信仰していたのか?」
「いえ、こちらに来る前にその女神の神殿でお世話になったので」
「ふむふむ、では、こんなのはどうだ! 僕は勉強は苦手だが、絵や彫金なんかは得意なんだ!」
「はあ」
「シンは御神体になりそうな石を探す。僕は女神像を作ってみる。どちらか良い方を奉るというのはどうだろう?」
馬鹿犬殿下にしては良い案である。
ティルレイン・エヴァンジェリン・バルザーヤ・ティンパイン殿下は、ちょっと恋愛脳アッパラパーでお子様なところがあるが、悪い方ではないようだ。王族としては致命的だが。
仕方ないながらに世話役――というより、ご機嫌取り要員に近い立場を続けているうちに、シンはティルレインのことが少しずつわかってきた。
彼は我慢強くはないし、しょっちゅうぴーぴー喚くものの、理由もなく人を処罰するタイプの人間ではない。すぐに「なんで!?」とか「酷い!」とかメンヘラ彼女じみた言動をするが、気に食わないから手打ち、などと、理不尽な権力の揮い方はしなかった。むしろシンが「あ?」と強気な態度に出るとへこへこするので、小物感がある。王族としては非常にアレだが、根っこが草食動物的だ。
件の女神像については、自分がシンに構ってもらいたい、遊びたいという願望と、シンがやりたいことを上手くミックスした案だった。そのあたりからも頭がカチコチなタイプではないと思われる。また、やや軽はずみであるが行動力はあるタイプだ。
最近ではアイリーンがどうこう言わなくなった代わりに、ポメラニアン準男爵の息子のジャックと同じテンションで「シン!」ときゃんきゃん甲高い声を上げて懐いてくる。ティルレインが本物の犬だったら、「うれション」するタイプだろう。感情もシモのダムも、ダダ漏れだ。
長く放置すると恥も外聞もなくびゃーびゃー泣き喚く感情クソデカな王子に付き合うのは、さすがのシンでもちょっと骨が折れる。
(石探しか……この辺に宝石なんてないしなー。あ、蜂の魔物の魔石……は何かイメージとは違うんだよな)
フォルミアルカは華奢で非常に愛らしい幼女女神だ。その少女神には髪や瞳の色、纏っていた衣裳から、白や青、金といった色合いのイメージが強い。光や春や花の似合いそうなタイプだ。
(そういえば、ギルドで宝石草って聞いたな。珍しいものらしいけど、話が出るってことはこのあたりにも咲いている可能性があるんだよな……)
しかし、存在するからといって見つかりやすいという保証はない。
セケンの実もマーダーウッドのドロップ品だ。結構ヤバい上に、殺意の高い魔物だった。殺意の低い魔物は、魔物の中でも基本的に弱小で、捕食される側である。しかしあれは間違いなく捕食する側の魔物だ。
(でも、セケンの実は欲しい……あの周囲に行けば、またマーダーウッドが出る?)
手に入れたセケンの実は、まだちょっとしか使っていない。
しかしあれのおかげで、動物や魔物を捌いたり解体したりした後の獣臭さが激減した。手や作業台を洗うと本当に血の臭いも獣の臭いも消える。もちろん、風呂でも使っているが、湯船がないので派手に使う機会はない。一応、使った水は解毒や浄化の生活魔法で綺麗にしてから流している。
思い立ったら即行動とばかりに準備して外に出ると、ハレッシュがたくさんの剥製を家から運び出していた。
「あれ? どうしたんですか?」
「ああ、行商人が来ているから、剥製を売るんだよ。王都に持っていけば、貴族連中が買い取ってくれるんだ。毛皮とかも売れるから、冬に備えて食料を備蓄するためにも、高値が付くといいんだが」
ハレッシュの悪趣味な剥製作りは、実益も兼ねていたという、衝撃の事実が発覚した。
田舎だとヤバいホラーでしかない剥製集団は、貴族たちには粋なインテリアの一種らしい。
シンは解体も毛皮の剥ぎ取りもあまり上手くできないので、全部他人頼みだったが、金になるなら本腰を入れて覚えた方がいいかもしれない。一応は人並み以上の収入はあるはずだが、タニキ村で越冬するのにどれくらいかかるか、まだわからない。
「シン、ここらの冬は結構雪が積もる。そうなると、下手すりゃ二ヵ月以上行商は来なくなるから、多少高くても暖かい内に塩は買い込んだ方がいいぞ。余裕があれば麦や砂糖もだな」
「えっ」
それは大変だとハレッシュについていくと、大きな幌馬車の前に人だかりができていた。
このあたりでも小麦は取れるが、各家庭で一冬賄えるかギリギリなところらしい。
薪は森で拾えばいいとはいえ、そもそも生木は乾燥させるのに半年から一年はかかる。きちんと乾いてないと火がつきにくいし、煙が出てしまうのだ。自然乾燥したものを集めようとすると手間が途方もないので、薪作りが必要だ。そして、砂糖や塩はこのあたりではとれないから必須である。
ハレッシュとシンが行商のところに着いた頃には、商品はすっかりなくなっていた。
「あちゃー、買う方は遅かったか。こっちで売りたいのがあるんだがいいか?」
「ああ、ハレッシュか。またいつもの剥製か? 今回、大物はあるか?」
「おうよ、アウルベアがいるぜ。あとスリープディアーだな」
「アウルベア!?」
身を乗り出した行商人に、さっそくハレッシュが交渉を開始する。
荷台に乗せたアウルベアの剥製に商人が目を輝かせるが、シンは眼窩に黒石を詰め込まれた歪な顔に引いた。彼は剥製が苦手だった。
盛り上がるハレッシュと商人を尻目に、そっとアウルベアの成れの果てから目を逸らす。
その間に、シンはほとんどなくなっている品物を物色した。
年季の入った厚手の布の上に広がっているのは、上等な砂糖と塩、小麦、そして酢。銀製のカトラリーや本などもある。どれも少しお高めであるのは、これが庶民にとって贅沢品の部類であるために売れ残っていたのだろう。しかし、タニキ村で腕の良い狩人兼冒険者として通っているシンなら、買えなくはない。不埒なゴブリンモンキーをぶちのめした臨時収入は全て消えるが、元々貯蓄は多いので、さして懐は痛まない。
「このお砂糖と塩、お酢を頂けますか? 全部」
「え? 本当かい! このあたりでは結構割高だから持ち帰るしかないと思っていたんだけど……」
「荷台が空いた分、ハレッシュさんの剥製を持っていってください」
その他にもナイフや矢尻を研ぐための砥石や、保存容器にできそうな瓶や壺を購入する。
他にも、なくても困らないが、あったら嬉しいものばかり並んでいるので、結局シンは全部買い取ってしまった。ハレッシュが途中で「おい、こんだけ買うんだからまけろ!」と横槍を入れたおかげで、割引してもらえたのがラッキーだった。調味料系は一部、隣のジーナに差し入れしたら喜ばれるだろう。
シンが買い取った大量の荷物をハレッシュの荷車に載せて一度家に戻り、二人はまた新しい剥製を積んで行商人のもとへ行った。
「シン、お前そんなに買って大丈夫か?」
「あはは、お金が底を付いちゃいました……明日からまた狩りを頑張らなきゃ」
実際には資金が底を付くまで買い物はしてないが、貯め込んでいた六割近くを吹っ飛ばしてしまった。
(何だろう、この堪らない充足感と高揚感は。買い物、超楽しい)
買い物が楽しいのはどこの世界でも共通らしい。シンは買い物依存症ではないが、久々のこの感覚に、なんだかじーんとしてしまう。物々交換も楽しいとはいえ、お金との交換のお買い物はまた別の楽しさがある。今度は値引き交渉も自分でできるようにしたい。
まだ冬まで時間があるし、買いすぎてしまった分を含め、次回以降で調整するとしよう。
商人は思った以上に荷馬車の品物が売れたと、ホックホクである。
「坊ちゃん、次に来る時、欲しいものとかあるかい?」
「新しい鞄とかリュック……その、ずっと修理しながら使ってたんだけど、この前魔物の攻撃が掠って大穴あいちゃったんだ。これを機に新調しようかなって」
鞄やリュックが欲しいのは本当だ。いつの間にか指が三本くらい貫通する穴が開いていた。
「なるほどなるほど! 良い物を見繕っていくつか持ってこよう!」
どうやらシンを上客として認識したようだ。それから、剥製を山ほど幌馬車に積んで、商人は村から出て行った。
馬車を見送っているとハレッシュが「そういえば」と、思い出したように口を開いた。
「シン、ちょっと前に庭先でバタバタしてなかったか?」
「ゴブリンモンキーが僕の非常食を食い漁っていたので、ぶっ殺してました」
「はぁ!? ゴブリンモンキー? あれか、緑色の手足の長い奴か!」
ぎょっと目を剥いたハレッシュが、大きな手でシンの両肩を掴んでゆっさゆっさと揺らしてくる。
かなりワイルドなやり方だが、ハレッシュに悪気はない。
シンはガクガク揺さぶられながら、「はい」と返事をした。
「死体は!? ゴブリンモンキーはまだ剥製にしたことがないんだ!」
「ギルドに渡しちゃいました」
「あぁああああ! アイツら、年に一度見られるかどうかってくらい珍しいんだよ! 村に来るなんて、数年に一回あるかないかだぞ!?」
盛大に頭を抱えていたハレッシュだったが、急にはっとなると「ちょっとギルドに分けてもらえるか聞いてくる!」と言い残して走り去っていった。
「元気だなぁ……」
シンはぼっさぼさになった頭を手櫛で直しながら、ぼんやりハレッシュを見送る。
当初の予定よりも出発が遅くなったものの、シンはそれからようやくご神体代わりの石探しに出かけたのだった。
◆
とりあえず、川縁にやって来たシン。
たくさんの石がごろごろとしているが、鉱山でもないのに、宝石なんてそう簡単に見つかるはずがない。川の流れで転がって角が取れた石はたくさんあるものの、どれも普通の石である。
試しにスマホをかざして調べてみる。
しかし、ほとんど『石』としか出ない。何度もやっていると、『石』の後ろに『砂岩』『礫岩』『泥岩』『チャート』『石灰岩』『凝灰岩』と、色々出てくるようになった。
もちろん、場所によっては貴石の類が落ちているところもあるはずだ。しかし、そういうのは人の手が入っていない未開の地だけだろう。
真珠や宝石探しができる観光名所などもシンの記憶にはあったが、大体が宝石にならないものしか見つからない場合が多い。それに、大きな原石でも、磨いて価値が出るのは奥のほんのわずかな部分だけというパターンも少なくないらしい。
シンは石を探しながら川辺の巨石の上をひょいひょいと歩く。
転生して小さくなったが、以前より運動神経は良くなった気がする。一際大きな石の上に座り、スマホで自分のステータスを確認する。
最初に見た時は一桁二桁の数字が並んでいた気がしたのだが、今は明らかに桁数が増えている。
(といっても、この世界の基準がわからない……。女神のギフトスキル『成長力』の恩恵も多いんだろうけど……)
所持スキルはとんでもないくらい増えていた。
(そういえば、冒険を初めた時とか、タニキ村に来て本格的に狩りを始めた頃に鬱陶しいくらいピロポロラッシュ通知が来ていた気がするけど、シカトしていたからすっかり忘れていた)
辞書か辞典というレベルにみっちり並ぶスキル乱舞を見て、一瞬にして読む気が失せた。
(わかりやすく統合してほしいな)
ななどと考えていると、スマホ画面に通知が出る。
スキルの統合・最適化をしますか?
類似のスキルをまとめることにより、スキルが整理されます。
また、統合によりランクアップするスキルがあります。
> YES
NO
「そりゃまあ……YESだろう」
すると、スマホの表示がロード画面になった。一瞬にして実行されるわけではないらしく『二十八時間かかります。その間、スキルは統合前の状態で継続して使用できます』とメッセージが出た。ある意味あの幼女女神らしい鈍足ぶりだ。
(長い。一日オーバーとか、普通に待ってられない。放置しよう)
シンはスンと真顔になったものの、軽く嘆息してスマホを荷物に仕舞って歩き出した。
しばらく石を探しながら歩き回るが、なかなか目ぼしいものは見つからない。
だが、食べられる野草や山菜をちまちまとっていくだけでも十分楽しい。綺麗な水辺にしか生えない薬草や香草もあったので、ギルドに納品できそうだ。
バチャンと大きな水音に振り向くと、川の中に魚影が見えた。シンの体の半分はありそうだ。
(上手く行くかな?)
手をピストルの形にして指先に魔力を集め、水面に狙いを定める。
シンが放った雷魔法は、火花の如き輝きを纏いながら、ジジジと鳥のさえずりを幾重にも重ねたような音を立てて飛んでいく。
水面に当たった瞬間に魔法が弾け、雷撃の網が広がる。ややあって、水面に一つ、また一つと魚が浮いてきた。それを水魔法で手繰り寄せると、二十匹は捕まえることができた。
額や後頭部、心臓、喉、目と、致命的な場所ばかりを容赦なく狙った矢は、きちんと一発で命中していた。
絶命した妙に手足の長い緑の猿を蹴り飛ばす。
それでも、哀れな干し肉たちは七割程食べられていた。残りも落とされたものや、血を浴びたもの、落ちた猿に巻き込まれてしまったものもあり、実際に食べられる分はもっと少ない。
「まさか猿が肉を狙うなんて……」
他にも何か食べられていないか確認すると、想像以上の甚大な被害が出ていた。
干していたはずの山葡萄が全部ない。
あの山葡萄は巨峰を思わせるふっくらとして甘みの強い種類で、シンは食べるのを楽しみにしていたのだ。
(マジでふざけるな)
シンの中で殺気がてんこ盛りである。
その時――
「Gixiyaxaaaaaaaa!!」
雄叫びとともに、再び猿たちが現れた。殺された猿の仲間がまだいたらしい。追加で現れた五匹の中の一匹は、猿というよりゴリラのように大柄で、腕がシンの胴回りほどある。
猿たちは示し合わせたように同時に飛びかかってくるが、シンは猿の指が届く寸前に身を屈め、横に転がりながら矢を二本放つ。
眉間を撃ち抜かれた猿が絶命し、太ももに矢を受けた猿がのたうち回った。声が非常に大きくてうるさい。
シンはさらに矢を放ち、悶える猿にとどめの一発を見舞う。続けて牽制に三発。腹や胸に矢を受けた猿は、そのまま倒れ込んだ。
「っと」
後ろから迫ってきた別の猿の剛腕を避け、腰に差していた短剣で喉笛を引き裂く。
これで五匹のうち四匹を倒した。
(残ったこいつがボスか?)
明らかに一匹だけシルエットがでかい。一匹で三匹分のウェイトがあるのではないかというほどだ。
シンと対峙した大猿が、身の毛のよだつ咆哮を上げる。普通ならすくみ上ってしまいそうな大絶叫だが、今のシンは非常食を食い漁られた怒りが恐怖に勝っていた。
大猿は四本の手足で地を駆けて突進してくる。
まだ遠い。
まだ。
だん、と強く地面を蹴った大猿が、シンに躍りかかる。目は怒りで深紅に燃え、開いた口から真っ赤な喉と悍ましい乱杭歯が覗く。
(今だ!!)
矢を番えたシンは、大猿のがら空きの胴体と眉間、口の中めがけて矢を一斉に放つ。
跳躍したのは悪手だった。宙にいる状態では逃げられはしない。
放たれた矢は大猿の毛皮を貫き、肉に食い込み、骨を砕いた。
バランスを崩した巨体がシンの横に無様に落下し、勢いのままにゴロゴロと転がった。
「……緑の猿? ゴブリンモンキーか!」
それを睨みつけるシンの目には、まだ怒りがマグマのように煮えたぎっている。
絶命した緑の猿たちをロープで縛り上げたシンはそのままギルドに向かい、冒険者カードとともに叩きつけた。
「報酬は明日貰いに来ます! そいつらムカつくので、僕の目に入らないところで処理してください!!」
そう言い残して、シンはさっさと家に帰ってしまった。
スローライフですっかり丸くなっていたシンだが、意外と地雷は近くにあった。いつの世も食べ物の恨みは怖いということだ。
これで、シンのランクはFに上がった。
一方、ギルドの中は騒然としていた。
シンからぶん投げられた大量の魔物は、緑色で少し手足の長い猿。ゴブリンモンキーの成体だ。そして、一体だけごわごわした体毛を持ち、一際凶悪な面構えと筋骨隆々たる大猿の魔物がいた。
キラーエイプ――ゴブリンモンキーをはじめとする猿の魔物の上位種だ。稀にユニーク成長や進化を遂げた猿系の魔物がキラーエイプとなる。文字通りの殺人猿で、その剛腕と鋭い牙、そして機敏な動きと狡賢さで大量殺人を行う危険な猿だ。
「……こいつ、ゴブリンモンキーじゃなくてキラーエイプだよな」
「ああ、ゴブリンモンキーは十一匹、このデカいのはキラーエイプだ」
ギルド職員と、酒場代わりにギルドで飲んだくれていた冒険者たちが、大量に並ぶ魔物の死体に呆然としている。
「キラーエイプの討伐はDランク相当だよな……いや、群れを単独で討伐したとなると、CかBランク相当だぞ」
「……シン君、腕がいいとは思ったけど、ここまでとはなー」
「何か怒っていたし、火事場の馬鹿力じゃないのか?」
ゴブリンモンキーはたまに出るが、キラーエイプなど、ここ数十年見ていない。
以前現れた時は、王都のギルドから討伐隊が来るまで村の皆は家の中で身を潜めて戦々恐々としていた。女子供は昼間でも家に出るのすら躊躇い、男たちも決して単独行動はせず、ずっと警戒し続けた。
シンがキラーエイプと知って討伐した可能性は低い。
このあたりでもかなり珍しいのだが、森林や山岳から遠い王都ではさらに馴染みが薄い魔物だ。
タニキ村に来て一年も満たないシンが知っている可能性は非常に低い。
猿の喉笛を見事に貫通している矢尻。弓の腕といい、子供らしからぬ膂力といい、ギルドではスキル持ちかもしれないと疑う者もいたが、それが今夜、確信に変わりつつあった。
「とりあえず、昇格はFランクだけど、これは王都に報告した方がいいかねぇ?」
「まあ、王都に行くことがあったらってことで、連絡しておくのが妥当じゃないか」
シンの知らないところで少しずつ、隠していた情報は漏れていくものである。
ギルドとしても、働き者の冒険者を手放したくなかった。ずっと依頼を貼り付けたままで全く達成されず壁紙のようになっていた依頼カードも、シンが来たおかげで少しずつ減ってきた。
それに彼はまだ子供だし、健やかに過ごしてほしいと、わずかばかりのお節介を焼く、ギルド職員たちであった。
第四章 女神フォルミアルカの祭壇
あれから数日後、あの糞猿がまた村をはじめ近隣にいないかと、シンは殺意がマシマシに研ぎ澄まされていた状態でうろついていた。しかし、周囲にはこの辺によくいる動物やそれに近い形態の魔物しか見かけなかった。どうやらゴブリンモンキーはシンが討伐したあの一団だけだったようだ。
結局、シンは保存食を作り直す羽目になった。異空間バッグがあれば必要はないのだが、趣味と実益を兼ねてやっている。最近は色々と調べながら凝った保存食を作っていたので、台無しにされた怒りは一層強くなった。
そんな中、隣家のガランテが女神の祭壇を作ってくれた。
中型犬くらいなら入りそうな犬小屋サイズで、シンでも持ち運べそうだ。簡素だが雨除けの屋根はついているし、奥に像を置くスペースがある。
そして、やけにファンキーなこけしを一緒に貰った。
研磨がされていないため粗削りで、顔はどちらかというとあっさりめの醤油顔。ややシャープな目鼻立ちが木目と相まって禍々しい。髪を描こうとしたのか、一部色がついているものの、何故かそれが角のように見える。
(……フォルミアルカ様が泣きそうだ)
幼女なだけあって、こんな恐ろしいものが自分に見立てられたと知ったら、号泣しかねない。色々な意味で。
その時、突然バッターンと大きな音を立てて木製の玄関扉が開いた。
お世辞にも重厚とは言えないごく普通のドアは、勢いよく開かれたせいで、心なしか痛そうだ。
「シ~~~ン~~~! 最近来てくれないから、来ちゃった!」
まるでギャルゲの幼馴染か彼女のような台詞だが、それを言っているのはシンより身長がだいぶ高い男である。綺麗な顔立ちでも立派に野郎だ。
「うぜえ、ハウス」
「お、何してるんだ? 何だこれは……これは小屋? んん? 祭壇? ……と、呪いの人形?」
「女神像です」
「えっ!」
シンの素っ気ない態度にもめげなかったティルレインだが、存在感抜群のこけしが女神像だと知った瞬間に、表情が固まった。
ティルレインは「ウッソォ~、ヤバすぎ……」といった表情で、シンが手にしている前衛的な女神像にまじまじと見入る。
「家づくりや家具作りが得意な方にお願いしたのですが、人型は苦手だったようで……」
「いや、これ酷いよ。女神様に喧嘩売ってるぞー……どの女神様なんだ?」
「フォルミアルカ様です」
「主神だな。うん、いくらマイナーでも、創造主だし大神なんだからやめておこう? それを飾るくらいなら、ちょっと綺麗な石を神体に見立てた方がましだぞぅ! ちょうど河原に良い感じに石がごろごろしているから、そっちを探した方がいいぞ!」
「クッソ、滅茶苦茶失礼だけど、否定できないのが悔しい……」
ティルレインは貴族だけあって、庶民にはあまり有名ではないフォルミアルカもすぐにわかった。
そしてやはり、彼女は戦神バロスほどメジャーではないらしい。
「いや、冗談じゃなく、やめた方がいい。神様は結構本気で呪うぞー! 女神様は特に自分の美にプライドを持っているのが多いから、変な像を作るなら、宝石を見立てるのがいい! 貴族はそうしている! 下手に像を作ると、彫刻師や奉ろうとした貴族、神殿ごと呪うからな!」
「コッワ!」
「女神も怖いが、戦神バロスも結構ヤバいと聞くな! とある貴族の娘が戦地に赴く婚約者の勝利を祈ったところ、婚約者は捕虜になり、戦場を引きずり回され、遺体の判別もできないほど無惨な姿で帰ってきたんだそうだ! なんでも、そのご令嬢が大層美しかったから、自分に仕えるシスターにするために殺したらしいぞ!」
「邪神じゃねーか」
女欲しさに祈りに来た信者の祈りをまるっきり無視するとは、邪すぎる戦神だ。
「アハハハ、ちなみに、ご令嬢は恐怖のあまりバロスから逃げようとしたんだって」
「そりゃそうですよね」
「しかしバロスは彼女に対して、自分の神殿から離れるとどんどん衰弱してしまう呪いをかけたんだ。婚約者に操立てしていたご令嬢は、バロスを受け入れることを拒み、死を覚悟して距離を取った。すると今度は、彼女の家や国が戦争に勝てないように呪ったという」
「疫病神ですね」
「まあ、バロスは戦い、勝利をもたらす神であるとともに、好色で強欲な神としても知られている。ティンパインではそれほど信仰されていないが、テイランなんて派手に奉っているから、表立って批判しない方がいいぞ!」
「そーですね」
大いに思い当たる節があるシンだったが、曖昧な言葉とアルカイックスマイルで誤魔化した。
声を聞いた感じ、戦神バロスは地上げ屋みたいな、ガラの悪いヤクザな神様だった。
「シンの故郷は女神フォルミアルカを信仰していたのか?」
「いえ、こちらに来る前にその女神の神殿でお世話になったので」
「ふむふむ、では、こんなのはどうだ! 僕は勉強は苦手だが、絵や彫金なんかは得意なんだ!」
「はあ」
「シンは御神体になりそうな石を探す。僕は女神像を作ってみる。どちらか良い方を奉るというのはどうだろう?」
馬鹿犬殿下にしては良い案である。
ティルレイン・エヴァンジェリン・バルザーヤ・ティンパイン殿下は、ちょっと恋愛脳アッパラパーでお子様なところがあるが、悪い方ではないようだ。王族としては致命的だが。
仕方ないながらに世話役――というより、ご機嫌取り要員に近い立場を続けているうちに、シンはティルレインのことが少しずつわかってきた。
彼は我慢強くはないし、しょっちゅうぴーぴー喚くものの、理由もなく人を処罰するタイプの人間ではない。すぐに「なんで!?」とか「酷い!」とかメンヘラ彼女じみた言動をするが、気に食わないから手打ち、などと、理不尽な権力の揮い方はしなかった。むしろシンが「あ?」と強気な態度に出るとへこへこするので、小物感がある。王族としては非常にアレだが、根っこが草食動物的だ。
件の女神像については、自分がシンに構ってもらいたい、遊びたいという願望と、シンがやりたいことを上手くミックスした案だった。そのあたりからも頭がカチコチなタイプではないと思われる。また、やや軽はずみであるが行動力はあるタイプだ。
最近ではアイリーンがどうこう言わなくなった代わりに、ポメラニアン準男爵の息子のジャックと同じテンションで「シン!」ときゃんきゃん甲高い声を上げて懐いてくる。ティルレインが本物の犬だったら、「うれション」するタイプだろう。感情もシモのダムも、ダダ漏れだ。
長く放置すると恥も外聞もなくびゃーびゃー泣き喚く感情クソデカな王子に付き合うのは、さすがのシンでもちょっと骨が折れる。
(石探しか……この辺に宝石なんてないしなー。あ、蜂の魔物の魔石……は何かイメージとは違うんだよな)
フォルミアルカは華奢で非常に愛らしい幼女女神だ。その少女神には髪や瞳の色、纏っていた衣裳から、白や青、金といった色合いのイメージが強い。光や春や花の似合いそうなタイプだ。
(そういえば、ギルドで宝石草って聞いたな。珍しいものらしいけど、話が出るってことはこのあたりにも咲いている可能性があるんだよな……)
しかし、存在するからといって見つかりやすいという保証はない。
セケンの実もマーダーウッドのドロップ品だ。結構ヤバい上に、殺意の高い魔物だった。殺意の低い魔物は、魔物の中でも基本的に弱小で、捕食される側である。しかしあれは間違いなく捕食する側の魔物だ。
(でも、セケンの実は欲しい……あの周囲に行けば、またマーダーウッドが出る?)
手に入れたセケンの実は、まだちょっとしか使っていない。
しかしあれのおかげで、動物や魔物を捌いたり解体したりした後の獣臭さが激減した。手や作業台を洗うと本当に血の臭いも獣の臭いも消える。もちろん、風呂でも使っているが、湯船がないので派手に使う機会はない。一応、使った水は解毒や浄化の生活魔法で綺麗にしてから流している。
思い立ったら即行動とばかりに準備して外に出ると、ハレッシュがたくさんの剥製を家から運び出していた。
「あれ? どうしたんですか?」
「ああ、行商人が来ているから、剥製を売るんだよ。王都に持っていけば、貴族連中が買い取ってくれるんだ。毛皮とかも売れるから、冬に備えて食料を備蓄するためにも、高値が付くといいんだが」
ハレッシュの悪趣味な剥製作りは、実益も兼ねていたという、衝撃の事実が発覚した。
田舎だとヤバいホラーでしかない剥製集団は、貴族たちには粋なインテリアの一種らしい。
シンは解体も毛皮の剥ぎ取りもあまり上手くできないので、全部他人頼みだったが、金になるなら本腰を入れて覚えた方がいいかもしれない。一応は人並み以上の収入はあるはずだが、タニキ村で越冬するのにどれくらいかかるか、まだわからない。
「シン、ここらの冬は結構雪が積もる。そうなると、下手すりゃ二ヵ月以上行商は来なくなるから、多少高くても暖かい内に塩は買い込んだ方がいいぞ。余裕があれば麦や砂糖もだな」
「えっ」
それは大変だとハレッシュについていくと、大きな幌馬車の前に人だかりができていた。
このあたりでも小麦は取れるが、各家庭で一冬賄えるかギリギリなところらしい。
薪は森で拾えばいいとはいえ、そもそも生木は乾燥させるのに半年から一年はかかる。きちんと乾いてないと火がつきにくいし、煙が出てしまうのだ。自然乾燥したものを集めようとすると手間が途方もないので、薪作りが必要だ。そして、砂糖や塩はこのあたりではとれないから必須である。
ハレッシュとシンが行商のところに着いた頃には、商品はすっかりなくなっていた。
「あちゃー、買う方は遅かったか。こっちで売りたいのがあるんだがいいか?」
「ああ、ハレッシュか。またいつもの剥製か? 今回、大物はあるか?」
「おうよ、アウルベアがいるぜ。あとスリープディアーだな」
「アウルベア!?」
身を乗り出した行商人に、さっそくハレッシュが交渉を開始する。
荷台に乗せたアウルベアの剥製に商人が目を輝かせるが、シンは眼窩に黒石を詰め込まれた歪な顔に引いた。彼は剥製が苦手だった。
盛り上がるハレッシュと商人を尻目に、そっとアウルベアの成れの果てから目を逸らす。
その間に、シンはほとんどなくなっている品物を物色した。
年季の入った厚手の布の上に広がっているのは、上等な砂糖と塩、小麦、そして酢。銀製のカトラリーや本などもある。どれも少しお高めであるのは、これが庶民にとって贅沢品の部類であるために売れ残っていたのだろう。しかし、タニキ村で腕の良い狩人兼冒険者として通っているシンなら、買えなくはない。不埒なゴブリンモンキーをぶちのめした臨時収入は全て消えるが、元々貯蓄は多いので、さして懐は痛まない。
「このお砂糖と塩、お酢を頂けますか? 全部」
「え? 本当かい! このあたりでは結構割高だから持ち帰るしかないと思っていたんだけど……」
「荷台が空いた分、ハレッシュさんの剥製を持っていってください」
その他にもナイフや矢尻を研ぐための砥石や、保存容器にできそうな瓶や壺を購入する。
他にも、なくても困らないが、あったら嬉しいものばかり並んでいるので、結局シンは全部買い取ってしまった。ハレッシュが途中で「おい、こんだけ買うんだからまけろ!」と横槍を入れたおかげで、割引してもらえたのがラッキーだった。調味料系は一部、隣のジーナに差し入れしたら喜ばれるだろう。
シンが買い取った大量の荷物をハレッシュの荷車に載せて一度家に戻り、二人はまた新しい剥製を積んで行商人のもとへ行った。
「シン、お前そんなに買って大丈夫か?」
「あはは、お金が底を付いちゃいました……明日からまた狩りを頑張らなきゃ」
実際には資金が底を付くまで買い物はしてないが、貯め込んでいた六割近くを吹っ飛ばしてしまった。
(何だろう、この堪らない充足感と高揚感は。買い物、超楽しい)
買い物が楽しいのはどこの世界でも共通らしい。シンは買い物依存症ではないが、久々のこの感覚に、なんだかじーんとしてしまう。物々交換も楽しいとはいえ、お金との交換のお買い物はまた別の楽しさがある。今度は値引き交渉も自分でできるようにしたい。
まだ冬まで時間があるし、買いすぎてしまった分を含め、次回以降で調整するとしよう。
商人は思った以上に荷馬車の品物が売れたと、ホックホクである。
「坊ちゃん、次に来る時、欲しいものとかあるかい?」
「新しい鞄とかリュック……その、ずっと修理しながら使ってたんだけど、この前魔物の攻撃が掠って大穴あいちゃったんだ。これを機に新調しようかなって」
鞄やリュックが欲しいのは本当だ。いつの間にか指が三本くらい貫通する穴が開いていた。
「なるほどなるほど! 良い物を見繕っていくつか持ってこよう!」
どうやらシンを上客として認識したようだ。それから、剥製を山ほど幌馬車に積んで、商人は村から出て行った。
馬車を見送っているとハレッシュが「そういえば」と、思い出したように口を開いた。
「シン、ちょっと前に庭先でバタバタしてなかったか?」
「ゴブリンモンキーが僕の非常食を食い漁っていたので、ぶっ殺してました」
「はぁ!? ゴブリンモンキー? あれか、緑色の手足の長い奴か!」
ぎょっと目を剥いたハレッシュが、大きな手でシンの両肩を掴んでゆっさゆっさと揺らしてくる。
かなりワイルドなやり方だが、ハレッシュに悪気はない。
シンはガクガク揺さぶられながら、「はい」と返事をした。
「死体は!? ゴブリンモンキーはまだ剥製にしたことがないんだ!」
「ギルドに渡しちゃいました」
「あぁああああ! アイツら、年に一度見られるかどうかってくらい珍しいんだよ! 村に来るなんて、数年に一回あるかないかだぞ!?」
盛大に頭を抱えていたハレッシュだったが、急にはっとなると「ちょっとギルドに分けてもらえるか聞いてくる!」と言い残して走り去っていった。
「元気だなぁ……」
シンはぼっさぼさになった頭を手櫛で直しながら、ぼんやりハレッシュを見送る。
当初の予定よりも出発が遅くなったものの、シンはそれからようやくご神体代わりの石探しに出かけたのだった。
◆
とりあえず、川縁にやって来たシン。
たくさんの石がごろごろとしているが、鉱山でもないのに、宝石なんてそう簡単に見つかるはずがない。川の流れで転がって角が取れた石はたくさんあるものの、どれも普通の石である。
試しにスマホをかざして調べてみる。
しかし、ほとんど『石』としか出ない。何度もやっていると、『石』の後ろに『砂岩』『礫岩』『泥岩』『チャート』『石灰岩』『凝灰岩』と、色々出てくるようになった。
もちろん、場所によっては貴石の類が落ちているところもあるはずだ。しかし、そういうのは人の手が入っていない未開の地だけだろう。
真珠や宝石探しができる観光名所などもシンの記憶にはあったが、大体が宝石にならないものしか見つからない場合が多い。それに、大きな原石でも、磨いて価値が出るのは奥のほんのわずかな部分だけというパターンも少なくないらしい。
シンは石を探しながら川辺の巨石の上をひょいひょいと歩く。
転生して小さくなったが、以前より運動神経は良くなった気がする。一際大きな石の上に座り、スマホで自分のステータスを確認する。
最初に見た時は一桁二桁の数字が並んでいた気がしたのだが、今は明らかに桁数が増えている。
(といっても、この世界の基準がわからない……。女神のギフトスキル『成長力』の恩恵も多いんだろうけど……)
所持スキルはとんでもないくらい増えていた。
(そういえば、冒険を初めた時とか、タニキ村に来て本格的に狩りを始めた頃に鬱陶しいくらいピロポロラッシュ通知が来ていた気がするけど、シカトしていたからすっかり忘れていた)
辞書か辞典というレベルにみっちり並ぶスキル乱舞を見て、一瞬にして読む気が失せた。
(わかりやすく統合してほしいな)
ななどと考えていると、スマホ画面に通知が出る。
スキルの統合・最適化をしますか?
類似のスキルをまとめることにより、スキルが整理されます。
また、統合によりランクアップするスキルがあります。
> YES
NO
「そりゃまあ……YESだろう」
すると、スマホの表示がロード画面になった。一瞬にして実行されるわけではないらしく『二十八時間かかります。その間、スキルは統合前の状態で継続して使用できます』とメッセージが出た。ある意味あの幼女女神らしい鈍足ぶりだ。
(長い。一日オーバーとか、普通に待ってられない。放置しよう)
シンはスンと真顔になったものの、軽く嘆息してスマホを荷物に仕舞って歩き出した。
しばらく石を探しながら歩き回るが、なかなか目ぼしいものは見つからない。
だが、食べられる野草や山菜をちまちまとっていくだけでも十分楽しい。綺麗な水辺にしか生えない薬草や香草もあったので、ギルドに納品できそうだ。
バチャンと大きな水音に振り向くと、川の中に魚影が見えた。シンの体の半分はありそうだ。
(上手く行くかな?)
手をピストルの形にして指先に魔力を集め、水面に狙いを定める。
シンが放った雷魔法は、火花の如き輝きを纏いながら、ジジジと鳥のさえずりを幾重にも重ねたような音を立てて飛んでいく。
水面に当たった瞬間に魔法が弾け、雷撃の網が広がる。ややあって、水面に一つ、また一つと魚が浮いてきた。それを水魔法で手繰り寄せると、二十匹は捕まえることができた。
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