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1巻
1-8
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◆
やると言っていた課題をやっていなかった馬鹿犬にきっちりお灸をすえたシンは、山を探索していた。彼は今、グレイボアの退治依頼を受けている。
湿地で泥浴び中のボアを、気配を殺しながら観察する。
ボアたちは機嫌が良さそうにブルブルと尻尾を振って、泥の中に体を突っ込んで擦りつけていた。
シンはそっと矢を番えて放つ。
眉間に矢が刺さって、一匹のグレイボアがばったりと絶命した。さらに、シンが立て続けに放った矢も別のグレイボアを襲う。
異変に気づき、自分たちが狙われていると認識したグレイボアたちは、いっせいに逃げ出そうとして動き出すが、目、首などの防御の薄い部分を的確に撃ち抜かれ、次々と倒れ伏す。
数匹は逃げてしまったが、これだけ仲間が倒されれば、しばらくこちらに来ようとは思わないだろう。農作物が荒らされることもないはずだ。
(……こんなものかな)
結局、シンが仕留めたのは七匹。干し肉は余剰在庫がたっぷりあるので、自分では回収せずに同行している村人数人にそのまま引き取ってもらう。肉を提供する代わりに、無料で運び手になってくれた。
狩りが終わった合図として、シンはケムリタケを燻して狼煙を上げる。あまり大人数で近づきすぎると、ボアたちに気づかれる恐れがあるので、麓で待っていてもらっていたのだ。
「大した腕だな! シン! こんなに貰っていいのか?」
感嘆の声を上げる同行者たち。彼らとはここでお別れだ。
「はい、僕はちょっと探したいものがあるので、先にギルドに戻って報告をお願いします。その、いつも狩っているやつより運ぶのが大変ですので……」
「シン、倒した中にブラウンボアもいるけど、これ、本当に貰っていいのかい!?」
何故かポメラニアン準男爵まで同行者に交じっている。
領主であろうと清貧を強いられているのを知っているため、シンはあえて突っ込まなかった。
「どうぞ、領主様。バ……ティル殿下にでもお召し上がりいただければと思います」
とりあえず食料ノルマはクリアしたので、シンはさらに山に入っていく。
ずっとお預けになっていたソープナッツ探しだ。
途中、むかごを見つけたので摘み取った。むかごがあれば地下に山芋があるので、当然これも採取する。シャベルは持っていなかったが、土魔法で盛大に土を掘り返して、ちょっとずつ水で採掘したら、横幅五センチ、長さ百センチほどの立派な山芋が出てきた。
道すがら、モミジイチゴやコケモモ、ヤマモモも採取する。
コケモモやヤマモモは生食には向かないが、ジャムや酒漬けにできる。果実の香りと酸味であまり質の良くない赤砂糖の雑味を誤魔化すのに最適だ。日本産の上白糖やグラニュー糖が基準のシンにとっては、赤砂糖単体だと質が悪く感じられた。
とはいえ、食べられるものがあるのは良いことだ。この世界の季節感はよくわからないが、多くとりすぎた分は小出しにして配ればいいので、シンはガンガンバッグに入れていった。
そもそもファンタジー要素がある世界では、シンが知っている季節なんて関係ないかもしれない。
多少の常識は疑ってなんぼだ。
食料だけでなく、薬草に使うハーブ系の植物も採取する。バジルにレモンバームやペパーミント、ローズマリー。
一応、各家の庭先にもあるのだが、野外で採取した方が品質は高い。庭先に植えっぱなしで放置されたものと、大自然で育ったものとでは、何か違うのだろうか。
そのままちょこちょこと採取をしながら移動し続けたが、結局お目当てのソープナッツは見つからなかった。
(うーん……この辺にはソープナッツはないのかな。一応、村の人たちにも石鹸代わりになる木の実とかないか聞いたけど、そもそも石鹸そのものに馴染みが薄いみたいで、詳しくはわからなかったし……)
ソープナッツ以外は結構な量の収穫があった。定期的に売り捌いたり、譲ったり、ギルドに納品したりはしているが、これでは増える一方だ。
タニキ村近隣の山は豊かとはいえ、あまりにホイホイ納品していると、不審がられるかもしれない。一般人から逸脱しまくった、子供としてあるまじきシンの能力が明るみに出てしまう。
しかも運が悪いことに、権力直送便になりそうなティルレインがいる。
下手にバレたくない――などと考えながら歩いていると、背後で木の葉が不自然に音を立てた。
振り返ってみても何の変哲もない茂みが見えるだけだったが、シンの中の危機察知能力が警報を鳴らしている。
「……気のせい……じゃない!」
素早く弓を構え、矢を連続で放つ。熟練の早業と言えるほどの乱れ撃ちだった。
矢は茂みの中に吸い込まれ、カカカッと乾いた音を立てた。
(木の幹に当たった? そんなわけない。灌木の細い枝や幹に当たってもあの音は出ない。それに、あんな灌木であれば、一本くらい抜けておかしくないのに! でも、茂みから気配が動いた様子はない……どういうことだ!?)
今、シンの周囲に他の人間はいない。
ならば遠慮なく魔法も使えるだろう。動物やそれに近い魔物であれば、火魔法が効果的だ。だが、青々としているとはいっても森林のど真ん中で無闇に火魔法を使うのは愚の骨頂。自分が火や煙に巻かれてしまっては元も子もない。
かといって、下手に水を撒けばぬかるんだ地面に足を取られるし、土魔法も、不自然に足場を隆起させて移動や視界を妨げる可能性がある。いずれも相手の姿を捉えていない状況で使うにはリスクが高い。
(となると、鋭さのある攻撃は――風!)
シンは魔力を練り上げ、無数の風の刃を叩きつけた。同時に自分の周囲の木々を薙ぐ。無意味な森林伐採は気が引けるが、ここは鬱蒼としすぎていて、囲まれたら困るのはシンだ。
「Gyuooooaaaaa!」
形容しがたい咆哮を上げたのは……なんと、灌木の後ろにあった大木だった。
根っこや枝が軟体動物のようにうねうねと動き、傷ついた幹を恨めしそうに庇う。
木の洞に見えたのは口で、節が裂けてがらんどうの目が現れる。
うぞぞぞ、とシンに背筋に何とも不快な寒気が走った。未知との遭遇の喜びより、得体のしれないモノと出会ってしまった恐怖が勝る。
樹木の魔物は枝を鞭のようにしならせ、シンを狙ってきた。魔物とはいえ、植物のくせに、明らかに取って食おうとしている。
「うわ! キモ! キッモ! マジ来るな!」
シンの反応は大嫌いなゴキブリを発見した時と同じものだった。しかも小さいものではなく、成虫サイズの大きなヤツを見つけた時と同レベルの――つまり、最大級の拒否反応である。
「森林火災、ダメ絶対」の心がけなど、あっという間に抜け落ちてしまった。
ひゅんひゅんびしばし叩きつけてくる枝の鞭や根っこの連撃・追撃を回避して、シンは手の平いっぱいに魔力を込める。
魔力に物を言わせて凝縮した火炎玉を作り出し、殺虫剤を噴射するようにスパーンと叩きつけた。
「Kyuoxiiiiii―――――!」
樹木の魔物は耳障りな悲鳴を上げながら燃え盛る。
しばらくのたうっていたが、やがて巨体をずずんと力なく地面に倒れ伏した。
念のため、風魔法で滅多切りにして、遠くからツンツンと突いて全く反応がないのを確認してから近付く。
シンは俺TUEEEEEE系主人公でも、圧倒的な力を持ったヒール属性でもない。ちょっと女神からの押し付けギフト多めで時々毒舌が漏れる小市民である。心は永遠の庶民のつもりだ。つまりは小者ポジション。どれだけ慎重になっても足りないくらいだ。
ふと、その魔物の根っこの付近の地面に目を向けると、無数の骨が落ちているのが見えた。猪や鹿のような骨もあれば、頭蓋骨の中心に尖った角のついた魔物らしき骨もいくつかある。そして、人間のものと思しき遺骨も結構あった。
(うわぁ……幼女女神にギフト貰っておいてよかった……)
どれがどれくらい役に立ったかは不明だが、少なくとも回避は大活躍した。
普段のシンの狩りは、獲物を追い立てるのではなく、忍び寄って仕留めるタイプだ。今回みたいにタイマンを張るのも、正面でやり合うのも得意ではない。
半分消し炭みたいになっているが、ぶすぶすと煙を上げている魔物をスマホで調べたところ『マーダーウッド?』という種類だった。
判定に「?」とつくのは、火魔法でかなりダイナミックに焼失しているため、明確な種族が割り出せなかったのだろう。それにしても、殺人樹木とは実にわかりやすい名前だ。襲われたシンは確かにその通りだと頷く。
一応消火活動として水の魔法をぶっかけると、まだ熱を持っていた部分がジュウジュウと音を立てた。また、一部焼け落ちて脆くなった樹皮などは水圧で吹っ飛んだ。
(ん? 何だこれ)
幹の中から緑色の宝石のようなものが出てきた。
スマホでチェックすると、魔石だった。魔力を溜め込んだ魔物や、強い魔物を倒した場合、体内から見つかることがあるらしい。
正直、シンは魔石よりソープナッツが欲しかったし、食べられるものや、生活に利用できるものの方がありがたい。
そう思いながら幹を蹴倒すと、上部の枝から実のようなものが転がってきた。
大玉スイカよりは小さいが、メロンよりは大きい。強いて言うならヤシの実サイズ。胡桃に似ているので食べられるものだろうか。近くの石に叩きつけると、中から出てきたのは百個近い胡桃。明らかに物理法則を無視した勢いで出てくるが、シンは異世界ファンタジーという魔法の言葉で、違和感を押し流す。
煎ればおやつになると思い、バッグに詰めようとしたところで、マーダーウッドにその大きな胡桃のような木の実が無数についていることに気がついた。
異空間バッグは中身が劣化しないので、腐敗の心配はない。
(全部詰めておこう)
貧乏性のシンだった。
二つ目も叩きつけて壊したところ、どういうわけか今度は違うものが出てきた。
シンは出てきたたくさんの蜂蜜色の粒に思わず「え?」と首を傾げる。
(うわ、ナニコレ、色ガラス? 甘い匂いがする……これ、メープルシロップ!?)
スマホによると、その名も『メープルドロップ』。蜂蜜のような濃厚な甘さと、癖のない香りが特徴だ。もしかすると、一つ一つ中身が違うのかもしれない。シンはとりあえずメープルドロップを鞄に詰めて、次の木の実に手を伸ばす。
結論から言うと、中身は違った。
丸ごと中身が琥珀のものや、胡椒などの香辛料がみっちり入っていたもの、『オイルナッツ』という油の塊の木の実もあった。
胡桃以外にもカシューナッツやアーモンド、クコの実といった普通の食べ物入りもあって、これらはハズレ枠なのか、割とたくさん出てきた。
完全に宝くじやガチャでもやっている気分だ。
課金の代わりに討伐という名の投資でできるので、気兼ねなく開けられて楽しい。
その中に、中身が真っ白な、見たことのない実があった。
(ん……? 甘いような爽やかなこの匂いって……)
中身は固いが爪で削れる程度だ。油にも似た粘りと滑りの中間の触り心地。
覚えのある良い匂い。シンは試しにぺろりと舐めてみたが、その苦さに思わず吐き出す。毒ではないが、食用でもない。そして、口の中が泡だらけになった。
思わずスマホをかざして調べる。
セケンの実:高級石鹸の原材料。魔力のある場所でしか育たないため貴重品。
「ファンタジィイイイイイイイ!」
慟哭にも近い絶叫を上げ、脱力するシン。
そう。ここは異世界。日本の常識――いや、前の世界の常識すら通用しない。
シンが事前に調べていた石鹸代わりの実どころか、石鹸そのものの木の実が存在したのだ。
実は、セケンの実は超高級品の部類に入る。ソープナッツの方が安価であり、一般の流通量が多いから、情報が出てきやすかったらしい。
(……こんなのありか。ありなんだ。だって異世界だもの!!)
ちょっともやっとするが、念願のソープナッツ……の上位互換であるセケンの実を手に入れられたのは嬉しかった。
魔物とはいえ、一応は木に生っていたようだし、植物由来だから環境には優しいはずだ。
一応、あの奇妙な樹木の魔物はギルドに報告しておくべきだろう。
(面倒だから、もう死んでいたって設定にしよう。いや、この辺にアレを倒せるほどの強い魔物がいると勘違いされて、警戒態勢組まれたり調べられたりしたら困るな。一応全部焼き払っておいたけど)
嘘にはほんの少しだけ真実を混ぜるのが効果的だ。
◆
タニキ村に戻ってギルドに寄ったシンは、たくさん手に入れたナッツ類を納品した。
胡桃はともかく、カシューナッツやアーモンドは結構高値で引き取ってもらえた。このあたりでは珍しいようだ。
だが、当然ギルド職員に入手経路を尋ねられる。
「こんなのどうやって手に入れたんだい?」
「なんか樹木っぽい魔物に襲われかけたんですけど、沢から滑って勝手に転落死したんですよ」
「植物の魔物ってぇと、マーダーウッドやキラープラントか? 運が良かったな。アイツら、森の中に溶け込んで擬態していると、本当にわからないからなあ」
ギルドの受付の男性が顔を歪めた。結構ヤバい部類らしい。
確かに、それなりに勘が鋭いはずのシンですら、森の中ではすぐに看破できなかった。
「討伐証明部位ってあるんですか?」
「根っこにある芋みたいな塊だな。あれが核なんだが……ぶっちゃけ、取り出すのがすごく面倒なんだ。ただ、実といい体といい、全部が食材や木材になるから、できるだけ全身持ってきた方がいいぞー……持ってこられたら」
「そうですねー、持ってこられたら」
あの魔物は文字通り樹木サイズ。大人でも余程の怪力でなければ運ぶのは無理だ。子供にはなおさらである。
「マジックバッグ的な物や、空間魔法やスキルがないと難しいんだよな。グレイボアとは違う意味で需要が高い。……ああいった魔物から取れる木材は高品質だから、貴族の家や船の材料として高値で取引されるんだ」
シンは自分の腕を見て、自力で運んだことにするのは無理だと判断した。
しかし、異空間バッグの存在はまだ隠したい。神様から貰った稀少スキルだ。シンはそれとなく探りを入れる。
「マジックバッグや、その手の運搬系の魔法やスキルは貴重なんですか?」
「貴重だな。マジックバッグなんて代物、滅茶苦茶高いぞ。貴族の使用人をやるにも、商売に使うにもすごく便利だしな。上級冒険者のパーティなんかは、そういった手段を持っているか否かで需要がだいぶ変わる」
女神の贈り物は無限大の収容サイズに、品質保持機能付きだ。劣化がない。かなりレアスキルなのは間違いない。
話によれば、リュックサイズでもかなり重宝されるという。旅行鞄サイズであれば、どこの商人も雇いたがるほどで、馬車サイズまでいけば、いるだけで給料がもらえるレベルらしい。
(うーん、運び屋かぁ……)
生活に困った際の最終手段の一つとして頭に入れておくのもいいかもしれない。
「シン、もしかしてマジックバッグが欲しいのかい?」
考え込むシンを見て、受付の男性が聞いた。
「あるんですか?」
「ないない。こんなド田舎で手に入るほどありふれたものじゃないんだよ。そんな貴重品は王都の一級魔法道具を扱っている店くらいだ! 冒険者や商人まで、需要はどこでもあるが、それに対して実物が少ないんだ。持っているとしたら、王侯貴族だな。稀にダンジョンや遺跡から出てくるから、そういう物をオークションで競り落として使う奴もいる」
この手の質問は多いのか、ギルド職員はすらすらと自慢げなくらいに答えてくれた。
(たっはー、やっぱりないのか……)
シンは笑いとため息の混じった表情になる。社会人目社畜科ブラック属のシンではあるが、日本人らしいアルカイックスマイルは健在だ。これにより、人のよさそうな人間を演じている。
タニキ村では、若年にして大人顔負けの狩りの腕もあり、地位は低くない。さすがに村全部の食糧を賄うのは無理でも、勤勉に働く様は周囲に評価されている。
あと数年したら娘を嫁がせるか、婿に欲しいと思っている家は少なくない。
とりあえずスローライフをエンジョイ中のシンは、あまりそのあたりは考えていない。
体がモロに義務教育範囲内の姿なので、余計そう思っているのかもしれない。
「領主様のお屋敷に、えっらい貴族様がいるんだろ? シンを気に入っているって話じゃねーか。その人に頼んだらどうだ?」
「ダメです。あの馬鹿殿下は頭のねじが全てぶっ飛んで、そこにお花の球根が刺さって花盛りです。下手すりゃとんでもない面倒事まで一本釣りしかねません」
「……まあ、頑張れ」
シンがナイナイと手を顔の前で振ると、職員のおじさんも微妙な顔になった。色々と苦労を察したのかもしれない。
「そうだ、シン! お前そろそろランクアップしそうだぞ! 採取も討伐も色々やってくれていただろう?」
ほとんど食糧確保の延長だが、確かに片っ端から依頼を受けていた。
山か川に行けば大抵一つは依頼達成になるのだ。
田舎なので、依頼料は大したものではないが、実績数としてはかなりである。
また、田舎村にちょうど良い納品依頼が王都から出ることもあり、ほぼ毎日のように依頼を達成していた。
よくあるのが羽の採取依頼などだ。色鮮やかで、大きな羽が珍重されて高値で引き取ってもらえる。それらは淑女の扇や、帽子の羽飾り、豪華な羽ペンなどに使われるという。
異世界だけあって、南国ばりに色鮮やかな羽根を見つけることがある。
カワセミのように色鮮やかな青色で腕ほどの長さがある羽や、緋色交じりの黄金色の羽などは、最近高く売れた。
(そろそろまたティル殿下が駄犬よろしく騒ぎはじめそうだし、宝物探しってことで羽探しでもさせるか……)
山を登らせるのは難しいかもしれないが、馬に乗せて川の上流に向かうくらいはできるだろう。
(……僕は何で異世界に来てまで、育児をしているんだ?)
シンの実年齢は結婚して子供がいてもおかしくないくらいだ。だからと言って、自分よりも外見がでかい駄犬を躾けながら育てなくてはいけない理由はない。
放置しすぎて暴走したティルレインの尻拭いに奔走などはしたくなかったが、あれが究極に駄々をこねだしたら、結局呼び出されるのはシンだろう。
「どうした、シン?」
「あ、すみません。思考が飛んでました」
「疲れているのか? いっつも動いているし、休みたくなったら休んどけ」
「いえ。さっき言ってたランクアップのお話を聞きたいです」
「ああ。採取系の仕事はみっちりやってるし、討伐もボア系、ゴブリン系、昆虫系なんかをやっている。……今回、あのマーダーウッドの討伐証明部位があれば、ランクアップだったんだがな。要は、今までやったことがない種類の魔物の討伐か、Fランク相当の依頼達成が、昇格の条件だ」
「うーん、別に急いでいるわけではないですしね」
「宝石草の種の採取なんかは実入りがいいぞ。その名の通り、宝石みたいな花が咲く。種の見た目は宝石そのもの。ただ、崖っぷちとか森の奥深くとか、険しい場所にしかないな。そもそも人里近くのは全部取られきられているから」
「いくつか参考にしてみます」
どこの世界も欲望によって乱獲される動植物はあるようだ。確か前の世界でも、とある島で、その島固有の動物が乱獲されて絶滅した例があった。
それどころか、一つの大きな山が金目当てに掘り尽くされて、真ん中からカチ割ったような姿になってしまった……なんて話もあったはずだ。しかも、ショベルカーやトラックがない時代に、人の手によってなされたことだ。百パーセント人力な、強欲の所業である。
むなしさを覚えながらも手頃な依頼を探していると、一つのカードが目に留まった。
吊り上がった目でこちらを見ながら吠えている猿の絵が描かれている。
「なんですか、このゴブリンモンキーって……」
「ここ最近作物が荒らされているんだよ。まだ数匹の群れだからいいが、数が増えると人間を襲うようになる。一見すると緑色の猿で、とにかくうるさいからミドリホエザルとも言われている」
「へえー」
「すばしっこくて追いかけるのは無理だから、できればシンかハレッシュに頼みたいところなんだ。弓が使えると討伐も楽だからな」
まだ十匹にも満たない群れらしいが、猿だけあってなかなかに動きが俊敏で、次々と山を移動していくらしい。シンとしては受けてもいい依頼だが、どこで出るのかはわからなかった。
「見つけたら討伐してきますね」
依頼カードを指ではじいて、シンはギルドを後にした。
去り際に、ベテラン冒険者という名の飲んだくれに「頼んだぞー」などとちょっと冷やかされたが、軽く手を振って返事をしておく。
家に帰る途中、シンは女神の祭壇を造る相談をするために、ベッキー家にお邪魔した。相変わらず肉の人扱いされたが、胡桃をお裾分けすると、それはそれで喜ばれた。
早速、大工のガランテに祭壇の件を聞いてみる。
すると、彼はあっさり頷いた。
「いつも世話になってるし、俺が造ってやる。シンが隣に住むようになって、カロルもシベルも真似して働くようになったからな」
日頃のお裾分けが色々と功を奏したらしい。
本当は歪だろうが自分で造るつもりだったのだが、ありがたいお言葉でそのまま頼むことにした。
フォルミアルカだって、御神体に歪なこけしモドキを置かれた、犬小屋のような祭壇よりも、ちゃんとしたものがいいだろう。
シンは家に帰った後も考えていた。
一応はお世話になっている女神の祭壇であるし、あの不遇ぶりからして、まともに信仰されていないのだろう。最高神のはずなのに。
さすがに立派な神殿などは建てられないが、小さいながらも良い感じのものを造ってあげたい。
(うーん、祭壇っていうんだから、ちゃんとした敷物とか小物とかも用意した方がいいのか?)
どうしても神棚っぽいものを想像してしまう、日本人のシンである。
神様のための祭壇であるし、間違いではないが。
といっても、月に数度、行商人や流れの旅商人が来る程度のこんなど田舎に、コースターやランチョンマットなどの洒落た敷物は売っていない。
既製品がないなら、自分で糸を編むか、布を縫って作るかだ。
考え事を一段落して窓の外を見ると、いつの間にか薄暗くなっていた。
ふと、何かが動いたような気がして、シンは目を凝らす。
外に干していた肉に、何者かが手を伸ばしていた。
緑色の毛に覆われたその手は明らかに毛深く、人間のものではなかった。
シンの目から光が消え失せ、その代わりに殺意の波動が「めっちゃ仕事する」とログインする。弓と矢筒をそっと取って表へ行き、全力で気配遮断をして数を数える。
一、二、三、………全部で六匹だ。
無慈悲な殺意が弓矢に乗って放たれる。
やると言っていた課題をやっていなかった馬鹿犬にきっちりお灸をすえたシンは、山を探索していた。彼は今、グレイボアの退治依頼を受けている。
湿地で泥浴び中のボアを、気配を殺しながら観察する。
ボアたちは機嫌が良さそうにブルブルと尻尾を振って、泥の中に体を突っ込んで擦りつけていた。
シンはそっと矢を番えて放つ。
眉間に矢が刺さって、一匹のグレイボアがばったりと絶命した。さらに、シンが立て続けに放った矢も別のグレイボアを襲う。
異変に気づき、自分たちが狙われていると認識したグレイボアたちは、いっせいに逃げ出そうとして動き出すが、目、首などの防御の薄い部分を的確に撃ち抜かれ、次々と倒れ伏す。
数匹は逃げてしまったが、これだけ仲間が倒されれば、しばらくこちらに来ようとは思わないだろう。農作物が荒らされることもないはずだ。
(……こんなものかな)
結局、シンが仕留めたのは七匹。干し肉は余剰在庫がたっぷりあるので、自分では回収せずに同行している村人数人にそのまま引き取ってもらう。肉を提供する代わりに、無料で運び手になってくれた。
狩りが終わった合図として、シンはケムリタケを燻して狼煙を上げる。あまり大人数で近づきすぎると、ボアたちに気づかれる恐れがあるので、麓で待っていてもらっていたのだ。
「大した腕だな! シン! こんなに貰っていいのか?」
感嘆の声を上げる同行者たち。彼らとはここでお別れだ。
「はい、僕はちょっと探したいものがあるので、先にギルドに戻って報告をお願いします。その、いつも狩っているやつより運ぶのが大変ですので……」
「シン、倒した中にブラウンボアもいるけど、これ、本当に貰っていいのかい!?」
何故かポメラニアン準男爵まで同行者に交じっている。
領主であろうと清貧を強いられているのを知っているため、シンはあえて突っ込まなかった。
「どうぞ、領主様。バ……ティル殿下にでもお召し上がりいただければと思います」
とりあえず食料ノルマはクリアしたので、シンはさらに山に入っていく。
ずっとお預けになっていたソープナッツ探しだ。
途中、むかごを見つけたので摘み取った。むかごがあれば地下に山芋があるので、当然これも採取する。シャベルは持っていなかったが、土魔法で盛大に土を掘り返して、ちょっとずつ水で採掘したら、横幅五センチ、長さ百センチほどの立派な山芋が出てきた。
道すがら、モミジイチゴやコケモモ、ヤマモモも採取する。
コケモモやヤマモモは生食には向かないが、ジャムや酒漬けにできる。果実の香りと酸味であまり質の良くない赤砂糖の雑味を誤魔化すのに最適だ。日本産の上白糖やグラニュー糖が基準のシンにとっては、赤砂糖単体だと質が悪く感じられた。
とはいえ、食べられるものがあるのは良いことだ。この世界の季節感はよくわからないが、多くとりすぎた分は小出しにして配ればいいので、シンはガンガンバッグに入れていった。
そもそもファンタジー要素がある世界では、シンが知っている季節なんて関係ないかもしれない。
多少の常識は疑ってなんぼだ。
食料だけでなく、薬草に使うハーブ系の植物も採取する。バジルにレモンバームやペパーミント、ローズマリー。
一応、各家の庭先にもあるのだが、野外で採取した方が品質は高い。庭先に植えっぱなしで放置されたものと、大自然で育ったものとでは、何か違うのだろうか。
そのままちょこちょこと採取をしながら移動し続けたが、結局お目当てのソープナッツは見つからなかった。
(うーん……この辺にはソープナッツはないのかな。一応、村の人たちにも石鹸代わりになる木の実とかないか聞いたけど、そもそも石鹸そのものに馴染みが薄いみたいで、詳しくはわからなかったし……)
ソープナッツ以外は結構な量の収穫があった。定期的に売り捌いたり、譲ったり、ギルドに納品したりはしているが、これでは増える一方だ。
タニキ村近隣の山は豊かとはいえ、あまりにホイホイ納品していると、不審がられるかもしれない。一般人から逸脱しまくった、子供としてあるまじきシンの能力が明るみに出てしまう。
しかも運が悪いことに、権力直送便になりそうなティルレインがいる。
下手にバレたくない――などと考えながら歩いていると、背後で木の葉が不自然に音を立てた。
振り返ってみても何の変哲もない茂みが見えるだけだったが、シンの中の危機察知能力が警報を鳴らしている。
「……気のせい……じゃない!」
素早く弓を構え、矢を連続で放つ。熟練の早業と言えるほどの乱れ撃ちだった。
矢は茂みの中に吸い込まれ、カカカッと乾いた音を立てた。
(木の幹に当たった? そんなわけない。灌木の細い枝や幹に当たってもあの音は出ない。それに、あんな灌木であれば、一本くらい抜けておかしくないのに! でも、茂みから気配が動いた様子はない……どういうことだ!?)
今、シンの周囲に他の人間はいない。
ならば遠慮なく魔法も使えるだろう。動物やそれに近い魔物であれば、火魔法が効果的だ。だが、青々としているとはいっても森林のど真ん中で無闇に火魔法を使うのは愚の骨頂。自分が火や煙に巻かれてしまっては元も子もない。
かといって、下手に水を撒けばぬかるんだ地面に足を取られるし、土魔法も、不自然に足場を隆起させて移動や視界を妨げる可能性がある。いずれも相手の姿を捉えていない状況で使うにはリスクが高い。
(となると、鋭さのある攻撃は――風!)
シンは魔力を練り上げ、無数の風の刃を叩きつけた。同時に自分の周囲の木々を薙ぐ。無意味な森林伐採は気が引けるが、ここは鬱蒼としすぎていて、囲まれたら困るのはシンだ。
「Gyuooooaaaaa!」
形容しがたい咆哮を上げたのは……なんと、灌木の後ろにあった大木だった。
根っこや枝が軟体動物のようにうねうねと動き、傷ついた幹を恨めしそうに庇う。
木の洞に見えたのは口で、節が裂けてがらんどうの目が現れる。
うぞぞぞ、とシンに背筋に何とも不快な寒気が走った。未知との遭遇の喜びより、得体のしれないモノと出会ってしまった恐怖が勝る。
樹木の魔物は枝を鞭のようにしならせ、シンを狙ってきた。魔物とはいえ、植物のくせに、明らかに取って食おうとしている。
「うわ! キモ! キッモ! マジ来るな!」
シンの反応は大嫌いなゴキブリを発見した時と同じものだった。しかも小さいものではなく、成虫サイズの大きなヤツを見つけた時と同レベルの――つまり、最大級の拒否反応である。
「森林火災、ダメ絶対」の心がけなど、あっという間に抜け落ちてしまった。
ひゅんひゅんびしばし叩きつけてくる枝の鞭や根っこの連撃・追撃を回避して、シンは手の平いっぱいに魔力を込める。
魔力に物を言わせて凝縮した火炎玉を作り出し、殺虫剤を噴射するようにスパーンと叩きつけた。
「Kyuoxiiiiii―――――!」
樹木の魔物は耳障りな悲鳴を上げながら燃え盛る。
しばらくのたうっていたが、やがて巨体をずずんと力なく地面に倒れ伏した。
念のため、風魔法で滅多切りにして、遠くからツンツンと突いて全く反応がないのを確認してから近付く。
シンは俺TUEEEEEE系主人公でも、圧倒的な力を持ったヒール属性でもない。ちょっと女神からの押し付けギフト多めで時々毒舌が漏れる小市民である。心は永遠の庶民のつもりだ。つまりは小者ポジション。どれだけ慎重になっても足りないくらいだ。
ふと、その魔物の根っこの付近の地面に目を向けると、無数の骨が落ちているのが見えた。猪や鹿のような骨もあれば、頭蓋骨の中心に尖った角のついた魔物らしき骨もいくつかある。そして、人間のものと思しき遺骨も結構あった。
(うわぁ……幼女女神にギフト貰っておいてよかった……)
どれがどれくらい役に立ったかは不明だが、少なくとも回避は大活躍した。
普段のシンの狩りは、獲物を追い立てるのではなく、忍び寄って仕留めるタイプだ。今回みたいにタイマンを張るのも、正面でやり合うのも得意ではない。
半分消し炭みたいになっているが、ぶすぶすと煙を上げている魔物をスマホで調べたところ『マーダーウッド?』という種類だった。
判定に「?」とつくのは、火魔法でかなりダイナミックに焼失しているため、明確な種族が割り出せなかったのだろう。それにしても、殺人樹木とは実にわかりやすい名前だ。襲われたシンは確かにその通りだと頷く。
一応消火活動として水の魔法をぶっかけると、まだ熱を持っていた部分がジュウジュウと音を立てた。また、一部焼け落ちて脆くなった樹皮などは水圧で吹っ飛んだ。
(ん? 何だこれ)
幹の中から緑色の宝石のようなものが出てきた。
スマホでチェックすると、魔石だった。魔力を溜め込んだ魔物や、強い魔物を倒した場合、体内から見つかることがあるらしい。
正直、シンは魔石よりソープナッツが欲しかったし、食べられるものや、生活に利用できるものの方がありがたい。
そう思いながら幹を蹴倒すと、上部の枝から実のようなものが転がってきた。
大玉スイカよりは小さいが、メロンよりは大きい。強いて言うならヤシの実サイズ。胡桃に似ているので食べられるものだろうか。近くの石に叩きつけると、中から出てきたのは百個近い胡桃。明らかに物理法則を無視した勢いで出てくるが、シンは異世界ファンタジーという魔法の言葉で、違和感を押し流す。
煎ればおやつになると思い、バッグに詰めようとしたところで、マーダーウッドにその大きな胡桃のような木の実が無数についていることに気がついた。
異空間バッグは中身が劣化しないので、腐敗の心配はない。
(全部詰めておこう)
貧乏性のシンだった。
二つ目も叩きつけて壊したところ、どういうわけか今度は違うものが出てきた。
シンは出てきたたくさんの蜂蜜色の粒に思わず「え?」と首を傾げる。
(うわ、ナニコレ、色ガラス? 甘い匂いがする……これ、メープルシロップ!?)
スマホによると、その名も『メープルドロップ』。蜂蜜のような濃厚な甘さと、癖のない香りが特徴だ。もしかすると、一つ一つ中身が違うのかもしれない。シンはとりあえずメープルドロップを鞄に詰めて、次の木の実に手を伸ばす。
結論から言うと、中身は違った。
丸ごと中身が琥珀のものや、胡椒などの香辛料がみっちり入っていたもの、『オイルナッツ』という油の塊の木の実もあった。
胡桃以外にもカシューナッツやアーモンド、クコの実といった普通の食べ物入りもあって、これらはハズレ枠なのか、割とたくさん出てきた。
完全に宝くじやガチャでもやっている気分だ。
課金の代わりに討伐という名の投資でできるので、気兼ねなく開けられて楽しい。
その中に、中身が真っ白な、見たことのない実があった。
(ん……? 甘いような爽やかなこの匂いって……)
中身は固いが爪で削れる程度だ。油にも似た粘りと滑りの中間の触り心地。
覚えのある良い匂い。シンは試しにぺろりと舐めてみたが、その苦さに思わず吐き出す。毒ではないが、食用でもない。そして、口の中が泡だらけになった。
思わずスマホをかざして調べる。
セケンの実:高級石鹸の原材料。魔力のある場所でしか育たないため貴重品。
「ファンタジィイイイイイイイ!」
慟哭にも近い絶叫を上げ、脱力するシン。
そう。ここは異世界。日本の常識――いや、前の世界の常識すら通用しない。
シンが事前に調べていた石鹸代わりの実どころか、石鹸そのものの木の実が存在したのだ。
実は、セケンの実は超高級品の部類に入る。ソープナッツの方が安価であり、一般の流通量が多いから、情報が出てきやすかったらしい。
(……こんなのありか。ありなんだ。だって異世界だもの!!)
ちょっともやっとするが、念願のソープナッツ……の上位互換であるセケンの実を手に入れられたのは嬉しかった。
魔物とはいえ、一応は木に生っていたようだし、植物由来だから環境には優しいはずだ。
一応、あの奇妙な樹木の魔物はギルドに報告しておくべきだろう。
(面倒だから、もう死んでいたって設定にしよう。いや、この辺にアレを倒せるほどの強い魔物がいると勘違いされて、警戒態勢組まれたり調べられたりしたら困るな。一応全部焼き払っておいたけど)
嘘にはほんの少しだけ真実を混ぜるのが効果的だ。
◆
タニキ村に戻ってギルドに寄ったシンは、たくさん手に入れたナッツ類を納品した。
胡桃はともかく、カシューナッツやアーモンドは結構高値で引き取ってもらえた。このあたりでは珍しいようだ。
だが、当然ギルド職員に入手経路を尋ねられる。
「こんなのどうやって手に入れたんだい?」
「なんか樹木っぽい魔物に襲われかけたんですけど、沢から滑って勝手に転落死したんですよ」
「植物の魔物ってぇと、マーダーウッドやキラープラントか? 運が良かったな。アイツら、森の中に溶け込んで擬態していると、本当にわからないからなあ」
ギルドの受付の男性が顔を歪めた。結構ヤバい部類らしい。
確かに、それなりに勘が鋭いはずのシンですら、森の中ではすぐに看破できなかった。
「討伐証明部位ってあるんですか?」
「根っこにある芋みたいな塊だな。あれが核なんだが……ぶっちゃけ、取り出すのがすごく面倒なんだ。ただ、実といい体といい、全部が食材や木材になるから、できるだけ全身持ってきた方がいいぞー……持ってこられたら」
「そうですねー、持ってこられたら」
あの魔物は文字通り樹木サイズ。大人でも余程の怪力でなければ運ぶのは無理だ。子供にはなおさらである。
「マジックバッグ的な物や、空間魔法やスキルがないと難しいんだよな。グレイボアとは違う意味で需要が高い。……ああいった魔物から取れる木材は高品質だから、貴族の家や船の材料として高値で取引されるんだ」
シンは自分の腕を見て、自力で運んだことにするのは無理だと判断した。
しかし、異空間バッグの存在はまだ隠したい。神様から貰った稀少スキルだ。シンはそれとなく探りを入れる。
「マジックバッグや、その手の運搬系の魔法やスキルは貴重なんですか?」
「貴重だな。マジックバッグなんて代物、滅茶苦茶高いぞ。貴族の使用人をやるにも、商売に使うにもすごく便利だしな。上級冒険者のパーティなんかは、そういった手段を持っているか否かで需要がだいぶ変わる」
女神の贈り物は無限大の収容サイズに、品質保持機能付きだ。劣化がない。かなりレアスキルなのは間違いない。
話によれば、リュックサイズでもかなり重宝されるという。旅行鞄サイズであれば、どこの商人も雇いたがるほどで、馬車サイズまでいけば、いるだけで給料がもらえるレベルらしい。
(うーん、運び屋かぁ……)
生活に困った際の最終手段の一つとして頭に入れておくのもいいかもしれない。
「シン、もしかしてマジックバッグが欲しいのかい?」
考え込むシンを見て、受付の男性が聞いた。
「あるんですか?」
「ないない。こんなド田舎で手に入るほどありふれたものじゃないんだよ。そんな貴重品は王都の一級魔法道具を扱っている店くらいだ! 冒険者や商人まで、需要はどこでもあるが、それに対して実物が少ないんだ。持っているとしたら、王侯貴族だな。稀にダンジョンや遺跡から出てくるから、そういう物をオークションで競り落として使う奴もいる」
この手の質問は多いのか、ギルド職員はすらすらと自慢げなくらいに答えてくれた。
(たっはー、やっぱりないのか……)
シンは笑いとため息の混じった表情になる。社会人目社畜科ブラック属のシンではあるが、日本人らしいアルカイックスマイルは健在だ。これにより、人のよさそうな人間を演じている。
タニキ村では、若年にして大人顔負けの狩りの腕もあり、地位は低くない。さすがに村全部の食糧を賄うのは無理でも、勤勉に働く様は周囲に評価されている。
あと数年したら娘を嫁がせるか、婿に欲しいと思っている家は少なくない。
とりあえずスローライフをエンジョイ中のシンは、あまりそのあたりは考えていない。
体がモロに義務教育範囲内の姿なので、余計そう思っているのかもしれない。
「領主様のお屋敷に、えっらい貴族様がいるんだろ? シンを気に入っているって話じゃねーか。その人に頼んだらどうだ?」
「ダメです。あの馬鹿殿下は頭のねじが全てぶっ飛んで、そこにお花の球根が刺さって花盛りです。下手すりゃとんでもない面倒事まで一本釣りしかねません」
「……まあ、頑張れ」
シンがナイナイと手を顔の前で振ると、職員のおじさんも微妙な顔になった。色々と苦労を察したのかもしれない。
「そうだ、シン! お前そろそろランクアップしそうだぞ! 採取も討伐も色々やってくれていただろう?」
ほとんど食糧確保の延長だが、確かに片っ端から依頼を受けていた。
山か川に行けば大抵一つは依頼達成になるのだ。
田舎なので、依頼料は大したものではないが、実績数としてはかなりである。
また、田舎村にちょうど良い納品依頼が王都から出ることもあり、ほぼ毎日のように依頼を達成していた。
よくあるのが羽の採取依頼などだ。色鮮やかで、大きな羽が珍重されて高値で引き取ってもらえる。それらは淑女の扇や、帽子の羽飾り、豪華な羽ペンなどに使われるという。
異世界だけあって、南国ばりに色鮮やかな羽根を見つけることがある。
カワセミのように色鮮やかな青色で腕ほどの長さがある羽や、緋色交じりの黄金色の羽などは、最近高く売れた。
(そろそろまたティル殿下が駄犬よろしく騒ぎはじめそうだし、宝物探しってことで羽探しでもさせるか……)
山を登らせるのは難しいかもしれないが、馬に乗せて川の上流に向かうくらいはできるだろう。
(……僕は何で異世界に来てまで、育児をしているんだ?)
シンの実年齢は結婚して子供がいてもおかしくないくらいだ。だからと言って、自分よりも外見がでかい駄犬を躾けながら育てなくてはいけない理由はない。
放置しすぎて暴走したティルレインの尻拭いに奔走などはしたくなかったが、あれが究極に駄々をこねだしたら、結局呼び出されるのはシンだろう。
「どうした、シン?」
「あ、すみません。思考が飛んでました」
「疲れているのか? いっつも動いているし、休みたくなったら休んどけ」
「いえ。さっき言ってたランクアップのお話を聞きたいです」
「ああ。採取系の仕事はみっちりやってるし、討伐もボア系、ゴブリン系、昆虫系なんかをやっている。……今回、あのマーダーウッドの討伐証明部位があれば、ランクアップだったんだがな。要は、今までやったことがない種類の魔物の討伐か、Fランク相当の依頼達成が、昇格の条件だ」
「うーん、別に急いでいるわけではないですしね」
「宝石草の種の採取なんかは実入りがいいぞ。その名の通り、宝石みたいな花が咲く。種の見た目は宝石そのもの。ただ、崖っぷちとか森の奥深くとか、険しい場所にしかないな。そもそも人里近くのは全部取られきられているから」
「いくつか参考にしてみます」
どこの世界も欲望によって乱獲される動植物はあるようだ。確か前の世界でも、とある島で、その島固有の動物が乱獲されて絶滅した例があった。
それどころか、一つの大きな山が金目当てに掘り尽くされて、真ん中からカチ割ったような姿になってしまった……なんて話もあったはずだ。しかも、ショベルカーやトラックがない時代に、人の手によってなされたことだ。百パーセント人力な、強欲の所業である。
むなしさを覚えながらも手頃な依頼を探していると、一つのカードが目に留まった。
吊り上がった目でこちらを見ながら吠えている猿の絵が描かれている。
「なんですか、このゴブリンモンキーって……」
「ここ最近作物が荒らされているんだよ。まだ数匹の群れだからいいが、数が増えると人間を襲うようになる。一見すると緑色の猿で、とにかくうるさいからミドリホエザルとも言われている」
「へえー」
「すばしっこくて追いかけるのは無理だから、できればシンかハレッシュに頼みたいところなんだ。弓が使えると討伐も楽だからな」
まだ十匹にも満たない群れらしいが、猿だけあってなかなかに動きが俊敏で、次々と山を移動していくらしい。シンとしては受けてもいい依頼だが、どこで出るのかはわからなかった。
「見つけたら討伐してきますね」
依頼カードを指ではじいて、シンはギルドを後にした。
去り際に、ベテラン冒険者という名の飲んだくれに「頼んだぞー」などとちょっと冷やかされたが、軽く手を振って返事をしておく。
家に帰る途中、シンは女神の祭壇を造る相談をするために、ベッキー家にお邪魔した。相変わらず肉の人扱いされたが、胡桃をお裾分けすると、それはそれで喜ばれた。
早速、大工のガランテに祭壇の件を聞いてみる。
すると、彼はあっさり頷いた。
「いつも世話になってるし、俺が造ってやる。シンが隣に住むようになって、カロルもシベルも真似して働くようになったからな」
日頃のお裾分けが色々と功を奏したらしい。
本当は歪だろうが自分で造るつもりだったのだが、ありがたいお言葉でそのまま頼むことにした。
フォルミアルカだって、御神体に歪なこけしモドキを置かれた、犬小屋のような祭壇よりも、ちゃんとしたものがいいだろう。
シンは家に帰った後も考えていた。
一応はお世話になっている女神の祭壇であるし、あの不遇ぶりからして、まともに信仰されていないのだろう。最高神のはずなのに。
さすがに立派な神殿などは建てられないが、小さいながらも良い感じのものを造ってあげたい。
(うーん、祭壇っていうんだから、ちゃんとした敷物とか小物とかも用意した方がいいのか?)
どうしても神棚っぽいものを想像してしまう、日本人のシンである。
神様のための祭壇であるし、間違いではないが。
といっても、月に数度、行商人や流れの旅商人が来る程度のこんなど田舎に、コースターやランチョンマットなどの洒落た敷物は売っていない。
既製品がないなら、自分で糸を編むか、布を縫って作るかだ。
考え事を一段落して窓の外を見ると、いつの間にか薄暗くなっていた。
ふと、何かが動いたような気がして、シンは目を凝らす。
外に干していた肉に、何者かが手を伸ばしていた。
緑色の毛に覆われたその手は明らかに毛深く、人間のものではなかった。
シンの目から光が消え失せ、その代わりに殺意の波動が「めっちゃ仕事する」とログインする。弓と矢筒をそっと取って表へ行き、全力で気配遮断をして数を数える。
一、二、三、………全部で六匹だ。
無慈悲な殺意が弓矢に乗って放たれる。
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