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1巻

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(地獄か。地道な作業すぎる。魔法でちゃきちゃきっとできたりしないのだろうか)

 砂糖もそうだが、塩もここでは貴重品だ。海から遠いし岩塩が産出されるわけでもない。
 作るのが難しいなら、ムクロジの実のような、ソープナッツのたぐいはないのだろうか。そう考え、シンがスマホをたぷたぷしていると――

(あんのかよ!! ファンタジー、さすが。名前もまんまソープナッツ。ご都合主義万歳!)

 主に深い標高五百メートル以上の山岳及び山林地帯にあるという。ティンパイン王国にも、条件に該当する地域には自生している。

(とりに行かねば!!)

 面倒臭い手作り石鹸より、手頃な採取作業の方が良い。
 タニキ村は山間の村だ。少し高いところに足を伸ばせば、ソープナッツを見つけられる可能性は高い。
 シンは狩猟生活で体力には自信があったし、山菜でも木の実でも食用は見分けられるし、動物や魔物を捕ることもできる。
 これでさらに素敵なバスタイムが約束されれば申し分ない。上機嫌になったシンは、風呂であれこれ考え続け……そのままのぼせた。
 火照ほてった体を何とかクールダウンし、十分な水分と果実を少々口にしたシンは、今日の獲物を分けるために領主の屋敷に向かった。
 屋敷は遠くから見れば大きくて立派だが、近づくと経年劣化が目立つ。
 アウルベアの手羽の一部と雉を手に、とりあえず、裏手に回って厨房の料理人に声をかける。

「すみませーん、差し入れです」
「お、シンの坊主ぼうずじゃねーか! あれか、いつもの山の土産みやげか?」

 エプロンは着けているが、普通に気の良いあんちゃんのような料理人が、勝手口から顔を出す。

「はい、アウルベアと雉です。良かったら食べてください」
「おう、あんがとよー!」

 料理人はにこにこしながら手土産を受け取ると、さっそく開きはじめる。

「やっぱ肉があると違うぜ! シンが来るまで、ハレッシュさんは嫁さんや子供のことを引きずって沈んでたから、狩りの調子も今一でな。あんまり料理も変わったのができなかったんだよ」

 料理人として腕が鳴るところなのだろう。
 その時、廊下から軽い足音が聞こえてきた。
 ひょっこりと顔を出した領主のお坊ちゃん――ジャックだ。

「あー! シンにーちゃんだ! お肉持ってきてくれたの!」

 その一声で、シンの肉の人扱いが一層増した。

「やったー! 久しぶりのお肉だ!」

 ジャックは、料理人の手にしている物を見て、踊り出さんばかりに飛び跳ねている。
 生の状態でかぶりつきそうだが、普通に寄生虫とかがいる可能性があるのでやめた方がいい。
 領主の息子なのに、なんでこんなにえているのか……不憫ふびんに思ったシンは、持っていた携帯食を渡す。グミの実をドライフルーツにしてみたものだ。
 甘いが少しにがみもあるので子供向けじゃないかと心配したが、お坊ちゃまはガジガジとガッツあふれる食いっぷりを披露ひろうした。あまりの勢いに軽く引いてしまうシン。

「ところで、このあたりでは他に狩りをやる人いないんですか?」
「あー、いねえな。俺が知ってる中で腕の良いのはシンがダントツだし、その次でハレッシュさんだな。あのな、みんなお前みたいにスパスパ鳥や猪を射抜いて狩れるわけじゃねーんだぞ?」
「……領主様のところは、そんなに切羽詰せっぱつまっているんですか?」

 ジャックがおやつに夢中になっている内に、シンは声をひそめて気になっていたことを尋ねた。

「前の領主様……今の領主の親父さんが、どっかのお偉いさんと何かやろうとして、盛大にコケたらしい。借金をこさえちまって、今の領主様はその返済でてんてこ舞いだ。で、当の本人の先代は引っ込んで知らぬ存ぜぬで、金目の物を持っていっちまったらしい。離れの別宅でしれっとしてるぜ」
くそじゃん」
「糞だよ。とんでもねーじじいだ。お前さんも、今の旦那様だんなさまはともかく、大旦那の方は関わるなよ」
きもめいじておきます」

 ハレッシュの言う通り、前の領主は相当糞だった。こっちの世界にも胸糞悪い輩がいるらしい。一方、今の領主は苦労人というイメージがついた。
 優しい世界だと思っていたタニキ村ですらこんなことがあるなんて……と、シンは少しばかり暗い気分になった。

「ねえ、シンにーちゃん。これもっとある?」

 せがまれてドライフルーツを入れていた袋を見ると、思ったより少なかった。

「あー……全部はやれないけど、ちょっとだけな? カビえる前に食べろよ」
「ありがとう!」

 まあいいかと思って全部やると、ジャックは笑顔で礼を言ってそのまま走っていった。
 またグミは取れるし、このドライフルーツも試行錯誤中しこうさくごちゅうだ。防腐剤も何もないので、悪くなる前に完食した方が良い。あの食いっぷりなら、心配する必要もなさそうだが。
 きっと、まだあのお坊ちゃんは身分差とかいろいろわかっていないのだろう。
 用を済ませたシンは、帰りがけにちょっと領主邸を振り返る。
 聞いた通り、本宅から少し奥まったところに立派な建物が見えた。大きさこそ本宅より小さいが、壁にひびは入っていないし、窓ガラス越しに見えるカーテンもレースと重厚な布地の二種類がある。本宅より確かに金がかかっていそうだ。
 シンはまだ一度も前の領主を見たことがない。ほぼ引き籠もりのような生活をしているのか、たまたま会う機会がないのかはわからないが。
 ハレッシュの話だと、先代は悪い意味で特権階級らしい人のようだ。
 今の領主は村のために日々開墾や農作業に勤しんでいるし、夫人や息子もそれに加わっている。それなのに、借金をこさえた本人は一切働かず安楽隠居とはずいぶんと良い御身分だ。
 そんなことを考えながら歩いていると、ふと、どこかの窓から何かがきらりと反射して見えた。
 シンは思わずそちらに目を向ける。
 ごろしとおぼしき窓から、誰かが鏡か何かの金属でこちらに光を当てているようだ。
 手を動かして、必死にこちらにサインを送っているのは若い男だ。

(どこかで見たことがある気がするけど……もしかして、あの高そうな馬車に乗ってた人?)

 普通に厄介事の気配がひしひしとする。
 だが、シンが動揺している間に、窓に張り付いていた男は、何かに気づいてさっと身をひるがえし、カーテンも閉じて消えた。

(性格がヤバいらしい前の領主様のお屋敷に、都会から来た客人が囚われている? 普通に危なくないか? 前領主様とやらは前に何かしでかしたらしいし……)

 帰りながらも、どうしても気になってしまう。
 多分、あの男は貴族だ。そうでなければ、あんなに立派な馬車で護送されるはずがない。
 だが、貴族であるならば平民では知らない情報や知識を持っている可能性が高い。きちんとした教育を受けているだろうし、国家間の状況や遠い地の事情にも詳しいはずだ。
 スマホは物の名前や地名などは教えてくれるが、世情は教えてくれない。
 今のスローライフは捨てたくないと思う一方で、あんな怪しさ満点なものを放っておいていいのだろうかと、シンは悩む。

(そもそも今の領主はこの件を知っているのか? つーか、領主様の名前ってなんだっけ)

「領主様」で通じるから、不便なことなど何もなかったし、興味がなくて、全然覚えていなかった。
 国王クラスの人間なら名前を調べられるが、辺境の準男爵の名前までスマホでは調べられない。異世界対応といえども、全能ではないのだ。


 ◆


 その日の夕食は御馳走だった。
 ハレッシュの言う通り、アウルベアは豪快ごうかいな見た目に反して手羽(腕?)の部分はジューシーで美味い。
 余ったら干し肉にしようと思っていたら、あっという間に食べきってしまった。
 鶏ガラ(熊ガラ?)から取ったスープも美味しかったし、キノコや山菜をしこたま入れたので色々と深い味わいになっていた。
 もう少し塩味が濃ければ最高だったが、塩は海辺の街でなければそう簡単に入手できない。ペルーのアンデス山脈のように塩田でもあれば話は別だが、そう都合よくあるはずもない。
 いつか海に行ったら、大量に塩を入手してタニキ村に持っていこうと決意するシンだった。
 そして、何気なにげにハレッシュの獲物コレクションにアウルベアの頭部が増えていた。
 ウキウキした様子で「まだ目の部分に入れる黒石が見つからない」などと言って意気揚々いきようようと皮をぎ頭蓋骨を見せてくる彼に、普通に引いたシンである。
 剥製はフリーズドライ製法ではなく、剥ぐ→乾燥→防腐、防虫処理という手順で作る。中身は抜くので、別の中身を入れて戻してもどうしてもいびつになり、それが一層不気味なのだ。
 満腹になったシンは、ハレッシュの家を出て自分の家である離れに帰った。
 しかし、あの窓辺にいた男の人は誰なのか、どうしても気になった。
 夜はすっかりけて、どこからかホゥホゥという梟の声や虫の声が聞こえてくる。外灯なんてないので、当然こんな時間に村の人はあまり出歩かない。
 シンは厄介事には首を突っ込みたくなかったが、ここのスローライフに刺激が少ないのもまた事実。それに、自分が放置していたところでとんでもない事件が起こるのは本当に勘弁かんべんしてほしかった。
 シンはしばらく干し草ベッドでうんうん悩んでいたものの、結局は家を飛び出した。
 以前より夜目よめくし、小さな体は身のこなしも軽い。素早く領主の敷地に忍び込むと、灌木かんぼくから離れを観察する。
 例の部屋にはカーテンがしっかりかかっていたものの、見張りらしき人はいない。多分そんなお金すらないだろう。
 少し悩んだ末、シンはダメもとでフックを付けたロープを屋根に投げる。
 すると、案外簡単に引っかかった。音に気づかれたのではないかと心配したが、誰も来ない。明かりのついている部屋はいくつかあるが、特に動きはない。
 ロープを伝って窓の近くまで登り、コンコンと叩いてみる。
 しーんとしていて、物音は一切しない。

(空振りかな。帰るか)

 既に寝ている可能性だってあるし、別の部屋が寝室の可能性もある。
 シンはロープを確認し、人に見つかる前に帰ろうと周囲を確認した。
 ――その時、室内からバタバタとせわしない足音がして、カーテンが乱暴に開く。
 出てきたのは、けぶるような銀髪と宵闇よいやみを思わせるあいとも紫ともとれる深色の瞳。端整たんせいだがやつれていて、顔色は病人のようだ。
 年齢はシンより少し上程度の、おそらく十代半ばから後半。二十代ではないだろう。
 窓に手をついてすがる様子は鬼気ききせまっていて、ぶっちゃけ怖い。あまりの勢いに、シンはロープから手を放しかけた。


 嵌め殺しの窓だと思っていたが、男がガタガタ揺らすと――なんと、少しだけ開いた。しかし、とてもじゃないが人は通れない。せいぜい小さな鳥やねずみ、蛇、虫くらいだろう。

「こ、怖がらないで。待って! き、君は、時々ここへ来ていた子だよね?」

 必死な様子の男にたじろぎながらも、シンは返事をする。

「は、はい……」
「ああ、よかった! みんな全然僕のことに気づかなくて……君は目が良いんだね。助かったよ。ありがとう」
「は、はぁ……」
「ここ、こ、ここはどこだかわかるかな?」
「えーと、ティンパイン王国のタニキ村――準男爵領です。僕もそんなに詳しくは」
「タ、タニキ……タニキ? 少なくとも王都近郊じゃないね。ええと、領主の名前はわかるかい? できれば家名とか」
「それは知りません」
「そ、そうか……」

 シンの答えを聞いて、銀髪の少年が意気消沈いきしょうちんする。

「ここは領主様のお屋敷の敷地内ですが、実際ここに住んでいるのは前領主様です。なんでも一山当てようとして失敗して借金をこさえたとか。それで隠居して、後始末を今の領主様に押し付けたそうです」
「そ、その前領主の名は!?」
「わかりません」
「そっか……その、調べられたりするかな?」

 少年はやつれてはいるものの、気配がきらきらしくて、エクゼクティブオーラがすごい。いわゆる貴族様なのだろうか。

「あ、そうだ! 僕はティルと呼んでくれ!」

 シンのどこか白けた視線に気づいているのか、ティルはよく喋る。
 ニコニコとしているが、どこか胡散臭い。会話に飢えていたのかもしれない。

「ティルさんは心をんで田舎で療養中とかですか? それとも権力闘争でやらかしたか、巻き込まれたかで、ここにぶち込まれたんですか?」

 前者だったらほどほどに相手をしてフェードアウトするが、後者なら容赦なく逃げる。
 そんなシンの思惑に気づいたのか、ティルの顔色が一気に青ざめた。そして、恐るべき勢いで縋ってくる。

「ああ、待って! 逃げないで! ……お願いだ。頼む、一人にしないで。ようやく僕を見つけて、ここまで来てくれたんだ。話だけでいい。もう変な質問もしないから、まだここにいて……」
「無理です」
「そんな!」
「手が疲れました」
「あっ」

 シンは会話している間もずっとロープでぶら下がり続けている。窓辺に立っているだけのティルとは違うのだ。

「もう少し会話しやすい部屋に移動できませんか?」

 バルコニーなどがあれば、シンもそこに足を付けられる。それだけでもだいぶ違う。
 ずっと腕の力だけで体重を支え続けるのはつらい。すでにかなりきつい。元々、様子見程度のつもりだったのだ。長々と会話していられるほどシンのマッスルはゴリラではない。
 確かに、並みの子供よりは強いし、身軽だが、超人ではない。

「そ、それはちょっと無理かな……僕、軟禁なんきんされているし」

 項垂うなだれるティルが少々可哀かわいそうで、シンの中に仏心ほとけごころが出てしまう。

「では、また来ます」

 面倒だと思っている理性とは裏腹に、約束めいた言葉が出てしまった。

「来てくれるの?」
「雨が降っていなくて、監視の目がなければですが」
「う、うん、待ってる! 絶対だからな!」

 これで相手が美少年じゃなくて美少女のお姫様だったら、王道RPGかラブロマンスだった。
 ティルは次への約束をこぎつけられて満足したのか、大人しくシンを見送った。
 見えなくなる寸前まで、小さく開いた窓から懸命に手を振る姿が憐れみを誘う。

(それにしても、痩せていたな……ちゃんと食べ物貰っているのかな?)

 相手は一応貴族様(仮)だ。シンがそんな心配をする必要ないだろう。
 とはいえ、タニキ村は決して食料が潤沢じゅんたくにあるわけではない。
 ボアやオークの一匹でも村の肉屋におろせばかなり喜ばれる。基本の生活が慎ましいし、持っている道具もかなり原始的なので、大物はなかなか捕まらないのだ。
 ハレッシュの狩りはどちらかというと討伐向きで、獲物の損壊が激しい。しかも、綺麗にとれたのは次から次へと剥製にしてしまう。趣味が高じすぎている。
 そして、取れた肉は物々交換で近所に配るため、店やギルドに卸されることはほどんどない。なので、道具屋や肉屋、ギルドにシンが顔を出すと露骨に期待をされる。
 基本、薬草などの採取作業を優先しているシンだったが、頼み込まれて討伐系依頼を受け、肉を供給することが時々あった。
 そんなこんなでちまちまと点数を稼ぎ、彼のギルドカードはGランクに上がっている。

(うーん……異空間バッグに結構肉類が溜まっているし、ソープナッツを探しに行く時にとったってていで、卸しておこうかな)

 実はどっさりとストックの獲物があるが、これを一度に出したら大騒ぎだ。在庫処分セールよろしく、運よく群れを見つけたなどと言って同じ系統の獲物をいっぺんに出してしまおうか。
 そんなことを考えながら、シンは帰路についたのだった。


 ◆


 翌日シンは、とりあえず猪を丸ごと一匹、隣のベッキー家のジーナに渡した。

「まあ、ありがとうね! シン! 今度シチューを持っていくよ!」
「ありがとうございます」
「はー。うちのカロルやシベルも、シンみたいに落ち着いて礼儀正しかったら良かったんだけどねぇ」

 頬に手をやりため息をつくジーナに苦笑するシン。
 精神年齢アラサーと、本物の子供を一緒にしてはいけない。

「そういえば、タニキ村の領主様のお名前ってなんでしたっけ?」
「えーと、確かパウエル様よ。パウエル・フォン・ポメラニアン様」
(なんだ、そのとても犬犬しい名前は)

 シンは思わず、ふわもこのワンちゃんが豪勢ごうせいな服を着ているのを想像してしまった。

「たぶん、今日もその辺の畑をたがやしているんじゃないかしら? うちの領地は貧乏だからね!」

 カラカラと笑うジーナ。
 ふわもこワンちゃんが麦わら帽子をかぶり、作業用つなぎを着てくわを持っているのを想像した。
 畑仕事に精を出す領主様って……と思いながらも、貧乏の前には致し方がないのかもしれない。
 続いて、シンは丸々太った猪を二匹手押し車の荷台に載せて運び、肉屋に卸した。
 こちらでもとても喜ばれたものの、いちいち理由をつけて肉を持っていくのは面倒だ。嘘をつき続けるのも心苦しいしところである。シンとしては切実に異空間バッグをカミングアウトしてしまいたかったが、珍しい異空間バッグの存在をおおやけにするのはリスクがある。
 盗人ぬすっとおびえて過ごしたくなんてないし、疑心暗鬼も嫌だ。この平和な村で浮きたくない。そんな思いから、結局しばらく黙っておこうと考え直したシンだった。
 午後はソープナッツを探しに、少し標高が高いところまで行った。
 スマホを片手に、お目当ての木の実がありそうな場所をうろうろしたが、なかなか見つからない。

「うーん、やっぱり難しいのかな……」

 首を捻っていると、どこからかブブブと不気味な羽音が響いてきた。
 身をひるがえすと、そこには体長三十センチはありそうな巨大なスズメバチのようなものが。肉食っぽいうえ、毒も持っていそうだ。しかも、シンに狙いを定めている。
 巨大な蜂の魔物に襲われかけたシンは、とっさにこれを火魔法で焼き払った。
 魔法の威力は絶大で、一瞬のうちに蜂を炭に変えたが、周囲の木々にも被害が及んでいた。
 山火事になるといけないので、慌てて水魔法で鎮火ちんかする。

「ふう、驚い……た……」

 しかし、蜂というのは基本、数千から数万という集団で巣を作っている。シンはうっかりその巣のテリトリーに入り込んでいたらしく、一匹の先兵を倒したことにより、完全に敵と認定されてしまった。多数の蜂が巣から飛び立ち、シン目掛けて突っ込んでくる。

「うげぇえええ!」

 シンは蜂が苦手である。というより、虫があまり好きではない。
 悲鳴とともに火炎玉を放ち、飛来してきた蜂と、木にぶら下がっていた巣を焼き払った。
 魔法をかいくぐって接近してきた蜂は、普段あまり使わない短剣を振り回して切り伏せる。近すぎて弓矢で狙いを定めている暇がないのだ。
 シンはなんとか蜂を撃退したものの、火魔法の影響で山火事を起こさないために、念入りに水魔法を連打する羽目になった。魔力はスッカスカである。
 スマホで確認すると、襲ってきたのは肉食蜂『キラーホーネット』という魔物だった。
 倒した魔物は、はねと毒針をいくつも落とした。何故か、その部位だけよく残っている。ドロップ品と言わんばかりだ。シンは深く考えずに回収して、異空間バッグに収納する。
 スマホで在庫確認すると『キラーホーネットの翅×五十三、キラーホーネットの毒針×四十』とあった。
 使い道が思いつかないし、早々にギルドや道具屋に売り払ってしまった方が良さそうだ。
 そしてもう一つ『キラーホーネットクイーンの魔石×一』なる物も収納されていた。
 そんなものを拾ったかな、と首をかしげながら取り出すと、キラーホーネットの真っ赤な目を思い起こさせる赤い魔石が出てきた。知らなければガーネットやルビーと勘違いしてしまいそうな綺麗な石だ。

(これも使い道がわからん)

 わからないものは仕方がないので、再び異空間バッグに仕舞って、帰路につく。
 道中で薪になりそうな手頃な木材をいくつか持っていく。また、スグリと胡桃くるみを見つけたので、これもバッグに入れた。
 スグリは酸味が強烈な赤い果実で、砂糖漬けや酒漬けやジャム、ゼリーやパイにして食べることがある。ジーナに渡せば何かしら加工して分けてくれる可能性が高い。
 家に帰ると、ドアの前にシチューの入ったなべとパンが置いてあった。夕飯に最適だ。
 シンはお礼にジーナの家の前にスグリと胡桃を並べる。朝には気づくだろう。
 温めたパンとシチューでお腹を満たし、白湯で喉をうるおす。そして、干し草のベッドにダイブした。

(あ、ティルさんのところに行くの忘れてた。まあ、一日くらいいいだろう)

 シンはお休み三秒だった。


 ◆


 ――一方。

(来ない……。あの黒髪の男の子、来ないな……変な人と思われたのかな……。だいぶ身軽そうだったし、頭の回転も悪くなさそうだった。多分ここはノーマン? ボーマン? あの男の家だと思うんだが……。どこだったかな、キュラス領? 山が見えるからハルグリッドか?)

 ティルは滅茶苦茶シンを待っていた。
 シンが面倒臭そうな気配を感じた通り、ティルはやんごとなき身分の人で、貴族の権力闘争的な『厄介事』に巻き込まれて、ここに押し込まれたのだ。今のティルには腹心どころか側近もいない。ここに来る時についていた護衛は、全て王都に帰ってしまった。
 ティルは自分一人では自分の世話すらできない類の貴族だ。食事は使用人が持ってくるものだし、着替えは手伝いが数人いるのも当たり前という生活を送っていた。
 ここでは風呂の世話をしてくれる老いた使用人がいるが、いかにも気難しそうで懐柔かいじゅうは難しい。

「ティルレイン様、お食事をご用意しました」

 おざなりなノックとともに入ってきたのは、その使用人だ。
 使用人の質が悪いと思いながらも、人と話せる機会は貴重なので、ティルは我慢して対応する。だが、この使用人は不愛想で、まともに会話が成立しない。
 木製の粗末なトレイに載っているのは、薄い塩味の野菜スープ。毎日のように出されて飽きている。ティルがここに来て数ヵ月、肉の欠片もろくに食べていないし、卵料理すら出ない。パンは食べられるが、歯ごたえと口当たりは劣悪。当然、バターやジャムはついてない。
 王都にいたときはデザートに冷菓や果物などの甘味を食していたが、それもしばらくご無沙汰だ。

(罪人のような扱いだな)

 ティルは嘆息しながらも、与えられた物を口に運ぶ。
 食事は一日二度だけ。間食もなければティータイムもない。しかし、食事にケチをつけて減らされてはたまらない。一度飽きたと言ったら、顔が映り込むほど水気が多い薄いかゆに変わった。物凄く不味かった。
 ここからいつでも抜け出せるように、栄養だけはとっておかなければならない。
 パサついたパンをスープで押し流すようにして平らげ、さっさと使用人に皿を下げさせる。
 使用人の足音が遠くなったのを確認し、ティルは窓に張り付いた。
 そこで、こちらにやって来る小さな影を発見し、気分が一気に上昇する。

(……シンだ。あの小さいのはシンだ!)

 気づけ~と念を送るが、シンはこちらを向かない。
 ティルは、シンが手に何か持っているのを発見した。

(あれは鳥!? 鴨? またあの子がとってきたのか? しかも三羽もいる。やはり大した腕だ……)

 外の声は全然聞こえない。シンの周りに、彼よりさらに小さな男の子がちょろちょろしている。だが、男の子はシンに何かを渡されるとぱーっと去っていった。
 あの子供はティルも知っていた。時々、こちらを見て何かを差し出す素振そぶりをしているが失敗する子供だ。
 結局、シンはティルの方を一切見ずに帰ってしまった。
 項垂れるティル。期待が大きかっただけに、落胆らくたんも酷かった。


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