白と黒のリカルド

蒼琉璃

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氷の魔法使い

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今日はとても良い天気だ。

 マナは洗濯物を干しながら笑みを浮かべた。

 森の多い茂った木々の隙間からキラキラと光の粒子が降りてくる。



 あれから十年の年月が経ち、齢の頃は十九。

 柔らかな亜麻色のうねった髪は腰まで伸び、幼かった少女も年頃の美しい娘に成長していた。

 森の中を彷徨い薄汚れていたその肌も抜けるように色白で、翡翠の瞳はあの頃より随分と明るさを取り戻していた。





 一見、エプロン姿の村娘と言うような出で立ちだが、この誰も居ない人里離れた森の奥で小動物達に混じり、鳥の啼く声を聞きながら家事を行う姿は少々浮いているようにも見える。





 次々に手際よく洗濯物を干し終えると、籠を持って蔦が茂った小さな煉瓦造りの洋館へ踵を返した。

 不意に、木の枝から額に紅い宝石を付けた小さな耳の長い栗鼠に似た小動物がマナの肩に飛び付く。

 だが、彼女はそれに驚く様子もなく鼻歌交じりで玄関先まで軽やかな足取りで歩いた。





『……マナ、凄く上機嫌だ。分かりやすい』





 肩の上に乗った栗鼠がボソッと零した言葉に、全くそれを隠す事無く満面の笑顔で肯定した。





「だって……!セイラムが帰って来るんだから……当たり前だよ、ルー」 

『村に買い出しに行ったくらいで、大袈裟だなぁ…たった3日前じゃないか』

「3日も前なんだよ!」





 案の定、思った通りの返事が来て我ながら分かりきった答えをこの娘に聞いたものだと、ルーと呼ばれた【喋る栗鼠】は大きな溜息をつき耳を垂らした。





 基本は森の中で自給自足をしているのだが、それでも足りないものはセイラムが、魔法で姿を変え村へと赴き入手する。

 共に行きたいと何度か彼に懇願したが、村人に姿を見られるのは得策ではないと却下され何時も留守番を任せられていた。

 あの日、森の中で出逢ってから今までこの屋敷で彼は寡黙で不器用ながら大事に面倒を見てくれた。

 彼の使い魔であるルーに言わせれば、過保護な位に大事に育てられていた。





 読み書きのあまり出来なかったマナに、文字を教え、勉学を教え、そして自分に宿る僅かな魔力を見抜き導いてくれた。

 なぜ、自分にそんな力が僅かに宿っていたのかは分からないが、その力は人を癒やす魔力で稀有で貴重なものだった。

 だからこそ、この稀有な能力をみだりに使わないように念を押された。





 セイラムは多くは語らないが人との接触を嫌い、人との交流を最低限に止めていた。

 彼と人々の間に昔何があったのかはいくら聞いても話してはくれない。

 けれど、もしマナの【癒やしの力】が人々知られればその力を利用されてしまうと思っているようだった。

 この屋敷一帯は彼の魔法によって隠され結界が張られているので自分から外に出て誰かを招かない限りは安全な場所である。





 半ば軟禁のようなものだが、彼女にとって華やかな都よりこの小さな洋館が一番安心できる場所であるし、ここには図書室が存在し幾らでも本が読め、使い魔のルーが話し相手になってくれる。

 何より、大好きなセイラムが居るのだからなんの不満も無かった。



 籠を起き厨房まで戻るとマナは腕まくりをして、指先を彷徨わせながら香辛料や鍋を用意する。

 3日ぶりに帰る彼の為に腕によりをかけたい。



 肩から降りたルーは机の上に寝そべり、パタパタと忙しく動き回る少女を目だけで追い掛け尻尾を揺らしながら欠伸をする。

 料理をする様子を見守るのが毎日の日課にもなっていた。



「よし、今日はアヒ肉のシチューにしようかなぁ、うん……パンもまだあるし、野菜も大丈夫。セイラムの大好物だし」





 この屋敷に連れて来られて先ず驚いたのは、厨房に僅かな調味料に芋、そして小さな鍋しか無かった事だ。

 そして何より欠けた皿は何処か寂しくて、食卓は錆び付いた空間のように思えた。

 セイラムに問えば『口に入れば何でも良い』という素っ気ない返事で、まるで食に興味のないのかのような素振りだった。

 正直に言えば、マナが教会に居た時よりも質素で味気ない食事をしていたのだ。





 その日は何とか芋のシチューを作ったが、仏頂面は崩さないものの、味はやんわりと褒めてくれた。

 きっと、一人で食事をするからおざなりになってしまったのだろうと、幼心にそう思って今まで彼の為に食事を作っていた。

 里親の家で家事全般していた事もありそれが幸いして試行錯誤の末、幾つかセイラムの口に合うメニューも出来た。

 その中の一つが野菜たっぷりアヒ肉のシチューだ。そしてチーズに自家製のパン。

 マナの得意中の得意、オススメの【北の森メニュー】である。





 そんな幼き日々を思い出しながら、下拵えを終えて弱火でコトコトとシチューを煮込む。

 不意に、先程まで下拵えの段階で待ちくたびれてイビキをかいて寝ていたルーがピクリと顔を上げて振り向いた。

 それが合図だ。





「セイラム……!」



 満開の花が開くように笑顔を浮かべると、エプロンを外して厨房から出ると駆け足で赤い絨毯の廊下を走り洋館の入り口を目指す。

 主人の帰りを歓迎するかのように、長く伸びた廊下の両側に冷たく青白い冷気を帯びた淡い光が次々と燭台に宿っていく。



 刹那、軋んだ扉の音がするとあの日のまま年を取らず氷の彫刻のように美しい青年がゆっくりと姿を見せ、重い頭陀袋を置いた。





「……セイラム!」



 黒いフードを取ると勢い良く抱き付く少女を

まるでそれが日常であるかのように、驚きもせず抱擁し緩やかな亜麻色の髪を優しく撫でた。

 彼の香りを確かめるように胸元に頬を寄せ嬉しそうに微笑んで体を寄せると、改めて彼を迎えた。





「……お帰りなさい、セイラム」

「あぁ、ただいま……マナ」









✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤



 淡い青白く燃える焔を挟んで、二人はアヒ肉のシチューに舌鼓を打っていた。

 我ながら今日の出来は良く、セイラムも顔の表情にあまり出ないものの味わっているかのようだ。

 その証拠に葡萄酒がすすんでいる。



 食卓の上にはルーが、パンを頬張っており和やかな雰囲気だった。

外は虫の声、そして二人の談笑。

 寡黙なセイラムは殆どマナの話を聞く側に周り、例えば今日読んだ本の事、ルーとの事を話しマナに村の事を聞かれれば、言葉足らずの表現ではあるが、滞在中に祭りがあった事とそこで見たもの等を教えてくれる。

 その何気無い時間がとても幸せなものだった。



 食事を終えたセイラムがふと葡萄酒を口に含むと、喉を潤し意を決した様に口を開いた。



「………マナ、私は3日後に北の都へ行かねばならぬ。

……面倒ではあるが、古い仲間達と逢う約束があってな。留守番を頼まれてくれぬか」





 屋敷に帰って来て早々、村よりも遠い北の都へと旅立つと聞いて僅かにマナの表情が曇った。

 我儘を言うつもりなど無いのに、村ではなく都ならば自分も共に行けるかも知れないと淡い期待を抱いて問い掛ける。



「…セイラム、私も一緒に行っちゃ駄目…?」





「駄目だ。私が逢う者達は……魔法使いでな。

百年に一度【約束の月】に集まる掟になっているんだが……面倒な者ばかりだ」





 彼にしては珍しく歯切れが悪い返答だった。

 子供の頃に他の魔法使いの事を訪ねた事もあったが、その時も同じく何とも言えぬ苦虫をかみ潰したような表情をしていた。

 魔法使い同士は、あまり仲が良くないのだろうか。

 兎も角、彼等に会わせたく無いと言う強い意志が感じられた。





 マナはスプーンを置くと、少し拗ねるように言った。

 これ位の我儘ならば彼も許してくれるだろうと言う淡い期待を込めて。

「………留守番はするよ、だけど…寂しいから今夜は一緒に寝ていい?」  

「一緒にか……?

構わないが……、まだお前は子供心が抜けぬようだな」



 珍しく、セイラムは表情を緩めて柔らかく笑みを浮かべた。





「やったぁっ、ありがとうセイラム」



年頃の娘にしては、少々幼い反応で喜ぶと、空になった鍋と皿を下げ、ふと思い出したように言う。





「お風呂、何時でも入れるからね」

「……すまない」







✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤





 薄暗い浴室に、ぼんやりとした氷の焔が幾つも宿ると、まるで夜光虫が光るように幻想的な雰囲気になる。

 疲れた体を癒やすように、セイラムは浴槽に体を沈めると軽く溜息を付いた。

 波打つ波紋が、まるでオーロラのように青白い光を反射する。

湯気が立つ温かい湯が体の芯まで染み渡るようだった。





 魔法で空を飛ぶのも楽ではない。

 元より風に乗って飛翔する魔法は専門外で不得手だ。

 それでも、空を飛んで屋敷までの道程を急ぐのはマナが帰りを待っているからだ。

 十年前、北の森で迷子の人間を見つけ途方に暮れていたのが懐かしい。

よもや自分が子供の面倒等見るとは思わなかったが、月日の流れは孤独だった自分にとって彼女を掛け替えの無い存在へと変えていった。





「…また、下らぬ事を。……何れ都に返さねばならぬ娘だ」





 誰も居ない浴室で氷の魔法使いは、自嘲気味に呟いて遠くを見るように目を伏せた。

 そう、【大人になるまで面倒を見る】が最初に取り決めた約束だった。

 いずれ彼女は都に向かい、人々と同じように好きな仕事をし、信頼できる友人を作り運命の人に出逢って愛し、愛されるべきだ。

 北の魔法使いセイラムは4つの森を守護する魔法使いの中でも最古の古株で、唯一の不老不死だ。

 遠い昔に時間の止まった自分が、短い命を輝かせる彼女の枷になってはならないと肝に命じていた筈なのに、美しく成長していく彼女を見る度に、手放せなくなってしまう。





「……ねぇ、…セイラム…?私も一緒に入っていい?」





 突然浴室に響いた声に、ハッとして顔をあげた。



 一糸纏わぬマナが目の前に居た。

 湯気で濡れた亜麻色の柔らかな波打つ髪が肌に絡み、形の良い乳房が見える。

 なだらかな曲線を描く腰も、整った亀裂もまるで美しい人形のようだ。

 翡翠の澄んだ瞳が此方を見ている。

 まるで無防備な少女は、首を傾げて不思議そうにしている。



「何度も呼んだんだよ、大丈夫…?」



 普段は仏頂面のセイラムも、僅かに動揺した様子で目を逸らした。



「…っ、マナ……もうお前は大人だ、私と一緒に風呂など……」

「…どうして?…たまには一緒に入りたいよ」





 体を流すと、セイラムの間に入るように浴槽へと体を沈めた。

 勉学も魔法も教えたが、男に対する接し方は些か教育が行き届かなかったようだ。

 それとも、自分を信頼しきっているのだろうか。

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