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拾玖 待ち人来たらず①
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最近、私のお仕事が終わる頃になると、朧さんが迎えに来るのが日課になっていた。
魅久楽は、ちょうど私が帰る頃から、賑わう時間帯になる。
『つむぎちゃんを、一人で帰らせんのは心配や』と言っていたのだけれど、今日は朧さんの姿が見えない。
『なんだ、今日は朧さんのお迎えはないんだねぇ。それならつむぎちゃん、あたしが送ってってやるよ。今日は少しばかり、帰りが遅くなったからね。あんたを無事に送り返さないと、東雲の坊に何言われるか分からないからさ』
さっきまで元気がなかったけど、お雪ちゃんが、兎耳をピコピコ動かしながら、チャキチャキとした口調で言ってくれるので、思わず笑ってしまう。
私がここに来たばかりの時に、三人組の神使に、路地裏に連れて行かれて、危うく襲われそうになった事を話したから、私の事を心配してくれているのかな。
良い子とお友達になれて嬉しい。
お雪ちゃんと楽しく会話していると、まとわり付くような、不安感が消えるような気がするもの。
迎えに来てくれないから不安になっているとか、そんな理由じゃなくて今日一日変な胸騒ぎというか……嫌な予感がする。
私はそれを意識しないように、お雪ちゃんと楽しくお喋りをして、忘れるようにした。
「お雪ちゃん、ありがとう。また明日ね」
『つむぎちゃん。またな!』
京町家が並ぶ、細道に入る直前でお雪ちゃんと別れると、私は足早に家に向かった。
何もなければ今の時間帯には朧さんは帰っている筈だから、一刻も早く逢いたい。
逢って『えらい今日は仕事が長引いてしもてなぁ』って、言って欲しい。
私は、そんな期待を込めてガラリと扉を開ける。
「ただい……」
そう言い掛けて、私は一瞬言葉を飲み込む。玄関先には、お梅さんが正座をして、知らない狐の神使にお茶を出していた。
大柄で年配のお狐様は、玄関先でお梅さんと話していたみたい。この方は、朧さんのお客さんなのかな……、それともお梅さんのお友達なの?
「お梅さん、この方は朧さんのお客様なの?」
『へぇ。東雲の使用人どす。せやけど今日は坊のお客やおまへん。つむぎはんに用があって来はったんどす』
私に用があるの?
なんだろう、東雲と聞くと思わず緊張してしまって顔が強張る。するとどうやらお客様にも、私の緊張が伝わってしまったようで、柔和な笑みを浮べて、気さくに話し掛けてきた。
『お嬢はん、えらいすんまへんなぁ。わしは、三吉言いますねん。坊の事は、こんなちぃーちゃい頃から我が息子や思うて、面倒みとりましてな』
そう言うと、三吉さんは座りながら子供の背丈を表すように、片手で宙をポンポンと叩いた。
『お梅はんとも長い仲や。わしは東雲本家に仕えとる狐やけど、坊の味方やさかい警戒せんでええ』
「朧さんの……?」
三吉と名乗った神使は、どうやら朧さんが小さい頃からお世話になっているみたい。朧さんにとっては、お父さんや親戚のおじさんみたいな、お狐様なのかな?
お梅さんとも知り合いみたいだし、怖いお狐様じゃなさそう。
「そう、なんですか。始めまして、つむぎと申します。朧さんに助けて頂きました。それで、私にどんな御用ですか」
『はっはっ、礼儀正しいねぇ。実は、坊に言付けされましてん。本家の方から連絡がありましてな。坊の弟にあたる雅様がご病気になられまして、東雲の本家に戻られたんや』
「えっ……朧さんの弟さんが? それで容態はどうなんですか?」
朧さんは、東雲の本家自体を苦々しく思っていたけれど、弟さんの事は可愛がっているようだった。ご病気で倒れられたなんて聞いたら、私も居ても立っても居られない気持ちになる。
今日、一日感じていた嫌な胸騒きは、弟さんの事だったのかな。
私が心配して、三吉さんに雅様の容態を尋ねると、ニッコリと笑う。
『まだ、原因は分からへんけど。とりあえず大丈夫や。命に別状はあらへん』
「良かった……。朧さんから時々弟さんのお話を聞いていたから、吃驚しました。だから今日は、私を迎えに来られなかったんですね」
『そうや。そんで、坊がわしに言付けしたんは、あんさんに暫く留守にするさかい、堪忍な。待ってて欲しい言う事や』
離れ離れになるのは寂しいけれど、大切な家族が病気なら、出来るだけ傍に居てあげて欲しいな。私もすぐに駆け付けたいけど、お屋敷の場所も分からない。今は、朧さんに心配かけないように、しっかりしなくちゃ。
「分かりました。お梅さんと良い子にして待っていますから、雅さんのご病気が良くなるまで、傍に居てあげて下さいと、お伝え頂けますか?」
三吉さんは狐目をさらに柔和に細めると、感心するように頷く。
『なるほど。あの坊がなんであんたに心底惚れ込んだのか、よう分かるわ。伝えとくさかい安心しぃ。あんさん、なんや困った事が出来たら、わしにいつでも言うてや』
「あ、ありがとうございます」
当たり前の事を言っただけなのに、妙に感心されてしまって、私は逆に恥しくなってしまった。
❖✥❖
あれから、三週間経っても朧さんは魅久楽に戻って来なかった。もしかして、三吉さんは、心配させないように病状を軽く言っていたのかな。
例えばここが、現代の日本ならすぐにでも朧さんに、今の状況がどうなっているのかとか、連絡を取る事が出来るけれど、魅久楽にはスマホもなければ、電話もないものね。
だから全然、状況が分からない……。
朧さん、一人で色々と抱え込んでいないかな。今すぐにでも彼のもとへ駆け付けたいと思ってしまう。
『あんた最近、元気ないねぇ。大丈夫かい、つむぎちゃん。あの色男もめっきり顔を出さないしさ。どうしちゃったのよ』
「えっ……?」
ふと、店仕舞いをしていると女将さんに声をかけられて、現実に引き戻される。
今日は、お雪ちゃんが非番の日で女将さんと二人で『こうめや』を回していた。もしかして、接客中に顔に出ていたのかな、と焦ったけれど、そうじゃなくて、休憩中の私がいつもより大人しくて元気がないのを、心配してくれていたみたい。
「朧さんはちょっと、お家の事情があって実家に帰っているんです。それに、今日はちょっとほら……忙しくて、疲れちゃっただけです」
『あら、そうなのかい? それにしても、朧さんは魅久楽の華だからさぁ。あの色男が花街を歩いてないと、魅久楽はパリッとしないっていうか。男も女も色めき立たないんだよ。この間、三件隣の茶屋の奥さんとも話してたのよねぇ。あんた達、いつも一緒だったでしょう』
朧さんは、花街を歩いているだけで絵になるし、すれ違う神使が振り返る位だもの。
下手な役者よりも格好良くて、歩く姿も上品だから、性別問わずに虜にしちゃう。好きな人を褒められるとなんだか嬉しくなって、私は思わず照れ笑いをしてしまった。
『それじゃあ、つむぎちゃん。これ、今日のお給金ね。あまり遅くならないうちに帰るんだよ』
「はい、女将さん。ありがとうございます」
お給金を貰うと、私は女将さんに頭を下げる。お雪ちゃんも女将さんも、なにかと人間の私を気にかけてくれるから、ありがたいな。だからこそ、心配させないようにしないといけないのに。
そんな事を思っていると、不意に、ポツポツと雨が降り出してきた。私は慌てて、小走りで帰ろうとした瞬間に右足の鼻緒が切れてしまい、思わず転けそうになる。
「やだ、鼻緒が切れちゃった……どうしよう」
下駄を持つと、私はとりあえず軒下で邪魔にならないように、雨宿りさせて貰う事にした。そう言えば、鼻緒が切れるのは縁起が悪いと聞いた事がある。私は、疲労感に小さく溜息をついた。
あの日は、すぐに朧さんが迎えに来てくれたけれど、今日は違うもんね。
いつ戻って来るのかも、今どういう状況なのかも分からない。
雨は一定の量で降り続いて止む気配はないし、魅久楽は段々暗くなってきちゃった。
まるで、百鬼夜行のように傘をさした神使や、あやかし達が花街を談笑しながら行き交う。
「お梅さん、心配しちゃうかも」
人並みを眺めているのも、飽きてきちゃったな。
ザワザワと騒がしい楽しげな話し声も、ぼんやりと綺麗に輝く赤い提灯も、今は余計に孤独を感じさせる。
ふつふつと浮かんでくる、暗い考えを打ち消すようにして、私は頭をブンブンと振った。
もう、このまま裸足になって走って帰ろうかと思って、一歩踏み出そうとした瞬間、目の前に現れた壁に顔をぶつけた。
「きゃっ……! す、すみません」
『ん、つむぎじゃねぇか。なんだ、裸足になって、鼻緒でも切れたのか?』
誰かの胸板に顔をぶつけてしまった。
どこかで聞き覚えのある声がして、私を支えたのは傘をさした錦だった。驚いた私は、少し動揺して彼を見上げる。ま、まさかこの神使に出会うなんて、最悪。
錦は口端に余裕の笑みを浮べると、懐から入墨の入った腕を出し、自分の顎を撫でる。
「に、錦! は、鼻緒は切れたけど大丈夫っ。そんなにお家までは遠くないし、走ったら、なんとか行ける距離だもの」
『おいおい、そんなに毛を逆立てて警戒しなくてもいいじゃねぇか。この人混みじゃあ、濡鼠になっちまうぜ。それにお前足の裏、怪我してもいいのか? ほら、良いから、俺が鼻緒を直してやるよ』
初対面で、あんな真っ昼間に突然キスしてきた人が良く言う……。でも悔しいけど、錦の言う通り。
走って帰っても、ずぶ濡れになっちゃう距離なんだよね。警戒はするけど、錦も一応神使だし……、このままじゃ帰れないからお言葉に甘えようかな。
「う、うん……」
『つむぎ。俺の膝に足を置いていいぞ』
私は傘を持つと、軒下で濡れるのも構わず跪いた錦の膝に、戸惑いながら足を置く。転けないように肩に手を置けというので、言われたようにする。
錦は手拭いを引き裂くと、以外にも器用に鼻緒を結んでくれる。ふざけた様子もなかったし、錦にもちょっと優しい所があるのかな。
「……ありがとう」
魅久楽は、ちょうど私が帰る頃から、賑わう時間帯になる。
『つむぎちゃんを、一人で帰らせんのは心配や』と言っていたのだけれど、今日は朧さんの姿が見えない。
『なんだ、今日は朧さんのお迎えはないんだねぇ。それならつむぎちゃん、あたしが送ってってやるよ。今日は少しばかり、帰りが遅くなったからね。あんたを無事に送り返さないと、東雲の坊に何言われるか分からないからさ』
さっきまで元気がなかったけど、お雪ちゃんが、兎耳をピコピコ動かしながら、チャキチャキとした口調で言ってくれるので、思わず笑ってしまう。
私がここに来たばかりの時に、三人組の神使に、路地裏に連れて行かれて、危うく襲われそうになった事を話したから、私の事を心配してくれているのかな。
良い子とお友達になれて嬉しい。
お雪ちゃんと楽しく会話していると、まとわり付くような、不安感が消えるような気がするもの。
迎えに来てくれないから不安になっているとか、そんな理由じゃなくて今日一日変な胸騒ぎというか……嫌な予感がする。
私はそれを意識しないように、お雪ちゃんと楽しくお喋りをして、忘れるようにした。
「お雪ちゃん、ありがとう。また明日ね」
『つむぎちゃん。またな!』
京町家が並ぶ、細道に入る直前でお雪ちゃんと別れると、私は足早に家に向かった。
何もなければ今の時間帯には朧さんは帰っている筈だから、一刻も早く逢いたい。
逢って『えらい今日は仕事が長引いてしもてなぁ』って、言って欲しい。
私は、そんな期待を込めてガラリと扉を開ける。
「ただい……」
そう言い掛けて、私は一瞬言葉を飲み込む。玄関先には、お梅さんが正座をして、知らない狐の神使にお茶を出していた。
大柄で年配のお狐様は、玄関先でお梅さんと話していたみたい。この方は、朧さんのお客さんなのかな……、それともお梅さんのお友達なの?
「お梅さん、この方は朧さんのお客様なの?」
『へぇ。東雲の使用人どす。せやけど今日は坊のお客やおまへん。つむぎはんに用があって来はったんどす』
私に用があるの?
なんだろう、東雲と聞くと思わず緊張してしまって顔が強張る。するとどうやらお客様にも、私の緊張が伝わってしまったようで、柔和な笑みを浮べて、気さくに話し掛けてきた。
『お嬢はん、えらいすんまへんなぁ。わしは、三吉言いますねん。坊の事は、こんなちぃーちゃい頃から我が息子や思うて、面倒みとりましてな』
そう言うと、三吉さんは座りながら子供の背丈を表すように、片手で宙をポンポンと叩いた。
『お梅はんとも長い仲や。わしは東雲本家に仕えとる狐やけど、坊の味方やさかい警戒せんでええ』
「朧さんの……?」
三吉と名乗った神使は、どうやら朧さんが小さい頃からお世話になっているみたい。朧さんにとっては、お父さんや親戚のおじさんみたいな、お狐様なのかな?
お梅さんとも知り合いみたいだし、怖いお狐様じゃなさそう。
「そう、なんですか。始めまして、つむぎと申します。朧さんに助けて頂きました。それで、私にどんな御用ですか」
『はっはっ、礼儀正しいねぇ。実は、坊に言付けされましてん。本家の方から連絡がありましてな。坊の弟にあたる雅様がご病気になられまして、東雲の本家に戻られたんや』
「えっ……朧さんの弟さんが? それで容態はどうなんですか?」
朧さんは、東雲の本家自体を苦々しく思っていたけれど、弟さんの事は可愛がっているようだった。ご病気で倒れられたなんて聞いたら、私も居ても立っても居られない気持ちになる。
今日、一日感じていた嫌な胸騒きは、弟さんの事だったのかな。
私が心配して、三吉さんに雅様の容態を尋ねると、ニッコリと笑う。
『まだ、原因は分からへんけど。とりあえず大丈夫や。命に別状はあらへん』
「良かった……。朧さんから時々弟さんのお話を聞いていたから、吃驚しました。だから今日は、私を迎えに来られなかったんですね」
『そうや。そんで、坊がわしに言付けしたんは、あんさんに暫く留守にするさかい、堪忍な。待ってて欲しい言う事や』
離れ離れになるのは寂しいけれど、大切な家族が病気なら、出来るだけ傍に居てあげて欲しいな。私もすぐに駆け付けたいけど、お屋敷の場所も分からない。今は、朧さんに心配かけないように、しっかりしなくちゃ。
「分かりました。お梅さんと良い子にして待っていますから、雅さんのご病気が良くなるまで、傍に居てあげて下さいと、お伝え頂けますか?」
三吉さんは狐目をさらに柔和に細めると、感心するように頷く。
『なるほど。あの坊がなんであんたに心底惚れ込んだのか、よう分かるわ。伝えとくさかい安心しぃ。あんさん、なんや困った事が出来たら、わしにいつでも言うてや』
「あ、ありがとうございます」
当たり前の事を言っただけなのに、妙に感心されてしまって、私は逆に恥しくなってしまった。
❖✥❖
あれから、三週間経っても朧さんは魅久楽に戻って来なかった。もしかして、三吉さんは、心配させないように病状を軽く言っていたのかな。
例えばここが、現代の日本ならすぐにでも朧さんに、今の状況がどうなっているのかとか、連絡を取る事が出来るけれど、魅久楽にはスマホもなければ、電話もないものね。
だから全然、状況が分からない……。
朧さん、一人で色々と抱え込んでいないかな。今すぐにでも彼のもとへ駆け付けたいと思ってしまう。
『あんた最近、元気ないねぇ。大丈夫かい、つむぎちゃん。あの色男もめっきり顔を出さないしさ。どうしちゃったのよ』
「えっ……?」
ふと、店仕舞いをしていると女将さんに声をかけられて、現実に引き戻される。
今日は、お雪ちゃんが非番の日で女将さんと二人で『こうめや』を回していた。もしかして、接客中に顔に出ていたのかな、と焦ったけれど、そうじゃなくて、休憩中の私がいつもより大人しくて元気がないのを、心配してくれていたみたい。
「朧さんはちょっと、お家の事情があって実家に帰っているんです。それに、今日はちょっとほら……忙しくて、疲れちゃっただけです」
『あら、そうなのかい? それにしても、朧さんは魅久楽の華だからさぁ。あの色男が花街を歩いてないと、魅久楽はパリッとしないっていうか。男も女も色めき立たないんだよ。この間、三件隣の茶屋の奥さんとも話してたのよねぇ。あんた達、いつも一緒だったでしょう』
朧さんは、花街を歩いているだけで絵になるし、すれ違う神使が振り返る位だもの。
下手な役者よりも格好良くて、歩く姿も上品だから、性別問わずに虜にしちゃう。好きな人を褒められるとなんだか嬉しくなって、私は思わず照れ笑いをしてしまった。
『それじゃあ、つむぎちゃん。これ、今日のお給金ね。あまり遅くならないうちに帰るんだよ』
「はい、女将さん。ありがとうございます」
お給金を貰うと、私は女将さんに頭を下げる。お雪ちゃんも女将さんも、なにかと人間の私を気にかけてくれるから、ありがたいな。だからこそ、心配させないようにしないといけないのに。
そんな事を思っていると、不意に、ポツポツと雨が降り出してきた。私は慌てて、小走りで帰ろうとした瞬間に右足の鼻緒が切れてしまい、思わず転けそうになる。
「やだ、鼻緒が切れちゃった……どうしよう」
下駄を持つと、私はとりあえず軒下で邪魔にならないように、雨宿りさせて貰う事にした。そう言えば、鼻緒が切れるのは縁起が悪いと聞いた事がある。私は、疲労感に小さく溜息をついた。
あの日は、すぐに朧さんが迎えに来てくれたけれど、今日は違うもんね。
いつ戻って来るのかも、今どういう状況なのかも分からない。
雨は一定の量で降り続いて止む気配はないし、魅久楽は段々暗くなってきちゃった。
まるで、百鬼夜行のように傘をさした神使や、あやかし達が花街を談笑しながら行き交う。
「お梅さん、心配しちゃうかも」
人並みを眺めているのも、飽きてきちゃったな。
ザワザワと騒がしい楽しげな話し声も、ぼんやりと綺麗に輝く赤い提灯も、今は余計に孤独を感じさせる。
ふつふつと浮かんでくる、暗い考えを打ち消すようにして、私は頭をブンブンと振った。
もう、このまま裸足になって走って帰ろうかと思って、一歩踏み出そうとした瞬間、目の前に現れた壁に顔をぶつけた。
「きゃっ……! す、すみません」
『ん、つむぎじゃねぇか。なんだ、裸足になって、鼻緒でも切れたのか?』
誰かの胸板に顔をぶつけてしまった。
どこかで聞き覚えのある声がして、私を支えたのは傘をさした錦だった。驚いた私は、少し動揺して彼を見上げる。ま、まさかこの神使に出会うなんて、最悪。
錦は口端に余裕の笑みを浮べると、懐から入墨の入った腕を出し、自分の顎を撫でる。
「に、錦! は、鼻緒は切れたけど大丈夫っ。そんなにお家までは遠くないし、走ったら、なんとか行ける距離だもの」
『おいおい、そんなに毛を逆立てて警戒しなくてもいいじゃねぇか。この人混みじゃあ、濡鼠になっちまうぜ。それにお前足の裏、怪我してもいいのか? ほら、良いから、俺が鼻緒を直してやるよ』
初対面で、あんな真っ昼間に突然キスしてきた人が良く言う……。でも悔しいけど、錦の言う通り。
走って帰っても、ずぶ濡れになっちゃう距離なんだよね。警戒はするけど、錦も一応神使だし……、このままじゃ帰れないからお言葉に甘えようかな。
「う、うん……」
『つむぎ。俺の膝に足を置いていいぞ』
私は傘を持つと、軒下で濡れるのも構わず跪いた錦の膝に、戸惑いながら足を置く。転けないように肩に手を置けというので、言われたようにする。
錦は手拭いを引き裂くと、以外にも器用に鼻緒を結んでくれる。ふざけた様子もなかったし、錦にもちょっと優しい所があるのかな。
「……ありがとう」
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