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拾四 朧さんと屋形船デート②
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魅久楽の中心部から離れると、神使たちの雑踏から遠のいて、人通りも少なくなってくる。私が思うよりもこの世界は広くて、この辺りはまだ、散策していないエリアだった。
と言うか、魅久楽にこんな漁港みたいな場所があったんだね。この海はどこに繋がっているんだろう。人間界? それとも高天原かな、色々な想像が頭を巡る。
考えたらここって、寒くもないし暑くもない。桜が咲いていたり、冬に咲く椿が庭に植えられていたり、紫陽花を見かけたりする。春夏秋冬の景色をいっぺんに楽しめるのは、魅久楽温泉だけかと思っていたけれど、この世界自体、四季がごちゃまぜになってるのかな。
『つむぎちゃん、ようやっと見えてきたで』
「わ、凄い! 結構大きめの屋形船なんだね。魅久楽に漁港があるなんて吃驚しちゃった。ねぇ、朧さん。この海はどこまで続いてるの」
『お梅が、刺身出したことあるやろ。ぜーんぶここで捕れたもんや。あの海の先は無いんやで、つむぎちゃん。どえらい広いし、どうなりこうなり船で渡っても、魅久楽からは一歩も出られへんよ。ほいで、一周して戻ってくるようになってるから、おっそろしいやろ』
「わ、怖い……な、なんかホラーだね」
朧さんは私をからかうように、狐目をキュッと細め、意地悪に笑った。こういう悪戯心というか、ちょっと意地悪な感じって、人間を化かす、お狐樣特有のものなのかな?
むかつくけど、許してしまう自分が悔しい。
『まぁ、この屋形船稲倉の大将は馴染みやさかい、毎度ええ座敷用意してもろてんねん。夜桜見ながら、はんなりデートするのもええんとちゃう?』
「うん、凄くいい! 屋形船の雰囲気も好きだし、夜桜を見ながらなんて素敵だよね! わぁ、念願のお洒落デートでめちゃくちゃテンション上がってきた……。魅久楽って綺麗で面白い所が一杯だから、飽きなくて好きだなぁ」
『そりゃええわ。あんた、ほんま思ったこと素直に言うし、顔に出るから可愛らしねぇ』
口ぶりからして、屋形船で夜遊びするのは朧さんにとって普通の事で、特別な贅沢じゃないのかもしれないけど、私にとっては買い物からの、念願のお洒落屋形船デートだし、テンションが上がらない訳がない!
感動していると、朧さんにさりげ無く腰を抱かれてドキドキしちゃった。
漁港には、六艘ほどの屋形船が繋がれていて赤い提灯がぶら下がっている。亀の甲羅を背負った神使が、稲倉の名前が書かれた弓張提灯を向けると、私たちに頭を垂れて笑った。
『おいでやす。やぁやぁ、東雲の朧はん、相変わらずシュッとした二枚目でんなぁ。お待ちしてました。ごゆるりとしてくれやす』
『久しぶりやねぇ、大将。相変わらず口が達者やわ。ほな、行こかつむぎちゃん』
「はい。お邪魔します」
朧さんに促されて、私は屋形船に入った。そこは細長い大きな座敷になっていて、どうやら一番奥が大人数用の広い座敷、手前に障子で仕切られた部屋が三室ほどあるみたい。
手を繋がれ、一番真ん中の部屋に入ると私は目を輝かせた。
「わぁ……綺麗。船から魅久楽の様子が見えるんだぁ」
『せや、ええやろ。魅久楽を一周するんや。今夜はお月さんも綺麗やさかい、ええねぇ』
前方に広がるのは、魅久楽の煌びやかな夜景と大きな満月。月光と提灯の明かりで満開の夜桜が艶やかに照らし出されていて、本当に綺麗な光景だった。
まるで色鮮やかな、和風の宝石箱を覗いたみたいに輝く夜景。そんな言葉がふさわしい。
ひっそりと咲く桜に、うっすらと発光する白い蝶がヒラヒラと舞っているのが見える。私は思わずぼんやり見惚れてしまって、朧さんに笑われちゃった。
さすがに、お登りさんというか、騒ぎすぎたかなと思って顔が熱くなる。
「ご、ごめんなさい」
『かまへん、かまへん。つむぎちゃん、はよ座り。稲倉は料理も酒も絶品やさかいこっちも見たってや。ほな、そろそろ頂こか』
「うん。わ、凄い懐石料理……美味しそう」
あらかじめ、お梅さんに予約を頼んでおいたようで、テーブルには、稲倉の懐石料理がずらりと並んでいた。
先付け、小さな稲荷に太巻、金目鯛の煮付けや、お造り、茶碗蒸し。山菜や鱚、海老の天ぷら、鶏肉の照焼き、小さな水菓子まで付いてきて、かなり豪華でボリュームがある。
この屋形船の内装も豪華だし、このプラン絶対お高いよね。
そこに胡座をかいて座る朧さんは、遊び人の格好はしているけれど、やっぱりどこか上品な感じがする。
背筋をピンと伸ばし、お猪口の持つさり気ない仕草に『若様』の柔らかい気品があって、隠しきれない育ちの良さがあるんだよね。
うん、これは女ったらしのクズでも好きになっちゃうわ……。
私、面食いじゃ無かったのにな。
朧さん、エッチで意地悪だけど、どこに居てもさまになってる。本当に絵になるし、格好いいんだもん。
そして、何を食べてもここのお料理は美味しいな。綺麗な夜景と夜桜を見ながら食べるご飯に、私はもう大満足していた。
「はぁ……全部美味しかった。お梅さんの料理も美味しいし、魅久楽って何食べても美味しいせどここは絶品で幸せ。夢なら覚めないで欲しい。お腹いっぱい」
『つむぎちゃんって、ほんま幸せそうな顔して食べはるねぇ。狐を前にしてそないなこと言うて、ええの。ぜーんぶ化かされとるかも知らへんで』
朧さんは、お造りを最後の酒の肴にして妖艶に微笑む。お狐様の朧さんがそう言うと、結構洒落にならないけれど、手首のミサンガは本物だから安心した。
「うん、これがあるから大丈夫。でも、朧さんが言うとお狐様だから洒落にならないよ~~」
『なんや、つむぎちゃん。あんたもしかしてちょっと酔うとるんとちゃう?』
「ちょっとだけ。私日本酒あんまり飲まないんだけど、このお酒ね。すっごい飲みやすくて美味しいんだもん」
朧さんが注いでくれたお酒が、中々美味しかった。ほんのちょっと酔っ払っていい気分になっているのは確か。遠くで三味線の音と芸者さんの声が聞こえてくるし、ふわふわして気持ち良い。
『つむぎちゃん、食事は終わったさかいあっちで、ゆっくり月見酒と行こか。おいで』
「うん。魅久楽のお月様って人間の世界で見るよりも大きく見えるね」
『せやろ。高天原に近いさかい月の神さんの力が強いねん。せやから、あない大きぃてあこ光るんやろなぁ』
私は素直に朧さんに連れられて、窓辺の方に席を移した。
船の舷に両手をついてお月様を見ていると、朧さんが横から頬杖をつきながらぼんやりと月を見上げ、不意に私の視線に気付き、キュッと金色の瞳を細めてこっちを向いた。
気怠げな仕草にドキッとしたことを悟られないように頬を染めて、またお月様を見上げる。すると、ずいっと朧さんが顔を寄せ、耳元で笑うような吐息が聞えた。
『なーに? なんや物欲しそうな顔してるやん、つむぎちゃん。なんや俺に酒でも注いで欲しいん? それとも口移しの方がええか』
「ち、ちが……。あ、あんまり、今までまったりお話し出来なかったからなんか良いなって。お酒は普通に下さい。今日はキスはお預けです」
デートする目的は、恋人同志のように思い出を作りたいというのもあるけれど、朧さんのことをもっと色々と知りたいという気持ちがあったから。エッチなことは沢山してるけど、やっぱり朧さんとの時間も大切にしたい。
『遠慮せんでええで、つむぎちゃん。俺の間に座り』
と言いつつも、私は甘えたくて素直に朧さんの脚の間に座った。いちゃいちゃするのは好きだもん。
『ここは衝立があるさかい、キスするだけやったら、かまへんやろ? 俺かてほんまはあんたを抱きたいの……我慢してるんやで。お預けやなんて、いけずやなぁ。俺と駆け引きか? いつからつむぎちゃんは、そない悪い子になったん?』
「だ、だって……んっ……んぅ」
朧さんは船の舷に、紅葉の描かれた徳利とお猪口を置くと、私に口付けた。こうやって自然に慣れた感じで、異性にキスができる朧さんにドキドキしつつも、少し妬いてしまう。
低く甘い声で強請られているのに、朧さんは絶対に私を逃さないような、まるで獲物をもてあそぶような瞳をしている。舌が絡み合うと痺れるような快感を感じたの。
そうだった、駄目の選択肢なんて最初から朧さんにない。
朧さんって、沢山の女の子とキスしてるんだろうな、でも今は私だけのものなんだっていう、子供みたいな優越感を感じて嬉しくなった。
朧さんは私の唇を舐めて、舌の表面に優しく触れるとお互いの舌が絡まり、頭がぼうっとする。着物の襟元から、朧さんの大きな手が侵入してきて、私は思わずトン、と胸板を叩いた。
すると、銀糸を引きながら舌が離れて朧さんの色香漂う顔面がアップになる。わ、わぁ、心臓に悪い……。
「も、もうこれ以上はだめだってば! ここは壁も薄いし……。私もっと朧さんとお話ししたい。色々知りたい事だってあるしっ」
『残念やなぁ。帰ったら褥で相手してや……もちろんええやろ? つむぎちゃの体温、あったこーてええねん。やらかいし、ちっこいし、なんやこう抱いてるだけで気持ちええ言うか。ほんで、あんたは俺の何が知りたいん?』
胸に少し触れると、不満そうにしながらも朧さんは手を抜き、私の腰に両腕を回して囁いてきた。改めてきかれると凄く恥ずかしい。
めちゃくちゃ勢いで言っちゃったから。
質問を考えて来たわけじゃないけど、ふと根本的に、疑問に思っていることを朧さんにぶつけてみた。
「う、うん。ま、まぁ、帰ってからならいいかな。どうして私を契約の巫女に選んだの? どうしてあの場にいた莉緒ちゃんじゃなくて、私なのかなって。神使には、この人が契約の巫女になるって分かるの?」
『いや、ほんまに偶然やねぇ。あんたらが祠の前で騒いどったやろ。それを止めようとしたんは、つむぎちゃんだけや。そんで、銭支払ってあんただけ俺が貰った。ほんまは一緒に居ただけで罰あたるくらいうっとこは厳しいで』
「そうなんだ。ありがとう。朧さん、あの時ことを、一部始終見てたんだ。や、やっぱり偶然かぁ」
『せやけどな、つむぎちゃん。あんた小さい頃から、神社によう通うてはったんと違う? それも稲荷や。最初は気付かへんかったけどあの夜、つむぎちゃんを抱いてあんたの顔近くで拝んだら、なんや見たことある子やな思うてな』
そう言えば、近くに稲荷神社があって私はそこで良く遊んでいたな。
それに、お父さんの実家が伏見にあって……お祖母ちゃんが生きてた頃は、よく伏見稲荷にお参りに連れて行って貰ったのを思い出した。お母さんの実家もどちらかというと、信心深い感じで、自営業していたから稲荷の神棚が置かれていた。
「……通ってた。飴やチョコレートをお稲荷さんにお供えしたり……。私、お父さんの実家に帰った時は、いつも伏見稲荷に行ってたよ。あ……そう言えばそこで、白い狐を見たことがあるの。もしかして、あれは朧さんだったの?」
『さぁ、どやろねぇ。せやけど普通の人間に視えへん、神使の白狐が視えるちゅーことはつむぎちゃんに、巫女の素質があったていうことや』
朧さんは、はぐらかすような曖昧な返事をした。でも、私の記憶の中で、長い間忘れ去っていたあの綺麗な白い狐は、朧さんのような気がする。
朝靄の中で、一瞬目が合って立ち去った白い狐が赤い千本鳥居の奥に消えていく姿は、本当に神秘的だったな。追いかけたかったけど、小さな私は手を繋がれていて何も出来なかった。
あの白い狐が本当に朧さんなら、私たちは運命の出会いをしたの……?
『俺な、身を焦がすくらい本気になれる女を探しとったんや』
と言うか、魅久楽にこんな漁港みたいな場所があったんだね。この海はどこに繋がっているんだろう。人間界? それとも高天原かな、色々な想像が頭を巡る。
考えたらここって、寒くもないし暑くもない。桜が咲いていたり、冬に咲く椿が庭に植えられていたり、紫陽花を見かけたりする。春夏秋冬の景色をいっぺんに楽しめるのは、魅久楽温泉だけかと思っていたけれど、この世界自体、四季がごちゃまぜになってるのかな。
『つむぎちゃん、ようやっと見えてきたで』
「わ、凄い! 結構大きめの屋形船なんだね。魅久楽に漁港があるなんて吃驚しちゃった。ねぇ、朧さん。この海はどこまで続いてるの」
『お梅が、刺身出したことあるやろ。ぜーんぶここで捕れたもんや。あの海の先は無いんやで、つむぎちゃん。どえらい広いし、どうなりこうなり船で渡っても、魅久楽からは一歩も出られへんよ。ほいで、一周して戻ってくるようになってるから、おっそろしいやろ』
「わ、怖い……な、なんかホラーだね」
朧さんは私をからかうように、狐目をキュッと細め、意地悪に笑った。こういう悪戯心というか、ちょっと意地悪な感じって、人間を化かす、お狐樣特有のものなのかな?
むかつくけど、許してしまう自分が悔しい。
『まぁ、この屋形船稲倉の大将は馴染みやさかい、毎度ええ座敷用意してもろてんねん。夜桜見ながら、はんなりデートするのもええんとちゃう?』
「うん、凄くいい! 屋形船の雰囲気も好きだし、夜桜を見ながらなんて素敵だよね! わぁ、念願のお洒落デートでめちゃくちゃテンション上がってきた……。魅久楽って綺麗で面白い所が一杯だから、飽きなくて好きだなぁ」
『そりゃええわ。あんた、ほんま思ったこと素直に言うし、顔に出るから可愛らしねぇ』
口ぶりからして、屋形船で夜遊びするのは朧さんにとって普通の事で、特別な贅沢じゃないのかもしれないけど、私にとっては買い物からの、念願のお洒落屋形船デートだし、テンションが上がらない訳がない!
感動していると、朧さんにさりげ無く腰を抱かれてドキドキしちゃった。
漁港には、六艘ほどの屋形船が繋がれていて赤い提灯がぶら下がっている。亀の甲羅を背負った神使が、稲倉の名前が書かれた弓張提灯を向けると、私たちに頭を垂れて笑った。
『おいでやす。やぁやぁ、東雲の朧はん、相変わらずシュッとした二枚目でんなぁ。お待ちしてました。ごゆるりとしてくれやす』
『久しぶりやねぇ、大将。相変わらず口が達者やわ。ほな、行こかつむぎちゃん』
「はい。お邪魔します」
朧さんに促されて、私は屋形船に入った。そこは細長い大きな座敷になっていて、どうやら一番奥が大人数用の広い座敷、手前に障子で仕切られた部屋が三室ほどあるみたい。
手を繋がれ、一番真ん中の部屋に入ると私は目を輝かせた。
「わぁ……綺麗。船から魅久楽の様子が見えるんだぁ」
『せや、ええやろ。魅久楽を一周するんや。今夜はお月さんも綺麗やさかい、ええねぇ』
前方に広がるのは、魅久楽の煌びやかな夜景と大きな満月。月光と提灯の明かりで満開の夜桜が艶やかに照らし出されていて、本当に綺麗な光景だった。
まるで色鮮やかな、和風の宝石箱を覗いたみたいに輝く夜景。そんな言葉がふさわしい。
ひっそりと咲く桜に、うっすらと発光する白い蝶がヒラヒラと舞っているのが見える。私は思わずぼんやり見惚れてしまって、朧さんに笑われちゃった。
さすがに、お登りさんというか、騒ぎすぎたかなと思って顔が熱くなる。
「ご、ごめんなさい」
『かまへん、かまへん。つむぎちゃん、はよ座り。稲倉は料理も酒も絶品やさかいこっちも見たってや。ほな、そろそろ頂こか』
「うん。わ、凄い懐石料理……美味しそう」
あらかじめ、お梅さんに予約を頼んでおいたようで、テーブルには、稲倉の懐石料理がずらりと並んでいた。
先付け、小さな稲荷に太巻、金目鯛の煮付けや、お造り、茶碗蒸し。山菜や鱚、海老の天ぷら、鶏肉の照焼き、小さな水菓子まで付いてきて、かなり豪華でボリュームがある。
この屋形船の内装も豪華だし、このプラン絶対お高いよね。
そこに胡座をかいて座る朧さんは、遊び人の格好はしているけれど、やっぱりどこか上品な感じがする。
背筋をピンと伸ばし、お猪口の持つさり気ない仕草に『若様』の柔らかい気品があって、隠しきれない育ちの良さがあるんだよね。
うん、これは女ったらしのクズでも好きになっちゃうわ……。
私、面食いじゃ無かったのにな。
朧さん、エッチで意地悪だけど、どこに居てもさまになってる。本当に絵になるし、格好いいんだもん。
そして、何を食べてもここのお料理は美味しいな。綺麗な夜景と夜桜を見ながら食べるご飯に、私はもう大満足していた。
「はぁ……全部美味しかった。お梅さんの料理も美味しいし、魅久楽って何食べても美味しいせどここは絶品で幸せ。夢なら覚めないで欲しい。お腹いっぱい」
『つむぎちゃんって、ほんま幸せそうな顔して食べはるねぇ。狐を前にしてそないなこと言うて、ええの。ぜーんぶ化かされとるかも知らへんで』
朧さんは、お造りを最後の酒の肴にして妖艶に微笑む。お狐様の朧さんがそう言うと、結構洒落にならないけれど、手首のミサンガは本物だから安心した。
「うん、これがあるから大丈夫。でも、朧さんが言うとお狐様だから洒落にならないよ~~」
『なんや、つむぎちゃん。あんたもしかしてちょっと酔うとるんとちゃう?』
「ちょっとだけ。私日本酒あんまり飲まないんだけど、このお酒ね。すっごい飲みやすくて美味しいんだもん」
朧さんが注いでくれたお酒が、中々美味しかった。ほんのちょっと酔っ払っていい気分になっているのは確か。遠くで三味線の音と芸者さんの声が聞こえてくるし、ふわふわして気持ち良い。
『つむぎちゃん、食事は終わったさかいあっちで、ゆっくり月見酒と行こか。おいで』
「うん。魅久楽のお月様って人間の世界で見るよりも大きく見えるね」
『せやろ。高天原に近いさかい月の神さんの力が強いねん。せやから、あない大きぃてあこ光るんやろなぁ』
私は素直に朧さんに連れられて、窓辺の方に席を移した。
船の舷に両手をついてお月様を見ていると、朧さんが横から頬杖をつきながらぼんやりと月を見上げ、不意に私の視線に気付き、キュッと金色の瞳を細めてこっちを向いた。
気怠げな仕草にドキッとしたことを悟られないように頬を染めて、またお月様を見上げる。すると、ずいっと朧さんが顔を寄せ、耳元で笑うような吐息が聞えた。
『なーに? なんや物欲しそうな顔してるやん、つむぎちゃん。なんや俺に酒でも注いで欲しいん? それとも口移しの方がええか』
「ち、ちが……。あ、あんまり、今までまったりお話し出来なかったからなんか良いなって。お酒は普通に下さい。今日はキスはお預けです」
デートする目的は、恋人同志のように思い出を作りたいというのもあるけれど、朧さんのことをもっと色々と知りたいという気持ちがあったから。エッチなことは沢山してるけど、やっぱり朧さんとの時間も大切にしたい。
『遠慮せんでええで、つむぎちゃん。俺の間に座り』
と言いつつも、私は甘えたくて素直に朧さんの脚の間に座った。いちゃいちゃするのは好きだもん。
『ここは衝立があるさかい、キスするだけやったら、かまへんやろ? 俺かてほんまはあんたを抱きたいの……我慢してるんやで。お預けやなんて、いけずやなぁ。俺と駆け引きか? いつからつむぎちゃんは、そない悪い子になったん?』
「だ、だって……んっ……んぅ」
朧さんは船の舷に、紅葉の描かれた徳利とお猪口を置くと、私に口付けた。こうやって自然に慣れた感じで、異性にキスができる朧さんにドキドキしつつも、少し妬いてしまう。
低く甘い声で強請られているのに、朧さんは絶対に私を逃さないような、まるで獲物をもてあそぶような瞳をしている。舌が絡み合うと痺れるような快感を感じたの。
そうだった、駄目の選択肢なんて最初から朧さんにない。
朧さんって、沢山の女の子とキスしてるんだろうな、でも今は私だけのものなんだっていう、子供みたいな優越感を感じて嬉しくなった。
朧さんは私の唇を舐めて、舌の表面に優しく触れるとお互いの舌が絡まり、頭がぼうっとする。着物の襟元から、朧さんの大きな手が侵入してきて、私は思わずトン、と胸板を叩いた。
すると、銀糸を引きながら舌が離れて朧さんの色香漂う顔面がアップになる。わ、わぁ、心臓に悪い……。
「も、もうこれ以上はだめだってば! ここは壁も薄いし……。私もっと朧さんとお話ししたい。色々知りたい事だってあるしっ」
『残念やなぁ。帰ったら褥で相手してや……もちろんええやろ? つむぎちゃの体温、あったこーてええねん。やらかいし、ちっこいし、なんやこう抱いてるだけで気持ちええ言うか。ほんで、あんたは俺の何が知りたいん?』
胸に少し触れると、不満そうにしながらも朧さんは手を抜き、私の腰に両腕を回して囁いてきた。改めてきかれると凄く恥ずかしい。
めちゃくちゃ勢いで言っちゃったから。
質問を考えて来たわけじゃないけど、ふと根本的に、疑問に思っていることを朧さんにぶつけてみた。
「う、うん。ま、まぁ、帰ってからならいいかな。どうして私を契約の巫女に選んだの? どうしてあの場にいた莉緒ちゃんじゃなくて、私なのかなって。神使には、この人が契約の巫女になるって分かるの?」
『いや、ほんまに偶然やねぇ。あんたらが祠の前で騒いどったやろ。それを止めようとしたんは、つむぎちゃんだけや。そんで、銭支払ってあんただけ俺が貰った。ほんまは一緒に居ただけで罰あたるくらいうっとこは厳しいで』
「そうなんだ。ありがとう。朧さん、あの時ことを、一部始終見てたんだ。や、やっぱり偶然かぁ」
『せやけどな、つむぎちゃん。あんた小さい頃から、神社によう通うてはったんと違う? それも稲荷や。最初は気付かへんかったけどあの夜、つむぎちゃんを抱いてあんたの顔近くで拝んだら、なんや見たことある子やな思うてな』
そう言えば、近くに稲荷神社があって私はそこで良く遊んでいたな。
それに、お父さんの実家が伏見にあって……お祖母ちゃんが生きてた頃は、よく伏見稲荷にお参りに連れて行って貰ったのを思い出した。お母さんの実家もどちらかというと、信心深い感じで、自営業していたから稲荷の神棚が置かれていた。
「……通ってた。飴やチョコレートをお稲荷さんにお供えしたり……。私、お父さんの実家に帰った時は、いつも伏見稲荷に行ってたよ。あ……そう言えばそこで、白い狐を見たことがあるの。もしかして、あれは朧さんだったの?」
『さぁ、どやろねぇ。せやけど普通の人間に視えへん、神使の白狐が視えるちゅーことはつむぎちゃんに、巫女の素質があったていうことや』
朧さんは、はぐらかすような曖昧な返事をした。でも、私の記憶の中で、長い間忘れ去っていたあの綺麗な白い狐は、朧さんのような気がする。
朝靄の中で、一瞬目が合って立ち去った白い狐が赤い千本鳥居の奥に消えていく姿は、本当に神秘的だったな。追いかけたかったけど、小さな私は手を繋がれていて何も出来なかった。
あの白い狐が本当に朧さんなら、私たちは運命の出会いをしたの……?
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