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2、慰問
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「失礼ながら、貴女はご自分の立場がお分かりになっていない。リーデンブルク辺境伯はこの領地の人々にとって良い領主ではなかったが、獣人解放で、不利益を被った者もいるのですよ。この城で大人しく、貞淑にしておけばいい」
冷たい石畳の廊下を歩くと、左手には、私がリーデンブルク家に嫁がされ、苦悩の中にいても、唯一癒やされた庭先が見えます。
ほんのわずかの間だけ蕾を開かせる、可愛らしい白い砂糖菓子のような、イベリスの花を見て私は微笑みました。
アルノーが、子供の頃から毎年欠かさず部屋に飾ってくれた花。花言葉はたしか『初恋の想い出』と『甘い誘惑』。
心からアルノーと結ばれ、この城に辿りついたあの日、手折ったイベリスの花を髪に刺してくれたことを思い出します。
――――来年の雪解けに、俺の妻になった君の髪にイベリスの花を飾ろう。
「獣人の奴隷で商売をしても長くは続かないでしょう。ゲオルク様、貴方は彼らの力を目の当たりにしたでしょう? この城で、大人しく貞淑に、贅沢を貪っていても、領地の様子は把握できませんわ。ゲオルク様、騎士団長になった貴方がいてくだされば安心ですもの」
私が振り返り、そう答えますとゲオルクは溜息をつき、肩を竦めました。
ギルベルト様が亡くなってから、アルノーの命で守護騎士団の騎士団長に任命された彼は、まだ自分の中でその役割に、しっくりときていない様子でした。
代々、辺境伯の長子が名誉ある創造主にして豊穣の女神エルザに誓いを立てた、騎士団長を就任するのが、スラティナ地方の伝統です。
「………荷物持ちの騎士も数人用意します」
根負けしたゲオルクに、私は微笑みかけました。彼は私を快く思ってはいないでしょうが、騎士として身を案じていることは、私も理解しています。
大きなシャンデリアと、豊穣の女神エルザをモチーフにした緻密なデザインの階段、由緒正しき重厚感が溢れる城のエントランスホールに居たのは、亡きヘイミル王の黒き鎧を身に着けたアルノーでした。
今日は、初めてヴェードル国に出向き獣人王として、陛下にお会いする大事な日。
腹心の鳩の獣人クラウスと数人の獣人、そして人族の騎士が彼の護衛として集まっていました。
私の足音に、いち早く気づいたアルノーは、振り返ると、優しく微笑みかけたのです。
「オリーヴィア、やはりゲオルクを困らせているようだな」
「ふふ、ゲオルク様は私のお目付け役ですものね。今日……旅立つのね。気を付けていってらっしゃい、ディートリヒ」
「できるだけ早く帰って、君を抱きたい。必ず良い土産を持ち帰る、オリーヴィア」
アルノーは私の手を取り、耳元で甘く囁くと私は微笑みました。獣人に対して敵対心を抱く人々のいる場所に、彼を送り出すことに不安に思っておりましたが、アルノーなら必ずやり遂げるという、信頼があります。
必ず私のもとへ、無事に帰ってくるということを祈って、彼の胸板に身を寄せると、彼は優しく額に口付けをしてくれました。
「愛してるわ、ディートリヒ。どうかご無事で」
「愛してる、オリーヴィア。必ず君のもとへ無事に帰るよ」
私の指先に、唇を落とすアルノーの頭に祈りの口付けをしますと、私たちは数日の別れを惜しみました。
✤✤✤
馬車から束の間の新緑の季節を感じておりますと、やがて獣人の子供たちの孤児院が見えてきました。
内乱で親を失った子供、奴隷として売り出された子供、獣人の娼婦と人族の間に生まれた子供たちが、ここには集められています。
アルノーがこの場所を用意するまで、彼らは奴隷として雨風も凌ぐ事ができず、寒さに震え、劣悪な環境におり、それはそれは酷いありさまでした。
隣には、新たな建設途中の孤児院があります。やがて人族と、獣人の子供たちがともに過ごせるように願いを込めて、私たちは建設することにしました。
馬車が止まりますと、外からノックする音が聞こえます。
「オリーヴィア様、到着しました」
「ありがとうございます、ゲオルク様」
エスコートするように手を差し伸べられ、馬車から降りると、守護騎士が、周囲に警戒をするように私の両側に物々しく立ち、荷物を抱えます。
そんなふうに威圧感を与えては、子供たちが怖がってしまうわ……。
「あっ! オリーヴィア様だ!」
「オリーヴィア様が来てくれたわ!」
私がそう思い悩んでおりますと、鉄門が開かれ、玄関先から子供たちが走ってきました。一瞬、剣を構えようとするゲオルクを慌てて制ししますと、私は彼の前に出ました。
子供たちは頬を紅潮させ、誰が一番になるか競い合っているようです。そして、その体は自然に小鳥になり、小兎になり、子犬になって私の体に纏わりついてきました。
子供たちは大人と違い、興奮するとすぐに獣人の本来の特性が出て、獣の姿になってしまいます。
「もう! 貴方たち、人前で獣の姿になってはいけませんよ! 申し訳ありません、オリーヴィア様」
「ふふ、私の前では構いませんわ。ディートリヒ様だって、黒豹の姿で私に寄り添って下さるんですもの」
施設の女性が、玄関先で子供たちを叱ると私は、それを咎めました。孤児院の職員たちも、人の世界に溶け込めるように、彼らを教育しているのでしょう。
私は、彼らが獣の姿でも街で過ごせるようになれば、と思っていますが、郊外で狩人に狙われる可能性を考えれば、いたしかたありません。
「オリーヴィア様、今日はディートリヒ様はいないの?」
「ねぇねぇ、オリーヴィア様! 今日はお菓子を持ってきたの?」
「今日は、ディートリヒ様は大事なお仕事なの、ごめんね。今度は一緒に逢いにくるわ。ええ、お菓子もお薬も新しい毛布も持ってきているの」
小兎や子犬になった姿で、無邪気に私の膝に乗り、目を輝かせてお喋りをする彼らは、本当に可愛らしいのです。
人族の孤児院にも慰問に行きますが、人と獣人の子供たちに、そう違いはありません。もちろん人見知りの子や、人を恐れる子はいるけれど。
それは人族も同じことです。
「オリーヴィア様、今日はご本を読んでくれる?」
「もちろん構わないわ。今日はどんなご本を読もうかしら?」
「オリーヴィア様、あまりここに長居されぬよう願います。病院の慰問を控えておりますので」
ゲオルクは無表情のまま、冷たく私に注意を促します。つい楽しくて長居してしまう私に、先に釘を刺したのでしょう。
冷たい石畳の廊下を歩くと、左手には、私がリーデンブルク家に嫁がされ、苦悩の中にいても、唯一癒やされた庭先が見えます。
ほんのわずかの間だけ蕾を開かせる、可愛らしい白い砂糖菓子のような、イベリスの花を見て私は微笑みました。
アルノーが、子供の頃から毎年欠かさず部屋に飾ってくれた花。花言葉はたしか『初恋の想い出』と『甘い誘惑』。
心からアルノーと結ばれ、この城に辿りついたあの日、手折ったイベリスの花を髪に刺してくれたことを思い出します。
――――来年の雪解けに、俺の妻になった君の髪にイベリスの花を飾ろう。
「獣人の奴隷で商売をしても長くは続かないでしょう。ゲオルク様、貴方は彼らの力を目の当たりにしたでしょう? この城で、大人しく貞淑に、贅沢を貪っていても、領地の様子は把握できませんわ。ゲオルク様、騎士団長になった貴方がいてくだされば安心ですもの」
私が振り返り、そう答えますとゲオルクは溜息をつき、肩を竦めました。
ギルベルト様が亡くなってから、アルノーの命で守護騎士団の騎士団長に任命された彼は、まだ自分の中でその役割に、しっくりときていない様子でした。
代々、辺境伯の長子が名誉ある創造主にして豊穣の女神エルザに誓いを立てた、騎士団長を就任するのが、スラティナ地方の伝統です。
「………荷物持ちの騎士も数人用意します」
根負けしたゲオルクに、私は微笑みかけました。彼は私を快く思ってはいないでしょうが、騎士として身を案じていることは、私も理解しています。
大きなシャンデリアと、豊穣の女神エルザをモチーフにした緻密なデザインの階段、由緒正しき重厚感が溢れる城のエントランスホールに居たのは、亡きヘイミル王の黒き鎧を身に着けたアルノーでした。
今日は、初めてヴェードル国に出向き獣人王として、陛下にお会いする大事な日。
腹心の鳩の獣人クラウスと数人の獣人、そして人族の騎士が彼の護衛として集まっていました。
私の足音に、いち早く気づいたアルノーは、振り返ると、優しく微笑みかけたのです。
「オリーヴィア、やはりゲオルクを困らせているようだな」
「ふふ、ゲオルク様は私のお目付け役ですものね。今日……旅立つのね。気を付けていってらっしゃい、ディートリヒ」
「できるだけ早く帰って、君を抱きたい。必ず良い土産を持ち帰る、オリーヴィア」
アルノーは私の手を取り、耳元で甘く囁くと私は微笑みました。獣人に対して敵対心を抱く人々のいる場所に、彼を送り出すことに不安に思っておりましたが、アルノーなら必ずやり遂げるという、信頼があります。
必ず私のもとへ、無事に帰ってくるということを祈って、彼の胸板に身を寄せると、彼は優しく額に口付けをしてくれました。
「愛してるわ、ディートリヒ。どうかご無事で」
「愛してる、オリーヴィア。必ず君のもとへ無事に帰るよ」
私の指先に、唇を落とすアルノーの頭に祈りの口付けをしますと、私たちは数日の別れを惜しみました。
✤✤✤
馬車から束の間の新緑の季節を感じておりますと、やがて獣人の子供たちの孤児院が見えてきました。
内乱で親を失った子供、奴隷として売り出された子供、獣人の娼婦と人族の間に生まれた子供たちが、ここには集められています。
アルノーがこの場所を用意するまで、彼らは奴隷として雨風も凌ぐ事ができず、寒さに震え、劣悪な環境におり、それはそれは酷いありさまでした。
隣には、新たな建設途中の孤児院があります。やがて人族と、獣人の子供たちがともに過ごせるように願いを込めて、私たちは建設することにしました。
馬車が止まりますと、外からノックする音が聞こえます。
「オリーヴィア様、到着しました」
「ありがとうございます、ゲオルク様」
エスコートするように手を差し伸べられ、馬車から降りると、守護騎士が、周囲に警戒をするように私の両側に物々しく立ち、荷物を抱えます。
そんなふうに威圧感を与えては、子供たちが怖がってしまうわ……。
「あっ! オリーヴィア様だ!」
「オリーヴィア様が来てくれたわ!」
私がそう思い悩んでおりますと、鉄門が開かれ、玄関先から子供たちが走ってきました。一瞬、剣を構えようとするゲオルクを慌てて制ししますと、私は彼の前に出ました。
子供たちは頬を紅潮させ、誰が一番になるか競い合っているようです。そして、その体は自然に小鳥になり、小兎になり、子犬になって私の体に纏わりついてきました。
子供たちは大人と違い、興奮するとすぐに獣人の本来の特性が出て、獣の姿になってしまいます。
「もう! 貴方たち、人前で獣の姿になってはいけませんよ! 申し訳ありません、オリーヴィア様」
「ふふ、私の前では構いませんわ。ディートリヒ様だって、黒豹の姿で私に寄り添って下さるんですもの」
施設の女性が、玄関先で子供たちを叱ると私は、それを咎めました。孤児院の職員たちも、人の世界に溶け込めるように、彼らを教育しているのでしょう。
私は、彼らが獣の姿でも街で過ごせるようになれば、と思っていますが、郊外で狩人に狙われる可能性を考えれば、いたしかたありません。
「オリーヴィア様、今日はディートリヒ様はいないの?」
「ねぇねぇ、オリーヴィア様! 今日はお菓子を持ってきたの?」
「今日は、ディートリヒ様は大事なお仕事なの、ごめんね。今度は一緒に逢いにくるわ。ええ、お菓子もお薬も新しい毛布も持ってきているの」
小兎や子犬になった姿で、無邪気に私の膝に乗り、目を輝かせてお喋りをする彼らは、本当に可愛らしいのです。
人族の孤児院にも慰問に行きますが、人と獣人の子供たちに、そう違いはありません。もちろん人見知りの子や、人を恐れる子はいるけれど。
それは人族も同じことです。
「オリーヴィア様、今日はご本を読んでくれる?」
「もちろん構わないわ。今日はどんなご本を読もうかしら?」
「オリーヴィア様、あまりここに長居されぬよう願います。病院の慰問を控えておりますので」
ゲオルクは無表情のまま、冷たく私に注意を促します。つい楽しくて長居してしまう私に、先に釘を刺したのでしょう。
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