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後日譚―カフェ―②―
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初めて自分のお店を持って、お客さんが入ってくれるか、わたしも沙織も不安でいっばいだった。
けど、立地がいいこともあってオープンから一ヶ月もたつと若い人を中心に、お客さんがけっこう入るようになって、だんだんこのあたりの客層が掴めてきた気がする。
駅ナカにある有名なコーヒーチェーン店は、利用しやすいけどそのぶん、混みやすくてゆっくり休めない。
その点、わたしたちのお店は寛げるような空間を提供してるし、コーヒー豆も妥協せずわざわざ他府県から仕入れてる。
手作りのケーキも好評なんだよね。
「ちょっと落ち着いてきたね、愛。お客さんがね、ここのコーヒーが一番おいしいって」
「さすが、イタリアでバリスタの勉強した人が淹れるコーヒーは違うよね~」
わたしも資格はもっているけど、沙織のバイタリティには負ける。沙織の淹れるコーヒーは本当においしくて、自慢の従姉妹だ。もうすぐ、翔太くんが沙織の交代でくるはずだけど、そのうち三人だけじゃ、お店回らなくなるかも。
もう少しお店が忙しくなりだしたら、バイトでも雇おうかな。
「あっ、そういえば。またトイレにカビが生えてたんだよ。天井の隅に……」
「え、また? 一週間前にも取ったばっかりなのに……あそこ、そんなに湿気多いかな」
わたしたちは、お客さんに聞こえないくらいの小声で話し合った。ここでお店をやりだしてから、トイレの壁に黒カビが生える。
何度落としても、除湿機を使っても、気がついたらカビができているから困った。
まだ、天井部分のカビなのでお客さんからの苦情はないけど気が気じゃない。
「もしかして、雨漏りかなぁ。それとも、改装するときに給水管とか傷ついてるんじゃない? 業者を呼ぼうよ」
「でも、水漏れしてるわけじゃないし、とりあえず管理会社に連絡してみる」
なんとなく、気持ち悪い。
オープン前に見た、あの『目の錯覚』を思い出してしまった。
閉店したら、なるべく一人で店に残らないで沙織と家に帰るようにしてる。三人が揃っている時だったら、締め作業も平気なんだけどな。
あれから何かあったわけじゃないけど、ときどきすごく怖い瞬間がある。
「あ、雨。翔太くん、傘持ってきたかな」
ポツポツと雨が振ってきて、沙織が窓から外を眺めた。道中、雨に振られてないといいけどと思っているうちに、翔太くんが傘をさしてやってきた。
「あー、ごめん遅れて。急に雨降ってきたから焦ってコンビニで傘買ってた。もう上がっていいぞ、沙織」
沙織はエプロンを取ると、にっこりと笑った。今日はたしか彼氏の家に泊まるんだったけ、と思ってると交代で翔太くんがカウンターに入ってくる。
接客をしながら、空き時間にさっきのトイレのカビの話を持ちかけると、思い出したように翔太くんは言った。
「そういや、愛。あの赤いコートの人ってトイレから出てきた? 俺、ずっとトイレ我慢してんだけどさ」
「え? そんな人、お客さんにいたかな……。どれくらい出てきてないの?」
「30分くらいかな。気分悪くなったりしてなけりゃいいけど」
赤いコートなんて、店内にいたらかなり目立つと思うんだけど、全然記憶にない。
ここは男女兼用だし、誰かが立てば沙織か私がすぐに気づく広さだけど……。翔太くんの話では、ちょっと古い型のコートを着てて、ヒールの三十代くらいの人らしい。
ネオソバージュっぽかったけど、それよりもっと、古臭い昭和の髪型してる人だって説明されたけど……わからないな。
「わたし、ちょっと声かけてみる」
「うん、なんかあったら俺にも声かけて」
トイレの場所は、お客さんの視界に直接はいらない場所に設置している。わたしは、なるべくお客さんを動揺させないように平常心を装い、角を曲がるとトイレへと向かった。
「…………大丈夫ですか? ご気分が優れないようなら、お連れ様を呼びましょうか」
「――――祠は?」
「はい? なんですか……?」
なにかボソボソつぶやく声がして耳を近づけると、耳元で女の人がクスクスと笑う声が聞こえた。わたしは反射的にドアノブから手を離して後退る。
え? 今の………トイレからじゃない、もっと耳の近くだったんだけど。
体中に鳥肌が立った……やだ、怖い。
なんだか、この場所だけすごく暗く感じる。
雨が降っていても、お昼間だし照明だって明るいはずのになんでこんなに暗いの。
すごく怖いけど、倒れてても困るし、このままトイレの中に籠もられたら他のお客さんの迷惑になる。
わたしは、震えながらゆっくりとトイレのドアを開けた。
――――誰もいない。
――――うそ、だって……さっき声が………なんで?
けど、立地がいいこともあってオープンから一ヶ月もたつと若い人を中心に、お客さんがけっこう入るようになって、だんだんこのあたりの客層が掴めてきた気がする。
駅ナカにある有名なコーヒーチェーン店は、利用しやすいけどそのぶん、混みやすくてゆっくり休めない。
その点、わたしたちのお店は寛げるような空間を提供してるし、コーヒー豆も妥協せずわざわざ他府県から仕入れてる。
手作りのケーキも好評なんだよね。
「ちょっと落ち着いてきたね、愛。お客さんがね、ここのコーヒーが一番おいしいって」
「さすが、イタリアでバリスタの勉強した人が淹れるコーヒーは違うよね~」
わたしも資格はもっているけど、沙織のバイタリティには負ける。沙織の淹れるコーヒーは本当においしくて、自慢の従姉妹だ。もうすぐ、翔太くんが沙織の交代でくるはずだけど、そのうち三人だけじゃ、お店回らなくなるかも。
もう少しお店が忙しくなりだしたら、バイトでも雇おうかな。
「あっ、そういえば。またトイレにカビが生えてたんだよ。天井の隅に……」
「え、また? 一週間前にも取ったばっかりなのに……あそこ、そんなに湿気多いかな」
わたしたちは、お客さんに聞こえないくらいの小声で話し合った。ここでお店をやりだしてから、トイレの壁に黒カビが生える。
何度落としても、除湿機を使っても、気がついたらカビができているから困った。
まだ、天井部分のカビなのでお客さんからの苦情はないけど気が気じゃない。
「もしかして、雨漏りかなぁ。それとも、改装するときに給水管とか傷ついてるんじゃない? 業者を呼ぼうよ」
「でも、水漏れしてるわけじゃないし、とりあえず管理会社に連絡してみる」
なんとなく、気持ち悪い。
オープン前に見た、あの『目の錯覚』を思い出してしまった。
閉店したら、なるべく一人で店に残らないで沙織と家に帰るようにしてる。三人が揃っている時だったら、締め作業も平気なんだけどな。
あれから何かあったわけじゃないけど、ときどきすごく怖い瞬間がある。
「あ、雨。翔太くん、傘持ってきたかな」
ポツポツと雨が振ってきて、沙織が窓から外を眺めた。道中、雨に振られてないといいけどと思っているうちに、翔太くんが傘をさしてやってきた。
「あー、ごめん遅れて。急に雨降ってきたから焦ってコンビニで傘買ってた。もう上がっていいぞ、沙織」
沙織はエプロンを取ると、にっこりと笑った。今日はたしか彼氏の家に泊まるんだったけ、と思ってると交代で翔太くんがカウンターに入ってくる。
接客をしながら、空き時間にさっきのトイレのカビの話を持ちかけると、思い出したように翔太くんは言った。
「そういや、愛。あの赤いコートの人ってトイレから出てきた? 俺、ずっとトイレ我慢してんだけどさ」
「え? そんな人、お客さんにいたかな……。どれくらい出てきてないの?」
「30分くらいかな。気分悪くなったりしてなけりゃいいけど」
赤いコートなんて、店内にいたらかなり目立つと思うんだけど、全然記憶にない。
ここは男女兼用だし、誰かが立てば沙織か私がすぐに気づく広さだけど……。翔太くんの話では、ちょっと古い型のコートを着てて、ヒールの三十代くらいの人らしい。
ネオソバージュっぽかったけど、それよりもっと、古臭い昭和の髪型してる人だって説明されたけど……わからないな。
「わたし、ちょっと声かけてみる」
「うん、なんかあったら俺にも声かけて」
トイレの場所は、お客さんの視界に直接はいらない場所に設置している。わたしは、なるべくお客さんを動揺させないように平常心を装い、角を曲がるとトイレへと向かった。
「…………大丈夫ですか? ご気分が優れないようなら、お連れ様を呼びましょうか」
「――――祠は?」
「はい? なんですか……?」
なにかボソボソつぶやく声がして耳を近づけると、耳元で女の人がクスクスと笑う声が聞こえた。わたしは反射的にドアノブから手を離して後退る。
え? 今の………トイレからじゃない、もっと耳の近くだったんだけど。
体中に鳥肌が立った……やだ、怖い。
なんだか、この場所だけすごく暗く感じる。
雨が降っていても、お昼間だし照明だって明るいはずのになんでこんなに暗いの。
すごく怖いけど、倒れてても困るし、このままトイレの中に籠もられたら他のお客さんの迷惑になる。
わたしは、震えながらゆっくりとトイレのドアを開けた。
――――誰もいない。
――――うそ、だって……さっき声が………なんで?
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